呪われた女冒険者と、呪いを解けない解呪師
街の解呪工房を開いてから三年になる。
一年前に呪いを解いた女冒険者が、月に一度、解けない「何か」を抱えて工房に来る。
呪いではない。
けれど、彼女が来るたび、俺の手は少しだけ止まる。
今も、解けないまま続いている。
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依頼人と出会ったのは、ちょうど一年前の夜だった。
廃坑で呪傷を負った冒険者がいると報告が入り、レオンが呼ばれた。
奥から安全地帯へ運び込まれた冒険者は、白銀の鎧をまとったまま倒れていた。
使える道具では解呪できず、レオンは転写解呪を選んだ。
術者の負担が大きい危険な術式だった。
それでも、目の前の冒険者を失ってはいけないと思った。
呪いが抜けた瞬間、その目がわずかに開いた。
焦点は定まらないのに、その目だけは強かった。
暗闇の中で、綺麗だと思った。
術の代償が来たのは、その直後だった。
目が覚めたとき、あの冒険者はいなかった。
先に立つ非礼を詫びる手紙と、相場の倍以上の銀貨が置かれていた。
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それからひと月ほど経った頃、工房の扉が開いた。
白銀の鎧一式を抱えた女冒険者が入ってきた。
かなりの重さのはずなのに、彼女はそれを作業台まで軽々と運んだ。
ただ、置く直前、ほんの一瞬だけ、鎧を抱える手に力が入った。
「調べてほしい」
それだけ言って、作業台に置いた。
あの夜、彼女が身に着けていた鎧だった。
性能は申し分ない。ただ、たまに重くなる気がすると彼女は言った。
レオンは鎧を診る前に、一度だけ目を止めた。
鎧より先に、彼女の目を見てしまった。
その目は、変わらず強かった。
レオンは一か所ずつ、丁寧に診ていった。
その間、彼女は一度も急かさなかった。腕を組んで、静かに待っていた。
「今のところ、呪いの反応はありません」
「そうか」
「ただ、守護系の術式が刻まれています。調べるのに時間がかかります」
「構わない」
置いた状態での検査では、呪いの反応はなかった。
ただ、守護系の術式は装着者に反応する型だった。
「次に来るときは、着た状態で確認させてください」
「わかった」
余計なことは、言わなかった。
「エルナだ。また来る」
帰り際に、名を告げた。
彼女の名は、冒険者ギルドでもよく聞いた。
派手な武勇ではなく、必ず依頼を達成して戻ってくることで、知られていた。
彼女が去ったあと、しばらく動けなかった。
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以来、月に一度、エルナは鎧を身に着けて工房を訪れるようになった。
正式な検査は月に一度だけだったが、護符の調整や傷避けのまじないで、彼女はその合間にも何度か工房に顔を出した。
護符の調整も、傷避けのまじないも、冒険者ギルドの術師で足りるはずだった。
それでも、彼女はこの工房に来た。
短い用件だけ済ませて帰る日も、彼女は必ず礼を言った。
レオンが鎧を診る前に「無理はしていませんか」と聞くと、礼を言う前に少しだけ視線を逸らした。
鎧は来るたびに、わずかに重くなっていた。
気のせいかとも思ったが、計器は確かに数値の増加を示していた。
気になって聞いても、「大丈夫だ」としか言わなかった。
検査の間、エルナはいつも動かなかった。
魔物との戦いで傷を負った翌日も、その背筋はいつもまっすぐなままだった。
この人は、絶対に弱音を吐かないのだろう。
その強さを、美しいと思った。
──それが何の感情かは、もう、薄々わかっていた。
ただ、彼女は依頼人だった。
踏み越えていい線ではなかった。
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そして今日。
工房の扉を開けたエルナは、いつものように白銀の鎧を身に着けていた。ただ、少しだけ動きが重かった。
「鎧が、また重くなっている」
「増加の度合いは?」
「動けないほどではない。ただ、以前より明らかに重い」
呪印反応——なし。
魔力汚染——なし。
外からかけられた術の痕跡——なし。
どこを調べても、鎧は正常だった。
検査の間、エルナは一度も動かなかった。
鎧が重いと言いながら、その背筋はまっすぐなままだった。
おかしい。どこを調べても何も出てこない。
レオンは検査記録に書いた。重量変化条件——不明。翌日、もう一度来てもらうことにした。
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条件を変えて再検査した。
周囲の人間の魔力が影響しているかを確かめるため、顔見知りの冒険者に声をかけ、数人に立ち会いを頼んだ。
冒険者達が鎧に触れても、魔力試験石を近づけても、古い呪具検出器をかざしても、鎧は重くならなかった。
最後に、レオンが近づいた。
鎧が、重くなった。エルナがわずかによろめいた。
レオンは反射的に肘を支えた。重い。想定の三倍はある。
「触れるな」
「倒れかけています」
「倒れていない」
「今は、そうです」
エルナはすぐに体勢を戻した。
検査記録に書いた。重量変化条件——レオン接近時。
書いてから、少しだけ嫌な汗が出た。
「重さが増しています」
「支障はない」
「床が沈んでいます」
「床が弱い」
「工房の特別製です」
「……黙れ」
次に、脈を取るため彼女の手首に触れた。
また鎧が重くなり、エルナがわずかによろめいた。
支えるために手首をしっかり握ると、安静時より三割ほど速かった。
記録するには十分な数値だった。
ただ、手首が思ったより細いことまで記録する必要はなかった。
「心拍、上昇しています」
「記録するな」
「症状ですので」
「症状ではない」
「では、何ですか」
「……言わせるな」
耳が、少し赤くなっていた。
レオンは一度だけ迷って、それも書いた。
「それも症状ですか」
「……症状ではない」
「では、削除しますか」
「好きにしろ」
手が、少しだけ止まった。これも症状の一部だ、と自分に言い聞かせた。
「もう一度、条件の確認をします」
「必要か」
「あなたが平気なふりをしていないか、私にはまだ判断できません」
返事はなかった。エルナは少しだけ視線を逸らした。
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夜、書庫で古文書を開いた。
鎧の守護術式の仕組みが、そこに書いてあった。装着者の心の乱れを感知し、外部から守るために鎧を重くする——古い戦場向けの術式だった。
呪いではない。むしろ、正常に動いている。
問題は、何が「心の乱れ」と判断されているかだ。
レオンはページから目を上げた。
俺が近づいた。心拍が上がった。耳が赤くなった。
鎧は、それを心の乱れと判断していた。
解呪師として、これほどわかりやすい反応はなかった。
だからこそ、書けなかった。
それはもう、呪いの記録ではなかった。
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翌日の検査で、エルナがいつものように「大丈夫だ」と言った。
「私の魔力が、鎧に余計な反応をさせている可能性があります」
言いながら、自分でも苦しい説明だと思った。
エルナがレオンを見た。
「……それで説明がつくのか?」
「検討の余地があります」
「そうか」
沈黙が、少し長く続いた。
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また検査記録を書こうとして、ペンが止まった。
重量変化条件——
続きを書いた。エルナの——
そこで止まった。
正しくない。書けなかった。消そうとした。羊皮紙が破れそうになった。
エルナがゆっくりと近づいた。
羊皮紙の上、途中で止まったままの文字を、静かに見下ろした。
「続きは?」
「……依頼記録には、書けません」
「そうか」
近づいて初めて、鎧の縁にかすかな痕が見えた。
呪いの痕跡ではない。転写解呪の、術者にしか見えない薄い返り痕だった。
通常、装着者が鎧を買い替えれば、痕は半年で消える。
一年残るには、同じ鎧を使い続けるしかない。
替えられなかったのではない。
替えなかったのだ。
あの夜の痕を、彼女はずっと連れて歩いていた。
「……まだ、残っていたんですね」
エルナは答えなかった。
何の痕かを、聞き返しもしなかった。
手甲の縁が、レオンの袖をかすかに掠めた。
「今は、依頼人としてここにいる」
「わかっています」
ただ、手甲の指が、もう一度かすかに握られた。
彼女の心を、症状として記録するわけにはいかなかった。
レオンは羊皮紙を閉じた。
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「依頼の結果を、話させてください」
エルナが向き直った。
「これは呪いではありません」
「では何だ」
「鎧は、あなたを守ろうとしています」
「何からだ」
答えは、もう出ていた。
それでも、すぐには言えなかった。
「……俺から、です」
「……知っていた。たぶん、ずっと」
エルナの唇が、わずかにそう動いた。
鎧が、重くなった。
言葉より先に、膝が崩れかけた。
「エルナ?」
咄嗟に腕を伸ばし、傾いた身体を鎧ごと支えた。
返事はなかった。
ただ、支えた腕の中で、鎧の重さだけが残っていた。
「この重さごと、支えます」
腕の中で、エルナの力が少し抜けた。
それだけで、鎧はゆっくりと軽くなっていった。
「解呪は、できません」
「では、私はこのままか」
「消す必要は、ないと思います」
レオンは羊皮紙を、もう一度閉じた。
「俺が、半分持ちます」
言ってから、ようやく気づいた。
これはもう、解呪師の言葉ではなかった。
エルナは長い間、黙っていた。
それから、小さくうなずいた。
「……ずっと、来てしまっていた」
「はい」
レオンは、支える腕を緩めなかった。
「……重いぞ」
「この一年で、わかってます」
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翌日、工房の前でレオンが手を差し出した。
鎧が少しだけ重くなった。
「つらいですか」
「違う」
「違う?」
「……今のは、嫌な重さではない」
意味を理解するのに、一拍かかった。
「手甲を、外していいか」
「外してください」
「お前のためじゃない」
「わかっています」
「わかるな」
レオンは少しだけ笑って、もう一度手を差し出した。
エルナは、今度は目を逸らさなかった。
手甲を外し、差し出された手に、自分の手を重ねた。




