13.勧誘 [HatefuL] -暗い過去は熱烈勧誘も吹き飛ばす-
キンコンカンとお決まりの鐘が鳴る。
よし、本日の学校終わり。授業中うつらうつらと頭を揺らしていた柳川を罵ってから帰るか。
「柳川よ、お前のいびきはとんでもなくうるさいな。公害レベルだぞ」
嘲るような愉悦を浮かべつつ柳川の席を見やると、そこには完全に机に突っ伏した柳川がいた。
「……」
「どうした、図星を突かれて反論すらできねーか?」
「……」
「ふはは、狸寝入りがお前なりの反論か」
「……」
「沈黙は自ら敗北宣言を出しているのと同じだぞ?」
「……」
「ねぇシロ、むなしくない?」
「そんなことは……」
「……」
「……」
背後から俺の肩越しに柳川の席を小池が覗き込んでいた。全く反応を返さない柳川に二の句が継げず、無言で立ちすくむ俺。
はっきり言おう。赤っ恥である。
「よし、帰ろう」
「だねー」
俺に恥をかかせた柳川を起こしてやる義理はないのでとっとと帰ることにした。べっ、別に居心地悪くてこの場から消えてなくなりたいとか思ったわけじゃないんだからね!
「ところで委員長。さっき佐古田のじーさんに結局授業で使わなかったでっかい三角定規やら分度器やらを運んでおけと頼まれていたようだが」
「ん、田仲にスルーパスー」
「んごっ!!」
スルーというかリアルに投げつけたような気もするが、まぁ対象が田仲なので良しとしよう。
鳩尾あたりに三角定規の三十度角がヒットして声すら出せず呻く田仲をスルーし、委員長の仕事を早速ほっぽりだした責任感皆無の小池を伴って廊下に出ると、珍しく真尋が俺を待っていた。普段は読書部とかいう良く分からん部活で図書館へと繰り出して、アンマァアイ恋愛小説を読んでいるはずなのだが、何故今日に限って。
「お母さんがマコちゃんと一緒にさっさと帰ってくるようにってメール送ってきたんだ」
「そうなのか。珍しいな」
「だよね」
「ほほう、なんだか事件の香りがするねー?」
小池がこれ見よがしにメガネの淵を挟みあげて上下に動かす。どんなキャラ付けだよ。
呆れ返る俺と違って、真尋はあはは、と軽く笑い声を上げて歩き出す。俺と小池もそれに倣って歩き出した。
「急ぎってゆーわけでもないみたいだから、事件性はないと思うよ」
「でもでも、シロと一緒にというのが何か引っかかるのだよー」
確かに。ただ、それが事件に繋がるかというと、完全に深読みだと思うな。
「はいはい、勘ぐるな勘ぐるな。例えばどこか出かけるからさっさと帰って来いとか、そういうのならあり得るだろ?」
「えー?じゃあさー、どこかって何処?」
「そうだな……外食とかならどうだ」
「えー?そういうのって特別な日にやるもんでしょー?真尋ちゃん誕生日だっけー?」
「ううん、違うよ。弟も妹も……家族の誰も誕生日じゃないよ。マコちゃんの家族も含めてね」
「待て待て、別に誕生日でなくても臨時収入があったからとか、何か成果があったからとかあるだろう?俺の親父の場合、贔屓の球団がリーグ優勝確定したから同僚と祝い酒飲んできたこととかあったぞ」
「ぐぬぬぬ、そーゆーのもあるかー…いや、でもねー…」
何が気に食わないのか、小池はしきりに帰宅コールの理由を推理しようとしていた。あれならどう?これならどう?と次々に、それも割と非常識な例を挙げていくが、どれも可能性が超低い。真尋の母が押し入り強盗に襲われて助けを呼ぶためにメールを打っただとか、まずねーだろ。真尋の前に110番しとるわ。
その無意味な推理披露は、下駄箱で靴を履き終えても終わる気配がなく、運動場が横目に見える位置に差し掛かったところでいよいよ現実離れを起こしてきていた。
「はっ!わかったー!空から女の子が降ってきて対応に困って、同い年っぽいまっぴーとシロなら大丈夫かなって感じで呼んだんだー!」
「真尋、ここにアホがいるぞ」
「あはは、小池さんは相変わらずだね」
空から人が振ってくるなど天文学的確率かそれ以下だ。ありえんわ。アニメやら映画の見すぎだよ。などと心の中で思いつつも、なんとなく空を仰ぎ見る。例の映画ならでっかい雲の中に城が浮いているんだったか。小池には残念なお知らせだが、今日の空は朝からずっと青く澄み渡り、せいぜい薄っぺらな尾引き雲程度しかない。
他に見えるものといえば鳥が飛んでいるくらいだ。点のようにしか見えないが、カァカァ鳴いているしきっとカラス……あん?
「なんだあれ」
俺の目はカラスよりも下方、校舎の高さととそう変わらない位置に鳥よりも大きな、それこそ人くらいの大きさの影を捉えていた。いや、人くらいっていうか、あれ、人そのものじゃね?つーかあの風に揺られてヒラヒラ舞ってるのってスカートじゃね?パンツ丸出しじゃね!?
「えっ、ちょっ、マジで!?」
俺は思わずその影の落下地点へと走り出していた。それから三拍ほど置いて、影は俺たちのいる校門からは大分離れた運動場の隅の方へ音も無く着陸する。その辺りに他に人影は無い。
「こらシロー!最後まで聞いてよー!逃げ出すとか卑怯じゃんかー!」
後方で小池がぷんすか怒って大声を上げていたが、俺はそんなことでは止まらなかった。というかそんな場合じゃない。全速力で落下地点へと向かう。一歩一歩進むごとに空から落ちた人影がはっきり見えるようになっていき、その影がぐっと腰を落としたような姿勢をとったところでようやくその正体を確信した。
「待てぇい!逃げる気か柳川!そうはさせんぞ!!」
「えっ?」
腰を落とした姿勢のまま振り返った柳川は驚愕の様相を隠そうともしていなかった。ああ、目を丸くするってこういう顔を言うんだな。だが、すぐに近寄ってくる男のイケメンオーラを感じ取り、俺だと理解したのだろう。あっという間にその顔は眉をへの字に歪ませ、しかしすぐにその眉を隠そうとしたのか、手で額を押さえると、一呼吸置いてから俯き加減にこちらへ向かって歩き出した。どうやら逃げる気は無いようだな。
しかし、なんつーか黒髪長髪ぺったりストレートで痩身のオトコ女が俯いて歩いてるとちょっとこう、怖いものがあるな。男に似つかわしくない妙に艶かしい白い素肌が幽霊のようだ。井戸と呪いのビデオを思い出す。
「なんで貴方気付くのよ……」
間近で顔を合わせた途端、柳川は恨みがましそうに呪いの言葉を吐いた。俺はその暗い雰囲気にたじろいでしまっ…いや、その言葉を受けてもいつものように堂々と胸を張ってその呪詛をはじき返した。
「うっ……ふ、うふふふふ、イケメンたる俺は凡人とは違うのだよ、凡人とは!」
「はいはい」
おいこら、その朝と同じどうでもよさそうな表情はどういうことだ。あさっての方向向くんじゃない。空を仰ぎ見るんじゃない。どうせ見るなら俺のイケメンフェイスにしろ。きっとその方が幸せになれるぞ。
「はぁ……せっかくの認識阻害の術が台無しよ……」
「認識阻害?術ってお前、やっぱさっきのは」
「そう、魔法です、魔法。ああもう、なんでこう上手く行かないのかしら。大体、貴方昼間は術に気付いてなかったじゃない」
昼だと?教室でも認識阻害の術とやらを使っていたのか?言葉からするに人の認識を曲げる術だろうから、さっきまでの柳川は自分がいないものだと周りに植えつけるような術を使っていたのだろう。しかし教室となると俺は柳川が常に左隣の席で眠そうにしながら座っていたことを認識していたし……昼間……もしかして飯時か?
「ははーん、さてはお前、真尋にそのなんちゃら術を使ったな?あの時も妙な感じを受けたぞ」
俺の超人的な頭脳をもって記憶を探っても、超常現象にヒットするような事例は真尋のお嫁さんワード無反応時しかない。丁度妙な悪寒を感じたときでもあるし、まず間違いないだろう。差し詰め、あの時は真尋が男であるという認識阻害を……いや、阻害でもなんでもなく紛れも無い真実なんだが、それを真尋に強く認識させて病気の発症を防いだってところか。
「はぁ……貴方って本当に規格外ね……」
盛大な溜息を漏らして柳川は疲れたような表情を浮かべた。どちらかというと規格外なのは柳川の方なんだがな。ここは素直にその言葉受け取っておこう。
「ふはは、そうだろう、そうだろう。俺は常人の域を遙かに超えた人間なのだよ」
「異常ってことね」
「違ぇよ!超人ってことだよ!」
「はいはい」
「ぐぬぬ……」
この野郎。俺に対しての態度がおざなりにもほどがある。そこまで俺の相手をするのが嫌だと言うのか。急ぎの用があるわけでもないだろうに。いや、あるのか。魔法使ってまで急ぐ何かが。
ならばその邪魔をして精々憂さを晴らさせてもらおう。ごほん、と一つ咳払いをしてから真剣な顔へと切り替える。
「それで、一体何を急いでいるんだ。さっきまで教室で爆睡していたくせに」
「急用があったのよ」
「ほう。だったら今からでも帰ればいいじゃないか。きちんと足を使って普通にな。俺とてお前相手にこれ以上時間を取られるのは不毛に感じるぞ?」
「それはお互い様よ。でも、もういいの。元から周囲を誤魔化して魔法でも使わないと間に合わなかったのだし……貴方に気付かれた時点で諦めたましたわ」
突然お嬢様口調になって何事かと思ったが、周囲を軽く見渡すと近くで運動部の奴らがストレッチを開始していることに気付いた。なるほど、周囲に対する擬態というやつか。
「そうか。八方美人の貴様は周りが気になって仕方ないらしいな」
「全く、貴方はなんで毎度そうなのかしら。女性相手に失礼だと思いません?」
「ハッ、誰が女性だ、誰が」
「……そう、まだ懲りないというのね?」
俺は口を噤んだまま、返事の代わりに腰を落として右足を軽く引く。手は軽く握り拳を作って肩口まで上げた。臨戦態勢だ。対する柳川は肩幅に足を開いて仁王立ちの姿勢だが、全身に闘気を漲らせ、猛禽類のような視線で俺を射抜いている。
この気勢、どうやら魔法を使って戦う気のようだな。それならばあの時と同じく俺に勝てるとでも思っているのだろう。
良いぜ。ならば、まずはそのふざけた幻想をぶち殺す。川原の雪辱戦だッ!
「おーい!城崎ーっ!」
足に力をこめて飛び出そうとした瞬間、後方から俺を呼ぶすげえでかい声が響いた。誰だ一体。
振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってくる体操服姿の女生徒がいた。その勢いは凄まじく、彼女が一歩一歩踏み出す度に巻き起こる砂煙は、重戦車が唸りを上げて迫っているのかと錯覚させる程だ。
「げっ、熊さん!?」
「げっとはなんだ、げっとは!元気そうだな城崎!」
雄々しさと猛々しさを兼ね備えたベリーショートと言われる髪型のそいつ、熊さんこと蔵野葉樹は駆けてきた勢いそのままに、バンバンと俺の背中を叩いた。鍛え上げられた筋肉を兼ね備えたその腕の一撃は、本人が軽くやったつもりであろうとかなり痛い。
しかしイケメンたるこの俺はこの一撃ですら身じろぎもしないし弱音も吐かない。ただその仕打ちが不服だと憮然とした表情を返す。
熊さんは俺の顔を見ても全く表情を変えず、俺の肩に手を置き、がっしりと掴んでその指を食い込ませる。うん、全然俺の気持ち伝わってない。まさしくそれは彼女の言動にも表れ、いつものようにお決まりの台詞を口にする。
「早速だが陸上やろうぜ!」
「やらんと言っとろーが!」
「そう言うなって!お前ほどの才能の塊が陸上をやらないなんて逆に不条理じゃんか!」
「不条理で結構!俺はこの世の不条理を代表する男だ!」
「いやいや、お前は将来の日本陸上界を代表する男だよ!」
知らない人ならば、今の会話を唯のお世辞ととるかもしれない。だが、彼女は本気だ。俺に本気で再び陸上をやらせようと思っているし、その結果が日本を揺るがすだろうことを微塵も疑っていない。俺もやりさえすればそうなるだろうと思っているが、正直言ってこの勧誘は俺にとって苦痛でしかない。
そもそも俺がいなくても、既に日本は一人の高校生陸上選手に震撼させられている。
「何言ってんだ。そいつは熊さんにこそ相応しいだろ」
「なんだよ、つれねーなあ、城崎は!そこはノリでうんって頷いてくれよ!」
わはは、と爽やかに笑った顔はテディベア。唯一この熊さんが女性だと実感できる瞬間だ。普段の顔はまさに熊という雰囲気を醸し出しており、異性であることをつい忘れてしまいそうになるのはきっと俺だけじゃないはず。不細工ってほど崩れている訳じゃないんだが、なんだろうな、この熊っぽさは。
その熊さんの黒いまるっとした目が俺を射抜き、次いで俺の背後へと向けられた。そこにいるのは一人しか考えられない。俺の肌は未だ奴の吐き出す説明不要の謎エネルギーを感じ取っている。
「ん?おい、おいおいおい!まさか城崎の彼女か!?真尋はどーしたんだ!浮気か!?」
「んなワケねーだろ。人聞きの悪い」
そもそもどっちも男だ。
「真尋ならあそこだよ」
俺は校門の方を指差した。なかなか校門前に戻ってこない俺に業を煮やしたのか、真尋と小池がこちらへ向かって歩いてきている。
「今カノと元カノが対面するってワケか!修羅場が見れそうだな!」
「いや、そんなんじゃねーから」
「そうですわ。私、その人とは何の関係もありませんので」
どうやら柳川も暴走戦車のように状況把握しないまま突き進む熊さんに危機感を覚えたらしい。若干あきれた口調ではあったが、俺の主張を後押ししてくれた。しかし、その程度でこの暴走戦車が止まるわけが無い。
「おっと、早速機嫌が悪いようだな!今カノって呼ばれ方はイヤか!?ごめんな!」
斜め上の方向に理解を示された柳川は、男らしく平らな胸の前で両腕を組み、眉根を寄せる。
「……違います。私は柳川光。転校生です。少し彼に校内を案内してもらっていただけですわ」
「おう、俺は蔵野葉樹。見ての通り陸上部員で城崎とは中学からの付き合いだ。そして一つ覚えておいてくれ」
熊さんはぐっと拳を握り締め、暴走戦車の砲身からその熱く燃え滾る情熱の咆哮を撃ち出した。
「城崎は陸上やるために生まれてきた男だ!彼女なんて作る暇ねーんだからあきらめろ!」
「そうです!先輩は、師匠は陸上をやるべきなんです!」
ついでになんか小銃の咆哮も重ねて撃たれていた。こちらの歩兵は随分と可愛らしいポニーテールを装備しており、その敵を射落とさんとする意志の強さを湛えたまっすぐな瞳と、無闇に力の入った喋り方には覚えがあった。
「……なんでお前までいるんだ、蔵野麻衣」
「私、陸上部員ですから!」
「うん、答えになってないし、意味分からんぞ」
俺がこの可愛らしい歩兵を攻めようとすると、暴走戦車がすかさず援護射撃を繰り出してくる。
「麻衣は俺の妹だ!」
「なん、だと……」
その射撃は明後日の方向を向いていたが、それは爆風だけで俺を十分に怯ませた。
蔵野麻衣と蔵野葉樹。
考えてみれば確かに苗字は同じだ。だがしかし、それだけを理由にこの二人が姉妹だと判別できるだろうか。ついつい、何度も首を左右に振って二人の顔を見比べてしまう。
「……あまり似てないですわね」
柳川の感想はそのまま俺の感想だ。熊さんは熊だし、蔵野は言ってみれば目がくりくりした小動物系。真尋系統と言ってもいい。本当に姉妹なのか?顔つきが違いすぎる。
「ははは!だよな!でも姉妹なんだぜ!?」
「よく言われます!でも姉妹なんです!!」
「そ、そうか……」
元気良く頷く二人を見て、なんとなく姉妹であることに納得してしまった。ま、まぁ蔵野の目が若干つり上がり気味なのは似てなくも無い。うん、だから全体的にも似てなくも……似てない!
とはいえ、それが事実だと言うのなら、蔵野……ややこしいな、麻衣と昨日会った時、俺の陸上絡みの状況を知っていたことにも得心がいく。肝心なことを知らなかったのは熊さんが口を閉ざしていてくれたからなのだろう。そういう最後の一線は踏み留まってくれる律儀さには感謝するが、全部知った上で、それでも踏み込んでくる容赦の無さはさすが熊さんと言ったところか。
「俺達姉妹の事はどうでもいいんだよ!そんなことより陸上やろーぜ!ジャージ着てるし本当はやる気満々なんだろ!?」
「いや、全然。これはジャージじゃなくてパジャマだ」
「またまたあ!どう見てもジャージじゃねーか!」
「いいや、パジャマだ。誰がなんと言おうとパジャマだ。運動するには向いていないパジャマだ」
「城崎は本当に頑固だな!そこまで言うなら運動用のジャージに着替えさせてやる!麻衣!ジャージ持ってこい!」
「既に準備済みだよお姉ちゃん!」
まるで打ち合わせていたかの如くすっと差し出されたジャージを見て、不覚にも俺は戦慄してしまった。どんだけ本気なんだこの姉妹。つーか誰のジャージだ。
「じゅ、準備いいな……予備とか持ってんの?」
「いえ、私のです!さっきまで着てました!」
マジか。女子が男子に自分の服着せようだなんて……アレ?ちょっと興奮してきたぞ?
「……俺がこれを着るとなるとパンツの上に直で履くことになるがよろしいか?」
「そっ、それは……」
「俺のアレが直接触れることもありえるがよろしいか?」
「──っ、構いません!私、先輩のためならこの身を捧げる覚悟です!」
麻衣はもの凄く顔を紅潮させている。不思議なことに、その表情を見ていると俺の中で新たな力が目覚めてきそうな気がする。何故か口の端が徐々に吊り上っていくぞ!
対する蔵野姉妹は、姉が「よく言ったぜ麻衣!これで城崎も引き下がれねーよ!」とべた褒めで、妹は「覚悟の上です!責任を取ってもらいますから!金色のメダルで!」となんかこう、マジで本気じゃねーかこいつら!
そして、盛り上がる俺達を他所に、柳川は眉間に寄りっぱなしの皺をさらに深く深く刻み込んでいた。
「この男のどこがそんなにいいのかしら……」
「そんなん決まってるぜ!才能だ!」
「先輩の才能は十年…ううん、百年に一度の逸材ですからっ!」
なるほど。俺の溢れる才気は関わる人を皆狂わすらしい。俺はなんて罪作りな存在なんだ……
「だ、ダメだよ!マコちゃんは二度と陸上やらないよっ!」
「おおっと、さすが幼馴染のまっぴー。こいつはすごい独占欲ー」
その間延びした声にはっと気付く。いつの間にやら真尋と小池が到着していたようだ。熊さんもそれに少々驚いた様子だったが、すぐさま好敵手を見つけた時のような獰猛な笑みを浮かべる。
「へへっ、城崎の取り合いだな……!いくら真尋と言えど、ここは譲れねーぞ!?」
「もちろん柳川さんにだって渡しませんっ!」
全方位へ向けられる独占宣言にその場の皆が息を飲む。そして俺は頭を抱える。なんで俺を奪い合う状況になってんの?俺の意思は尊重されないの?これは修羅場なの?
「一つ、訂正してもらいたいね」
その声はまさに不意打ちだった。明らかに男の声。おいおい、これ以上誰が増えるってんだよ。今現在でもこの場に俺含めて六人いるんだ。誰が、とは言わんがこれ以上は混乱しちゃうだろ!
「彼女が……柳川光がそのくだらない男と付き合うことなんてありえないよ」
そこには見下した視線で俺を見る一人の男がいた。隣には何故か田仲までいる。
でも、あれ?もう一人のこいつは本当に誰だ?
「お前誰だっけ?」
「……っ!さっ、坂西健吾だ!入学式の日に顔合わせたじゃないか!」
「あー」
ああ、あの時の。柳川に騙されていた被害者、いわゆる元カレか。
「そう、このお方こそ坂西生徒会長だ!眉目秀麗、成績優秀、スポーツ万能と三拍子そろったイケメンだぜ!殺してぇ!」
「その程度の機能は俺ですら標準装備だ。驚くほどでもない」
しれっと物騒な事を言う田仲には平然な声を返したが、生徒会長だった事実には驚いた。そうか、生徒会長か……全然記憶にねえ。
「粋がるのもそこまでだ。聞いたぞ、城崎誠。君の過去を。知った上であえて言わせてもらおう」
どうにも抑えられないのだろう。坂西は感情を隠そうともせず、怒りに身を任せて吼える。
「この根性無しめッ!!」
「……聞いた、か。なるほど、確かに俺は根性無しだが、お前に言われる筋合いは無い」
「ふん、どうやら性質の悪さは一級品のようだけど、詭弁を弄する弁解能力は無いようだな」
いや、だって事実だし。反論しようもねーよ。そんなことより俺には分からないことがある。5W1HのWhyの項。Why do you hostile to me?
「なぁ、坂西。俺はあの時お前と確かな友情を感じてたんだ。なのに何故だ。何故俺を敵視する。あの時固く結んだ握手は偽りだったのか?」
「寝ぼけたことを……君が即座に破棄しただろう!蹴っ飛ばされたカバンは犬のおもちゃになって歯型だらけで涎まみれだわ、入学式には遅刻するわで散々な目にあったんだよ!」
「そうか。大変だったんだな……お疲れさん」
「……君は本当に俺をイラつかせてくれるなぁッ!?」
うんうん、と頷く俺に激昂する坂西だったが、周囲の空気は困惑に満ちていた。当然だろう。あのときのことを知っているのは俺と坂西だけだ。
「あの、話が良く見えないのですけれど、私のせいなのかしら?」
少々ばつが悪そうに柳川が名乗りを上げるが、それは不要なことだ。完全に柳川関係なくなったあとの話だからな。俺は黙って首を横に振ってみせる。柳川はどこかほっとしたような顔をしたあと、だったらなんで?と首を傾げた。
その疑問も長くは続かないだろう。たぶん坂西がこの後そこまで説明してくれるはずだ。俺含め、皆が皆、黙って坂西の言葉に耳を傾ける。
「光のせいじゃない。光のせいじゃあないが、あの時俺は確かに傷心していた……!その俺にさらに鞭打つような真似をした君の非道、とてもじゃないが捨て置けない!何より、あれほどの愚行を起こしておいて光とまた一緒にいるのが気に食わない!」
え?何言ってんだこいつ。なんかちょっと言ってることおかしくね?
「そもそも!そもそもだ!君は人に好かれるような性質じゃあないッ!いいや、はっきり言う!その腐った性格はもはや罪ッ!君は最低最悪の男だッッ!」
一人憤怒に燃えて怒鳴り散らす坂西を前にして、この場にいる皆がぽかんと、そう、本当にポカンとしていた。特に柳川、口が半開きですげえだらしねえ。それと真尋。目が笑ってない。怖い。
それでも、周囲の反応など気にしていないのか、坂西による俺への侮辱は続く。
「その劣悪な性質は聞き及んだ過去の事例でもはっきりわかる!中学に上がるなり、陸上部でエースをもぎ取ったと言うのに、ろくに部活にも参加しないし練習もしない!かと思えば大会には参加して嘲笑いながら一位をかっさらい、他の部員のやる気を削ぐ!それでいて、諦めず努力を続けていた部員にいざ追い越されてしまうと早々に諦めて部活をやめてしまうなんて……骨折が原因で走れない時期もあったそうだが、今まで他の部員に行っていた所業がそのまま返ってきただけ、因果応報の報いでしか無いだろう!その程度で心まで折れるなんて君は心根が弱い!弱すぎる!言ってしまえばそれはクズと同等だ!」
なんという正論。まさしく坂西の言う通り。しかしそれをほぼ他人の坂西に言われるのは至極腹が立つ。俺は先程はあえて行わなかった詭弁による反論及び罵倒を持ってやり返そうと口を開きかけたが、柳川の声がそれを制した。
「やっぱり貴方と絶交したのは正解だったようですわ」
「なっ!?どうしてそんな……!!」
「あ、はいはーい!私分かるよー」
剣呑な空気に似合わない間延びした声が響く。佐古田のじーさんに注意された実績のある俺が言えた義理じゃないが、小池はもう少し空気読め。などという俺の思いが通じるわけもなく、そのまま間延びした声が続く。
「他人の後ろ暗い過去を衆人環視で披露して心の傷を抉るとか引くわー!かーっ!ないわー!」
ああ、なるほど!と頷いた麻衣がさらにそれを笑顔で直訳する。
「そっか!生徒会長ってサイテーなんですね!」
う、うわぁ。天然って酷すぎる……
純真すぎる目でそんなこと言われたら俺きっと立ち直れないわ。
「う、ううう、うるさああいッ!」
ほう、坂西はこらえたか。大したものだ。みっともなく叫んでしまったことはまぁご愛嬌か。
「光ッ!なぜ君がこいつと一緒にいるんだ!君のような美しい人がこんな性根の腐った醜い奴と一緒だなんて!俺には信じられないよ!」
えっ?何言ってるのこの人。なんかズレてね?
「お、おい、ちょっと待て坂西。お前知ってるだろ、柳川の本当の姿。自分が何を言っているのか分かって……」
「ああ、もちろんだとも!分かっているさ!光は俺と付き合っていたんだからな!」
こいつマジか。柳川を男と知って尚、それを明け透けに言い放つなんて。
「わっ、そうなんだ!?」
「ほへー」
「ということは城崎はフリー!?」
「先輩も心置きなく陸上に励めますね!」
「畜生、生徒会長め裏切ったな!?」
周囲は告白した本人の思惑とは全然別のところで喜んでいる。一人嫉妬に燃えている奴がいるが、それは柳川が本当は男だと言うことを知らないからであり、事態の深刻さを真の意味で理解できているのは俺と柳川だけだ。
しかし、柳川にとっては真の意味よりもっと大事にしたい部分があったらしい。いやいや、と頭を振って坂西の言葉を否定する。
「過去のことですわ。今は何の関係もありません」
「そんなこと言わないでくれ。なぁ、光。俺とやりなおそう。君が好きなんだ」
その言葉は今まで向けられたどんな侮蔑の言葉より、俺を青ざめさせた。小池が「うっひょー告白!生告白!まっぴー、聞いた!?生告白だよ、生告白ー!興奮するよね!」とかまた空気の読めないことを言っているが、そんなもんで中和できるような生易しいことじゃない。
これは男の尊厳が破壊されていることを意味している。由々しき事態だ!
「正気かッ!?しっかりしろ坂西ッ!!柳川はおと」
「うるさあああいッ!俺は正気だ!彼女ほど美しく気高い存在はいない!彼女こそ俺の太陽なんだ!」
く、狂ってやがる……ッ!!
俺は眩暈すら感じていた。坂西の人となりを俺は知らないが、田仲の言を鑑みれば生徒会長になる程良くできた人格のはずだ。元から性癖が歪んでいたなどとは到底考えられない。となれば、柳川によって捻じ曲げられてしまったのだろう。
さっきは俺の才能が罪作りだと嘆いてしまったが、もっと根本的で、かつ取り返しのつかない罪作りな奴がここにいた。そいつは、柳川は自分の罪など全く省みないようで、自分の言葉も当然の如く省みない。
「貴方ともう一度付き合うぐらいなら、貴方が貶す城崎君と付き合ったほうがまだマシですわ」
「それはちょっとマジで勘弁してください」
「貴方そこは喜ぶところでしょう?」
何故にそこまで自信満々なのかは分からないが、俺は坂西と違って常識的な性癖のままだ。本当に勘弁願いたい。
「貴様のような男が光と、だと…!?」
「いやいや、だからありえねーって」
狂ってしまった坂西は柳川の事となると人が変わってしまうのだろう。俺を射抜く冷たい、けれど憎悪に燃える視線はとても人格者のそれとは思えない。
「本当かッ!?」
「本当だよ。俺と柳川がそういう関係であることは確実に無い。なあ、柳川」
柳川は冗談も通じないとようやく気付いたのか、少々の罪悪感をない交ぜにした顔でこくりと頷いて見せた。
「そんなことを言って過去の陸上部を再現しようとしていないか!?俺をあざ笑うように彼女を、光を横から掻っ攫うような真似を……!!」
「ところで」
行過ぎて被害妄想となり始めていた坂西の疑いの言葉は、突然の、静かだが有無を言わせない確かな響きを持った真尋の一言で中断される。
「ところで坂西君」
真尋の目は発作が起こったときのように鈍い光を放っている。平たく言うと座ってる。怖い。
「その陸上の話は誰から聞いたの?」
「そっ、それは……」
狂ってしまったはずの坂西がうろたえている。毒をもって毒を制すとは真実ありえる話だったか。この場合、毒ではなく狂気だが。
「誰から、聞いたの?」
「たっ、田仲君だ!」
そうか。発端は田仲か。
突然槍玉に挙げられた田仲はびくっと体を震わせた。それもそうだろう。今まで隣の生徒会長に向けられていた瞳が、すべて自分に集まっているのだ。それも白い目、と言う奴で。
「え、いやだって品行方正で知られる坂西生徒会長だぜ!?目安箱とか作って生徒の相談にこっそりのってくれたりとか、良い人エピソードは数限りないだろ!?きっと親身になって相談に乗ってくれると……」
「そういえばお前俺に美女が集まるのイラつくとか昼休みに言ってたな。よし、殴る」
「そっ、それは今は関係ない……くっ!」
田仲は弁解しようとしたようだが、すぐに諦め身を翻して走り出した。そうか、逃げるか。だが、俺は逃すつもりは毛頭無いぞッ!
俺はすぐには走り出さず、脚に力をためる。いや、実際ためるとかそんなことできる訳は無いが、奴を捕らえる俺の姿を思い浮かべ、まずは精神を集中させることにした。色々ありすぎて俺の心は乱れすぎている。田仲は言うなれば手負いの獣。それを仕留めるには俺の心を研ぎ澄し、全力を引き出さなければならない。
「──ッ!」
一呼吸おいて、すでに十メートルは先にいる田仲に向かって全力で地面を蹴る。風の壁に顔面が叩きつけられる感覚はどこか懐かしかった。
田仲の背がぐんぐん迫る。奴の全力など、かつて100メートル11秒を切った俺の全力の前にはカスみたいなものだ。ほんの数秒の後、俺は田仲の肩に手をかけていた。
「うっ、ぐ──ッ!?」
掴んだ手に力をいれ、田仲の体を引き寄せながら足も使ってその場に留まろうと踏ん張る。凄まじい力の前に田仲はあっけなくその脚を止めてしまっていた。
「先輩はやっぱ足はやいなー!」
「うんうん、やっぱ犬っぽいよねー」
「城崎ィ!陸上復帰しろよォ!!」
俺の驚異的な身体能力を目にした奴らから歓声が巻き起こるが、俺はそれに慢心することなく、咆哮と共に田仲の背中にドロップキックをぶちかます。
「うるせええええッ!!」
「んぐああああーッ!!」
田仲は多少回避動作を頑張ったようだったが、一般的な身体能力しか持たない奴にはそれも叶わず。断末魔の叫びを上げながらうつ伏せで運動場の砂の上をずざざと滑り、そのまま動かなくなった。
俺はそれを見届けると、急速な運動で荒くなった息を整えながらゆっくりと考えを巡らす。
これはいい機会かもしれない。正直収集がつかなくなっている感は相当にある。その原因は俺と柳川だ。どちらかが消えればこの事態もひとまずの決着を見るはず。それに、時間を置けばきっと坂西の頭も冷えるだろう。
よし、決めた。帰ろう。
「すっかり話が逸れちまったが、今日はここまでにしといてやる!日を改めて仕切り直しだ!覚えとけよ柳川ッ!」
「まっ、待て!話はまだ終わってないぞ!」
すぐさま坂西が俺を止めようと走り出すが、素直に従うわけもない。俺は再び、今度は校門に向かって駆け出した。
ちらりと後方に目を向けると、坂西が俺を追って走ってきている。なるほど、速いな。田仲とは比べるべくも無い。確かにスポーツ万能といわれるだけの事はある。だが、それはごく一般的な常識の範囲内でだ。トップアスリートの世界では平均以下のレベルでしかない。
俺にもかつてそこに身を置いていただけの自負はある。故に全力で貴様を置いていくぞッ!坂西ィッ!
「くうっ……離される……ッ!!畜生ッ!」
その時間まではほんの数秒。あまりの速さに坂西はついに俺を追うことを諦めたようだった。しかし俺は速度を緩めない。校門を通り過ぎるまで全力疾走を続け、狙い通り奴らの包囲網から完全に抜け出すことに成功するのだった。
遠ざかる後姿を見送りながら柳川がポツリと呟く。
「あれだけ速いなんて……本当に復帰すればいいのに……」
「あはは……」
不思議そうに首を傾げる柳川に、真尋は苦笑いを返すのだった。
■おまけ
「光。もう一度、もう一度だけ言わせてくれ。僕の気持ちは以前と何も変わらない。もう一度、僕とやり直して欲しい。君が、好きなんだ」
「ごめんなさい。さっき言った通り、もう貴方とやり直せるとは思っていません。私の気持ちも、貴方からはとうに離れてしまっていますわ」
「う、嘘だ……」
「ざまぁwwwww!!」
一方、坂西君は本格的に振られて満身創痍の田仲に嘲笑われていた。
「うう、ううううっ……」
拒絶され、悲しみに顔を歪ませる坂西君だったが、そんな彼にさらに追撃を加える存在がいた。
横田真尋。城崎誠の幼馴染にして、精神的な病気持ちである。
「坂西君。今日皆の前でしゃべったマコちゃんの過去、誰にも言っちゃダメだよ?」
「……いや、しかし。光のことは抜きにしても、捻じ曲がっている城崎を放っておくわけには……!!」
「何度も言わせないで」
真尋の目には暗い光が宿っていた。有無は言わせない。その意思を目だけで物語っている。
坂西君は言いようの無い怖気を感じていた。
「わ、分かった。誰にも言わない。彼にも手は出さない。約束、する……」
「うん、マコちゃんは僕がどうにかするよ。きっとね」
どうにか、とはどういうことだ、と坂西君は聞き返したかったが、真尋から溢れ出す信じられない程の威圧感の前に二の句が継げなかった。彼は、横田真尋は城崎誠を一体どうするつもりなのだろう。
(少し同情するよ城崎。君は君で色々と抱えているらしい……)
怒りは自然と収まっていた。あるいは、城崎誠の前途多難を感じたからかもしれない。
ちなみに今後坂西君が出てくる予定は無い。
■2012/12/17
城崎君がパジャマで登校した日だったの忘れてたので辻褄あわせにジャージのくだり修正。