06.欠席 [TireD] -病原菌は肉親と幼馴染-
真尋の件が一段楽した所で早速学校に行こうと考える俺だったが、一つ問題があった。
立てねえ。
姉貴に殴り飛ばされた際の一撃が、足にまで来てしまっているらしい。喰らったときの衝撃を考えれば当然かもしれないが、これはまずい。
「わ、ボクなんでパンツ一枚になっちゃってるの!?」
もっとまずい奴が目の前にいた。発作から持ち直してようやく自分の現状に気付いたらしく、真尋は慌ててズボンを履き、ベルトを締め始める。
「あ、マコちゃん。もう八時まわっちゃってるよ。早く学校いこ?」
ベルトをカチャカチャさせている真尋に促されて時計を見ると、本当に八時を回ってしまっている。始業時間は八時半だから、あと十分で飯食って着替えて……走ればまだ間に合うな。足さえ動けば。
そこまで考えて、じっと自分の足を見る。
(ぷるぷる)
まるで生まれたての仔馬のようだ。うん、無理だコレ。
「真尋、お前は先に学校に行け」
「ううん、一緒に行こうよ。八尋と千尋も待ってるし」
「あいつらも来てんの?」
「あらあら、仲がよろしい兄弟ねぇ」
真尋には双子の弟と妹がいる。それが八尋(弟)と千尋(妹)だ。八尋の方は昨日入学式で会ったが、そういえば千尋の方には会わなかったな。珍しいこともあるもんだ。
普段のあいつらは一緒にいることが多い。さすが双子というべきか、一人居たらもう一人居ると思えという言葉がこれほど似合う存在を俺はゴキブリ以外に知らない。
まぁそれはともかくとして、姉貴の言葉どおり仲がよろしい三兄妹だな。通う高校まで一緒ってんだからどんだけだよ。同じく兄弟……姉を持つ者として理解しかねる。こんなくそったれな存在と何故いつも一緒に居られるんだ。
「私も知りたいわ。あんたといつも一緒だなんて虫唾が走る」
「そりゃこっちの台詞だ」
「そう。なら認識を改めなさい。私と一緒にいられるなんて、これ程光栄なこと他に無いわよ?ねぇ、真尋ちゃん」
「うん?うん、そうだね。ミコ姉と一緒にいられるのは嬉しいかな」
真尋は突然話を振られて首をかしげながらもそう返した。なんて出来た子なんだお前は。姉貴も見習った方がいい。
「見習うべきはあんたよ」
相変わらず俺の脳内を読んでいるように喋っちゃう姉貴には自重という言葉をいい加減覚えて欲しいものだが、今はそれに構っている暇は無い。のんべんだらりと言い合っていれば学校に遅刻しちゃうのだ。俺だけが遅刻するのならば別に焦りはしないが、今日に限って言えば初登校の双子も一緒だからな。入学初日から遅れて行かせるわけにもいかんだろ。しょうがねぇ、朝飯抜いていくか。そうすりゃ着替えるだけで済む。
「姉貴、俺朝飯いらねぇから、母さんにそう言っといてくれ。着替えてすぐ学校行くわ」
「あら、そうなの。いつもガッツリ茶碗三杯くらい食べるのに」
「ま、仕方ねぇだろ。真尋だけならともかく八尋と千尋まで待ってるんならな」
「いいんだよ?待たせても。僕も待ってるし…」
「何言ってんだ。あいつらを入学初日から遅刻させるわけにもいかねぇだろ?」
真尋が横から口を挟んでくる。どうも本気で待つつもりのようだが、俺には承知しかねる意見だ。頼れる年上のお兄さんでありたいというのに、俺が原因で遅刻することになりました、では言い訳のしようも無い。
「やっぱりマコちゃんは優しいね」
真尋は満面の笑顔を浮かべている。なんつーかこう、頭がぽわわんとしてくる笑顔だ。ああ、悔しい。こんな気持ちになること自体もそうだが、本当にコイツが男じゃなくて女だったら、と思わないでもない。きっと俺も心の傷を負うことなく青春を謳歌できただろうになぁ。天は俺を見放したか。
まぁ、全部今更のことだから諦めはついてるけどな。
「そんなことはどうでもいい。オラ、着替えるから外で待ってろ。姉貴も出ていけ。つーか死ね。死んでくれ」
二人は何の反論もせずに部屋の外に出て行く。あら?意外だ。姉貴が何も言わないなんて。まぁ、いいか。とりあえず着替えよう。
「えーと、制服は…」
昨日帰ってきて即脱いで、あのアレ、洋服かけるアレ使って壁の出っ張りに吊ったんだったよな。アレって名前何だっけ?思い出せねえけどまぁいいや。名前なんぞ分からずとも使えればいいんだよ、使えれば。
そんな考えの下、部屋中を見渡す。
うん、無い。
無いならばどうするか。原因はおそらく姉だ。かといって、姉貴に問い詰めている暇はない。あのクソアマは簡単には教えないだろうし。これ以上真尋達を待たせる気もない。
「やはり、アレしかないか……」
覚悟を決め、俺は立ち上がろうと足に力を入れたが、やっぱ力入らねえ。無理だこれ。
「おい真尋!ちょっと助けてくれ」
仕方なく、俺は幼馴染を呼びつけ、肩を貸してもらう事にした。
◆
玄関前。佇む兄弟妹三人を前にして、俺は深刻な表情をしていた。その面持ちはまさに闘病三年、死の間際に家族と対面している四十代男性サラリーマンのようだったという。なにしろ、壁に寄りかかってギリギリ自力で立っているといった具合だ。目の前の三人が、お前どこで死闘繰り広げてきたんだよ、とか言いたそうにしているが、そこは口を挟む余地を与えないのが俺、城崎誠である。
「というわけでだな、俺は熱があるようなので休む。担任にヨロシク!イエー!」
「いや、イエーってマコちゃんものすげぇ元気じゃん。サボり?」
すかさずサワヤカ少年八尋君がなんか言ってくるが、俺には何のことか全然分からんよ。ああ、分からんとも!とはいえ、無視するのもかわいそうだ。ちゃんと曖昧に答えてやろう。
「少年よ。まだ若い君には分からんだろうが、大人には色々と事情があるのだよ。もう少し年をとれば分かるようになるさ」
「あ、わかった。お姉ちゃんにやられたんでしょ?」
真尋そっくりの顔でにやにやと笑いながら正解を言い放つ千尋。うーむ、やはり戸籍登録間違ってるとしか思えん。本当に八尋と双子なんだろうか。どう考えても真尋と千尋が双子だろ、と幼馴染である俺ですら未だに疑問に思ってしまう。
いつのまにかその思案顔は苦々しいものへとなっていたらしい。八尋が「ミコ姉に?マジで大丈夫なのかよ?」と、すげえ不安そうに声をかけてくる。俺はそれに一言、休めば大丈夫だと返したが、それでも不安は拭い去れないようで、八尋はまだ神妙な顔をしていた。お前は本当にいい奴だなぁ。幼馴染連中で唯一の良心だよマジで。
だが、本当に心配には及ばない。そう伝えるために、俺は若干おどけたような口調で言葉を続けた。
「全く、悪魔だな、あの女は。八尋も千尋も油断してると食われるぞ。具体的には、その若さと美貌を妬まれて精気を奪われてしまうかもしれん。そうならないうちにとっとと学校へ行った方が身のためだ」
「えー?そんなことないない。お姉ちゃん私よりかなりキレイだしねー」
くらっとした。
こいつ本気で言ってやがる。誰かこの勘違いお嬢さんに現実というものを教えてやってくれ。例え、その言葉が事実だとしても千尋が妬まれ、襲われる確率は相当に高いものであることを。お前真尋に似てるだけあって超可愛いんだぞ。妬まれはせずとも「カワイイー!」とかいって襲われかねんのだ。奴に性別の貴賎は無い。それだけ聞けば大層な男女平等主義者に聞こえるが、姉貴の場合、美しい、格好いい、可愛いといったものに節操が無いだけだ。マジで自重という言葉を覚えて欲しい。
ああ、ぐらぐらする。思わず頭を抑えてうめく。
「すまん。本気で眩暈がしてきた。俺は寝るから、お前達はもう行け」
「う、うん……でもホントに大丈夫なの?」
真尋、人の心配はいいからさっさと行け。むしろ心配なら学校に行った方がオレのためになる。先ほどの例に漏れず、お前が姉貴の近くにいるとろくな事にならんからな。
「じゃあ行こうぜ、にーちゃん」
「あ、うん。わかった。マコちゃん、学校終わったらお見舞いに来るから」
「……」
明らかに童顔で女顔な真尋を、平気な顔で精悍な顔立ちの長身短髪男である八尋が「にーちゃん」などと呼んでいるシーンは本気で寒気がする。どう考えても八尋の方が兄に見える。精神的な部分踏まえても同様だ。なんつーか、まともに考えると頭が痛くなってくる兄弟だな。
ああ、頭痛に加えて寒気まで。
額を押さえ、眩暈を堪えていると、ガチャリ、と音がした。目を伏せているので予測でしかないが、玄関の扉を開けたのだろう。いよいよ行ってくれるか。うん、もうマジでさっさと行ってくれ。
なんだか短時間で、げっそりとした青白い顔つきになっている気がしないでもないが、玄関を出ようとした千尋の振り返りざまの一言で俺はあっという間に失った熱を取り戻した。
「元気出してね、おにいちゃん」
衝撃。衝撃だ。それはまさに言葉という、音に過ぎないそれの持つ力の顕現。
「そ、そう呼ぶなと何度言ったら分かるんだ……」
分かっている。分かっているさ。冷静な声とは裏腹にオレの顔は真っ赤だ。真っ赤に染まっている。ああ、いかん。頭痛と寒気に加えて熱まで出て来た。しかしこればかりはしょうがない。
だって恥ずかしいんだもん!
考えてもみて欲しい。高校三年生にもなる男が、お隣さんとはいえ、赤の他人、それも年頃の娘に「おにいちゃん」などと呼ばれているのだ。ご近所様から見たら、
「まぁ!あんな無知な女の子におにいちゃんと呼ばせて喜んでるなんて!」
「きっと捻じ曲がった性癖を持った男なんだわ……」
「なんてこと!最近の若者の性が乱れているとは言うけれど、こんな日常会話にまで波及しているなんて!」
「変態!変態よ!通報しなきゃ!」
「きっと次は私が狙われる番なんだわ……」
「それはないわー」
なんて井戸端会議されるに決まっている。マジで通報とかされたら目も当てられん状況になること請け合いだ。しかも都合の悪い事に、それらの侮蔑って大体あってるんだよな。なにせ、昔はむしろそう呼べと強制していたんだから。そして、その強制した理由がまた酷い。真尋の妹なら俺の妹だから、というよく分からんものなのだ。
でも今は昔と違うんだ。血の繋がっていない女の子から「おにいちゃん」なんて呼ばれるのは、そういう風に脅迫したという事実があるからだと、周りに疑われてしまう可能性があるってことも、今の俺なら十分に予測できる。
しかし、そんな考えを今更告げられるわけも無い。ならば、と「もう子供じゃないんだから」とそれっぽい理屈をつけてやめてくれと諭したことは何度かある。だが、俺の心の嘆きを全く察してくれない当の千尋はその呼び方で満足しているらしく、世間の目なんてどこ吹く風だ。
「もー、それは前から行ってるでしょー?おにいちゃんはおにいちゃんなんだし、昔からそう呼んでるから別にいいじゃん。ね、真尋ちゃん」
「あ、あはは……じゃあ何で僕のことは”お兄ちゃん”て呼んでくれないのかな?」
「いや、にーちゃんの場合はしょうがねーじゃんか。俺だって少し違和感あるし。むしろ呼び捨てにしたいくらいだ。マコちゃんはそれに比べてにーちゃんって感じするしなぁ…俺も昔みたいにマコ兄って呼びてーよ」
「そ、そんなぁ……」
「うんうん。その通りだよ。真尋ちゃんは真尋ちゃん。おにいちゃんはおにいちゃん。それでいいじゃん、ね?」
そう言って振り返った先に俺はいない。付き合いきれるかバカ。俺は寝るぞ。お前らのせいでマジで体調崩したからな。
未だダメージの抜けない体を引きずるようにして歩きつつ、自分の部屋がある二階への階段を上ろうとしたその時、大きな声が玄関先から響いてきた。
「いってきまーす!おにいちゃん元気出してねー!」
「後で僕、絶対お見舞いにくるよー!」
もう来るな!
心の中だけで返事をして、俺は少し泣きそうになりながら、階段を上っていく。
「だから、横田の姉妹は苦手なんだ…」
厳密に言うと姉妹じゃないが。
ふらふらしながらもなんとか部屋に辿りついた俺は、力無く鍵の壊れた扉を開く。なんとなく部屋を見渡してみたが、やはり制服とそれを吊るアレはどこにもなかった。代わりに体温計が目に入ったので、なんとはなしにそれを脇に刺す。本当は熱なんて無いし、全く無意味な行為だろうが、まぁ念のためだ。
あとは制服だが、今はとても探す気にもならない。何をするでもなく、そのままベッドに座り込んでうなだれていると、しばらくして道路に面した窓側から労わるような声が聞こえてきた。
「マコちゃーん!ごめんなー!にーちゃんがお見舞い諦めるように説得してみるわー!」
「うう……」
その八尋の声は、俺の心の中の何かを決壊させた。ボロボロ涙が溢れてくる。畜生、目が沁みる。止まらねえ。止まらねぇよ。ああ、八尋……心の友よ……。お前だけだ、普通なのは。
唯一の味方に真尋の説得を任せ、俺はベッドに突っ伏し、ゆっくりと目を閉じた。
真っ暗な空間で俺の視界が埋まる。その中で徐々にまどろんでいく俺の意識だったが、突然鳴り響いたピピッと言う電子音にその心地よい感覚が阻害される。同時に閃きが舞い降りた。
「あ、思い出した。ハンガーだ」
なんでこんなときに限ってどうでもいいことばかり思い出すのだろう。意味分かんない。そんなことを考えながら、電子音の発生元である体温計を見ると、三十八度五分を示していた。
マジで風邪引いてんじゃねーか俺。あれ?じゃあ体調崩してるのって今までの精神的なダメージ関係なし?案外俺って神経図太い?
「どうでもいいか」
俺はいそいそと布団を被ると、起きたら全部夢だったというオチも少し願いつつ、再び目を閉じた。風邪というより、花粉症の気でもあるのか、涙は目を閉じても止まる様子が無い。
辛い。