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呪われた女冒険者と、呪いを解けない解呪師

作者: 鳩羽ぐれ
掲載日:2026/05/23

 街の解呪工房を開いてから三年になる。

 一年前に呪いを解いた女冒険者が、月に一度、解けない「何か」を抱えて工房に来る。


 呪いではない。

 けれど、彼女が来るたび、俺の手は少しだけ止まる。


 今も、解けないまま続いている。


---


 依頼人と出会ったのは、ちょうど一年前の夜だった。


 廃坑で呪傷を負った冒険者がいると報告が入り、レオンが呼ばれた。

 奥から安全地帯へ運び込まれた冒険者は、白銀の鎧をまとったまま倒れていた。


 使える道具では解呪できず、レオンは転写解呪を選んだ。

 術者の負担が大きい危険な術式だった。

 それでも、目の前の冒険者を失ってはいけないと思った。


 呪いが抜けた瞬間、その目がわずかに開いた。

 焦点は定まらないのに、その目だけは強かった。

 暗闇の中で、綺麗だと思った。


 術の代償が来たのは、その直後だった。


 目が覚めたとき、あの冒険者はいなかった。

 先に立つ非礼を詫びる手紙と、相場の倍以上の銀貨が置かれていた。


---


 それからひと月ほど経った頃、工房の扉が開いた。


 白銀の鎧一式を抱えた女冒険者が入ってきた。

 かなりの重さのはずなのに、彼女はそれを作業台まで軽々と運んだ。

 ただ、置く直前、ほんの一瞬だけ、鎧を抱える手に力が入った。


「調べてほしい」


 それだけ言って、作業台に置いた。


 あの夜、彼女が身に着けていた鎧だった。

 性能は申し分ない。ただ、たまに重くなる気がすると彼女は言った。


 レオンは鎧を診る前に、一度だけ目を止めた。

 鎧より先に、彼女の目を見てしまった。

 その目は、変わらず強かった。


 レオンは一か所ずつ、丁寧に診ていった。


 その間、彼女は一度も急かさなかった。腕を組んで、静かに待っていた。


「今のところ、呪いの反応はありません」


「そうか」


「ただ、守護系の術式が刻まれています。調べるのに時間がかかります」


「構わない」


 置いた状態での検査では、呪いの反応はなかった。

 ただ、守護系の術式は装着者に反応する型だった。


「次に来るときは、着た状態で確認させてください」


「わかった」


 余計なことは、言わなかった。


「エルナだ。また来る」


 帰り際に、名を告げた。


 彼女の名は、冒険者ギルドでもよく聞いた。

 派手な武勇ではなく、必ず依頼を達成して戻ってくることで、知られていた。


 彼女が去ったあと、しばらく動けなかった。


---


 以来、月に一度、エルナは鎧を身に着けて工房を訪れるようになった。

 正式な検査は月に一度だけだったが、護符の調整や傷避けのまじないで、彼女はその合間にも何度か工房に顔を出した。

 護符の調整も、傷避けのまじないも、冒険者ギルドの術師で足りるはずだった。

 それでも、彼女はこの工房に来た。

 短い用件だけ済ませて帰る日も、彼女は必ず礼を言った。

 レオンが鎧を診る前に「無理はしていませんか」と聞くと、礼を言う前に少しだけ視線を逸らした。


 鎧は来るたびに、わずかに重くなっていた。

 気のせいかとも思ったが、計器は確かに数値の増加を示していた。

 気になって聞いても、「大丈夫だ」としか言わなかった。


 検査の間、エルナはいつも動かなかった。

 魔物との戦いで傷を負った翌日も、その背筋はいつもまっすぐなままだった。


 この人は、絶対に弱音を吐かないのだろう。

 その強さを、美しいと思った。

 ──それが何の感情かは、もう、薄々わかっていた。


 ただ、彼女は依頼人だった。

 踏み越えていい線ではなかった。


---


 そして今日。


 工房の扉を開けたエルナは、いつものように白銀の鎧を身に着けていた。ただ、少しだけ動きが重かった。


「鎧が、また重くなっている」


「増加の度合いは?」


「動けないほどではない。ただ、以前より明らかに重い」


 呪印反応——なし。

 魔力汚染——なし。

 外からかけられた術の痕跡——なし。


 どこを調べても、鎧は正常だった。


 検査の間、エルナは一度も動かなかった。

 鎧が重いと言いながら、その背筋はまっすぐなままだった。


 おかしい。どこを調べても何も出てこない。


 レオンは検査記録に書いた。重量変化条件——不明。翌日、もう一度来てもらうことにした。


---


 条件を変えて再検査した。

 周囲の人間の魔力が影響しているかを確かめるため、顔見知りの冒険者に声をかけ、数人に立ち会いを頼んだ。

 冒険者達が鎧に触れても、魔力試験石を近づけても、古い呪具検出器をかざしても、鎧は重くならなかった。


 最後に、レオンが近づいた。


 鎧が、重くなった。エルナがわずかによろめいた。


 レオンは反射的に肘を支えた。重い。想定の三倍はある。


「触れるな」


「倒れかけています」


「倒れていない」


「今は、そうです」


 エルナはすぐに体勢を戻した。


 検査記録に書いた。重量変化条件——レオン接近時。


 書いてから、少しだけ嫌な汗が出た。


「重さが増しています」


「支障はない」


「床が沈んでいます」


「床が弱い」


「工房の特別製です」


「……黙れ」


 次に、脈を取るため彼女の手首に触れた。

 また鎧が重くなり、エルナがわずかによろめいた。

 支えるために手首をしっかり握ると、安静時より三割ほど速かった。

 記録するには十分な数値だった。


 ただ、手首が思ったより細いことまで記録する必要はなかった。


「心拍、上昇しています」


「記録するな」


「症状ですので」


「症状ではない」


「では、何ですか」


「……言わせるな」


 耳が、少し赤くなっていた。

 レオンは一度だけ迷って、それも書いた。


「それも症状ですか」


「……症状ではない」


「では、削除しますか」


「好きにしろ」


 手が、少しだけ止まった。これも症状の一部だ、と自分に言い聞かせた。


「もう一度、条件の確認をします」


「必要か」


「あなたが平気なふりをしていないか、私にはまだ判断できません」


 返事はなかった。エルナは少しだけ視線を逸らした。


---


 夜、書庫で古文書を開いた。


 鎧の守護術式の仕組みが、そこに書いてあった。装着者の心の乱れを感知し、外部から守るために鎧を重くする——古い戦場向けの術式だった。


 呪いではない。むしろ、正常に動いている。


 問題は、何が「心の乱れ」と判断されているかだ。


 レオンはページから目を上げた。


 俺が近づいた。心拍が上がった。耳が赤くなった。

 鎧は、それを心の乱れと判断していた。


 解呪師として、これほどわかりやすい反応はなかった。

 だからこそ、書けなかった。


 それはもう、呪いの記録ではなかった。


---


 翌日の検査で、エルナがいつものように「大丈夫だ」と言った。


「私の魔力が、鎧に余計な反応をさせている可能性があります」


 言いながら、自分でも苦しい説明だと思った。


 エルナがレオンを見た。


「……それで説明がつくのか?」


「検討の余地があります」


「そうか」


 沈黙が、少し長く続いた。


---


 また検査記録を書こうとして、ペンが止まった。


 重量変化条件——


 続きを書いた。エルナの——


 そこで止まった。


 正しくない。書けなかった。消そうとした。羊皮紙が破れそうになった。


 エルナがゆっくりと近づいた。

 羊皮紙の上、途中で止まったままの文字を、静かに見下ろした。


「続きは?」


「……依頼記録には、書けません」


「そうか」


 近づいて初めて、鎧の縁にかすかな痕が見えた。

 呪いの痕跡ではない。転写解呪の、術者にしか見えない薄い返り痕だった。


 通常、装着者が鎧を買い替えれば、痕は半年で消える。

 一年残るには、同じ鎧を使い続けるしかない。


 替えられなかったのではない。

 替えなかったのだ。


 あの夜の痕を、彼女はずっと連れて歩いていた。


「……まだ、残っていたんですね」


 エルナは答えなかった。

 何の痕かを、聞き返しもしなかった。


 手甲の縁が、レオンの袖をかすかに掠めた。


「今は、依頼人としてここにいる」


「わかっています」


 ただ、手甲の指が、もう一度かすかに握られた。


 彼女の心を、症状として記録するわけにはいかなかった。


 レオンは羊皮紙を閉じた。


---


「依頼の結果を、話させてください」


 エルナが向き直った。


「これは呪いではありません」


「では何だ」


「鎧は、あなたを守ろうとしています」


「何からだ」


 答えは、もう出ていた。

 それでも、すぐには言えなかった。


「……俺から、です」


「……知っていた。たぶん、ずっと」


 エルナの唇が、わずかにそう動いた。


 鎧が、重くなった。

 言葉より先に、膝が崩れかけた。


「エルナ?」


 咄嗟に腕を伸ばし、傾いた身体を鎧ごと支えた。


 返事はなかった。

 ただ、支えた腕の中で、鎧の重さだけが残っていた。


「この重さごと、支えます」


 腕の中で、エルナの力が少し抜けた。

 それだけで、鎧はゆっくりと軽くなっていった。


「解呪は、できません」


「では、私はこのままか」


「消す必要は、ないと思います」


 レオンは羊皮紙を、もう一度閉じた。


「俺が、半分持ちます」


 言ってから、ようやく気づいた。

 これはもう、解呪師の言葉ではなかった。


 エルナは長い間、黙っていた。


 それから、小さくうなずいた。


「……ずっと、来てしまっていた」


「はい」


 レオンは、支える腕を緩めなかった。


「……重いぞ」


「この一年で、わかってます」


---


 翌日、工房の前でレオンが手を差し出した。


 鎧が少しだけ重くなった。


「つらいですか」


「違う」


「違う?」


「……今のは、嫌な重さではない」


 意味を理解するのに、一拍かかった。


「手甲を、外していいか」


「外してください」


「お前のためじゃない」


「わかっています」


「わかるな」


 レオンは少しだけ笑って、もう一度手を差し出した。


 エルナは、今度は目を逸らさなかった。

 手甲を外し、差し出された手に、自分の手を重ねた。

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