第7話
「驚いたな。俺に血を流させるなんて……」
ホワイトノイズは肩から流れ出る鮮血を手で拭いながら不思議そうに見つめる。だが直ぐに払って捨てた。
「まぁ待ってろよ。すぐにその余裕満々って態度を悔い改めさせてやるからよ」
一は勝機を見出し、今度こそ仕留める勢いで銃口をホワイトノイズに向ける。対してホワイトノイズは飄々とした態度が消えた。
「すこし、本気で相手をしてやるか」
そう言ってホワイトノイズは右手の甲からカランビットナイフを取り出し、砂と石だらけの大地を凄まじい轟音を出して蹴り出した。姿は一瞬で消え、一気に一の元へと距離を詰めた。
「速ッ!?」
一は拳銃をホワイトノイズに向けて数発撃ったが命中せず、遂にはゼロ距離まで近づかれる。
一は逆に仕留められるチャンスだと思い、ホワイトノイズの脳天を狙い、引き金を引いた。
だが、引き金は完全に引かさらない。
何かがつっかえていた。
「少し撃つのが遅かったね」
ホワイトノイズは嘲るように言う。
一は銃をよく観察してみると、リングハンマーに彼の指が挟まっていた。
そのせいで雷管を叩けず、発射薬は発火せず弾丸は撃ち出されなかったのだ。
ホワイトノイズは右手のカランビットナイフで一の顔を引き裂こうとした。
一はやむを得ず銃を手放し、距離を取った。
ホワイトノイズは手に取った一の拳銃を興味深そうに見る。
「見てくださいこの拳銃。改造され過ぎて原型が分かりません。どうやら彼は銃を弄るのにお熱になっているようですね」
ホワイトノイズはまたもや初めに話しかけるでもなく、独り言のように誰かに話しかけるように喋っている。
「俺はお前と一緒に踊るピエロじゃねぇぞクソ野郎」
「まだ踊ってもらうよ。アンタは俺のおもちゃだ」
そう言うとホワイトノイズはこなれた手つきで銃を分解し、人を撃ち殺す鉄の武器からただの機械部品の塊となって地面に落ちる。
「あっ!?テメェ!それ組み立てんのに俺がどんだけ時間と金を使ったと思ってんだ!?」
お気に入りの銃をバラバラにされ、あんぐりと口を呆けたように開けながら、一は激怒した。
格上だろうが偉大な先輩の後継者だろうが関係ない。コイツは俺が無料で殺してやる。
銃は分解されたため、一はガンファイトからナイフファイトに切り替えた。
ナイフを構え、姿勢を低くしてジリジリとホワイトノイズに滲み寄る。
「いいね、ちょっと熱くなってきたかも」
ホワイトノイズもカランビットナイフを逆手に持ち直し、一同様、姿勢を低くして構えた。
先に攻撃したのは一だった。
ナイフを真っ直ぐホワイトノイズに向かって突く。
一の使うナイフは刃渡り10センチのコンバットナイフ。
銀色の鏡のように磨かれたナイフは一の几帳面さを想起させる。
対してホワイトノイズのカランビットナイフは死神の鎌のような暴力的に反りのあるナイフだった。
ホワイトノイズは後ろに二歩下がり躱す。一は前に一歩二歩踏み込み、突きによる攻撃を再度行う。
だが突きを予測していたホワイトノイズは右に避けて一の腕を彼の左手で掴み、右手に持っていたカランビットナイフで一の喉を狙う。
一は研ぎ澄まされた殺し屋の勘が働き、首を後ろに動かして仰け反るという最小限の動きで喉への致命的な一撃を逃れた。
一は喉を斬り裂かれるという最悪な未来を一瞬想像し、喉を右手で摩る。
だが感傷に浸っている暇はない。
まずはこの男を殺さないことには、一はそう考えたが、考えを改めた。
今一には閃光手榴弾が手元にある。
これを使って彼の視界を奪い、牧本を殺し、さっさと現場から離れる。
わざわざこんなバカげた勝負に付き合う必要はない。
俺が牧本を自分のナイフで刺し殺し、その血液がついたナイフを依頼主に届けて朝のニュースでも見せていれば俺が殺したと証明できるはず。
仕事を終わらせるのが先決だ、一はそう考え、行動に移そうと画策する。
一は懐からこっそりと閃光手榴弾を掴む。
一の被っているマスクは顔を隠す他にも目や耳を保護するための特殊な加工をされている。
故に至近距離で閃光弾をまともに喰らうことはない。
一はナイフを持ったままだが構えることはなく、堂々と地に足を付けて歩み出した。
だが傍から見ればその歩き方は不用心も良い物だった。
警戒せずまるで友人に抱擁を求めるために近づく一にホワイトノイズは彼の意図が何なのかを見出せなかった。
「一体何を企んでい──」
ホワイトノイズが何かを言い終える前に一は駆け出した。
ホワイトノイズは警戒態勢を敷き、一のナイフに注意を向ける。
一のナイフがどう来るのかを予測すれば勝機は十二分にある。
ナイフで突こうとするなら左右どちらかに避けて腕と足を斬り裂いて最後に喉を掻き斬ればいい。逆手に持ち替えて斬りつけようとするなら腕を掴んでへし折り、逆にナイフを奪って刺し殺せばいい。
ホワイトノイズにはその他にもいくらでも一を殺す算段がついていた。
だが、彼は一つだけ見落としていしまった。まさか、ありえない、と言うべき予想外な戦い方の攻略法を考えていなかった。
一は走りながらナイフを上に向けて構え、ホワイトノイズを殺し得る武器をおもちゃで遊ぶのに飽きた子供がするような所作でそれを放り投げて落とした──。
「えぇ?」
ホワイトノイズは一の思わぬ行動に一瞬フリーズした。一秒にも足らぬ刹那の瞬間、だが一にとってはその瞬間だけで十分だった。
一は左手に持っていた閃光手榴弾をホワイトノイズに向けて放り投げる。
まるで飼い犬に木の棒をなげるように穏やかに。
ホワイトノイズは思考の一瞬の停止により行動が遅れ、対処に遅れて目を覆うことが出来なかった。
ホワイトノイズは閃光手榴弾の青白い光と爆音をまともに喰らい、身動きが取れなくなってしまう。
一はチャンスを作った。
ホワイトノイズに攻撃はせず、素通りし、牧本の元に飛ぶように駆けつける。
彼が動けないうちに俺が、伝説の殺し屋でも、その後継者でもないこの俺が絶対に奴を殺す。
もう一歩、あともう少し、そこまで近づき、あとはナイフを突きたてるだけ。
その次の瞬間、閃光手榴弾を遥かに凌ぐ爆発音、衝撃、熱が一を襲った。
一は爆発による衝撃波によって吹き飛ばされ、宙を舞って地面に倒れ伏す。
耳を劈くほどの爆発や衝撃により彼の装着していたマスクは許容範囲を超え、彼の耳はモスキート音の何十倍も酷く形容しがたい不快な高音がキィンキィンと鳴り使い物にならなかった。
目は機能しているが、それ以外の部位、つまり身体がまったく動かなかった。
全身が爆発による炎や衝撃波、空に打ち上げられ、地面に叩きつけられたことにより、呼吸すら億劫になる。
指先すら言う事を聞いてくれなかった。
「う……」
一は声を出そうとするが、これもダメだった。
鳩尾をプロボクサーに本気で殴られた時のような重い痛みと痺れを伴い、まともに喋ることすら出来なかった。
「な…にが……」
一は終始一体何が起こったのか分からなかった。
牧本を殺すべく、近づくと目の前で何かが爆発した。
一は朦朧とした頭でなんとか事態の収拾を図るべく一連の出来事を思い出す。
一はオレンジと黄色の閃光と轟音の主な発生源を特定しようとしていた。
俺の目の前、俺の……自分の目で見たことを思い出そうとする。そこで一はとある結論に至った。
あの爆発は、牧本から起こった物だ。
「あーあ。こうなっちゃったかぁー」
仰向けに倒れている一の視界にあの砂嵐のような迷彩柄のヘルメットが移り込んだ。
「お前……なに……を……」
「ん?あぁ。『やいホワイトノイズ!一体何をしやがったこの野郎!』って言いたいんだろ?ヨシ、チャレンジ賞として特別に教えてやろう」
ホワイトノイズは得意げに腕を組んで地面に座って胡坐をかいた。
「俺がさ、こっそり牧本に爆弾をくっつけておいたんだ。もし俺を出し抜いてアイツを殺そうとした時とかのために。アンタ結構ノリ良いし、強かったからそんなことしないだろうなぁとか思ってたんだけど、どうやら過大評価してたみたいだ」
ホワイトノイズは「ハァ」と明らかに残念そうにため息を吐いた。
君にはガッカリだよ、とため息までもが一に語り掛けているようだった。
「あぁ多分分かってると思うけど、金をもらうのは俺だ。さっきも言った通りこのヘルメットには内蔵カメラが搭載されてる。俺が牧本に爆弾を取り付けたのも、爆破したのも俺だ。全て録画してある。アンタには悪いけど、これで仕事は終わりだ。お疲れさん」
ホワイトノイズは淡々と何の感情も含まず一に説明する。
「じゃあね、フェイスレス。今度会う時はまた動画のゲストとしてまた映してあげるよ」
ホワイトノイズは臀部についた砂埃を手で払いながら立ち上がる。
もう彼の頭の中で一の存在は消えていた。
後は帰って金が入るのを待つだけ、そう思って歩を進めると、彼の後ろでジャリ…と靴が砂を踏む音が聞こえた。
「待てやコラ……」
ホワイトノイズを呼び止めたのは、身体に深刻なダメージを負った満身創痍の一だった。
既にスーツは爆発による衝撃でボロボロで、所々彼の身体は流血していた。
呼吸は荒く、嗚咽と血と涎が混じったひゅう、ひゅう、という呼吸音で、立っているのがやっとの状態だが、それでも、一の瞳だけは臨戦態勢だった。
「そんなにボロボロでもまだ立てるなんて、ガッツあるね」
「お前を殺さなきゃ、俺は気が済まん」
「怨恨による業者の殺しはあまり褒められたものじゃない。悪いことは言わない。やめときな」
「うるせぇ…!」
一はホワイトノイズに向かって拳を握って殴った。
だが腕を掴まれた。
背後に回され関節を極められて壁のある建物の方へ突き飛ばされる。木製の柱に顔面がぶつかり、眩暈がした。
「今のアンタじゃ俺は殺せないよ」
ホワイトノイズを武器もなしに殴ろうとする一だったが、今度は横に躱され、勢い余って地面に前から倒れ込んだ。
「チャレンジ精神は認めるけど、程度ってものがある」
ホワイトノイズは地面に倒れた一の元に片膝を着き、一の肩をそっと手を置く。
まるで敗者を慰めるかのような慈しみのある喋り方に、一は歯軋りしながら彼を睨む。
「まぁ、悪い夢だとでも思ってさ、寝たほうが良い。ていうかもう寝よう」
そう呟くとホワイトノイズは一の胸倉を両手でゆっくりと掴み、頭を上げさせ、そして頭突きで一を気絶させた。
堅い金属製のヘルメットが人間の頭部に当たる鈍い音がした。




