第17話
そう言って武礼渡は部屋から出て行った。
一は彼が出て行った後急に俯いて黙り込んだ。その様子を不審に思ったデイヴィスが一の肩に触れる。
「おい、どうした。やっぱり受けた事後悔してんのか?流石に無理だよな。今からでも俺から断っておくか?」
デイヴィスは一がこの仕事を見栄を張るために受けたと思い込んでいた。
この仕事は自分から紹介したものの、恐らくコイツは死ぬと確信しているデイヴィスは今更一に紹介したことを後悔していた。
10年以上も関わり合ったくせに微塵も彼が勝つことを信じていないデイヴィスは声を少し高くして一に話しかける。
「ふひ」
一が変な声を出し、デイヴィスは怪訝な目で「ふひ?」とオウム返しをする。
「ふひひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「う、うわあああッ!遂に狂っちまった!」
一は突然笑い出し、デイヴィスは過度なストレスに押しつぶされて発狂したと思い込んだデイヴィスは左手で胸にキリストの十字を切って必死に祈った。
「俺は怖気づいてんぇし狂ってもいねぇ。これが笑わずにいられるか?俺は正式に奴をぶち殺すことが出来るんだぞ?」
「いや生け捕りの方が金はもっともらえるだろ。もう殺す事考えてんのかこの生まれながらのキリングマシーンは」
デイヴィスは呆れて突っ込むが一はもはや彼の声など聞こえておらず、目を血走らせて口角を思いきり上げ笑みを零せず、大笑いしている。
「ふ、ふ…!あひゃひひふふふは!ふぉう!」
「こわいこわいこわい」
その姿にデイヴィスは遂に完全に狂ったと龍手で自らの顔を覆い隠して諦観していた。
二日が瞬く間に過ぎた。
一はこの二日間で出来得る限りの準備をした。
確実にホワイトノイズを殺すための装備を選択し、と作戦を立てた。
一は二年前と同じような研いだナイフのような殺気を放っていた。
「兄ちゃん、どしたの?凄い怖い顔してるけど」
一は濡れた髪をタオルで拭く風呂上がりの妹、愛海に怪訝な顔で見られる。
自分がどんな子をしていたのか知らないが、ろくでもない顔をしていたことは分かっていたので表情をスッと戻し、穏やかであるよう努めた。
「どうしたの?なんかあったの?」
愛海は一の隣に座り、彼の肩に頭を乗せる。
一は愛海が自分を心配していることに気づく。
ここでなんともない、と言えばそう、とだけで終わるかもしれない。
「実はな…俺、二年前に昇進が懸かった仕事を盛大に失敗して台無しにしたことがあっただろ?」
「うん。あの時マジで落ち込んでたよね。しかもその時から飲酒の量も格段に増えたし。見てて哀れだったよ」
「もうちょっと俺を労わる言葉を掛けてくれてもいいんじゃないか?」
「だって、帰って来るなり『俺はもう終わりだ』とか『誰か俺を殺してくれ』とか泣いて叫んでたじゃん」
「なんでそんなこと覚えてるんだ。それは忘れろ」
一が慌てて言うと、愛海は「それで?」と言って話を元に戻した。
「ああ、三日前に偉い人が俺に案件をくれたんだ。二年前の失敗を挽回する最初で最後のラストチャンスをな」
「へぇえ!良かったじゃん!」
一の言葉に愛海は素直に祝福をした。
しかし、一の表情は暗い。
その一の様子を鋭く見抜いた愛海は「どうしたの?」と彼の顔を膝から覗く。
一の膝が愛海の風呂上がりで乾かしていない濡れた髪を通して黒のズボンに染み込んでいく。
「次失敗したら死ぬかも、なんて思っちまってな。今まであの失敗をどうしたら変えられるかばかり考えて来たのにな、いざ実際対面すると、成功できるかどうか分からなくなってきちまった」
一は普段誰にも見せることのない弱気な姿を網に見せた。
外では冷酷でプロ意識の高い殺し屋である彼が、妹の前ではこんなにも脆い姿を晒していた、情けなくてたまらないと一は自分で自分を嘲け笑う。
「……私が兄ちゃんの家族になる前、私はよくじいちゃんと遊んでたんだ」
愛海の唐突な話に一は疑問を抱くが、愛海は構わず話し始めた。
「私のじいちゃんはさ、辺鄙な田舎に住んでて他人に対しては酷い頑固者だったけど、私にだけは優しくてさ、よく色んなことを教えてもらってたんだ。その中でも特に良いなって思ったのは、こんな言葉だったな」
愛海は腕を組みながら右手の甲を顎に当てて目線を一に固定した。
「『どれだけ泥にまみれた生き方をしても己が信念を貫けばどんな戦いに於いても必ず勝てる』。つまりはそこで芋引かないで気張って行けってこと!」
愛海は勢い良く一の膝から起き上がり、一の目の前に立つ。
「くよくよしないで戦え!兄ちゃんなら出来る!兄ちゃんは仕事に命を賭けてるんでしょ!?なら全部懸けて全部勝ち取れ!」
そう言って一の両頬を愛海は勢い良く叩いた。
「いでぇ!?」
一はいきなり妹から両頬ビンタされて、悶絶した。
だが嫌な痛みじゃなかった。
俺の妹が日和った兄に活を入れてくれた。
しかも、普段こういう似合わない事を言って顔を赤くして恥ずかしがっている妹に対して、俺が言うべきことは一つだけだ、一は気持ちを切り替え、愛海の両肩を掴む。
「えっ?兄ちゃん?」
一は愛海の子に自分の顔を近づけ、凝視する。
一の目には光と炎が宿り、愛海の目は焦りと羞恥心によって目が四方八方に泳いでいた。
「兄ちゃん、顔がち、近いよ……!」
「愛海、ありがとうな。兄ちゃん、覚悟が決まったよ。必ずこの仕事をやり遂げて見せる。元気づけてくれてありがとう。兄ちゃんはお前が大好きだ!」
「えっ…!?だ、大好きって……!」
一は愛海を深く抱きしめた。
華奢な身体の愛海を抱きつぶさないように力を出来るだけ緩めて感謝の抱擁をしたが、愛海には刺激が強かったらしく、身体全体を茹でダコのように赤く染めると、一の抱擁からするりと隙間を掻い潜って脱出した。
「い、妹に抱き着くとか馬鹿じゃないの!?ありえない!あ、私明日用事あるからもう寝るね!」
愛海はそう言って自分の部屋へと逃げるように彼女自身の部屋へと駆け込んで行った。
「首を洗って待ってろよホワイトノイズ……!明日がテメェの最後の配信日だ……!」
一は来るべき戦いに備え、万全な体制で戦いに望むために休息を摂るためベッドで寝ることにした。
そして明日はあっという間に今日へと変わった。
社員達はほぼ全員帰り、人気のない成神ランドタワーに一は身を潜めていた。
成神ランドタワー最上階にオフィスを構える奴のターゲットがいる。
そこに必ず奴は現れる。
一は清掃員へと姿を変え、顔には付け髭を添えて濡れたモップをばしゃりと床に叩きつけていた。
「……」
一が監視しているホワイトノイズのターゲットであるどこぞの会社の重役の男は、既に大半の社員は帰ったと言うのに自分専用の執務室に籠ってパソコンとにらみ合いをしながら仕事をしていた。
偉い人間ほど楽が出来ると持っていたが、どうやら実際は真逆の場合もあるようだ、と一はなんとなく感じていた。
今の所特に異常はない。
フロア内は静寂が辺りを包んでいた。
怪しい人物はいない。そろそろ奴が来てもおかしくないはず、しかし奴は現れない。
まさか勘付いたか?と一は勘繰るが、それはないと即座に判断した。
ホワイトノイズ(二代目)は腕が立つ上に過剰な自信家で目立ちたがり屋だ。
動画の中では常に飄々とし、編集や音楽を垂れ流して自分がターゲットを殺す瞬間を撮影している。
しかもセルフィーを撮るほどである。
だから彼が仕事を投げ出すことはあり得ない事だ。そして一にはもう一つ確信があった。それは……
「ん?なんだ?」
執務室で仕事をしていたホワイトノイズのターゲットは上から物音がしていることに気づき、上を見上げる。
ダクトだ。ダクトから音を発していた。ガタガタと何かが揺れているのだ。
そして、
「よっと!」
ダクトからドン!と大きな音が鳴り、何かが落ちてきた。
それは、埃と汚れが舞ってあまり全貌を知ることが困難であったが、すぐにそれは姿を現した。




