間幕 虚
僕達の父親は、そこそこ名の知れた会社の社長だ。母親はその秘書で、二人で徐々に会社を大きくして、お金持ちという程ではないが今ではそこそこ裕福である。そして、僕――ユウとサオリが生まれて三年。二人は、突如施設から子供を引き取ると言い出した。何でもそこは身寄りのない子供達を育てる場で、所謂孤児院というところらしい。当時の僕には全く理解できなかったが、家族が増えるということにはわくわくしていた。
「どんなひとがくるのかな?」
「……どうでもいい。わたし、ほんよみたい」
この頃のサオリは人に興味がなく、家族が増えることにわくわくすることも、異議を唱える事もなかった。……それからしばらくして、家に例の子供が来た。
「おれは――――。その、よろしくな?」
「あれ、きみは……」
その子は僕達が公園でよく遊んでいた子供だった。確かにずっと一人で遊んでいると思っていたが、親がいないとは思わなかった。
「……まさか、――――だったなんて。びっくりした」
「さ、サオリ。いつからいたの?」
「わたしはずっとここにいた」
「ええ……」
それから父さんは僕達に、彼と仲良くしてやってほしいと言った。どうやら彼は僕達より一つ上らしく、戸籍上は兄……ということになるらしい。元々遊び相手ということもあってか、僕達はすぐに打ち解けることが出来た。
「兄さん見て!ほら、綺麗な折り鶴!」
「おお、凄……いや、待ってくれ。この折り鶴リアルすぎないか?」
「むっ……お兄ちゃん、私の折り鶴の方が綺麗」
「足生えた折り鶴近づけるの、やめてくれない?」
僕が綺麗な折り紙作品を渡すと、兄さんはいつも褒めてくれた。その度に懐いたサオリが嫉妬して来たが、その時間は僕に取って大切なものになった。僕はそういう才能に恵まれていたらしく、もっと兄さんを喜ばせたいと、いろんな分野の芸術作品に手を出した。絵がコンクールに受賞したりして、僕の思惑通り、兄さんは喜んでくれた。
「凄いな、ユウ!」
「むうぅぅ……!」
兄さんはひたすらに褒めてくれて、すっかり兄さんに懐いたサオリはひたすらに僕に対抗してくるようになった。……サオリだって頭の良さを活かしてなんか凄い賞を取ったり、「百年に一人の才女」と呼ばれる程の有名人になったりと、負けず劣らない実績を残しているはずなのだが。――そんな日々を繰り返し、僕とサオリは中学生になった。その頃くらいからサオリは兄さんに冷たくなったが、兄さんは変わらず僕達に構ってくれた。……そんな中で、両親は離婚した。会社が上手く立ち行かなくなり、互いにストレスがたまっていたのだとか。僕と兄さんは父さんに、サオリは母さんに引き取られた。しかしその時、兄さんを互いに押し付けるようにし、口論の末に父さんが引き取った。その時の僕とサオリは怖さで震えていたと思う。普段僕達に優しい両親があんなに激昂する姿は初めて見た。……そして、両親は兄さんに対する愛情が、全くなかったのだと悟った。兄さんがどんな仕打ちを受けたりしたのかは知らない。ただ聞くのが怖くて、僕はそこに触れられないでいた。
「ふぁぁ……」
なんだか、懐かしい夢を見ていた気がする。どうやら原稿用紙を読んでる途中にうたた寝をしていたようだ。近くにはサオリが寝転んでおり、安らかな寝息を立てている。僕はなんとなく、外に視線を向けた。
「……!サオリ、起きて!もう夜だよ!」
「うにゅ……お兄ちゃん……」
外は既に真っ暗だった。サオリを必死に揺するが、サオリは寝言を言うだけだった。……これはまずい。こんな遅くまで家に帰らなかったら父さんに叱られてしまう。僕はスマホを取り出すと、サオリの家にいると父さんに連絡を入れた。返事はすぐに帰ってきた。
「今日はもう遅いからそこに泊めてもらいなさい、か……はぁ、良かった」
どうやら怒ってはいないようだ。一安心した僕は再び眠っているサオリを起こそうと試みる。
「サオリ、起きて!」
「むにゃ……?ううん……あ、ユウ。おはよう」
身体を揺すったら、サオリは寝ぼけ眼のまま起きた。
「おはようじゃないよ。もう夜だよ?」
「夜……?何でそんな時間に……」
「いや、寝てたからだよね?」
もしかして記憶が抜けているのだろうか。僕はサオリに今までの状況を説明し、今日はここに泊まることになったと伝えた。
「ふーん。なら、私の部屋で寝たらいい。母さんの部屋は物がいっぱいで入れないから」
「うん、そうするよ……うーん、じゃあどこで寝ようか……」
僕がそう言ったとき、玄関の鍵が開く音がした。足音が響いて、荷物が置かれたような音がする。……嫌な予感がした僕は、サオリの方を見た。サオリは何故かそっぽを向いている。
「……ねぇ、サオリ。今入ってきたのって、母さんだよね?今日はいないんじゃなかったの?」
「……どうやら、いない日を勘違いしてたみたい」
「してたみたい、じゃないよ!」
母さんはいろいろと細かい所に厳しい人だ。門限を設定したり、友達の家に泊まる事を禁止したり、成績について注意したりと……普段は優しい人なのだが、そこら辺を疎かにすると叱られる。離婚したときも、互いの家に入らないように、と父さんに言っていた。つまり、僕が今ここにいるのは非常にまずい。
「……!ユウ、母さんがここに来る」
「え!?ちょ、どうにかしないと!」
「声が大きい。……ベッドの下に隠れてて」
サオリは手に持っていた兄さんグッズを隠し、僕をベッドの下に追いやった。しばらくして、ドアの開く音が聞こえた。
「サオリ、ただいま」
「お、お帰り」
「あなた、夕ご飯は食べた?もし食べてなかったら、買ってきたのがあるけど食べる?」
「い、いい。大丈夫」
「そう?ならいいけど……」
母さんの声が聞こえた後、ドアの閉まる音が聞こえた。どうやらやり過ごしたらしい。はぁ……良かった。
その後、僕はサオリと一緒のベッドで寝ることになった。母さんが来た時に隠れやすいということと、埃だらけのベッドの下にずっと隠れる事が嫌だということでそうなった。
「うう……トイレ……」
僕は今、こっそりとトイレに向かっていた。母さんが今自分の部屋にいるので、ずっと我慢していたトイレに行こうと思ったのだ。誰もいないかを確認して、素早くトイレに入り込み、用を足す。洗面所で手を洗うと、再びこっそりとサオリの部屋に向かう。……洗面所と母さんの部屋は向かい合っているので、音を立てないように……と思っていたら、声が聞こえてきた。
「それ…………は……」
母さんの声だ。部屋で誰かと電話でもしているのだろうか。そう思ってその場を後にしようとすると、リビングの方に人影があった。
「!?」
僕は咄嗟に身を隠してリビングを覗き込んだ。――そこには母さんがいた。誰かと電話でもしているのか、スマホを手に持って何か喋っている。声が少し大きくて、話の内容が耳に入ってきた。
「それで、見つかったの?ユウとサオリの新しい遊び相手は」
「……?」
遊び相手?なんの事を言っているのだろう。僕の友達のことだろうか?母さんは少し苛立ったようにそう言う。
「あなたが新しく連れてくるっていうから、わざわざ予定を開けたのよ?」
相手は父さんだろうか。母さんが「あなた」なんて呼ぶのは父さんだけだし。……よく考えたら、僕は何をしているのだろう。見つかるかもしれないのに、何故か人の会話を盗み聞きしてしまっている。これはよくない。取り敢えず、洗面所に戻って――
「――――の代わりを見つけるんだって何度も言ってるけど、その間に二人は大人になってしまうのよ?もっと理性的で、賢い人間を連れてこないと」
兄さんの名前が聞こえた。思わず、僕は盗み聞きを続行してしまう。母さんの表情は冷たく、普段見せている表情とは全く別物だった。
「――――は家事も普通、勉強も普通……妙に反抗的だったし、ユウとサオリに悪影響を与えただけだったわ。いくらボロい施設とはいえ、アレより優秀な人間はざらにいるでしょう?」
――何を、言っているのだろう。兄さんが、僕達に悪影響?……そんなことない。兄さんはいつだって僕達に希望を与えてくれた。出会う前も楽しい人生を送っていたが、兄さんがいたからより楽しい人生になった。それを、悪影響?
「はぁ?難しい?そんなわけないでしょう?――――は二人より馬鹿で、なんの才能もなかったでしょう?」
なんの会話なのかは分からないが、取り敢えず兄さんの悪口だと言う事は理解できた。それはトゲのように僕に刺さり、精神を蝕んだ。そこには母さんの兄さんへの敵意が全て詰まっていた。聞いているだけで辛くなる。しかし、話を盗み聞きすることを止めることは出来なかった。母さんの会話は次第にエスカレートし、兄さんへの心ない言葉を言い放っていた。そして、会話が佳境に差し掛かったとき、母さんはこう言った。
「うだうだ悩まないで!最悪適当に連れてきて、最後に金を渡して捨てたらいいわ!――――のように!」
「……えっ」
僕は耳を疑った。……母さんは今、なんて言った?捨てたらいい?何を言っているのだろう。そんな気持ちで――兄さんを扱っていたの?いろんな考えが渦巻く中、会話はそこで終わった。僕は慌てて洗面所に隠れると、母さんは何やら怒ったようにして部屋に入っていった。僕は呆然としながら、ふらふらした足取りでサオリの部屋に戻った。そして、床で寝転んだ。
「……兄さんは、捨てられる予定だった?」
僕は小さく呟く。母さんの話が正しければ、兄さんはもし生きていたならお金を渡されて捨てられる予定だった。もっと言えば、家を追い出される予定だった。十代で身寄りのない子供が一人で生きていくのは、一体どれほど大変なことだろうか。
「……母さんは、そこまで兄さんの事を……」
その先は言葉にならなかった。思い返せば、気付ける場面はあったのだ。兄さんへの当たりが僕達より少し強い事、僕達より厳しい門限や少ないお小遣い、何故かやっていた家事。勉強で悪い成績を取ったとき、兄だけが叱られた。――もしかしたら、もっと酷い事だって――
「……許せない」
心が黒く染まるのを感じる。頭の中が酷く明瞭になる。僕の瞳が黒く濁り、ここが暗闇であるかのようであった。
「……許せない。許されない」
僕の呟きに、風の音が重なった。……身体のそこから何かが湧き上がってくるのを感じながら、僕は暗い外を眺めていた。
「絶対に、許さない」
空に浮かんでいた月が、流れてきた雲で見えなくなった。




