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ラムラス王国編

   ■ 序文 ■




 はるか昔に起こった世界を二分するほどの大きな戦争の後、大地は海を離れて天空を漂うようになった。

 人々はその世界をいつしかスヴェインオードと呼ぶようになった。




   ■ 序章 災炎の黒き竜 ■




 火の海に対峙する二匹の獣。

 一匹は禍々しい黒い鱗に覆われた赤眼の竜で、もう一匹は純白の機体にところどころに赤いラインの入った機械の竜であった。

 最初に動いたのは白い竜のほうだった。暴れて被害を広げようとする黒い竜を押さえ込もうと掴みかかろうとする。対して、黒い竜は掴まれまいと暴れて抵抗をはじめる。

 抵抗する黒い竜に白い竜はその首筋に目がけて牙を立てる。牙の突き刺さった首筋からは赤黒い流血が飛沫となってあたりに飛び散った。

 黒い竜は苦しげな叫び声をあげて、より一層に暴れて抵抗をはじめた。それを抑えこもうと白い竜は首筋に立てた牙にさらに力を加える。

 だが、白い竜の牙は急所を外しているらしく、黒い竜の抵抗に首筋から牙は徐々にはがれていく。

 そして牙が首筋から抜け、白い竜が仰け反ったときである。その白い竜の頭を飛び越えていく人影が見えた。

 人影は黒い竜の額に目がけて、刃を突き立てようと飛びこんでいく。刃を突き立てられた黒い竜は苦痛そうに叫びだした。が、まだ絶命させるにはもう一太刀浴びせる必要がありそうだ。そこで人影は額に突き立てた刃からその手を離し、地上へ転げ落ちる。

 人影はすぐさま受け身をとって、体を起こして体勢を整える。体勢を整えた人影のあたりには青白い光の粒子が飛散にすぐさまに収束し、槍の形状を成していく。

 槍がその形を成すと人影はその存在を確かめるように強く握ると、黒い竜を睨みつつ構えをとる。

 それから一呼吸して、人影は槍を突き立てながら黒い竜の腹に目がけて突撃をかける。

 黒い竜は威嚇しようと人影に向けて咆哮をあげようとするが、首筋についた傷のせいで不発に終わり、それどころかうなだれてしまい、人影から視線を外してしまう。

 人影はその隙を見逃さず、すかさず距離を詰めて、黒い竜の腹に槍の一閃を突き立てる。

 槍に貫かれた腹からは大量の血潮が湯水のように吹き出す。人影はそこからさらに槍でえぐって槍を身体の奥へ突き刺していく。

 黒い竜も最初は激しく抵抗をしていたが、その流血の度合いが激しくなるにつれて衰弱していくのがわかった。

 やがて黒い竜が抵抗の一切をピタリと止める。それから糸が切れたかのように重い体が地面へと崩れ落ちた。

 横たわった黒い竜が再び起きあがらないかジッとその姿を睨む。すると血だまりの中から炎の照らされて光るものを見つける。

 人影は警戒しながら、その光ったところまで歩みを進める。そして身をかがめ光に手をのばす。触った感触は硬く冷たい――金属製の物だろうか。

 手にとり目で確認した物は一つの指輪だった。なんの装飾もない無骨な妖しく黒光りする指輪。

 この指輪との出会いがこの人影――少年ラインにとっての物語のはじまりであった。




   ■ 第一章 シュロイクの樹海 ■




   ■一■


 船が風にあおられて揺れるのが部屋にいても体感できた。

「さて、君に一つ訊ねたいことがあるのだが、構わないか?」

 青髪の細い切れ目の男が問いかけてくる。肌は透き通るほど白く、耳はとがっている。これはエルフ族の特徴である。

「はい」

 黒髪の少し気弱そうな少女が緊張した面持ちで答える。

「君は自分がなぜここにいるのか理解できているか?」

 男の質問に口を一文字に結んだまま頭を縦に振った。

「君を取り巻く環境は非常に複雑だ。が、だからといって甘やかすつもりはない。君もそのつもりでいることだ」

 男の厳しい物言いに少女は無言でゆっくりと首を縦に振った。

 しばらくの沈黙のあと、少女は外が騒がしいことに気がつく。

「気になるか?」

 男の問いかけに少女は「今日は何かあるのですか?」と訊ねてきた。

「少し外に出るか。講義はそれからだ」

 男は含み笑いをすると、立ち上がり少女に甲板のほうに出るよう促す。少女は男の指示に従い甲板へ向かうことにした。

 甲板へ出る扉を開けると風が吹き抜けていった。初春の冷たい風に少女は思わず身震いをする。

「上を見てみろ」

 男に言われて少女は上空を見上げる。それと同時に黒い影が通り過ぎていった。

「あれは……?」

「機翔竜だ。名前くらいなら聞いたことがあるだろう?」

 少女は飛翔する黒い影を目で追う。少女は機翔竜を目にするのはこれがはじめてであった。それでも知識としてなら少しは知っていた。

 機翔竜とは遥か古の時代に造られた機械の竜のことである。話によれば機翔竜には意志があり、自らでその主人を選ぶと言われている。

「きれい……」

 少女ははじめて機翔竜を見て感嘆してしまう。

 両翼を広げて滑空する姿は威風堂々という印象である。

 無機的に煌めく純白の機体は流線的でしなやかな姿をしており無駄がない。部分部分に入っている赤いラインがその姿をより際だたせていた。

「ところで、いまは何をやってるんですか?」

「フラッグゲームだ」

 そう言って男はマストヘッドの方へ指さす。少女が凝視するとヘッドの先端に赤い旗が風でたなびいていた。

 フラッグゲームというのは攻守に分かれて旗をとりあうゲームである。具体的には攻める側が旗を守る側の旗をとれば勝ちという単純なルールだ。だが、場合によっては命の取り合いにも発展する危険なゲームでもあった。

「いま、はじまったばかりか?」

 男は近くにいた体格のいい男に声をかけると、その男は「へい」と気前よく答えた。

「ならば、お手並み拝見というところかな」

 機翔竜の背中にはよく見ると人が乗っていた。乗っているのは少女と同じ年齢――一七歳くらいの少年である。

 少年は機翔竜を操って何とかフラッグをとろうとするが、その行く手をデルフィに乗った三十代くらいの男が阻む。エルフの男の話を察するに彼がバルカであろう。

 デルフィというのは一種の飛行機械である。その姿はかつて海があった時代にいたとされるイルカのようであった。

 少年が繰り出す攻撃を水切りするように跳ねて避けるのはデルフィが空を飛ぶときの特徴である。

 少年は攻撃が一つも通らないのを見るや、体勢を立て直すために旋回して一旦は退こうとした。が、その間隙を狙ってバルカが追撃を仕掛けてくる。

 それは少年が少しだけ背中を向けた瞬間であった。剣の一閃が少年の背中の少し斜めを狙って振りおろされる。それを少年が咄嗟に振り返って、攻撃を受け止めようとする。

 少年はかろうじてその一撃を受け止めることに成功したが、おかげで体勢を崩してしまう。バルカはその隙を見逃さず、さらに一撃を繰り出してくる。

 少年は体勢を崩したせいで重心が乗らないまま、その一撃を受けようとする。が、そのせいでバルカに持っていた剣を跳ね飛ばされてしまう。

 少年の握っていた剣が宙をくるくるとまわりながら船の甲板に突き刺さる。

「あ!」

 二人の戦いの行方を見守っていた少女が思わず声をあげる。

 バルカはそこからさらにもう一撃を繰り出そうとする。今度こそ少年に攻撃を受け止める術はない。勝負は合ったかのように思えた。

 だが、次の瞬間バルカの振った剣の一撃が虚しく宙を切ることとなる。少年は乗っている機翔竜から飛び降りることでバルカの攻撃をかわしたのだ。

 なんとかバルカの一撃はかわせたものの、このままだと少年は甲板の下に叩きつけられるだけである。が、少年が右腕を掲げると、機翔竜が尻尾を垂らす。それから少年は尻尾を掴み宙ぶらりになった。

「なかなか面白いことをするな」

「あの、止めなくていいんですか?」

 下で観戦していた男は感心したようにつぶやくのを少女はたしなめるように訊ねる。

「止めるも何も、戦いはまだ終わっていないぞ。見てみろ」

 男に言われて、少女は再び宙を仰ぐ。尻尾に掴まった少年は機翔竜に「放りあげろ!」と命令したように聞こえた。それから機翔竜は尻尾を上下に揺さぶり、そのまま少年を宙へと放り投げた。

 少年は放物線を描きながら、バルカの方へ跳んでいく。あっけにとられたバルカの隙を付くのは少年にはたやすいことであった。

 少年はバルカの乗っていたデルフィの船頭に着地すると、すぐさまにバルカの襟首を掴み空いたほうの手で目潰しをしようかというところを寸でのところで止めた。

「そこまで!」

 男が声を張りあげる。これが戦闘終了の合図となった。両者に漂っていた緊張も糸がほぐれるように退いていく。

「二人とも降りてこい」

 男の呼びかけに二人は従い、デルフィをゆっくりと甲板に降りていく。

「驚いた。武器を失えば戦意を喪失するものだと思っていたが、そこを逆手にとるとはな」

 バルカが少年に賞賛を贈る。

「自分でも驚いているよ。何せ体が勝手に動くんだからな」

「ははは。面白いヤツだな」

 少年のおどけた様子にバルカが豪快に笑った。

「見事だ、ライン・ファルローネ」

 少年が甲板に降りると、男が少年の名前を呼んで、彼のもとに近づいていく。

「シルト、あんたも人が悪いな。こんな形で腕試しをされるとは思わなかったよ」

「雇った人間の実力くらいは見たくなるさ。ましてや機翔竜の乗り手となればことさらな」

 そう言って二人は握手を交わす。

「ライン、君に一人紹介したい人間がいるんだが、構わないか?」

 男に聞かれて、少年――ラインは「ああ」と答える。

「私の弟子だ。名前はミアノ・ビアージュ。年齢も君と変わらないくらいだろう。仲良くしてやってくれ」

 いきなり紹介をされて少女――ミアノは慌ててラインにおじぎをする。そんなミアノにラインは黙ったまま右手を差し出して「よろしく」と声をかけた。

 これがラインとミアノの出会いであった。


   ■二■


 シュロイクとはラムラス王国の領内にある島の一つである。ここはその島にある北方の港町。そこにある市をミアノは一人でまわっていた。

 賑わしく色んな服装をした人々が歩いている。ミアノにとってはその光景が物珍しいものであった。

「そこのお嬢さん」

 ふとミアノは声をかけられる。声の主を探そうとあたりを見わたす。

「こっちよ。こっち」

 さっきの声が再び聞こえる。声の聞こえるほうに顔を向けるとそこには自分と同じ年齢くらいの少女が露店の一つにいた。

 ミアノは目をぱちくりさせながら少女のいる方へ向かっていった。少女はニコニコと表情を浮かべている。いわゆる営業スマイルというやつだろう。

「いらっしゃい」

「こ、こんにちは……」

 少女を間近にしてミアノは妙に緊張してしまう。

「ウチは装飾品なんかを売っているのよ。よかったら見ていかない?」

 少女はそう言ってミアノを店内に招き寄せる。

 誘われるままに店内へとミアノは入っていく。店内のあちらこちらには装飾品が並んでいる。装飾品の数は決して多くないが、そのどれにも細やかな細工が施されており、思わず目移りしてしまう。

「気に入った物があったら手にとってみてもいいわよ」

 少女に了承を得たミアノは目の前にあった銀細工のペンダントを手にとってみた。

 ペンダントの中心には緑色の玉石がはめられており、ペンダントの縁に沿って紋様が刻まれている。

「不思議な紋様ですね。何かの文字のようにも見えるけど」

「うちの婆さまが言うにはそれは古代の文字らしいわ。古代の文字には不思議な力が宿っているからこうやってペンダントとかに刻むんだって」

「へぇ。そうなんですか」 とミアノは感心しながらまじまじとペンダントを見つめる。

「ちなみにあなたが持っているのは恋愛成就のお守りね。よかったら安くしておくわよ」

 ミアノはそれを聞いてハッとなり、急いで手に持っていたペンダントを元にあったところへ戻す。顔を真っ赤にしているミアノの顔を見て少女はくすりと笑った。

「……できればもう少し違う効用のものはないでしょうか?」

「いいわよ。どういう効用のものがいい?」

 そう聞かれるとミアノは考えこんでしまう。悩みはあることはあるが、神頼みするほどのことでもない。

「見たところ、あなたって旅人よね? だったらこれなんかどう?」

 少女が勧めてきたのはドクロの首飾りであった。装飾も首にかける鎖もどこかけばけばしい。見れば少女はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。

「あ、あのー……」

「魔法に対して少し耐性がつくネックレスよ。冒険者がよく買ってくれるわ」

 困った表情を浮かべるミアノにたまらなくなったのか少女が大声で笑いだす。

「ごめんごめん。ちょっとからかっちゃったわ」

 少女が詫びてくる。そんな少女の反応にミアノは困惑するばかりだ。

「あ、そうだ。よかったら少し話さない。面白いものをご馳走するから」

 少女は「そこに座っていて」と言って窓際にあるテーブル席に座るように促すと店内にさっさと引っ込んでしまう。ミアノが引き留める間もなかった。しょうがないのでミアノは促された席に座ることにする。

「お待たせ」

 しばらくすると少女がポットをトレイに載せてやってきた。

「自己紹介がまだだったわね。私はアルテナ。この店の看板娘よ」

「私はミアノといいます」

 ミアノが紹介を終えると少女はトレイを机に置いて「よろしく」と言いながらミアノに握手を求める。ミアノも最初はきょとんとした表情を浮かべるも、少女の笑みを見て安心したのか握手に応じた。

「私と同じくらいの娘が一人で歩いてるものだからちょっと気になったのよ。それで迷惑かなとも思ったんだけど、声をかけさせてもらったのよ」

 そう話しながら少女――アルテナはカップをミアノに差し出し、ポットからお湯を注いだ。

「これは?」

 カップに注がれたお湯は緑色をしていて、不思議な香りがした。

「お茶っていうのよ。一族の秘術だから詳しいことは話せないけど」

 アルテナは「よかったら飲んでみて」とミアノにお茶を勧めた。ミアノも初めて見るものに少し不安を抱きながらもカップに一口つけてみる。

「おいしい」

 一口飲んで思わずつぶやいてしまった。少し渋みがあって、緑の芳香が口の中で広がるようだ。

「気に入ってもらえたようね」

「それに何か気が収まるというか。不思議な気分になりますね」

「お茶にはね。リラックスさせる効果もあるのよ」

「すごいですね。こんな飲み物生まれて初めてです」

「そりゃ製法を知っている人が少ないもの。世界広と言えどなかなか飲めるものじゃないわよ」

 アルテナが「ふふふ」と少し誇らしげに笑う。

「ここでお店を開いて長いんですか?」

「んー、私が店番をやり出したのは一年前くらいだけど、婆さまの話を聞いてるとこの店自体は結構長いことやってるらしいわ」

「歴史があるんですね」

「まあね。ところでミアノさんは世界中まわってるんでしょ? ぜひ道中の話も聞かせてほしいわ」

 どうやらアルテナの目的はここにあったらしい。その証拠に興味津々の表情を浮かべてミアノを見つめてくる。だが、ミアノには語るほどの冒険譚はなかった。

「えーっと……」

 どうしたものかとミアノは頭を抱えたくなる。一方のアルテナは期待のまなざしを一心に向けてくる。それがミアノには辛かった。

「ごめんなさい。私、旅に出始めたのは最近なんです。だから冒険らしい冒険もなくて」

 それから「人に聞かせるような話はないんです」と付け加えてアルテナに頭を下げた。それにはアルテナも困惑したようで「いいのよ」と言いながらミアノの頭を上げさせる。

「私こそごめんなさいね。勝手に舞い上がっちゃって」

「いえ。そんなことは……」

「この島から出たことってなかったから興味があってね。こうやって旅人を呼び止めては話を聞かせてもらってるの」

「そうだったんですね」

 ミアノにとって旅に出ることは突然のことだった。思えば旅に出てからよりも旅に出るまでが大変だったように思える。だが、それはこのアルテナに聞かせたいような話ではない。

「どうかしたの?」

 遠い目で天井を見上げていたミアノにアルテナは声をかけてくる。

「いえ、何でもないんです」

「それじゃ代わりに私がちょっとお話を聞かせてあげる」

 ――アルテナが話したのはシュロイクで起こっている事件のことであった。シュロイクには有名なフロストウッドの樹海がある。フロストウッドとは葉っぱの代わりに霧を吹き出す樹木のことである。そのため樹海は年中深い霧に包まれている。

 その樹海から夜な夜な霧の騎士と呼ばれる動く甲冑が現れ、家々を襲っては人々を樹海へとさらっていくという。そして連れ去られている人は未だ帰ってきた人は一人もいないという。

「怖い話ですね……」

「だから最近は物騒でね。戸締まりは厳重になって、村人は武装してるわ」

 だが、それも最近は限界に近づいてきているらしい。夜の警備に村人たちはすっかり疲れきってしまい、疲労で倒れる者も少なくないという。

 アルテナから話を聞き終えたミアノは思わずごくりと喉を鳴らす。平和そうに見えたシュロイクでこんな事件が起こっているのは衝撃的であった。

「そんなワケだから、もしこのシュロイクで泊まることになるなら戸締まりは厳重にね」

「そ、そうですね」

 ミアノは自分の血の気が引いていくのを感じていた。そんなミアノがおかしかったのかアルテナが大笑いをはじめる。

「ごめんごめん。こんな暗い話はやめましょうか」

 あとから聞いた話だが、甲冑が現れるのは樹海の近辺らしく、樹海から少し離れている港にはいまのところ現れたということだった。

「だから、安心して」

「びっくりさせないでくださいよ」

 怒りだすミアノにアルテナは笑いながら「ごめんごめん」と謝った。

 それからミアノはアルテナからアクセサリーの話を聞いて、首飾りを一つ買っていった。

 ちょうどその頃、ミアノの乗る船に来訪者があったのだが、それがどういう意味を持つのか彼女はまだ知らなかった。


   ■三■


 冒険者と呼ばれる人々の多くが船団と呼ばれる組織に所属している。

 その船団というのは通商をしながら世界中を旅してまわる集団のことである。島から島へ行くには結局のところボエイルと呼ばれる空を飛ぶ船がなくてはならない。その船は決して安いものではなく、大半の者は船団の主人に雇われることによって乗りこむことができる。

 シルトはというとエルロンド船団の主人であり、ラインにとっては雇い主である。そのエルロンド号に来客があったのはラインとミアノが港町へ出かけた少しあとのことであった。

 来客はいかにも元気そうな老婆である。それに二人の中年男性をお供に連れてきていた。

 その三人は客室に通され、それぞれ椅子に座ってもらっている。三人の中で最初に口を開いたのは老婆であった。

「霧の騎士の話は聞いたことあるかい?」

「夜な夜な町を襲って人さらいをやる甲冑の話なら聞いている。」

 その話なら船団仲間伝手にシルトの耳にも入っていた。そして老婆が各船団に討伐協力を要請してくるのも。

「それで我々にどうしろと?」

 これから老婆が口にすることは既に予想はついている。が、そこは敢えて老婆の口から聞きたかった。

「そいつをあんたたちの手で倒してほしいんだ」

 この老婆は霧の騎士討伐をこうして他の船団に頼んでまわっているそうだ。そして、ことごとく断られている。その理由は樹海にある。シュロイクの樹海はラムラス王国でも有名な魔境の一つだ。よくない話だけで言うなら語り尽くせるものではない。

「霧の騎士は樹海からやってくるという話だが、場合によってはこちらも潜る必要があるんだろう?」

「そうだね。場合によっては樹海へ入る必要もあるかもしれないね」

「こう言ってはなんだが、我々のような船団に頼むより役所に頼むほうが建設的だと思うがね。船団の傭兵業は一環でしかない。程度によるが依頼金もそんなに安くはない」

 シルトの言ったことは正論である。船団は傭兵業も請け負う。ただし程度によるのだ。だから割に合わないと判断すれば決して受けない。この老婆の依頼がことごとく断られているのはそういった事情だ。

「もちろん役所には駆けこんださ。でも、被害は一向に減らないんだよ」

 訴えを聞いて憲兵はしてもらっているらしいが、憲兵ではうまく対処できないそうだ。

「樹海へ入ることも考慮するなら魔法使いは最低でも二人はいるだろうしな。ましてや樹海に入るとなると難しいか」

 老婆は無言で頷く。国お抱えの魔法使いはたくさんいる。このシュロイクにもそれなりの人数がいるはずだ。ただ、こういう地方に戦闘技術もそれなりに持っている人材となると限られてくる。

「正直、あまり気の乗らない話だな」

 それがシルトの正直な気持ちだった。受けるにはあまりにリスクが高いと判断したのである。

「もちろん、それなりの報酬は準備するつもりだよ」

 そう言うとお供の男が大事そうに抱えていた小瓶をシルトに差し出す。

「これは?」

「これは茶葉というものさ。これをお湯に入れて飲むんだ」

「ほう……」とシルトは興味深そうに茶葉の入った小瓶を見つめる。

「モノは試しだ。こちらでお湯やカップは準備してきた。飲んでみておくれ」

 そう言うと老婆はお供の男たちに指示をして準備をさせた。

 男たちはポットの中に茶葉を入れる。それから待つこと数分すると男はカップにお湯を注いだ。

「この液体は?」

「これがお茶だよ。ためしに飲んでみな」

 シルトは眉をしかめながらもカップに注がれた薄緑色の液体に口をつける。

「ほお」シルトは思わず感嘆の吐息を漏らす。口につけたその液体は青い芳香が広がり、舌にはほんのりとした渋みを感じた。

「気に入ったようだね」老婆はニヤリと笑みを浮かべる。

「ああ。これは驚いた。こんな飲み物ははじめてだ」

 シルトはお茶の入ったカップをまじまじと見つめた。

「この茶葉をあんたの船に定期的に供給するっていうのが報酬さ。ちょっとは乗り気になったかい?」

 たしかにとシルトは考えこむ。この報酬は非常に魅力的であった。自分の命を未知なる探求にかけるのは彼にとってやぶさかではない。

「いいだろう。その依頼を受けよう。ただし条件がある」

「……聞こうか」

「一つは依頼期間を三日とすること。もう一つは依頼報酬としてその三日間の停泊費をいただく。ただし解決期間が短縮されても三日分支払うこと。もう一つはこちらから派遣するのは私を含め四人まで。ただし人選は私が行う。最後に成功報酬として茶葉の売買権の取得だ」

 老婆は一瞬だけ考えこむような表情をしたが、それはほんの一瞬だった。

「いいだろう。商談成立だ」

 老婆が満面の笑みを浮かべると、手を差し出す。シルトもそれに倣い二人は握手を交わしたのであった。


   ■四■


 霧の樹海より少し離れたところにある集落。そこにライン達は来ている。陽は沈みかけ、あたりはいよいよ暗くなりはじめようとしていた。

「お兄さん、お兄さん」

 ラインは声をかけられ振り向く。

 そこにいたのはラインよりも二~三歳下くらいの少女であった。金色の髪を短めに切りそろえてはつらつとした雰囲気の少女だ。

「君は?」

「私はリルファ。ここの族長の娘よ」

「俺はラインだ。今日からここで用心棒を頼まれた」

「知ってる。お姉ちゃんくらいの歳の人が来るって聞いたから」

 リルファはそう言いながらバスケットを差しだす。

「お腹空いてないかと思って」

 リルファはラインの顔を見てにこりと笑う。人好きを感じさせる表情からリルファという少女を少しだけ伺い知れた気がした。

「すまない」

 ラインがお礼を言いながらバスケットを受け取ろうとするとリルファはバスケットを持っていた手を少しだけ引っこめる。

「よかったら一緒に食べない?」

 もちろんラインには拒否権はない。なかなかしたたかな少女であるらしい。

「こんな時間に外に出て大丈夫なのか?」

「ホントは駄目だよ。お婆ちゃんに見つかったら怒られるだろうし」

 リルファは楽しそうに笑う。

「何だかね。お姉ちゃんが杖を持って戦うって言うものだから心配になって。だからお兄さんに差し入れ」

「なるほどな」

 この少女は姉のことを気にかけてやってくれと言っているのだ。これはそのための差し入れなのだろう。

「ところで君のお姉さんは?」

「いまは別のところ見まわってるわ。私に似てとっても美人よ」

「自分で言うんだな」

リルファは恥ずかしもがらずにさも当然だという表情を浮かべている。

「それに腕のいい魔法使いなんだから」

「なかなか頼もしいことだな」

「それだけに私は心配なの。霧の騎士って得体が知れない相手でも戦おうとするんだもの。腕っ節がいいから怖いモノ知らずなのよ」

 リルファは話しながらも適当に座る場所を見つけると自分もそこに座って、ラインにも勧める。

 二人が腰掛けたのは転がっていた丸太である。リルファは膝にバスケットを置くと中からパンを一枚取りだしてハムを挟みラインに渡す。

「すまない」

「暗くなる前に早く食べましょ」

 パンを頬張ると挟まれたハムの食感とほのかな塩味が口の中に広がる。

「おいしいパンだな。どこで作っているんだ?」

「うちに窯があるから、そこで作っているのよ」

「家庭でこれだけのパンが焼けるんだな。エルニア教団が支給してるパンもうまいが、これもいい味を出してる」

「うふふ。ありがとう」

 ラインはリルファと一緒にパンを食べていると向こうからシルトがやってくる。

「こんなところにいたのか、ライン。……そちらの娘さんは?」

「族長の孫娘のリルファです」

 リルファは立ち上がり自分で自己紹介をする。

「私はシルト。君たちに雇われた船団の長だ」

「何かあったのか?」

「いまのところは何もないよ。話によると霧の騎士が攻めてくるのは夜になってからのようだからな。それに我々が見張っているところを襲ってくれる保証もない」

「いっそ霧の樹海に入って捜したほうがいいんじゃないか?」

「あの霧の樹海を霧の樹海たらしめているのはフロストウッドという木だ。フロストウッドは葉っぱの代わりに霧を吹き出す。その霧はかかった相手を惑わして少しずつ生気を吸い取るそうだ」

「シュロイクに住んでいる私たちも絶対近づくなって言われてるから。たまにうっかり足を踏み入れて行方不明になる人も毎年いるくらいだし……」

「……そんなところなのか」

 樹海の話を聞いてラインは背筋に冷たいものが伝うのを感じた。

「まあ、そういうわけだ。出てきたところを倒すというのがもっともリスクが低い」

「……仮に樹海へ入ることになったらどうするんだ?」

「魔法使いが二人いれば入って出るくらいなら問題ないだろうがな。それにしたって危険には変わりない。実際、生還者がゼロというわけじゃない。ただ確率が低いだけだ」

「わかった。できるかぎり樹海へ逃げられる前に倒せるよう善処しよう。しかし、だったら俺とシルト、あとミアノだったか。三人でよかったのか?」

「霧の騎士退治のことか?」

 ラインが無言で頷く。

「割に合わない仕事だからな。極力、労力は割きたくない。こういうときは少数精鋭にかぎる」

「……これって私が聞いていい話なのかな?」

 リルファが遠慮がちに訊ねてくるのをシルトが答える。

「君が黙っていてくれれば問題ない。もっとも君の立場からすれば、あまり気分のいい話ではないだろうがな」

「たしかにあまりいい気分じゃないけどね。だからって言いふらす気にもならないかな」

「賢明な判断だ。それに労力を抑えるということと手を抜くというのはまた違う話だ。そのあたりも理解してもらえると助かるな」

 ふとラインが上を見あげると空には星が瞬きはじめている。陽はすっかり暮れてしまったようだ。それに比例するようにあたりを村人がかがり火をつけてまわっていく。そのおかげで足下はかなり明るくなる。

 夜の雰囲気に呑まれたのかリルファの表情に影が差す。それを見たラインがリルファに優しく声をかけた。

「リルファはそろそろ戻ったほうがいいんじゃないか?」

「うん。そろそろお姉ちゃんが探しにくるかもしれないし。戻るね」

 そう言ってリルファはチラリとラインの顔を上目遣いで見る。

「……ライン、家まで送ってやれ。それから交代しながら見まわりだ」

 シルトはその表情に半ば呆れながらも、この少女の願いを聞くことにする。ラインもそれを察したのかふっと小さく笑う。

「わかった」

 その答えを聞いたリルファは上機嫌になりラインの腕を掴み、自分の家へ案内し始めるのであった。


   ■五■


 ミアノは集落で意外な人物と再会した。アルテナである。

「驚いたわ。お婆ちゃんの雇ったのがあなたの船団だったなんてね」

 ミアノはアルテナの家に招かれていた。そこで二人は軽食を取りながら談笑している。

「私もです。アルテナさんは魔法使いだったんですね」

「そういうあなたもでしょ」

 魔法使いかどうかは魔法石と呼ばれる緑色に輝く石を持っているかどうかだ。魔法を使うための媒体として必要なもので、魔法を使う者にとっては必需品となる。

「私なんてまだ見習いですから。役に立つなんてとてもとても」

「へえ。新人さんなのね。いつくらいから習いはじめたの?」

「一年くらい前からです。一応、一通りの魔法は使えますよ」

「そうなんだ。得意技とかは出来た?」

「いえ、まだです」

「ってことは、修練はこれからってことね」

「どういうことですか?」

「魔法使いは一子相伝なのは知っているわよね。師匠が弟子に教えるのは魔法だけじゃないの。わかりやすいのは戦闘スタイルとかモノの考え方ね。そういったものをすべて引き継ぐのが重要なのよ。だから師の教えは絶対」

 師という言葉を口にしたときのアルテナの目が一瞬細くなってどこか遠くを見つめているような気がした。

「先生にもそう教わりました。あ、そういえば最近は弓矢を撃つ訓練を受けてますね」

「たぶん、それがあなたの師が教えようとしてることなんでしょうね」

 その後にアルテナは「よくは知らないけど」と付け加える。

 それから二人の間には妙な空気が流れた直後だった。

「ただいまー」と言いながらアルテナと同じ髪の色をした少女が青年を一人連れながら家に入ってきた。

「おかえり、リルファ。ついでに隣の彼のことを教えてくれると嬉しいわ」

「彼はライン。うちのお婆ちゃんが雇った人の一人よ」

「そう。私はアルテナよ」

 アルテナとラインは「よろしく」と握手を交わす。

「妹さんから話は聞いたよ。なかなか女傑らしいな」

 女傑という言葉にアルテナの眉根がぴくりと動いてリルファを睨みつける。

「あはは。それはきっと言葉のあやだよ……」

「まったく……。この娘、他に何か言ってなかった?」

 白々しく目をそらすリルファをジト目で牽制しながら、ラインに訊ねる。

「そうだな……。あとは自分の姉がどれほど素晴らしい人物かを高説してもらったくらいだな」

 ラインは少し意地悪く微笑む。仏頂面の表情しか見たことなかったミアノは彼がこんな表情も出来るのだと思わず感心してしまう。その視線に気がついたラインが「どうした?」という視線で訴えてくるのをミアノは首を何度も横に振って「なんでもない」と訴えた。それを見てはラインも肩をすくめるしかない。

「ま、そういうことにしておきましょう」

 アルテナはそう言って杖を片手に屋外へ出ようとする。

「お姉ちゃん、どこ行くの?」

「これから見まわりよ。そうだ。よかったらミアノも一緒に行かない?」

 意外な誘いにミアノは一瞬呆気にとられたが、すぐにハッとなって「は、はい」と上ずった声で返事をしてしまう。

「決まりね。それじゃ、ラインだったかしら。あなたはどうするの?」

「休憩は先ほどとらせてもらったばかりだしな。付き合おう」

「それじゃあ、私はお留守番ね」

「頼むわよ、リルファ」

 それからリルファは「任せて」と言いながら三人を見送るのであった。


   ■六■


 夜が深まり、広場にあるかがり火が赤く細々と燃えあがる。ラインとミアノはそこで待機をしていた。

 先ほどからラインは丸太の上に座っている。何をやっているのかとミアノは興味が湧き、彼へと近づく。彼は真剣な面持ちで手元を見つめていた。ミアノは釣られるように彼の手元へ視線を移していく。すると彼の手元から青白い光が溢れだし、少しずつ形を成して、光が剥がれていく。光の剥がれた部位からは金属が見え、やがて剣となっていく。

 その光景にミアノは思わず「すごい」とつぶやいてしまう。

「……どうかしたか?」

 ふうと息をついたラインがミアノの声に気がついて、顔を向けてくる。

「さっきは何をやったんですか?」

「詳しいことは知らないんだがな、機翔竜と契約するとマナを物質化して自分の思い思いのモノが精製できるらしい。俺がやったのはそういう類のものなんだそうだ」

 マナというのはあらゆるモノに宿っている魔法の源と表現すればいいだろうか。それをエネルギー化させて使うのが一般的に言うところの魔法である。ちなみにいま現存している魔法使いで物質化の魔法を使える者はいない。物質化の技術はとっくの昔に失われた技術なのだ。それが機翔竜という存在をもってして現存しているに過ぎない。

「便利ですね」

「そうだな。どんな武器でも精製してくれるし便利といえばそうだな。ただ、精製はそれなり時間がかかるし、こう見えて結構疲れるんだ。だから戦闘前には使用する分は精製しておいたほうがいいんだ」

 ラインは脇に一本槍を置いており、それ以外にも長剣が一本に先ほど出した小剣が一本。彼はこれをすべて使うつもりだろうか。

「どういう戦いになるかわからないからな。武器を選別していたんだ」

 ラインは二本の剣を腰に下げ、槍を手に持って立ちあがる。

「こうやって見ると結構な重装備なんですね」

「たしかに。戦争に行くような装備ではあるな」

 あとは鎧でも着こめば完璧だと付け加える。

「武器なんてなくても、あの機翔竜を出したらどんな相手にでも勝てそうですけど」

「……そうでもない。機翔竜の戦闘力はそれほど高いってわけじゃない」

「そうなんですか?」

「機翔竜の価値というのは竜そのものじゃなくて、マナの物質化と身体能力の強化に機翔竜個々が持っている加護による能力を授けてくれることだと聞いたんだがな」

「へぇ」とミアノは感心したような声をあげる。感心したのは機翔竜の知識より、ラインがよくしゃべったことだった。

「……これは俺の教官に教わったことをそのまま口にしただけだ。別に自分で考えたわけじゃない」

 ミアノが何に感心したのかを察したのか、ラインはバツの悪そうな顔を浮かべて、そう言った。可愛いところもあるのだとミアノの口元が思わず綻んだ。

「……あまりからかわないでくれ」

 ラインは不機嫌というか照れているというほうが正解か。そんな視線をミアノに投げかける。

「ご、ごめんなさい」

 ラインは本当に困っているようで、ミアノもさすがに申し訳なくなったので謝ってしまう。が、自分でも何に対して謝罪したのかはよくわからなかった。

 二人ともどうしようかと困った表情をしているときである。

 ふと樹海より冷たい風が吹きつけてきた。風に当てられたミアノは妙な寒気を感じて身を縮こませる。一方で隣にいたラインは槍を両手に持ち直し樹海のほうを鋭く睨む。

 それから悲鳴と怒号があがったのは間もなくのことである。


   ■七■


 リルファが椅子の上でうつらうつらしかけていたときである。隣の家から突然破壊音と悲鳴が響いた。

 リルファは机に置いてあったランタンに火をつけ、外へ飛び出る。

 外に出て音がした方へ明かりを向ける。どうやら音の出所は隣の家かららしい。その証拠に扉は破壊されて、中からは悲鳴が聞こえる。

「あそこって若い奥さんと子供が……」

 リルファはおそるおそる壊れた扉から家の中を覗く。家は扉が壊されただけで中は整然としたものだった。そこが腑に落ちなかったリルファは家の中へと足を踏み入れようとしたときである。

 ふと背後から薄ら寒い気配がした。リルファは緊張からゴクリと喉を鳴らす。正直、振り向きたくはない。だが、それでも相手の正体がわからないというのは嫌だった。それは好奇心などではなく、恐怖心からだ。恐怖を克服するのは知ることだけなのだから。

 ゆっくりと振り向く。その気配の正体は甲冑だった。甲冑はすぐ間近で威圧するように立っている。甲冑はフルフェイスの兜をかぶっているため中にあるであろう顔を窺い知ることは出来ない。

 リルファの瞳孔は開き、体全身が震え出す。本能がここから早く逃げろと訴えてくる。だが、意に反して足は動いてくれない。先ほどから息苦しいはずなのに呼吸も出来ない。

 その甲冑が言葉を発することはない。その代わり、その発する気配が一つの明確な感情――殺意をリルファに伝えてくる。甲冑は言葉には出さないがこう言っているのだ。「動けば殺す」と。

(助けて、お姉ちゃん!)

 リルファは目をつむり、祈るように自分の姉の顔を思い浮かべた。

「リルファ!」

 その声を呼んだの紛れもない、アルテナであった。アルテナは杖を両手に持ちながらリルファの安否を大声で確認してくる。

「お、お姉ちゃん……」

 リルファは泣きそうな顔でアルテナを見た。

「妹から離れなさい!」

 アルテナが甲冑に杖を向けて恫喝する。だが、そんなことで動揺するような甲冑ではない。

「こいつが霧の騎士ってことで間違いなさそうね」

 アルテナは牽制に一歩近づく。それでも甲冑――霧の騎士は微動だにしない。

(ど、どうしよう……)

 アルテナはそれから一歩も動こうとしない。いや、リルファがいるせいで魔法による攻撃が出来ないのだ。だからといって、いまのリルファは足が竦んでしまい逃げ出すこともままならない。なのでアルテナは相手の出方を窺うことしか出来ないのだ。

 事態は変えたのはアルテナの逆方向からだった。そちらの暗がりの中からラインとミアノの二人が息を切らせながら走ってくる。どうやらアルテナと同様に物音を聞いて駆けつけてくれたらしい。

「……リルファ」

 ラインはリルファの置かれた状況を見て渋い顔を浮かべる。

 双方向に挟まれた霧の騎士は両者を見比べるように顔を動かしている。この状況で身動きがとれないアルテナたちであったが、それは霧の騎士も同じ事だ。――となれば次に霧の騎士がとる行動は一つであった。

 霧の騎士はリルファを抱え、そのまま樹海の方へ走り出したのである。

「い、いや……」

 リルファは身をよじって逃れようとするが、霧の騎士によってがっちりと掴まれており抜け出すことが出来ない。そうしている間にも霧の騎士はあたりを警戒しながら樹海の方へ退いていく。その歩みは少しずつ速まり、気づけば霧の中へ姿を消してしまった。

「リルファ!」

 アルテナが叫ぶ。が、返事は返ってこない。

「ど、どうしましょう? 樹海の中へ逃げられましたけど……」

 ミアノに問いかけられるも、ラインは何も答えず意を決したように樹海の方に視線を向ける。

「決まっている!」

 ラインはそう言うと樹海の方へ走り出す。

「あなた、何をするつもりなの?」

 アルテナの制止は届かない。気づけばラインの姿は樹海の中に消えていた。

「……まずいわね」

 アルテナは杖をもう一度力強く握り直す。ラインの行為はあまりに無謀だ。だが、こんなところでいてもリルファを助けられるわけではない。

「ミアノ、無事か?」

 アルテナが樹海へ入るか迷っていると、その背後からシルトと老婆がやってくる。

「お婆ちゃん、リルファが……」

「どうやら、そうみたいだね」

 老婆は苦々しい表情を浮かべる。

「お師様、ラインさんが樹海へ入ってしまって」

「そのようだな。こちらもミイラ取りがミイラにならなんようにせんとな」

「どういうことですか?」

「もちろん我々も樹海へ入るのさ」

 シルトが眉一つ動かさずに言うのを見て、ミアノは思わずたじろぐ。

「アルテナ、どうせあんたも行くんだろ?」

 老婆の問いにアルテナは「当然」と答える。

「なら、これを持ってお行き」

 老婆からアルテナに首飾りが渡される。

「こんな形で渡すことになったのは心苦しいけど。許しておくれ」

「覚悟はとっくに出来てるわ。もちろんリルファは絶対助けるつもりよ」

 アルテナは首飾りを首にかけながら、決意を秘めた表情で言った。

「ところで、それは何の首飾りなんですか?」

 と言いつつも、その首飾りにはどこかで見たような覚えがあった。が、思い出せそうなのにそれが思い出せなかった。

「大昔から私らの先祖が引き継いできた大事なモノさ」

 それだけ聞いてもミアノは「はあ」と返事をするしかない。何となく大事なモノというニュアンスだけは伝わったというところか。

「ミアノ、君も来てもらえるか? 魔法使いは一人でも多い方がいい」

 一応は訊ねられたが、この場合はミアノに拒否権というものはない。シルトは師匠でミアノは弟子なのだから。

「それじゃあ行きましょうか」

 アルテナはシルトとミアノを連れて樹海へと足を踏み入れるのであった。


   ■八■


 霧の樹海というのは奇妙な所だとラインは感じた。

 夜だというのにあたりは妙に明るい。しかし、深い霧のせいで見通しは悪い。それにあたりを見わたしても方角がわからない。おまけに始終誰かに見張られているような緊張感があたりを支配していた。

「……迷ったか?」

 いまさら何の考えもなしに入ってしまったの悔やんだところでどうしようもない。どうせ帰り方もわからないのだ。とりあえず前を進もうと考えるに至った。

 そして、歩みを前へ進ませようとしたときである。いきなり肩をぽんと叩かれたのだ。

 驚きざま振り返ってみるとそこにいたのはシルトであった。

「あまりうろちょろしないほうがいいぞ。この霧は普通の霧じゃないんだ」

「驚いたって顔をしてるわよ」

 仏頂面で言うシルトの横で、アルテナがからかうような笑みを浮かべている。そんなアルテナを睨んでやるのだが、彼女は笑みを浮かべて軽く受け流している。

「霧の樹海は魔法を使えないと探索できないんだよ」

「そうなのか?」

「この霧は地磁気を狂わせ、あたりに妙な気配を発生させ入った者を迷わせる性質があるんだ」

「ずいぶんと厄介なんだな」

「フロストウッドの噴きだす霧は生命力を吸い取ると言われている。何の対策もせずに入ると迷った末に干からびて気づけば骨になっている」

 その話を聞かされて誰かがゴクリと喉を鳴らした。

「樹海を探索するには探索の魔法と結界の魔法が必要不可欠なのさ」

 探索魔法とは魔法の光に触覚を連動させてあたりに拡散させるというものだ。その光は感触としていわば手で触れたような感じを想像すればいいだろうか。その光を拡散させることで位置や対象物などの把握をするのである。

「なんで俺たちの周辺だけ霧が晴れているんだ?」

 ラインは自分たちの周辺だけ霧が薄いことに気がつく。

「それこそ周辺に結界を張っているからだ。この霧は魔法の一種なんだよ。だから結界の魔法で相殺できる」

 結界という魔法は実際に魔法で障壁などを張っているものではない。便宜上にそう呼んでいるにすぎない。実際は霧の魔力の性質を相反する性質の魔力で相殺しているのである。これは魔法を魔法で防ぐときに使う定石だった。

「なるほど。ところで夜だったはずなのに樹海の中へ入ったら急にあたりが明るくなったのは何かあるのか?」

「フロストウッドには日中に浴びた光を吸収して、そのまま保つことができるんだよ。夜でも明るいのはそういう理由だ。ちなみにここでは火をつけられない。この霧には火を打ち消す力があるようなんだ」

「……まあ、これだけ明るければ火を使うことはないだろうけどな」

「とりあえず、霧の騎士を捜すぞ」

「それはそうなんだが……、どうやって捜すんだ?」

「歩きまわりながら探索の魔法で相手の位置を探るんだ。というか、それしかない」

 魔法を使う割にはえらく地道な作業なんだとラインは思わずため息をつく。

「行くぞ」

 シルトがそう言って一同を先導する。各々の役割として探索の魔法を使うのはミアノ、結界の魔法は常時張っていなくてはいけないのでアルテナとシルトが交代で張ることになっていた。ラインは魔法を使えないのでメンバーの最後尾についていた。

 それから歩くこと一〇数分。

「ミアノ、何か見つかったか?」

「いえ。いまのところは何も感じません。もう少し奥へ行く必要があると思います」

「わかった」

 それだけやりとりすると一同はまた歩き出す。それから一〇分おきにそういったやりとりが繰り返された。

 そのやりとりが五回ほど行われた頃である。ミアノが「あ」と小さく声を出す。

「どうした?」

「……見つけたかもしれません」

 ミアノはそう言いながらも、その口調は自信なさげであった。

「方角はわかるか?」

 それでも手がかりは手がかりである。それに有益な情報かを判断するには話を聞いてからでも遅くはない。

「えっと、ここからまっすぐ行けばいる、はずです」

「わかった。奴は動いているのか?」

「……それがいまは止まっているようなんです

「止まって何をしているかわかるか?」

「いえ、詳しいことは……」

 もう少し精度をあげればわかるかもしれないが、精度をあげるにはミアノの魔法使いとしての熟練度が足りていない。

「わかった。とりあえず先へ進むぞ」

 シルトは別にミアノを攻めることもせず、先へ進みだした。彼はできないことを怒ったわけでもなんでもなく、単純にできるかできないかの事実確認をしたに過ぎないのだ。

「戦闘になったらラインとアルテナの二人で戦ってもらうことになるが、それは問題ないな?」

 樹海の中へいる限り常に結界を張る役と探索魔法を使える役目の者が必要であった。それがシルトとミアノの役割だった。

「ミアノ、相手は一人なのか?」

 次に訊ねたのはラインであった。

「たぶん。……まわりには何も感じませんでした」

「単独犯だったのか?」

 ラインははアルテナに問うた。

「単独も何も相手は甲冑かぶってるんだらわかりようがないわよ。ただ、樹海から出てくるのはいつも一人だったみたいだけどね」

「……とりあえず接触してみないことには始まらんな」

 シルトが言うに合わせて皆が一様に頷き、ミアノを先頭に歩きはじめる。

「しかし、進んでも進んでも同じ風景っていうのは妙な気分にさせられるな」

「別名『迷いの森』。この木一本一本が樹海に足を踏み入れた我々に悪意を向けてくる」

 そんな会話を交わしながら歩くこと一〇数分――。

 一同はその足を止める。シルトとミアノは後ろへ退がり、あとはラインとアルテナが前へ出る。これで戦闘態勢は整った。

「静かだな。本当にこの近くなのか?」

 ラインはあたりを注視しながら一歩前へ出る。

「リルファー! いたら返事してー!」

 アルテナが妹の名前を呼ぶ。だが、返事は一向に返ってこない。

「リルファさん、大丈夫でしょうか?」

「気を失っているだけかもしれん。あまり早計はよしたほうがいい」

 ミアノの不安にシルトは釘を刺す。

「そういえばシルト、あんたはこの樹海は魔法なしじゃ動きまわれないと言ったな。霧の騎士はどうして樹海の中を動きまわれるんだ?」

「……それは私も疑問だった。案外、そのあたりに霧の騎士の手がかりがあるのかもしれんな」

「霧の騎士はこの霧をかいくぐれる秘密があるということか」

 ラインは妙に納得しつつ槍を構える。

「敵の位置わからないのかしら?」

 アルテナがミアノに視線を向けるとミアノがこくりと頷いて探索の魔法を使った。

「……もうこの近くにいます。気をつけて」

 それと同時、霧を突き破って動く甲冑――霧の騎士が現れる。

「出た!」

 霧の騎士は左手に盾、右手には剣を持っていた。

「さっきは手ぶらだったのに……!」

 斬りかかってくる霧の騎士にラインは槍を突き立てるが、霧の騎士の盾にはじかれてしまう。

「くっ」

 ラインのうめき声に合わせて霧の騎士は剣で斬りかかってくる。一方のラインは槍をはじかれたせいで態勢が崩れてしまっている。霧の騎士の一撃は槍の柄でかろうじてはじき返すも、踏ん張りきれずに尻餅をついてしまった。

 さすがにこのままでは次の一撃はかわせない。だが、そこへすかさず青白い閃光が霧の騎士の甲冑の胸部に着弾してよろめかせた。ラインはその隙を見て態勢を立て直す。

「何とか間に合ったわね」

 青白い閃光を放ったのはアルテナであった。青白い光の正体は魔法の光で、先ほどの攻撃は魔法の光を撃ちだすというものだ。

「リルファをどこにやったか教えてもらいましょうか?」

 アルテナは霧の騎士に杖を向けながら訊ねる。だが、霧の騎士から返答はない。

「そもそも中身が人間かわからんのだから、会話が成立するとは限らんか」

 シルトが妙に納得しながら独り言のようにつぶやく。

「オーケー。なら、私とラインでこいつの相手。ミアノはリルファを捜して」

「わ、わかりました」

 ミアノは緊張気味に返事をする。ラインは槍を捨てて腰から剣を抜き、構え直す。

「行くぞ」

 動いたのはラインだった。相手と適度に間合いの置いたところから剣を振りかぶり、霧の騎士はそれを盾で受け止める。ラインの剣を握る手に力がこもり、霧の騎士も押し返そうと踏ん張ってくる。

「こいつ、さっきのダメージは効いてないのか?」

 押し返されそうになったラインが苦々しくつぶやく。パッと見た感じでは甲冑の胸部あたりがへこんでいるのは見てとれる。よろめくほどの一撃を受けたのだからダメージがないというわけではないだろう。なのに籠められる力は驚くほど力強く迷いがない。とうとう最後には押し切れずにラインは一旦後退した。

「ミアノ、いまのうちにリルファの居場所を捜してくれ。こいつは簡単に倒せん」

 シルトの口には若干の焦りが感じられた。それにあてられたミアノは急いで探索の魔法を使う。

 先ほど使ってみた限りではリルファを感知できなかった。おそらく探索距離にいなかったためだと思われる。こういう場合は感度は下がるが、探索範囲を広げるしかない。イメージとしては樹海全体を探索するくらいがいいだろうか。

 ミアノが探索魔法の光を発する。魔法の光は使用者以外には見えない。使用者の知覚によってのみ感知されるものだ。

 光の触覚があたりを拡散していく。どこも木々があるだけで特に変わったところは感じられない。だが、その中にあって異質な場所があるのを感じとった。

 それは黒々とした何か。その横に人間の気配のようなものがあった。この気配がひょっとすればリルファではないだろうか。

 目を開けてみると相変わらずラインと霧の騎士が進退極まる戦いを続けていた。だが、霧の騎士の防御力の高さにラインのほうが決定打を打ちだせずに若干苦戦しているように感じられる。だが、次のラインの攻撃で動きに変化が起きた。ラインは左から右斜めに斬りあげる。それを霧の騎士は盾ではなく剣で防ぐ。それをさらに切り返しで果敢に攻め立てる。それから一旦後ろへ退き、霧の騎士が追い打ちをかけようとしたところをアルテナが魔法攻撃で援護する。霧の騎士は魔法攻撃を盾で受けるが、その反動で盾を落としてしまう。

 その瞬間を見てとったラインが剣の先端を向けながら突撃をかける。対して霧の騎士が突き攻撃を狙うが、ラインはそれをかわして胸部と腹の継ぎ目部分に剣を突き立てて、剣を引き抜くとさらに腰に差していた小剣を右脇に突き刺す。その一撃に力が抜けてしまったのか右手の剣をも落としてしまう。

 最後はラインと交代するようにしてアルテナが前に出て杖で霧の騎士の胸部を強打する。強打した部分は青白い光膨れあがり、爆音とともにはじけた。

 霧の騎士の甲冑は胸部が剥がれ、露出した肉の部分も少しえぐって焼き切ってしまっていた。

「……やったか?」

 倒れた霧の騎士は微動だにしない。それでもラインはまだ警戒を解かず、剣を向けたままだ。

「強力な魔法の一撃を受けたんだ。これで生きていたら不死身だよ」と言いつつシルトも警戒を緩めようとしない。アルテナがやったのは魔法攻撃の中でももっともダメージを与えられる手段である。

「……どうせだ。兜を外してみるか?」

 一瞬ミアノは嫌そうな顔をしたが、ラインとアルテナは別にそうでもないらしく、むしろシルトの提案に対して肯定的な態度を見せた。

 まずラインが倒れている霧の騎士の甲冑が剥がれた部分に剣を突き刺す。それで身動きがないことを確認すると兜に手をかけて、強引に脱がせた。

「人間か?」

 シルトが思わず疑問を発する。兜から現れたのは中年の男の顔であった。が、その顔はやけに黒ずんでおり、あまり人間らしいとは言い難い。それを呆然と見ていると男の顔から黒ずんだものは引いていき、憑きものがとれたかのように本来の肌の色を取り戻していく。

「……そうみたいね」

「どうします?」

「リルファを助けるのが先だろう」

 考えるのはその後でも問題ないというラインの見解には一同が同意する。とりあえず遺体は放置してミアノが先ほど気配を感じとった場所へ急ぐことにしたのであった。

「ミアノ、相手の位置以外でわかったことがあれば教えてほしい」

「……そうですね。何か黒い気配が一つありました。その隣に人の気配もあったのでそれがリルファさんではないかと思います」

「リルファは無事である可能性が高いということだな。しかし、その黒い気配というのが気になるな」

「探索魔法が探知する黒い気配ってだいたいは瘴気を感知してたってことが多いんだけど…」

「瘴気か。かれこれ二百年生きているが、直に見るのははじめてになるな。もっともこれが瘴気なら、だが」

「あのぅ……、瘴気って何なんですか?」

「簡単に言うと悪い気のことよ。瘴気に触れると何らかの悪影響を受けるの。……まあ、問題はその出所なんだけどね」

「どういうことなんですか?」

「瘴気っていうのは魔竜かその眷属が発するものだからよ」

 ――魔竜。それはこの世界の住人なら一度は聞いたことがある名前だった。かつて世界を滅亡させる一歩手前まで追いこんだ八匹の強力な魔物の総称である。だが、その魔竜も大昔に討伐されて、いまはいない。その代わりにその存在の残りカスのようなものがいまも世界各地にあるということだ。だが、それがどういうものかはよくわかっていない。魔竜に関してはとにかく謎が多いのである。

「とにかく進んでみようじゃないか。そうすれば自ずと答えはわかる」

「……そうですね」

 ミアノは頷くと樹海の中を進みはじめる。他の三人もそれに続いた。

 歩くことそこから更に一〇数分――。ミアノが気配の感じた場所にかかった時間である。「このあたりです」

 相変わらず霧は深く、視界は悪い。このあたりと言われてもいまいち実感は湧いてこない。

 ミアノはあたりを見まわしながら歩いていると何か固いモノを踏んだことに気がつく。

「ひっ」

 踏んだモノの正体に気がついたミアノは思わず飛び退く。踏んだのは人骨であった。よく見れば足下のほうには人骨らしきものがあちらこちらに落ちている。

「……リルファ」

 アルテナは歯がみしながらその名前をつぶやく。あたりに落ちている人骨を見せられれば心配はより増長される。

 そこから奥へ行くと黒い塊が見える。そして黒い塊から伸びる触手にリルファが絡まれて取りこまれそうになっていた。

 それを見たラインはすぐさまに剣を掲げながら「俺が行く!」と叫びながら突っこんでいく。

 ラインは剣を振って触手を断ち切ると、リルファを抱えて塊から離れる。リルファを捕まえていた黒い触手はどろどろに溶けて液体になり地面へ落ちていく。その中から出てきたリルファを見るかぎりは外傷は見当たらない。息もあるようで気絶をしているだけのようだ。

 ラインはアルテナ達がいるところまで後退すると、黒い塊を注視する。塊はぶにょりと動いたかと思うとそこから突起物が生え、また引っこんだりして姿形を変えつつ何かの姿を形成しようとしていた。

 ソレはやがてコウモリのような翼を生やし蛇のような頭を突きだす。そして最終的には翼竜のような姿になった。

 ラインはその翼竜の姿に既視感を覚える。それはかつて自分の住んでいた村が焼かれたときだった。あのとき村を襲った黒い竜とどこか似ているように思えたのだ。

 翼竜は翼を羽ばたかせていまにも飛ぼうとしていた。

「逃がすか!」

 ラインは剣を地面に突き刺し、鍵穴を回すように剣を九〇度まわす。すると剣を中心に光で描かれた幾何学模様が浮かびあがり、そこから光を放ちながら機械の竜が姿を現した。

「ガルダート、奴を逃がすな!」

 現れたのは純白の機械竜だった。その竜が翼竜を逃がすまいと覆い被さるようにして逃げ場をふさぐ。一瞬戸惑った翼竜を見てとったラインは剣を突き刺そうと腹部に目がけて突貫していく。

 そして剣の切っ先が腹部に刺さろうとした時、翼竜は急に暴れだしてラインもろともガルダートをも吹き飛ばしてしまう。

 吹き飛ばされて地面に叩きつけられるライン。ガルダートも怯んでしまい、塞いでいた逃げ道を開けてしまう。

 それをチャンスと見た翼竜は翼を広げるとすぐさまに飛び立った。

「しまった……!」

 ラインはうめきながら何とか立ちあがろうとするが、先ほど吹き飛ばされたときに体を強く打ったせいでなかなか立ちあがれない。

 そんなラインを制止しながら彼の前に立ったのはアルテナだった。

「ここは私に任せてもらえる?」

「何とかできるのか?」

 シルトの問いにアルテナは「もちろん」と自信ありげに返してくる。それからアルテナは翼竜に向き直り、杖を地面に突き刺しラインがガルダートを召還したときと同様の動作をとった。するとガルダートが召還されたときと同様に幾何学模様が浮かびあがり光とともに機械仕掛けの巨鳥が現れる。ライトイエローを基調にした雄々しい鳥だった。

「君も機翔竜の乗り手だったのか」

 シルトは驚きの色を隠せなかった。そういえば樹海へ入る前に彼女と老婆がやりとりをしていたが、あれは機翔竜のことだったのかと妙に納得してしまう。

「そうよ。ちなみにこの子はフェルコね」

 そう言いながらアルテナはフェルコの背中に乗る。

「とりあえず、詳しい話はあとにしましょう」

 アルテナはウインクを投げるとフェルコは翼を羽ばたかせながら飛び立つ。

 逃げようとする翼竜をアルテナのフェルコが追う。だが、このままではすぐに樹海を抜けられてしまうのは明白であった。

 では、ならばとアルテナは杖の先端から魔法光の光を放った。放たれた光は矢のような勢いで翼の皮膜に穴を開ける。そのせいで翼竜は空中でバランスがとれなくなり、背中から墜落した。

 仰向けになった翼竜はじたばたするばかりで立ち上がれない。そこでラインは叫びながら腹部目がけて跳びあがり、剣を腹に突き立てた。

 その痛みのせいか断末魔の叫びをあげる翼竜。

 叫びがやむ頃には翼竜はドロドロに溶けていき、最後に黒光りして不気味な雰囲気を醸し出している短剣が残った。

 ラインはその短剣を試しに触れてみる。が、特に変わった様子はなさそうだ。大した装飾もなく、地味な片刃の短剣だ。

 ラインは「ふむ」とうなりながら一瞬だけ考える素振りを見せたあと、その短剣を持ち帰ることにする。

 その後、ライン達はこの事件の元凶らしき魔物を倒したということで樹海をあとにした。実際、それから町が襲われる事件はピタリとやんだ。シュロイクは平穏を取り戻したのである。


   ■九■


 樹海から帰って霧の騎士の亡骸を町の人々に見せると町はちょっとした騒ぎになり、シルトたちもちょっとした英雄扱いであった。それでもまだ気が抜けないということでパトロールは引き続けられることになった。

 それから町が襲われることが一切なくなったことがわかると町を救った英雄を称えるために宴会が開かれることになった。

 そして、いまは宴の時である。シルトは英雄の代表として先ほどから引っ張りだこで、その後ろにミアノが付き従っていた。いまシルトは町長に武勇伝を聞かせているようである。

「せっかくの英雄がこんな隅のほうで一人で晩酌?」

 ラインはそんな様子を遠目にボーっと見ていると声をかけられた。

「アルテナさんか」

 ラインの空きそうになっていたグラスに並々と赤い液体がそそがれる。香りから察するに葡萄酒だろうか。

「アルテナでいいわよ。お酒はいける口?」

「そこそこは、な」

 戦いから無事生きて帰ってこれた余韻を味わうくらいには、と心の中で付け加える。

「……普通は呑む前に聞くものじゃないか?」

「まあまあ、固いことはなしってことで」

 アルテナは少し酔いがまわっているのか、顔がほんのりと赤い。足どりもなんとなくほわほわしているような気がした。

「シュロイクのワインは自慢じゃないけどおいしいわよ」

「そうか」

 そう答えるとアルテナは嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる。その笑顔にラインは思わずどきりとした。彼はこういう女性の無防備な表情にあまり耐性がなかったのである。

「その調子だと、女性と話したのも久しぶり?」

「……なぜ、そう思うんだ?」

 ラインが仏頂面になって聞いてくるのがおかしくてアルテナは大笑いをはじめる。

「ごめんなさい。怒らないで……ていうのは無理か」

「あんたは俺をからかいにここまできたのか?」

 ラインは不機嫌そうな顔のままグラスの葡萄酒をあおった。アルテナはラインの空いたグラスにすかさず葡萄酒を注ぐ。

「まさか。同じ機翔竜の乗り手だしね。あなたに興味が湧いたのよ」

「……たしかに機翔竜の乗り手は珍しいからな。それに俺はなりたくてなったわけじゃない」

「そうなの?」

「ああ。俺の機翔竜は元は親父のモノだったらしくてな。それをたまたま引き継いだにすぎない」

 ラインは虚空を見つめるかのように視線をさまよわせる。あまり話したい内容でもなかったので、興味を持たれる前に違う話題をふる。

「私もそうよ。このフェルコは母がもともと使っていたの。だから私にとっては形見ってところかな」

「……そうか」

「何だか不思議な感じよね、機翔竜って。契約したときにね、何だか体が熱くなって気持ちが高揚して、何でもできるって思えちゃうようになるの。機翔竜と契約するってこんな感じなのかしら?」

「俺も初めて契約したときはそうだった」

 機翔竜と契約するということは機翔竜を召還できるようになるだけではない。他にも身体能力を向上させたり、闘争本能を強化するということだ。それに伴い死の恐怖を軽減させて、殺生に対してのためらいを薄める効果があるという。

「機翔竜って結構すごいのね」

「ああ」

 ラインの思考は徐々にアルコールに侵されつつあった。視界も心なしかぼやけたような感覚に陥る。

「私もあなたのことはラインって呼ばせてもらっていいかしら?」

 そう言いながらアルテナはラインに持っていた酒瓶を強引に渡して、自分の持っているグラスが空になっていることをアピールする。どうやら今度は自分に晩酌しろということらしい。

「ああ。構わない」

 アルテナのグラスに葡萄酒を並々と注ぎながらラインは答える。

「機翔竜の話もう少し聞かせてもらえないかしら? そうね……。どうせならもう少し静かならところでどう?」

「……わかったよ」

 ラインは歩こうとするとよろけて転けそうになる。どうやら彼が思っていたより酔いがまわっていたらしい。

「大丈夫? この葡萄酒口当たりはいいんだけど、結構アルコールきついのよ」

 アルテナはラインの手をとってよろけるのを支える。

「……なるほどな」

「ウチのお店のほうで少し休みましょうか」

 そう言うアルテナの口調はどこか緊張の帯びたものだった。だが、酔いのまわっていたラインの思考はどこか麻痺していて、アルテナの手に引かれるままついていくだけである。

 夢なのか現なのか。そんな世界をラインはさまよっていた。


   ■十■


 宴が終わり夜が明けるとエルロンド号は出航の準備にかかっていた。

 そのせいか船は船員が先ほどからひっきりなしに行き来して賑わしい。

 ミアノも船団で仕事を請け負っていたが、いまは一段落して港で樽の上に座って休んでいた。

「ミアノ」

 その名前を呼んだのはアルテナであった。その隣にはリルファもいる。

「アルテナ、それにリルファさんも」

 ミアノは立ちあがろうとすると、アルテナが手で制してくる。代わりに彼女らも手近にあった樽の上に座った。

「今日で出航しちゃうんだってね」

「はい。短い間でしたけどお別れとなると寂しいものですね……」

「ほんとよね。ちょっと仲良くなれたと思ったこれだし」

 ミアノとアルテナがしゃべっている横で先ほどからリルファが落ち着きのないようすであちらこちらに視線を送っている。どうやら誰かを探しているらしい。

「それで今日はどうしたんですか?」

「ええ。実はリルファがラインにお礼を言いたいらしくてね」

 ミアノは妙に納得した様子で「なるほど」と相づちを打つ。

「残念ながらラインは二日酔いで寝こんじゃってます」

「あー……。そうねぇ」

 二日酔いと言葉を聞いて、なぜかアルテナが視線をそわそわとさまよわせる。何かがあったのだろうか。とミアノは首を傾げた。

「そうなんですか。残念です」

 リルファのしょげた姿にミアノも心が少し痛んだ。

「あの、ちょっと様子を見てきましょうか? 今朝、帰ってきたときよりはマシになっているかもしれませんし」

「なんならいっそお見舞いに行っちゃおうか?」

 アルテナがにんまりと意地悪い笑みを浮かべる。するとリルファも乗り気なのか、身を乗り出してミアノを見つめてくる。

 ミアノは「大丈夫かな」と心中で思いながらもラインのところへ案内することにした。

 船は積みこみや出航の準備で人の出入りがひっきりなしである。その流れの中を突っ切るようにしてラインの寝ている船室まで行くにはさすがに骨が折れた。

 ラインの部屋の前まで来るとミアノがドアをノックして返事を待つ。するとすぐに気怠そうな声で「どうぞ」という返事が返ってきた。

 三人は顔を見合わせるとラインの部屋へ足を踏み入れる。

 ラインはベッドの上に座って頭を押さえながら三人を出迎える。表情を見るにあまり機嫌はよくなさそうだ。というよりどこか辛そうにも感じる。

「……大丈夫ですか?」

「ちょっとはマシになったよ」

「ごめんなさいね。私が呑ませ過ぎちゃったのよね」

「……まさか、ここまできついとは思わなかったよ」

 アルテナが申し訳なさそうにしているのをラインは引きつった笑みで返す。気にするなという意思表示のようだ。

「それにしても三人そろってどうしたんだ?」

 そのあとに「もうすぐ出航だぞ」と言葉が続く。

「リルファさんがラインさんにお礼を言いたいそうなので案内したんですよ」

 ミアノがそう言うとリルファが一歩前に出る。

「お姉ちゃんから聞いたの。私が連れ去れたとき真っ先に樹海へ飛びこんでいってくれたって」

「いや、そのせいで結果的に迷って死にかけたんだ。みんなには迷惑をかけただけだった」

「ううん。それでもそれを聞かされたときはとても嬉しかったから」

 リルファはそう言ってラインにミサンガを差しだす。

「これは?」

「幸運のお守りなの。せめてものお礼ってことで」

 リルファは顔を赤らめて照れ臭そうにする。

「そうか。ならもらっておこう」

 ラインはふと微笑を浮かべてミサンガを受け取る。

「そういえば、あなたたちは旅をしているのよね。次はどこへ行く予定なの?」

 アルテナの問いにミアノが答える。

「これからナーダに行く予定なんですよ」

「ナーダってエルニアの国境付近の?」

「はい。商船というのはどこにでも用事があるんだそうです」

 ミアノがおかしそうに笑うとアルテナがなぜか表情を曇らせる。

「どうかしました?」

「ううん。ちょっと残念だと思ってね」

「残念ですか?」

 何が残念なのか。それを問うとアルテナは少ししんみりした表情で言う。

「そりゃせっかく仲良くなれたんだしね。ここでお別れっていうのも味気ないかな」

「だからって一緒に行くってワケにもいかないだろ?」

「そりゃそうなんだけどね」

 それから互いに他愛もない話をしていると角笛の音が船中に響いた。出航準備が整ったという合図である。

「もう、そんな時間か」

「さすがにもうお邪魔しないといけないわね」

「船の外まで送りますね」

 そう言葉を交わして一同は船外へと出ることにする。

 甲板に出ると船員の姿はあまりなくなっていた。出発も近いので各自の持ち場についているのだろう。

 アルテナとリルファが船を降りようとするとラインがアルテナを呼び止める。

「どうかしたの?」

 ラインはアルテナに対して静かに右手を差しだす。握手をしようという意思表示であった。

「お互い晩酌した仲だ。それに命も助けてもらった。俺としてはこれが今生の別れじゃないと思いたいな」

「……そうね。またどこかで必ず」

 アルテナはラインと握手を交わすと軽やかな笑みを浮かべる。

「ミアノ、あなたと出会えてよかったわ」

「私もです」

 アルテナはミアノと抱擁を交わし、互いの別れを惜しんだ。

「リルファもお守りありがとう。お守りは大事にさせてもらう」

「うん。よき旅路になるよう心より祈っています」

 そう言ってリルファはラインの頬にキスをすると、恥ずかしそうに船をそそくさと降りていく。

 アルテナはくすりと笑うとリルファを追いかけて船を降りていった。

「行ってしまったな」

「はい」

 二人が振り返るとそこにはシルトがいた。彼が号令をあげると船と港を繋げていた橋はあげられる。

 ラインとミアノが船の下を見るとアルテナとリルファが手を振っていた。ミアノは負けじと大きく両手で手を振り大声で「またどこかでー!」と返している。

 こうしてシュロイクの事件は幕を閉じたのである。


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