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第五十九話 変化


()()は弱い人間だった。幼い頃から身体が弱く、彼女の世界は自分の部屋だけであった。頼れるのは自分の両親だけで、彼女自身に何かを成し遂げる力はなかった。親の愛情を受けて育ったが、何も出来ないがゆえの歯痒さが、彼女の自尊心を失わせた。

――そんな折、成人した彼女はある男と出会った。親がお見合いで連れてきた、優しそうな男だった。彼は、彼女と対等に接し、蔑むことも無く、彼女への愛を語った。やがて彼女も彼に惹かれ、二人は結ばれた。子供も生まれ、これから平和な日々が始まるのだと……そう()()()()()()()()。そんなある日、彼は事故で亡くなった。子が生まれてから二年、歩道に突っ込んだ酔っ払い運転の車に巻き込まれたのだ。彼女はショックを受けた。こんなにも残酷な事があっていいのかと思った。悲しみに暮れる中、彼女はある決意をした。

――この子だけは、私が守ってみせる。

彼と育んだ命を、失ってはいけない。そう強く思った彼女は、それだけを胸に刻んだ。しかし、不幸というのは重なるものである。彼を失った精神的ショックで、彼女の持病が再発したのだ。自分を幾度も苦しめ、死の恐怖に陥れたそれは、彼女に再び死神の鎌を向けた。このままでは、この子は一人になってしまう。まだ生まれて三年にも満たない子供を、生涯一人にすることの恐ろしさを、その時に感じた。何か――何かないのか。

――そうだ、両親に。

彼女の両親なら、この子を救ってくれるはずだ。そう思い、両親に連絡を取ろうとしたが、その時にはもう既に、そんな気力も無くなっていた。

(誰か、この子を――)

彼女の叫びは、胸中にのみ響いた。両親に祈った。神にも仏にも祈った。もし自分が死んだとしても、この子を救ってくれるように。彼女は朦朧と携帯に「119」と入力し、電話をかけ…………そこで、事切れた。無情な携帯の音が子のいる室内に響き、子はぼんやりと天井を眺めていた。

「…………」

子は何も口にしない。泣くことも、誰かに呼びかけることもせず、ただ天井を見つめていた。――するとそこに、黒いモヤが現れた。

≪ほう、我を呼んだのは貴様か≫

子の耳に、不思議な声が響いた。子はそれを解することはなく、ただ天井ばかりを見つめている。

≪死の間際に感じる強い欲望。……我の耳に、はっきりと届いたわ≫

モヤは異形の怪物を形作り、事切れた彼女を覗き込む。その瞳は何の光も宿しておらず、怪物は無感情に彼女を見つめた。

≪よし。貴様の願い、我が叶えてやろうではないか。貴様の欲望を用いて、具現化してやる≫

モヤは彼女を見るのを止め、子の方に目を向けた。

≪……少し歴史が変わるかもしれんが、問題ない。ただの辻褄合わせだ≫

そう言うと、黒いモヤは光りを放ち、辺りを包み込む。子は自らに起こっている状況を理解出来ず、ぼんやりと首を傾げるだけである。やがて光は強くなり、子のいたはずの所は跡形も無くなっていた。

≪これでよし。あの子供は、()()()()()()()()

黒いモヤはフッと笑うと、ベッドに横たわる彼女の遺体に向き直る。黒いモヤは彼女に向かって、落ち着いた声で語りかけた。

≪貴様の願いは果たした。これがどう転ぶかは、我にも分からぬが……≫

黒いモヤは光を放ち、彼女の顔を照らす。

≪もしあの子供が困ることがあったら、我の力を貸してやろう。良い欲望を見せてもらった褒美だ≫

次の瞬間、黒いモヤは姿を消した。


私には前世の記憶がある。それは、####ルミ、として生きた記憶だ。昔から身体が弱く、自分の部屋から一歩も出れなかった私は、ひたすらに両親の愛を受けて育った。それは自分の弱さに不甲斐なさを感じていた私には、少しばかり重たいものだった。贅沢かもしれないが、その生活が辛かった。しかしある時、親が連れてきた見合い相手に出会い、私の人生は変わった。彼は友人もいなかった私に優しく接してくれて、身体が弱いからと蔑むこともなかった。そんな彼と私が結ばれるのにそこまで時間は掛からず、結婚してしばらく、子供も生まれた。これから新しい生活が始まると期待していたのだが……彼は交通事故で亡くなり、私は持病を再発して亡くなった。たった一人の幼い子供を残して。

(最低です、私は……あの子は二歳にも満たなかったのに、あの子一人を置いていくなんて……)

――――。私と彼の可愛い子供。彼だけでなく私まで死んでしまったのなら、彼は一体どうやって生きていくというのか。転生し、記憶を取り戻してからずっと、私はそれだけが気掛かりだった。

「エメルナー、あなたここに置いておいた剣知らない?」

「え、えっと……見てないです」

作業をしていた私の前に現れたのは、綺麗な青髪と赤い瞳が特徴的な女性。名をシェリィといい、今世の私……エメルナの親のような存在だ。孤児だった私を引き取り、大切に育ててもらっている。

「うーん、どこやったかしらね。まぁ、別の剣で良いか」

シェリィさんは近くから剣を取ると、私の方をじっと見る。

「……あなた、また考え事してたの?」

「あ……すみません」

「良いわよ別に。子供は悩むものよ。まぁでも、今お客さんが来てるから、ちゃんと気を引き締めてね」

「は、はい」

シェリィさんはこの町で有名な鍛冶師。街の外れにあるこの鍛冶屋には、よくお客さんが来る。一人だと回らないということで、私も仕事を手伝っているのだ。

「あの……棚の整理が終わったので、何か手伝いましょうか?」

「ん?そうね……じゃあお客さんにお茶でも出しておいて。わたしはここで剣を探すから」

「わかりました」

シェリィさんに背を向け、私は茶を淹れるための道具を探す。そしてぎこちない所作でお茶を淹れ、お盆に乗せて店の表へ。

「いらっしゃいませ……お茶を淹れてきました」

「おお、わざわざすまんの」

私はお客さん用の椅子に座る紫髪の少女にお茶を淹れたコップを渡すと、隣に座っている人達にもお茶を渡す。

「ありがとうございます。ほら、ユウさん」

「どうも……ってあっつ!?何でアオイさん素手で持ててるんですか!」

「す、すみません」

慌てて頭を下げる。どうやら少し冷ますのを忘れていたらしい。……どうして前の二人は無事だったのだろう。少年は隣の青髪の女性にコップを返すと、手を息で冷ましていた。

「…………?」

少年の方に目を留めた私はふと、何か違和感を感じた。というのも、少年の顔に何処か見覚えがあったからだ。()()()()()()()()。それが、私の脳裏にあるものを浮かべさせた。

(――――……?)

それは、私が置いていったあの子だった。






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