007
―アグノシア帝国 帝都エクスフィリス
金穂月 3の日
「……なんなんだろう」
いつもならば銀剣にログインすれば、それだけで満面笑顔のうきうき気分になるところ、俺が渋面を作ってしまったのには理由がある。
インフォメーションウィンドウには、未開封メッセージの存在を示すアイコン。フレンドからのものなら青色に表示されるそれが、黄色に瞬いていた。
『悪いな、時間を取らせて』
「この後予定があるんだ。手短にお願いできるかな」
意識するまでもなく露骨に不機嫌な色を帯びた俺の声に、チャットウィンドウの向こうの相手はこれも露骨に鼻を鳴らしてみせた。
ブラッドフォード。大手レギオンパシフィズムのマスター。俺がジルデールで戦うことになった元凶にして、どうにも昔からいけ好かない相手。
――昔とは少し印象は変わったけどさ……。
ジルデールの戦勝報告を中央議事堂で行った時、この人は難題を吹っ掛けたにしては結果に動ずることもなく、さも当然のように。
――結果を出されたなら、認めるしかねぇな。
俺にしても、俺以上に議論を戦わせて相手を打ちのめすつもりだったレティシアにしても、拍子抜けで、俺たちは顔を見合わせるしかできなかった。
なんだったんだろう、あんなに言い争った割に。
もしかしてツンデレって奴だろうか。男のツンデレとか願い下げなんですけど。
まぁ、そんな相手からメッセージが突然届いていたわけで、警戒心が先立っても仕方はあるまい。
『こっちも長引かせるつもりはねぇよ。レギオンマスターは何かと忙しいんだ』
へぇへぇ知ってますよ。マスター廃業したソロプレイヤーに対する皮肉ですかね。
と、横道にそれる台詞は心の声で読み上げるのみにとどめた俺に、パシフィズムのいかついマスターは、張り合いがなさそうにまた鼻を鳴らした。
果たして、ブラッドフォードが切り出した本題は。
『……気をつけろよ』
「……何に?」
メッセージ同様、唐突すぎるそんな言葉に、俺はきょとんとせざるを得なかった。
『ここ数日、ジルデールでお前が勝ってしばらくしてからだ。うちのレギオンの連中の何人かが噂を耳にしてる。お前がクロバールと通じてるんじゃないかってな』
「……ふぅん。それはまた」
『なんだよ、随分薄い反応だな』
他人のこととなると口さがない連中なんて山ほど見てきたのと、まぁどこかで聞いた話だったこともあり、ついついぼんやりとした返しになってしまった。
それは半年前のことであり、つい先日の同級生の件でもあり、どれもこれも主語を入れ替えただけの同じような言葉だ。聞き飽きているというと少し違うだろうが、耳に新しいものではなかった。
「ごめん、自分に関する悪評は聞き飽きてて」
『そいつは大したことだ。だが、お前一人の問題ならわざわざこんなこと言わねぇ』
そいつはどうも、と生返事を返しつつ、にわかに頭が回りだすのを俺は感じていた。
「それはレティシア達にも及ぶからっていうこと?」
『それももちろんある、お前自身も今回の戦争のメインに絡むんだから、悪評は無いに越したことはねぇ。まぁ今更だろうけどな』
「今更だね」
『だが、俺が懸念してるのはそれじゃない。このタイミングでだぞ。勿論悪評が立つ契機があった。ろくでなしのソロプレイヤーと見下していた相手がいきなり、国全体の作戦を立案する立場となれば、やっかむ奴らなんて山ほど居るだろう』
「……だけど、出来すぎてると?」
『ああ、クロバールにとってお前が脅威になると認識されてからだ。そういう意図でクロバールが暗躍してるとしても何にもおかしい話じゃ無い』
「周到な連中なことで」
たかがゲーム……とは言えない。現実と見まごう仮想現実空間で仲間と肩を並べてともに戦うこの世界、勝利の喜びも、負けの悔しさも、それは本物だ。本気で……勝つためにあらゆる手段を講じることを軽蔑する気にはならない。ただ、戦場という限定された場所での知恵比べが好きな俺には、選ぶ気になれない手段ではあるけれど。
『まぁほんとにクロバールが動いてる裏が取れてるわけじゃ無いけどな。どっちにしても気をつけろ、人の噂は真実だろうと虚偽だろうと制御不能だ。お前も身に染みてるだろう』
「……ああ」
ついユキだということも忘れた口調で、低い声が漏れてしまう。
そんな俺の様子を気にした風もなく、ブラッドフォードはチャットを打ち切る挨拶を告げた。
『そんなわけだ。邪魔したな』
「いや、ありがとう。ブラッドフォードの言うとおりだよ。気をつけることにする」
本当のところ、もっとくだらないお小言か何かだと思っていた。何かと難癖ばかりつけてくる奴という印象ばかりが先に立っていたから。
自分の偏見への反省も込めて、素直に礼を言った俺に、ブラッドフォードは胡散臭そうに目を細める。
『しかし、クロバールとの関係っていうのも、リアルの知り合いのプレイヤーだっつったか。お前がこの戦争に拘るの。調べてみたら女子なんだな』
「うん? そうだけど……」
『何かと面倒な相手ばっかだな。地雷っつーか、女難の相でもあるんじゃねぇの?』
「はぁ!?」
裏返ったような声を上げてしまった俺に、特に反応を返すこともなく、チャットウィンドウは閉じられる。
「なんだよいきなり……」
呆然と、最後の一言でなんとも脱力したところへ、またチャットが着信する。
「今度は何だよ!」
発信元も確認せずにそう不機嫌に告げた俺の耳元で、冷めた声が響く。
『みんなを待たせておいて、誰と楽しくチャットをしていたんでしょうね』
「え……あ、いや、えっとその……」
感情のこもらない平坦な、だけど怖気の走るような絶対零度の声。
「ブラッドフォードが、いきなり話があるって言ってきて、今しがた終わったんだけど」
『誰ですか、まぁユキが誰と楽しくおしゃべりしようと勝手ですけど。約束の時間過ぎてますよ』
「ごめんなさい……すぐ行きます」
『別に行きたくないなら無理に来なくてもいいんですよ、みんなで行ってくるので』
なんだろう、この怒り方。こういう言い方小学生の時に親や教師から良くされた気がする……。
「ちゃんと行くからそんな言い方しなくても……」
『情けない声出さないでくださいよ……ちゃんと、待ってますからね』
閉じるチャットウィンドウ。
ぼんやりと虚空を見つめる。
ブラッドフォードが地雷女って言ってたよ、って告げたらどうなるだろう。
きっと俺は生きていられないだろうな、と、黒髪の同級生の事を思い浮かべながら、ユキちゃんは盛大にため息をつくのでした。