第五十七話 弟の葛藤
母の真実を知った僕は、それを忘れ去ろうとするようにサオリの原稿用紙を漁っていた。とにかく兄さんに会いたい。会って確かめたい。母さんから何をされていたのか。そもそも、母さんの言っていた事は本当なのか。そんな思いで原稿用紙を漁っていると、ふと、気になるものを見つけた。それは、僕が見た異世界に渡れる剣についての話だった。その話には、続きがあった。
「……欲望の大悪魔?」
魔神は封じられる直前、自らの力を分割し、悪魔と天使を生み出した。一方は秩序の大天使と呼ばれ、もう一方は欲望の大悪魔と呼ばれた。魔神は彼らに後を託したらしい。彼らは今もどこかの世界に潜み、魔神の力を絶やさぬようにしているのだとか。……その中で、僕が気になったのは、欲望の大悪魔についての話だ。魔神の欲望から生まれた彼は、契約した者の願いを叶える力を持っているそうだ。これだ、と思った。これなら兄さんに会いに行けるだろう。そしてその悪魔を呼ぶ方法は……異世界から持ち込まれた物を器にして、強く念じればいい。――僕はサオリの机にある、兄さんにもらったお守りを見た。僕とサオリが兄さんにあげたもので、兄さんから託されたもの。異世界から来たこれなら、器に出来るかもしれない。
「兄さん、待っててね……」
僕は薄暗い笑みを浮かべてそう言うと、お守りを握りしめる。僕は早速、悪魔を呼ぶ準備をした。ものは試し、というやつだ。
(兄さんに会って、母さんの言ってた事の真偽を確認する。そして、それが本当だった暁には……)
僕は脳裏に母さんの姿を思い浮かべながら、笑みを消した。僕の瞳には、黒く薄暗い光が宿っていた。
(兄さんと同じ気持ちを味わってもらう。どんな手段を使っても)
月の光が、真っ直ぐと僕を照らしていた。
――――の弟――黒い悪魔のような姿のユウと相まみえたフラム達は、驚きのあまり攻撃の手を止めた。ユウはそれに構わず、黒い大剣を振り回しながら襲いかかってくる。
「ぐあっ」
シオンが剣で吹き飛ばされ、岩場を転がる。続いて、ユウはエイカの方に剣を向ける。エイカはハッと我に返り、拳を構えた。
「≪オニキスブレイク≫!」
「…………!」
ユウはエイカの拳を避け、剣を地に向ける。すると、地面から巨大な剣が現れ、エイカはその衝撃のあおりを受けた。
「うっ」
エイカはシオンと同じように地面を転がり、岩に頭をぶつけて気を失った。ユウは態勢を立て直すと、首をぐるりとフラムに向ける。フラムの側には怯えたユウの兄と、サオリの姿がある。ユウはゆっくりと近づいていき、再び剣を構える。
「…………」
「ふ、フラムさん……」
「……大丈夫よ、私がなんとかするわ」
フラムは覚悟を決めた表情で槍を向け、ユウに相対する。槍を向けられたユウは、視線をぐるりと変え、彼の兄の方へ向ける。――そのまま、ユウは兄の方に飛びかかった。
「させないわ!≪フレイムブレイク≫!」
「…………!」
フラムが槍を振り回すと、ユウは即座に方向を変え、剣を振るった。剣から出た黒い斬撃がフラムに襲いかかる。
「フラムさん!」
サオリの叫びがフラムの耳に届く。フラムは斬撃を避けようとするが、それに合わせて次々と斬撃が放たれる。ユウを攻撃する隙がなく、フラムは徐々に体力を奪われていく。
(駄目、このままじゃ……)
ユウの兄――自分の仲間が連れ去られてしまう。そうなってしまえば、こちらの負けだ。もしかしたら危害を加えられて、殺されるかもしれない。そう思うと、フラムの全身に怖気が走った。
「ユウ、止めて!ユウ!」
サオリが必死に呼びかけるが、ユウに届いた様子はない。それどころか更に斬撃を放ってくる。このままではフラムもシオン達と同じように、戦闘不能にされてしまうだろう。
(――――……!)
思わず胸中で彼の名前を呼んだ。自分が呼ぶことも許されていない彼の名前。何故今それが思い浮かんだか分からないが、気づけばフラムはその名前を頭に浮かべていた。そんな彼女の事はお構い無しに、ユウはフラムに一際大きな斬撃を放つ。
「あっ……!」
今までとは格の違う、目の前に迫る斬撃を見据えながら、フラムが槍を構えた時――――ガチリ、と音がした。それを聞いた途端、何故かフラムの意識は途絶えた。
「……どうやら、間に合ったようだな」
フラム達のいる岩場の一部が光り、低い声と共に、神秘的な服装をした男が現れた。男は動きを止めているユウの方を見ると、剣で斬りつけた。すると怪物のような姿だったユウの姿が元に戻る。しかし、ユウは動く素振りもない。謎の男の参戦に驚く声も響かない。当然だ、この場にいるものは一ミリも動いていないのだから。まるで時が止まったかのように、フラムやユウはその場から動かない。……いや、ただ一人だけ、この場で動けるものがいた。ユウの兄である男、――――……彼の仲間以外にその名を知っている男は、先程からびくびくとこちらの様子を伺っている彼に目を向けた。そして手を翳すと、彼の姿もユウと同じように元の姿に戻る。途端、彼はぼんやりと男の方を見た。
「うぁ……?何処だここ?」
「目が覚めたか、異世界人」
「ん?……あんた誰?」
彼は驚くでもなく男を見つめ、警戒したように後ずさる。男は手に持っていた剣を鞘に収めると、優雅な所作でお辞儀をした。
「俺はスレイプニール。この世界の管理人みたいなものだ。君達のような魂をこの世界に送るといった取り組みをしている」
「はぁ……ええっ!?てことは、天使さん!?」
「少し違うな。天使は俺の部下だ。俺は彼らを取り仕切っている……まぁ君達の世界で言う、社長というものに近い」
「な、なるほど……」
彼はスレイプニールの言葉に狼狽えながらも、なんとか言葉を繋ぐ。そして、恐る恐る疑問を口にした。
「あの、ここはどこなんですかね。俺、妹を庇った辺りから記憶ないんですけど……」
「ここは……辺境の山だ。君の弟……谷口ユウが君達をここに連れてきた」
「えっ、山?それにユウって……」
彼が辺りにいる人影を見渡すと、虚ろな表情で動きを止めているユウを見つけた。
「ユウ……?それに、フラムにサオリまで……」
「彼らは交戦中だったが、あの少女が斬撃を受けそうだったのでな。今は俺が時を止めている」
「交戦中!?なんすかそれ!」
彼はスレイプニールの方にぐるりと首を向け、頭に浮かんだ疑問を叫ぶ。弟がそんな事をするなんて信じられない、といったような表情だった。
「君の弟は、君の過去を知った。そして異世界を渡る力……≪悪魔の力≫を得て、とある人物に危害を加えようとしていた」
「悪魔の力?過去?」
「しかし彼は力を制御出来ず、悪魔と精神が混ざってしまった。彼の中の悪魔は無理やりこの世界の扉をこじ開けた」
「……??」
彼はわけが分からないといった様子で首を傾げた。スレイプニールはそれを見て、ふむ、と顎に手を当てる。
「要するに、君の弟は危険な力に手を出し、世界を危機に晒そうとしたんだ」
「……!?そんな事あるわけ……」
「現に君は小さな子供の姿にされ、弟君は君を連れ去ろうとした。さらに、この世界の扉に危害を加えたんだ」
スレイプニールの言葉に、彼はぐっ、と呻いた。スレイプニールは真剣な瞳で彼を見つめる。
「そして、俺はなんとか弟君を見つけて、惨事が起きるのを止め、君を元に戻したわけだ。これが君の置かれた状況だよ」
「……そう、ですか」
「そうだ。だが、この話はこれで終わりじゃない」
スレイプニールは彼から目を離すと、ユウのいる方を向いた。そこにいるのは先程と同じ、虚ろな表情をしたユウだった。
「これから話すのは、あの弟君の話だ」
「……?」
「端的に言おう。弟君――谷口ユウには何らかの罰を与える必要がある」
「なっ!?」
彼は驚愕の表情を浮かべる。そんな彼を尻目に、スレイプニールは真剣な表情で話を続ける。
「前のような状況なら、送り返して終わりだが……今回、谷口ユウは無理やりこちらの世界に来た。そのせいで、この世界の一部が歪み、不安定な状態になっている」
「…………」
「この世界の管理人としては、二度とこのような事態が起こらないようにしなければならない。世界の歪みが何を引き起こすか分からないからな」
「そんな……」
「俺としても不本意だが、これは決まりなんだ」
スレイプニールの言葉に、彼は俯いた。その表情は悲痛さを感じさせるもので、今の彼の心情が容易に読み取ることができた。
「……罰って、何ですか?」
彼の問いに、スレイプニールは端的に答えた。
「……この世界に関する記憶、そして、この状況を引き起こした原因……つまり、君に関する記憶を抹消する」
「え……?」
彼は言葉を失った。それはつまり、弟から忘れられるということ。――この世界で再会した時の記憶も、忘れられてしまうということ。実質的に、彼とユウを、兄弟からただの他人に変えるということだ。それは彼にとって、とても恐ろしく、悲しい事だった。
「そんな…………じゃ、じゃあサオリは!?サオリはどうなるんですか!?」
「もちろん、彼女の記憶も消える。記憶というのは人の人生そのものだ。それを無かったことにするのだから、当然君に関わるもの全ての記憶が無くなる」
「嘘、だろ……」
「ああ、この世界にいる君の友達は大丈夫だ。彼女は既にこちらの世界の住民だからな」
「…………」
彼は呆然とした。弟だけでなく妹にまで忘れられるというのは、彼、そしてユウとサオリにとって最も残酷な罰だった。
「……すまないな。もう一度言うが、これは決まりなんだ。人間に手を加えるのは好きじゃないが……」
「……他に方法はないんですか」
「いや、これが一番マシな罰なんだ。前の事もあるし、せめて低いレベルを、と思ってな」
「……そうですか」
スレイプニールの声色は優しかったが、彼には、譲歩してやった、とも聞こえるものだった。俯いた彼に、スレイプニールは少し遠慮がちに声をかける。
「……そう落ち込まないでくれ。もし谷口ユウがもう一度決まりを破るような兆しがなければ、罰を無くすことも出来る」
「……っ、ふざけるなよ、それで慰めたつもり――」
言いかけて、止めた。決まった事についてうだうだ言っても仕方がない。彼はその場にへたり込むと、ボソリと呟いた。
「……罰は、無くなるかもしれないんだよな?」
「ああ、管理人として、嘘はないと誓おう」
「なら、とっとと罰とやらをやってくれ」
「……そうさせてもらおう」
スレイプニールは手を天に翳すと、赤い鎖を生み出す。それらはその場にいるユウとサオリの元に巻き付くと、うっすらと姿を消した。
「……罰は与えた。送還はこちらで行おう。君達は俺の術で、彼らと出会う前の場所に戻す。……ちなみに、君以外の人物のこの一連の出来事の記憶も、失われる」
「……それって、フラム達もユウとサオリを忘れるってことか?」
「いいや、存在は覚えている。しかし、彼らに二回目に出会った時からの記憶はなくなってしまう」
「……そうか」
彼はそれだけ言うと、地面に視線を落とした。スレイプニールは一瞬だけ悲しそうな表情になるがすぐに我に返り、再び天に手を翳す。
「……それでは、送還を行う」
「…………」
彼の足元が赤く光り、魔法陣のような紋様が現れる。光りはさらに強まり、彼らを覆い尽くそうとする。
光は彼らの視界を奪い、そして一瞬のうちに姿を消した。
――――
「……あれ?」
気がついたら、僕――谷口ユウはサオリの家の玄関に寝転んでいた。ふと隣を見ると、サオリが気持ちよさそうな寝顔で寝ているのが見えた。……なんで僕、こんな所で寝ていたんだろう?
「起きてよサオリ、風邪引いちゃうよ?」
「……ううん」
「うーん、起きない……そうだ、母さんを呼んで……」
ポタリ。
「ん?」
顔から何かが流れ落ちたような気がして、僕は動きを止めた。顔に手を当てると、目の周りが少し濡れていた。それに気づいた途端、僕の両目からポロポロと涙が流れ始めた。
「あ、あれ……?なんで……?」
悲しくもないのに。何故涙が止まらないんだろう。何故嗚咽が止まらないんだろう。――理由も分からず、僕は未だ眠っている妹の横でしばらく、涙を流し続けた。




