029
「お疲れ様、ガランサス」
「お疲れ様です、ガッちゃん」
長い睫毛を伏せて、物思いに浸っていた。
何かの会議を終えて戻ってきたレギオンのマスターとサブマスターが、そう声をかけてくるまで、気付かないまでに。
ぼんやりと顔を上げて、それから。思考が戻ってくるまでにも、しばらくの間を要した。
段々怪訝そうに顰められる二人の眉に、青髪の少女は、はっとして、それから手を振る。
「ただいまー、負けちゃったよー。ごめんね、マスター」
「別に私にあやまるようなことでもないのだけどね。ガランサスも全力でやったんだろう?」
「当然。手抜きなんてしないよ、って言っても私が戦ったのはほとんど最後だけだったけどね」
「その割には随分ぼうっとしていたみたいですけど、何か印象に残ることでもありました?」
ユラハは声も表情も平坦に、だけど、訊くことは滑らかに核心を突く。
ジルデールの戦いが決着を迎えてから、ガランサスはレオハン達と一緒に首都に戻り、戦いの後始末をしていた。別に、エルドールの幹部の1人という肩書き故に指揮官の近くにいただけの青髪の少女に、事務能力があるわけでもなく、それを期待している人がいたわけでもなく、つまるところ、彼女はその場に居ただけに過ぎなかったのだが。
負けた後始末というのを、知っておきたいと思った。
レオハンはジルデールに参戦したクロバールの人達に向かって頭を下げ、参謀役達に向かって頭を下げ、レギオンマスターのリスティナに向かって頭を下げていた。特段言い訳をするわけでもなく、自分の力不足だと一言。
ガランサスの予想に反して、リスティナは怒っている風も無かった。ただ、お疲れ様と、そして、敵の戦術と敗因の分析を早めにやりたいので、その取り纏めを頼むと。
――あのマスター負けたら冷酷に処刑とか命じそうな感じだと思ってたんだけどな……
単に見た目のイメージによる偏見だったかと、反省すること頻り。
……だが、マスターがレオハンのことを責めなかったからと言って、誰も悪し様に彼のことを言わなかったかというと、そんなこともなかった。
それは、クロバール首都ディオファーラを歩いている時に耳に届いてきた、誰が発したともわからない言葉達。
――ジルデール落とされるとか、よっぽど指揮官へたくそだったんじゃ。
――普通にやれば負けないよな。
――丘陵を守ることにこだわるからだよ、いつかはそりゃ弱点見つけられるよなぁ。
振り返っても顔の見える人の姿は無く、ただざわざわとした『人達』がそこにはいただけ。
……ガランサス自身は、特に戦いの役に立てたとも思えなかったし、自分にどうにかできたとも思わず、だから、レオハンに向ける言葉も無かったのだけど。
「ありがとう、楽しかったよ」
ただ、そうとだけ挨拶して。
「勝ち戦とはならなくて、すまなかった、こちらこそありがとう」
あくまでも紳士的な演技なのか素なのかはわからないが、そんな態度を崩さないブリュンヒルデの幹部に手を振って、エルドールのレギオン城へと引き上げてきた。
「……うーん、そんなにぼうっとしてたかな?」
「してましたよ。ガッちゃんは普段うるさい分静かだと目立つんです」
「失礼だよー。あとガッちゃんじゃなくてもっと可愛い呼び方が良いってー」
「まぁまぁ、お茶でも飲むかい?」
ぷっと頬を膨らませたレギオンメンバーに、マスターオルテウスは相変わらずのお人好しそうな笑顔を浮かべて、丸テーブルの上にティーポットを出現させた。
テーブルを囲む、白髪の青年、栗色の髪の少年、それに青髪の少女。それはエルドールがレギオン城を手に入れる前から、もっと小さなレギオンだった頃から、良くあった光景だった。
「……何を考えてたんだろう、私」
砂糖壺の上に浮かぶアイコンをタップして、甘さのレベルを調整するという、少しばかり情緒を欠くインターフェースを操作して、だいぶ甘くした紅茶を一啜り。そんなことをぼんやりと呟く。
ユラハの呆れたため息が語尾に重なる。
「大丈夫ですか?」
「時々あるよね。回りのことなんて何も感覚に入ってないくらい集中して考え事してたのに、我に返ると一緒にぽっと抜けてっちゃうこと」
「あります……? 私はあまり体験したことないんですが」
「ユラハはきっちりしてるからねぇ」
人の頭の中なんて覗けはしない。経験のしたことのないことは結局想像するしかできず、それにだって限界はあるのだった。
ガランサスは、もう一口紅茶を含んで、ほうとため息をついた。
「まぁ、ジルデールのこと考えてたんだよね、きっと」
「ガランサスがそんなに思い悩むっていうのもよっぽどだね」
「マスターもユラハも失礼だよ、もう」
そう、もう一度むくれた二刀使いだったが、確かに普段の戦争は勝とうが負けようが、飽きるまでは次、次! と戦場を渡り歩くのが常だった。終わった戦争の結果に思いを致すなんてことは、今まで無かったことだ。
「一つは……負けるのって難しいなって」
抽象的な言葉だったが、オルテウスは小さく頷く。
「有象無象の小競り合いならいざ知らず、こういう重要拠点とかで負け慣れていないからねぇ……後始末で何か荒れてた?」
「ううん、ブリュンヒルデのマスターとかも穏やかなものだったよー、絶対『無能者の顔は二度と見たくありません、去りなさい』とかいって、床が抜ける仕掛けとかあると思ってたのに」
「どこの帝国の総統ですか、まぁそういうキャラっていうイメージはわかりますが、リスティナ氏」
「中央評議会総長ユリウスとはまた別の独裁者感あるからねぇ、彼女」
くっくと笑うオルテウスをユラハは胡乱げに横目で見やる。
「ただ、やっぱり戦いに参加したわけでも無いのに、悪く言う人はいるものだなーって……帰ってくる時に噂話が聞こえちゃって」
「無責任な立場からは何だって言えるものですよ、無視するのが一番です」
「……そうだねぇ、でも、そういう実際のところは責任を持たない人っていう方が数の上では世の中の大多数だからね……歩いただけで聞こえてくるっていうのは、気をつけないといけないかな」
「宣戦布告も控えているし……ですか」
「うん」
これから開始されるだろうクロバールとアグノシアの全面戦争。それを統率する立場であるオルテウスは、少しばかり憂鬱そうに頷いた。
ガランサスには、想像の及ばない次元での心配だった。数多くの人達をどう纏めて戦争をしていくか。先頭を切って敵陣に斬り込んでいる時以外は基本的に役立たずであることを自認している彼女には、そのあたりはマスターに任せるという割り切った思いしか無い。もちろん、何か手伝えるなら手伝いたいとは思うが、役に立たない人は大人しくしていた方が良い結果になるというのを、なんとなく青髪の少女は悟っていた。
そう、彼女がこれから何かできるとしたら……何かしたいとしたら、戦争の行方の方では無く……。
「もう一つは、あの大剣使いの方。ぎったんぎったんにしてやるつもりだったのに、倒せなかった」
「やっぱり戦ったんですね……あの戦争の中で良く機会を作りましたね」
相変わらず抑揚の少ない表情と言葉で、だが、付き合いの長いガランサスにはそこに呆れと、少しばかり驚嘆が入り交じっているのがわかる。
「すごいでしょー」
「無理言ってレオハン氏に迷惑をかけたんじゃないかと心配なだけですけどね……」
「もう、大丈夫だよ。最後の包囲を突破しようとした突撃でね、斬り込んで、そのまま戦った」
「どうだった、彼女は?」
「マスターは迷いがあるって言ってたのに、何かふっきれたみたいだったよ。『カンナは渡さない』だってさ」
紅茶を飲み干して机に突っ伏した、その脳裏に浮かぶ、淡い色の髪と赤い瞳の大剣使いの少女。
「そうか……それは良かった、というべきなのかな」
「マスターはあの人のこと、倒したいと思う? 殺してやりたい?」
「いきなり物騒だね……」
「だって、マスターらしからず、デュエル申し込んだんでしょ?」
「思い出させないでくれよ……ユラハからこってり絞られたのがトラウマでね……」
「二度とやらないことですね」
はぁとため息をついたマスターを横目で牽制するユラハに、青髪の少女はふふっと笑った。本当にこのエルドールのマスターとサブマスターは良いコンビだと思う次第だ。
「一度戦ってみたかったんだ。倒したいとかそういうは別にして……ガランサスはそういうのじゃなかったのかな?」
「私も、一度は戦ってやらないことには、って思って今回参加したんだよね……別に、カンナのことは良いんだよ。カンナ自身が決めたことだし」
「……そうだね」
「だけど、戦ってみて……どうにも倒してやりたいなぁって、思うようになっちゃった」
そんな物騒なことを頬杖をつきながら言うガランサスに、オルテウスとユラハは顔を見合わせた。
「それは戦士として倒したい相手ってことなのですか?」
「わかんない、けど、倒してやらないと気が済まないから。アグノシアとの戦争の時に、きっと戦わせてもらう」
「さて、機会があれば良いけどね……」
どうにも色んな思惑やら因縁やら意志やらが絡み合っていく。
クロバールとアグノシア、その全面戦争の行方を思いやって、オルテウスはもう一度ため息をついた。
「戦争の始まり」編、ここにて一段落となります。
思っていたより長くなってしまった……ここから日常などを挟みつつ、本格的な全面対決へとなだれ込んでいくはず……お楽しみにしていただければ幸いです。