第8話
「それが事の顛末ってわけね」
とある小綺麗な事務室のような一室で、リリアンがリクライニングチェアに足を組んで座りながら、そう言った。
バーに居た時とは違い、肌を大胆に露わにしたドレスではなく肌がほとんど見えない白衣と黒縁の眼を装着していた。
まるで一端の女医のようだ、と一はチラリと見ながら頭の中で呟いた。
「あぁ、そういうことだ」
一はワイシャツ姿で横長のソファーに横たわりながら、腹部に両手を組んで天井を虚ろ気な表情で見つめていた。
「初めて見る夢だ。俺も疲れてるのかもな」
「疲れてるどころじゃないわ。貴方ここに来るたび何度その悪夢の話をしてると思ってるの?前もその前もさらにその前のカウンセリングでも全く同じ話をしているじゃない」
リリアンは至極真面目に言う。
一は未だ焦点の合っていない目で天井の模様を見ていた。
『ホワイトノイズの殺し屋チャンネルー』
リリアンは不意に、パソコンから動画を大音量で再生した。
「ふわわわ」
一は間の抜けた声を出すと耳を塞いで眼を瞑る。
『はい、ダークウェブの向こう側の皆さんどうもおはこんばんにちは。ホワイトノイズです。今回のターゲットは人気政治家を殺ってくださいという依頼を頂いたので、撮影もしながらやっていきたいと思いまーす』
「はうっ」
ホワイトノイズの砂嵐の音が混ざった声を聴いて一は「ひぃぃぃ」と情けない声を出した。
「全く殺しの仕事を動画にしてネットに流すなんて趣味が悪いわね。まぁでももっと趣味が悪いのは、彼じゃなくて視聴者達だけど」
「おいそのくっそ不快な動画止めろ」
リリアンはそう言ってホワイトノイズの動画の閲覧数を見た。
彼は今の所50本以上動画を出していたが、どれもこれも100万回以上は再生されていた。
登録者数は200万人。伝説の殺し屋としてのネームバリューも活きているのか、凄まじい物であった。
『ナイフで殺すとね、銃で殺すよりも実感が違うんですよ。なんていうかなぁ、より自分で殺したって感覚が倍になると言うか、まあとにかく──』
リリアンは途中で動画を見るのを中断した。
眼鏡を外して眉間を揉むみながら彼女は「まともな状態ではないわね」と一言零した。
「あぁ、やっと終わった……」
一は閉じていた目と耳を開け、ようやくかと言った表情で起き上がる。
「それにしても、酷い有様ね。前の貴方とは大違い」
リリアンはからかうように一に言った。
「俺はあの二年前に全部失った。信用も誇りも、全て奪われたんだ。そりゃあこんな状態にもなるさ」
「でももう二年経つのよ、一。そろそろ過去に折り合いをつけなきゃ」
「言っただろ、俺はもう大丈夫だって。お前のセラピーを受けて俺は立ち直った。クソほども興味無かった禅にだって挑戦してる。最近は悟りだって開けた気がするよ。今までの何を悩んでたんだろうってな」
「殺し屋が悟りを開くって、何か変な感じね」
リリアンが鼻で笑い、一は「うーさー」と謎の言葉を発する。
「…?何してるの?」
「両耳を引っ張ってうーさーと呼吸と一緒に吐き出すんだ。これだけで自分を律することが出来る」
「それ、私教えたことないけど効果あるの?」
「勿論、怒りという人間の原罪から解き放たれてヒューマンステージがまた一つ上がる。君もやってみたらどうだ?」
一の言葉にリリアンは顔を引きつらせながら「遠慮しておくわ」と断る。
「一、貴方がこれまでダイアモンドクラスになるために努力を重ねてきたのは知ってる。でも過去はやり直せない」
リリアンがそう言うとは一はにこやかな表情で彼女を見ながら「知ってる」とだけ言った。
「相手を、自分を許すことこそ俺の第二の人生の始まりなんだ。そして俺は許した。俺は自身の内側に触れたよ。今まで向き合ってこなかったが、最近気が付いたんだ。俺は今まで何人もの人を殺めて来たんだって。殺された人達の中には帰りを待っている家族がいるのに俺はその人達から家族から家族を奪ったんだ。俺は罪悪感で押しつぶされそうだよ」
「貴方今日誰を殺してきたっけ」
「児童養護施設の園長。…あぁ、分かってるよ君の言いたい事は。でも仕方ないだろ?対象は反吐が出る程のロリショタコン野郎だった。そんな奴死んで当然だ。そうだろ?それが俺の仕事だ。人殺しが出来ない殺し屋なんて足の無いサッカー選手みたいなものだよ」
「サッカー選手は手も使う人もいるでしょ」
「揚げ足取るのが君の仕事か?」
「いいえ、患者の悩みを取り除く手伝いをするのが私の仕事。昼限定のね」
リリアンは「とにかく」と続きを促すように話す。
「貴方が本当に二年前のトラウマから脱却したなら、今から私が出すセラピーも受けられるわよね?」
「当然さ。俺は生まれ変わったんだ。過去は過去だ。俺はホワイトノイズを許すよ。そして弱かった俺自身も許す。新たな旅立ちを祝う時さ」
一は天啓を得たように小気味のいい言葉を垂れ流す。
リリアンは「そうだといいけど」と言いながら別の部屋からある器具を持ち運んできた。
見た目は赤を基調とした縦長の物体が釣り下がっており、軽く殴ると奥に行って手前に戻る。明らかにこれはサンドバックだ、と一は理解していた。
「なんだ?サンドバックなんか持ってきて。スパーリングでもしてストレス発散でもさせようっていうのが君が考えた治療法なのか?」
「少し違うかも」
リリアンはそのサンドバックに紙を貼った。一はその紙を凝視する。
その紙にはある絵が描かれていた。人の顔のような、誰かを象った絵だった。
だが一には見覚えがある。忘れるはずもない。
なぜならその絵は人の顔ではなく昭和のテレビの深夜に流れている砂嵐を思い起こさせる顔だったからだ。
「貴方の証言を元にイラストを描いてみたの。どう?似てるかしら?」
リリアンは何の気になしに一に問う。問われた一は苦い顔をしながら「あ、あぁ」とだけ答えた。
リリアンにとってはただの絵だが、一にとっては人生最のトラウマの象徴であった。
「ホワイトノイズ、私は見たことないけど、こんなヘルメットを被っているのね。伝説の殺し屋に二人も会えるなんて、貴方本当に運が良いのね」
「あ、あぁ。そうだな」
一は先程のような落ち着いた、悟りを開いたような穏やかな表情だったのが、妙に落ち着かないそわそわした不安そうな態度に徐々に変わった。
「貴方がこれからやるのは簡単な事よ。このサンドバック……もとい、ホワイトノイズに向かって話すのよ。過去を全て水に流して新たな旅立ちに出るの。イタリアとか、フランスとかシチリアとかモナコとか、どこでも行けばいいのよ」
「それは君の好みだろう。おれはてっきりスピリチュアル的な意味の旅立ちかと思ったのに」
「なに?もしかしてまだ立ち直ってないのかしら?さっきの言葉は嘘ってこと?なら集団セラピーに参加させるのも止む無しかもね」
リリアンがそう言うと一はビクッと身を震わせる。
一は集団セラピーだけは受けたくないと思っていた。
集団セラピーと一口に言っても参加するのは彼と同じ殺し屋家業を生業とした者達だ。
そんな裏の事情を理解している人間達の仲に飛び込んで参加しようものなら真っ先に彼等は俺を笑い物にする、一はそう言った被害妄想を抱えていた。
仕事がダブルブッキングした挙句、ターゲットを先に殺された。
反撃したにもかかわらず惨めに敗北したザマをダークウェブの海に放流されたのだ。
一時期、一は裏社会の笑い物にされた。彼の元にからかい目的で仕事を依頼してくる人間までいた。
彼のプライドは粉微塵になるまでいたぶられていたのは言うまでもない。
そして何より、一本人が集団セラピーに行くことこそ真の負け犬だと言うことを認めることになると考えていたからだ。
「そんなことをする必要はない。今の俺なら大丈夫さ」




