外伝 「ユウ」と「サオリ」
見覚えのある部屋の中で、サオリは小さく欠伸をしながら目を覚ました。眠気で下がる瞼をこすりながら、辺りを見渡す。
(……私、寝てた?)
ぼんやりとした意識で、サオリは自分が自室で寝ていた事を思い出す。ユウの家から帰ってきた時に、ベットに寝ていた自分の姿が頭に浮かんできた。
(今日は土曜日だし、もっかい寝よう)
サオリはベットの下にしまっていた兄の姿を模した人形を取り出し、それを抱きしめる。そしてベットに寝転がると、襲い来る眠気を受け入れる。――しかしそれを打ち破るように、サオリの携帯が着信音を鳴らした。サオリは仕方なく近くに置いていた携帯を取り、メッセージアプリを開く。
「……父さん?」
メッセージの送り主は、サオリの父親だった。現在離婚による別居状態にある父親が自分に連絡を掛けるなんて珍しい。普段はあまり連絡なんて掛けてこないのに。サオリはメッセージを開き、内容を確認した。
「……大事な話がある、明日私の家まで来て欲しい……?」
その内容は、ユウのいる家まで来て欲しいというものだった。特に断る理由もなかったので、「分かった」とメッセージを返し、サオリは人形を抱いたままベットの上で二度寝を始めた。
翌日。朝方に軽く支度をし、出掛けようとするサオリに、母親が声を掛けてきた。
「……サオリ?こんな時間に何処へ行くの?」
「買い物」
「……そう。無駄遣いしちゃ駄目よ。あと私は仕事に行って留守にするから、鍵を持っていきなさい」
「分かった」
サオリは鍵を受け取り、そそくさと家を出た。
「……来たか、サオリ」
「おはよう、父さん。ユウ」
「おはよう、サオリ……」
ユウの家に着くと、家の外で父親とユウが待っていた。父はいつも通りの仏頂面で、休日だというのにスーツに身を包んでいた。ユウは簡素な服装で、まだ寝起きなのか少し眠そうにしていた。
「車を出す。少し遠くまで行くが、時間は大丈夫か?」
「大丈夫。今日は日曜日だし」
「そうか。……ユウ、眠いなら車で寝ていなさい」
「うん、分かった……」
父はユウを車に乗せ、サオリも車に乗り込む。久しぶりに乗った父の車は、以前とあまり変わっていないように見えた。
「サオリ、一応聞いておくが、母さんには私の所へ行くことを伝えていないな?」
「うん」
「……それならいい。では出発するぞ」
父は車のエンジンを掛け、ゆっくりと車を運転し始めた。
しばらくして、車は何処かの駐車場に到着した。
「……ここ、何処?」
「まだここは目的地じゃない。ここに車を停めて、少し歩くぞ」
父はそう言うと、眠っていたユウを起こし、サオリと一緒に車を降りる。外の景色はあまり見慣れないもので、建物もサオリの住んでいる所とは比較的少なく、畑がちらほら目に入った。
「……どうした、サオリ。何か面白いものでもあったか?」
サオリが辺りを見渡していると、相変わらず仏頂面の父が声を掛けてくる。
「こんな所に来たことがないから、新鮮」
「そうか」
短く返事をし、父は再び前を向いて歩き出す。――母と離婚し、義理の兄が亡くなってからというもの、父はどうにも以前のように振る舞わなくなった。前はもう少し明るい雰囲気だったはずだが、今や実の娘や息子にもそっけない反応をするようになってしまった。
「……父さん、いきなりどうしたんだろうね」
「……分からない」
ユウが小声で話してきたので、サオリは同じく小声で返事をする。前を歩く父の表情は読み取れず、父自身もあまり喋ることはなかった。
「……着いたぞ、二人共」
しばらくして、父は足を止めた。サオリとユウは父の背中からその場所を見て……目を剥いた。
「ここって……」
「……墓地?」
目の前にあるのは、いくつかの墓石だった。碁盤の目のように墓石が並んでおり、今は人がいなかった。
「二人共、着いてきてくれ」
父は再び歩き出す。そして少し移動した後、ある墓石の前で立ち止まる。
「父さん、ここって……」
「ここは、お前達の兄……###が眠っている所だ」
「「!」」
サオリとユウは同時に驚き、墓石に目を向ける。墓石にはいくつか花が添えられており、墓石自体は綺麗に掃除されていた。
「お兄ちゃんの、お墓?」
「……そうだ。葬儀を終えた後、私の独断でここに墓を建てた」
父はそう言って墓石に水を掛け、線香を立てる。そして律儀に手を合わせ、祈るように目を閉じた。その様子を見て、サオリとユウも同じように手を合わせる。父はお参りを終えると、二人の方に向き直った。
「今日ここに来たのは、###の墓参りと……お前達に、伝えておきたいことがあったんだ」
「僕達に?」
「ああ……###についてのことだ」
父は墓石の方を見ながら、淡々と語りだした。
――――
数十年も前の話だ。私には一人の姉がいた。穏やかで優しく、慈悲深い心を持った姉だった。昔の姉は身体が弱く、私と比べて外に出ることは少なかった。しかし、その時の姉は伴侶を見つけたと言うこともあってか、本当に元気そうだった。私は丁度妻と立ち上げた会社が上手くいった所で、姉と関わることはほぼなかった。……しばらくして、姉に子供が生まれたというのを電話越しに聞いた。感情の起伏が少ないあの姉が嬉しそうに話していたのをよく覚えている。名を###と名付け、私も忙しいなりに祝いの品を送ったりして……あの頃は、全てが上手くいっていた。だが、それを全て塗り替えてしまうような出来事が起こった。姉の夫――義理の兄が交通事故で亡くなったのだという。それで精神をやられたのか、姉の持病が再発してしまい、義理の兄の後を追うように姉は亡くなってしまった。それが、まだ###が二歳の頃だった。###は親戚を回って施設に預けられ、仕事で手が離せなかった私は、ついに###に会うことはなかった。
――それから二年後。ユウとサオリが三歳になった頃。私はやっと###に会うことが出来た。施設を訪問し、###に該当する子供を探し……私はやっと彼に出会った。
――あんた、だれだよ。
###は冷たい瞳で私を見て、明らかに警戒した様子でそう言った。私はその時に自分の愚かさを痛感した。幼い頃に両親を失い、親戚からは邪魔者だというようにたらい回しにされ、彼の大人に対する警戒心は並大抵のものではないだろう。私はただ、姉が遺した子供を一目見たい、救ってやりたいということしか考えていなかったのだ。……それを悟った私は、気づけば、無意識に彼に話しかけていた。
――私は、君の母親の弟だ。
――おとうと?あんたが?
――私は、君を引き取りに来た。
――あっそ。どうせあとですてるんだろ。しってる。
――そんな事はしない。君は私にとって大切な存在だ。絶対に、捨てるなんて事はないと約束しよう。
――あやしい。
――疑ってくれても構わない。だが、私の所に来れば、今より良い生活を送らせると約束しよう。
――ほんとに?なら……
何度も問答を繰り返した末に、ようやく彼からOKを引き出すことが出来た。……私がここまでして彼を引き取った理由は、姉の意志を無為にしないためだ。姉は生前、「この子が健やかに育って欲しい」と言っていた。だから、彼が親戚にたらい回しにされている話を耳にした時、私は彼を引き取る決意をしたのだ。
――やくそく、まもれよ?
彼はその時、こう言っていた。私は「任せてくれ」と答え、彼の期待に応えられる存在になろうと……そんな事を考えていた。しかし、現実はそうはならなかった。
――あなたは二人の使用人として、二人の手助けをしなさい。
これは、私の妻……つまり、ユウとサオリの母親が言ったことだ。過保護なまでにユウとサオリを愛していた彼女は、###が二人に変な影響を与えないようにそんな恐ろしい事を言ったのだ。妻は裕福な家庭の出身で、自分とは身分の違うものを見下していた。そういう一面があるということは知っていたのだが、まさか###にそんな事をするとは思えなかった。完全な判断ミス。私の未熟さが招いた最低で最悪なミス。それは###との約束を蔑ろにした、裏切り行為そのものだった。止めようと試みても、政略結婚で会社の資金の援助などをしてくれている彼女を無下にすることは出来ず、###を盾に脅して来た彼女に逆らう事は出来なかった。結局は私も、妻の行動に従うしかなかった。私は結局、彼にとっての最低最悪の親になってしまったのだ。
「……そこから、###は二人の見ていない所で、使用人として動いていた。二人のサポートをするために」
「「…………」」
父の話を聞き終えたユウとサオリは、啞然とした顔で父の横顔を見つめていた。父は無表情で、墓石を見つめている。
「な、なにそれ……」
先に声を上げたのはユウだった。彼は怒りと悲しみが混じったような複雑な表情で、父に詰め寄る。
「そんな……兄さんの事を、一体なんだと……!」
「ユウ……」
「僕達のサポート!?そんな事のために、兄さんを理由していたなんて……!」
許せない。喉まで出ていた言葉を、ユウは引っ込めた。父の表情がどこまでも無表情だったからだ。動じることもなく、言い返すこともなく。ただ、墓石を見ていた。ユウの目には、父の姿がまるで、罰を受け入れる罪人のように見えていた。
「……私はせめてもの救いとして、時折自由な時間を与えていた。妻に気付かれないように。その間だけ、彼は二人の兄になることを許されていた」
「…………」
「このままではいけないと思い、妻と別れ、###をこちらで引き取ろうとした……しかし、気づいた時には……手遅れだった」
父は視線を下に向け、少し顔を歪めた。
「事故で###が亡くなったと聞いた時、私は……全てを失ったかのような錯覚を覚えたよ。そこで気がついた。私は彼を救いたいなどとのたまいながら、ずっと自分の事しか考えていなかった。私のしていたことは、ただの自己満足に過ぎないものだった」
「……父さん」
「これがお前達に伝えておきたかったことだ。お前達は###に懐いていたからな。これを伝える必要があると考えた」
「なんで……父さんはそんなに、平然としているの?」
ユウは父の胸倉を掴み、その顔を睨んだ。
「僕達はそれを知って、どうすればいいの?父さんを怒ったらいいの?それとも、許したらいいの?」
「……何かのはずみにこの事を知ってしまったら、もっとショックを受けるだろうと思ってな」
父はユウの目を見て、そう言った。ユウの顔が怒りに染まり、視線が鋭くなる。
「そんなの、答えになってない――」
「父さん」
ユウの言葉を遮って、凛とした声が響く。――声の主は、今まで黙っていたサオリだった。サオリはいつもの無表情で、父を見ている。
「もう一度聞く。父さんは、なんでこの話をしたの?」
「……サオリ?」
「正直に言って。私の前で、隠し事は無意味」
サオリはユウの前に立って、父を見つめる。その瞳から感情を読み取る事は出来ない。ただ、真剣に父を見つめていることは明らかだった。
「……はぁ、やはり、お前達には敵わないな」
父は諦めたようにため息をつく。ずっと無表情だったその顔が、少し崩れたように見えた。
「この話をした理由は二つ。一つは、お前達には隠し事をしたくないというもの。もう一つは……私の贖罪だ」
「……贖罪?」
「私は罪を犯した。無責任に###を引き取り、挙げ句の果てには死なせてしまった。全て私の未熟さによるものだ。普段お前達に立派な人間に育つように、と言っている私が、そのような罪を犯したなど、笑えぬ話だろう?――だから私は、お前達に罪を告白した」
「……それが、贖罪?」
「……いや、違う。この程度の事で罪が消えるわけではないことは分かっている。お前達にこの話をしたのは……私を、裁いて欲しかったからだ」
父はそこまで言うと、途端に真剣な表情となる。ユウは話の流れが掴めず、首を傾げるだけだ。サオリは、真剣な様子でじっと父を見つめていた。
「この話を聞いて、お前達は私に何の罰を与える?――私が聞きたかったことは、それだけだ」
「罰、って……」
父は俯いた。何処か遠い目をしながら、二人の言葉を待つために押し黙る。ユウは戸惑いながら父の方を見ていた。
「――ふざけないで」
声を発したのはサオリだった。表情は全く変わっていなかったが、彼女は剣呑な雰囲気を発しながら父にそう言った。いつもとは違う彼女の様子に、父は驚いたようにサオリを見る。
「罰って何?そんなくだらない事を考えて何になるの?」
「……サオリ」
「確かに父さんは、最低な事をしたのかもしれない。罰を受けるべきなのかもしれない。けど、それを私達に委ねてもいいの?」
「どういう、ことだ?」
「父さんが罰を受けて、それで贖罪は終わるわけじゃない。父さんはこれからもずっとそれを背負っていく。それは父さんの言った通り、自己満足で……あまりにも自分勝手」
サオリは少し怒ったように、冷たい声で言った。
「……ちゃんとお兄ちゃんの事を考えてるなら、分かるはず。そんな事を、お兄ちゃんが許すと思う?」
父は目を見開いた。そして、顔を逸らした。その表情は苦痛で歪んでいたように見えた。
「お兄ちゃんなら、他人に自分の結末を委ねるようなことはしない。勝手に一人で背負い込んで、何でもないように振る舞って……きっと私達にそれを明かすことなんてしない。そうするしかない状況に追い込まれたのなら」
「…………」
父は黙ってしまった。しかし、サオリの中を渦巻く激情が収まることはない。きっとさっきのユウと同じ、いやそれ以上に怒りを感じているのだろう。そんな自分を、サオリは少し意外に思った。
「父さんがするべきことは、罰を受けることじゃない。――これから先、谷口###って人がいたことをずっと背負っていくこと。それが、父さんと……私達の役目」
サオリはユウの方を見て、手を伸ばした。ユウは一瞬きょとんとしたが、顔を引き締めてサオリの手を取る。そして二人で一緒に、父の方を見て……手を差し伸ばした。
「父さん、自分を許して欲しいなら……贖罪を果たしたいなら、この手を取って」
父は一瞬、驚いたような表情を浮かべ、二人を見る。二人の表情は、かつての###を思い出させるような、強い意志をもったものだった。
「……これも###が遺したものか」
「父さん?」
「何でもない。……すまなかった、二人共。情けない姿を見せてしまったな」
「別にいい」
「私の答えは……決まった」
父は躊躇いがちに二人の手を取った。それを見て、サオリは満足げに頷いた。
「ユウも、これでいい?」
「う、うん。まだ、完全に許したわけじゃないけど……サオリが、言いたいこと全部言ってくれたから」
「なら、良かった。……ねぇ、父さん」
「……なんだ」
サオリは父の方を見て、いつもの調子でこう言った。
「父さんの家に、私の作ったお兄ちゃんグッズ置いていい?作り過ぎて、母さんに見られないようにするのが限界になってきた」
「……えっ」
「いいよね?贖罪だし。お兄ちゃんが私の推しになったのは父さんのせいでもあるし」
「か、構わないが……」
「サオリ……やけに真剣だと思ったら……」
「?私、何か変なこと言った?」
ユウの呆れたような視線を受けながら、サオリはきょとんとした様子で首を傾げた。――それからしばらくは、どこか穏やかな雰囲気が続くのだった。




