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創作者症候群  作者: 君為紡
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プロローグ

 「――速報です。『創作者症候群』という奇病が発表されました。『創作者症候群』という奇病が発表されました。文部科学省の緊急記者会見によりますと、『創作者症候群』という奇病が発表されたとのことです。本日より日本国内にお住いの全『創作者』は、作品を創ることをやめてください。『創作』は命を奪う恐れがあります。繰り返します――」

 

 そんな馬鹿げたニュース速報が流れたのは、大学三年、夏休みの真っただ中のことだった。



 知っている人も多いだろうけれど、大学生の夏休みはアホみたいに長い。名目上、大学生というものは「研究」する者であるのだから、暇を与えるのは当然と言えば当然なのかもしれないが、生憎、僕はそこまで学問に打ち込む質じゃない。もちろんそういうタイプの学生でも、いわゆる『陽キャ』であれば遊びの予定を詰め込んだり、趣味に時間を費やしたりできることに嬉々とするものだが、友人も少なくて外出する機会もほとんどない――僕みたいな『陰キャ』の人間には、二週間も経てば、決められた予定のない生活にも飽きが来てしまうというものだ。

 家での会話はない。

 幸いなことに、日頃から暴力を振るわれていただとか、わかりやすい暴言を浴びせられ続けてきたとか、そういった経験は一切ない。ただ、幼いころからずっと両親が不仲で、いつの間にか母親が家を出ていて。男ふたりだけの生活ともあれば、日常の些細な会話などいちいち口にも出さないものだろう。

 十歳の頃から男手ひとつで僕のことを支え続けてきた父さんに、感謝がないわけではない。むしろ、働きながらの育児は大変だったことだろう、と思う。すごく。でも、もうちょっと僕のことを見てほしかったとか、母親の愛を感じたかったとか、そういう気持ちがないといったら噓になって。

 ――それを父さんにぶつけたところで、って感じではあるけど。

 母が家を出ていって以来すっかり「鍵っ子」になってしまった僕は、帰宅した際に「おかえり」の声を聞いた覚えがほとんどない。コンビニバイトからの帰宅後、水を飲もうと開こうとした冷蔵庫に貼られていたメモの、「(はじめ)へ。おかえり、今日は遅くなる。あっためて食べること」という雑な文字と、中に入れられていた炒飯の入った器にため息をひとつ吐いてから、僕は水だけ口にしてそのまま自分の部屋へと向かった。父には悪いが、なんとなく食べる気にはなれない。

 整理整頓ができないものだから、部屋の中はもので溢れかえっているが、「片付けなさい」などと口うるさく言う人がいないことにもすっかり慣れてしまった。部屋なんてもの、辛うじて足の踏み場があればいいのだ。僕は完璧に把握しているコンセントの位置を絶妙によけながら(踏むと痛いことは学習済みだ)、これまた雑然としている机の上の、デスクトップパソコンを点ける。

 特にやることもないから、ネットサーフィンでもした後に「いつもの」を書き進めようと思っていたのだ。

 なんとなく、夢見心地のようなふわふわとした感覚で生きている僕には、今朝みたニュースの実感がいまいちついていなくて。


 *


 『なあ、今朝のニュースやばいよな。俺、文章書くの怖くなってんだけど』

 本格的な作業に取り掛かる前にと、日課になっているSNSを開けば、数少ないフォロワーである『ペン太』から、ダイレクトメッセージが届いていることに気づいた。彼は僕がこっそり書いているオリジナル小説、「またあの夏の匂いがする」の最初の読者で、はじめての投稿にコメントをつけてくれたことをきっかけに交流を持ち、こうしてたびたび会話をするようになった仲である。

――今朝のニュースといえば、だ。

 そういえばアホくさい単語を聞いた気がする、と、連勤明けのぼやけた頭で眺めていたニュース報道の内容を思いだす。確か、『創作者症候群』だとか何だとかいったそれは、小説やマンガ、イラスト、作曲家などジャンルを問わず、ありとあらゆる『創作者』と呼ばれる者はみな、「創作をし続けるといずれその創作に殺されてしまう」原因不明の病気なのだとか。あまりにバカバカしすぎて微塵も信じていなかったのだが、まさかこいつ、本当にそれが起きるとでも思っているのだろうか。

『創作者症候群って、そんなのあるわけないじゃん。あんなのただのデマでしょ』

『はあ?デマかデマじゃないかなんてわかんねぇだろ!?SNSで誰かがテキトーに呟いたもんが炎上した、とかじゃなくて文科省が言ってんだぞ!?国だぞ!?』

『国だって間違えることはあるし、あれじゃない?パニックホラー的なやつ』

『それこそどこの創作の世界だよ!』

『おもろ。これネタに小説書けるかもな』

 やけに真に受けている様子の「ペン太」からのチャットを適当に流しつつ、僕はいつものようにワードファイルを開いて小説の執筆にとりかかろうとする。僕が現在執筆中の小説、「またあの夏の匂いがする」は、中学生の夏休みに自殺してしまったヒロイン・夏香の面影を追って、二十五になるまで恋愛をしてこなかった主人公・蒼が、夏香の命日に墓を訪れた際、彼女が過ごす最後の夏休みの初日にタイムスリップし、逃れようのない運命からの打開策を見つけるという青春サスペンスである。書き始めてもう三ヶ月にはなるが、僕はあまり筆が早くないこともあり、昨日ようやく起承転結の「承」――蒼がタイムスリップし、死ぬ前の夏香と再会するシーンまでが書き終わったところで、ここからどうしたものかと空想を巡らせていたら今日のバイト時間があっという間に終わってしまったというわけだった。

『見とけよペン太、今日の僕はめちゃくちゃ冴えてるんだからな。目指せ一日一万字』

『えっすげぇ。投稿したら真っ先に読むからな』

『おう、楽しみにしてて』

『それを糧に残業してくるわ~……』

『あーあ、いってら。お前も頑張れよ』

「確実に読んでくれる」という安心感のある、固定読者からのエールに頬を緩めつつ、よし、と気合を入れていつも通りキーボードに指を配置する。途端、指が踊りだす。心地よい打鍵のリズムが響く。

 

――ああ今日は、本当に、かなり「冴えてる」。


 僕は脳内で構築したイメージを、ひとつひとつ文章として起こしていった。ヒロイン・夏香は線が細く、肌が色白で儚い雰囲気の美少女だ。そのイメージを崩さないように、文字に落とし込む。キャラクターに「息を吹き込んで」いく。

 執筆中に歌詞のない曲をBGMとして流す人もいるようだが、僕の作業環境は完全に無音だ。音を遮断し、時には水を飲むことさえも忘れて、脳内で産まれるたくさんの「声」たちに耳を傾ける。それらひとつひとつを取りこぼさないようにと全神経を集中する僕には、雑音も、喉の渇きも、全て些細なことなのだ。気にしている暇などありはしない。僕は目を瞑って、今書いているシーンの情景を鮮明に想像した。

「ねぇ蒼くん。なんか今日の君、いつもと違うね」

 放課後、ふたりきりの教室。蝉の声だけが響くその空間で、夏香は蒼に問いかける。

「なんていうか、大人っぽいっていうか?普段の君、そんなんじゃないでしょ」

半そでの制服を纏った夏香がふりかえる。窓の外から、熱気を帯びた風が入ってくる。じんわりと、背中に汗が伝う。目の前の彼女から、目が離せなくなる。

大人になってしまった蒼は、子どもの心に戻れない。どれだけうまく演じているつもりでも、どこかでボロが出るのだ。――夏香のような、察しの良い女の子相手なら特に。

「私ね、気づいてるんだよ」

何か、何か言わなければ。口を開こうとして、しかし、出てくるのは声にならない息遣いだけだった。蒼は否定も肯定もできずに、彼女の舞台に無理やり立たされる。


「「――君、だれ?」」


――その時。確実に、声が聞こえた。幻聴ではない。頭の中にだ。想像とは違う――たしかな存在感を纏って。少女が、僕に、語り掛けてきた。

「え、あ……?」

それはセリフではない。書いている文章とたまたま重なっただけで、彼女は確実に、意志を持って、『物語のこちら側にいる僕』に話しかけてきている。

驚きのあまり何も言えないでいると、彼女は続けた。

「あれかな、『神様』ってやつかな。私たちには到底手の届かない、きっとずっと先にある世界の。……だけど、もし声が聞こえているならお願い。このお話を、ハッピーエンドにして。みんなみんな、幸せな状態で終わってほしいの」

「……何、いって」

「私は蒼が大好きだから、蒼に傷ついてほしくないし。私も、苦しいのも痛いのも嫌。幸せになりたい。だからお願い。なんとなくわかるの、私――これは君にしか頼めないんだって」

 その言葉に、僕はうろたえた。生まれてこの方、人にこんな風に縋りつかれた経験はない。相手が女の子であれば余計に、だ。

「……わかったよ、約束する」

否定しようと思っていたのに。口をついて出てしまったのは肯定の言葉だった。僕が考えていた本来の流れであれば、夏香と蒼はハッピーエンドにならない。夏香は死んでいて、蒼は未来に戻らなくてはいけない運命で。だからこそふたりの逢瀬は、夏の不思議な力が見せた一時だけの幻。そうした「切なさ」を売りに書こうとしていたのだが、――プロットから編み直せとでもいうのだろうか。こんな幻聴に惑わされて?あれほど時間をかけたのに?

「いや待って。流れで肯定しちゃったけど保障はできないから!そもそも幻聴に約束するとかおかしいから!」

そうツッコんだ僕の声も虚しく、いくら訴えたところで、あの彼女の凛とした声が再度脳内に響くことはなかった。――夏香、イメージ通りで綺麗な声の女の子だったな。いやそうじゃなくて。

「困ったな、これ……」

未だかつてない状況に、驚きを禁じ得ない。幼少期から暇さえあれば「物語」を空想していた僕だけど、当たり前だがキャラクターの方から話しかけられた経験など一度だってありはしなかった。

「いよいよ頭でもおかしくなったか?」

困惑して頭をがしがしと搔いてみるものの、ひとりきりの空間では「そうだよ」と肯定してくれる者も「ちがう」と否定してくれる者もいない。仕方なしに、僕はいったんパソコンの電源を落としてベッドに寝ころぶことにした。

今日はかなり作業が進むと思ったのに、えらい邪魔が入ってしまったな。

 「邪魔」と一蹴していいものかわからない――やけに鮮明で、ヒロインのイメージにぴったりの「彼女」の声を思いだしながら、大きくため息をつく。僕の作品更新を残業後の楽しみにしてくれているペン太になんと詫びたらいいものか。若干の申し訳なさを抱きつつも、クーラーの冷風とベッドの柔らかさが心地よく、僕の意識は、だんだんと微睡みに引き寄せられてしまう。

 ああ、駄目だ、だめだ。今寝たら、本当に続きが書けないのに。

どうして眠気というものは、こんなにも耐えがたいのだろう。

 ぼやけていく思考の中で、僕はこの日、

 

――泣きたくなるほど懐かしい、知らない世界の夢を見た。




 「そこ」は、ひどく真っ白な世界だった。何もない、静かな空間。僕は入院着のようなものを着せられて、「誰か」と遊んでいた。

 誰かは、少女だった。手にはスケッチブックを持ち、いつも絵を描いていた。僕は彼女の描いた絵から物語を想像することが好きで、――そうした「誰か」が、徐々に増えていったように思う。


 二番目に来た人は、ギターを持っていた。

 三番目に来た人は、常に縫物をしていた。

 四番目に来た人は、動画編集が大好きだと言って。

 五番目に来た人は、演じることが人生のすべてだと笑った。


 みんな、「何かを創ること」を当たり前に愛していた。

 誰に命令されるでもなく、何か意味があるわけでもなく、恋焦がれるように、導かれるように、――ただ、自らの「好きなもの」を信じ、大事に磨いていた。

 そこに優劣などなかった。みながみな、自分の「創作」を愛し、人の「創作物」を褒め合っていた。

 誰一人として同じものが創れる人間など、いなかったから。

 それぞれが創り上げた「もの」ひとつひとつに、確かな意味があったから。


 ――それでよかったのは、一体、いつまでだったっけ。


「私ね、××の書くお話が大好きなの!」


 ――あれは一体、誰の声だったっけ。



 涙が頬を伝う感覚がして、目が覚めた。息が荒い。胸が締め付けられるように苦しい。何か夢を見ていたような気がするのに、さっきまでそこにあったはずの情景が最初から何もなかったかのように綺麗に霧散してしまって。その涙の理由が何なのか、今の僕にはこれっぽっちも思い出せそうになかった。

 (水……。)

 それよりも何よりも、夏の朝一発目に感じる喉の渇きの方が重要である。

 僕は身体を起こして、クーラーの効いた部屋に素足をさらす。寝苦しいのが敵わなくて、一晩中クーラーをつけっぱなしにしてしまっているせいで、身体が鉛玉のように重かった。文明の利器にあやかりすぎて、突然の災害などで使えなくなったら最悪だな、などと頭の片隅でぼんやり考えながら、身体を引きずるようにしてキッチンに向かう。

お気に入りのコップに冷水をそそいだ。ごく、ごく、と一気飲みをし、

 「――っはあ、」

 たっぷり十秒息を吐く。生き返る。

 カラカラに乾いていた喉が潤い、ようやく鮮明になってきた思考で、今日の予定を思いだすべく先ほど充電ケーブルから引っこ抜いておいたスマートフォンを開いた。

 いつも通り、退屈な一日だった。予定といえば、夕方から始まる本屋のバイトくらいで、その他これといった用事はない。夏休み中の課題はとっくに終えているし、会う予定の人も特段いない。――であれば。

 「書くかあ、今日も」

 絶好の執筆日和、というわけである。

 僕は嬉々としてその準備に取り掛かった。まずは腹ごしらえ。空腹のままだと浮かぶアイデアも浮かばないというものだ。

 冷蔵庫を開いて、中のものを確認する。思えば昨日の晩から食べてないのもあって、胃が空腹の限界を訴えていた。腹の虫がぐうぐうと鳴るのをいさめながら、ラップのかけられた昨日の父作・炒飯と、卵をひとつ、マヨネーズと一緒に取り出す。

 父のつくる炒飯には卵がのっていないのだが、僕はのっている方が好きなのだ。

 僕は小さな器に卵を割り入れ、マヨネーズと胡椒で軽く味付けしてから、一気にかき混ぜた。ふわふわ卵に並々ならぬこだわりがあるわけではないが、ここで上手く混ぜられたか否かが出来栄えにかなり影響する気がする。

 かちり、ガス台の火をつける。令和六年にもなったというのに、僕は生まれてこの方IHとやらを使ったことがない。できるものに差はないわけだし、掃除が楽なIHの方が絶対いいのにな、――と頭では思っているものの、そもそも父とは雑談を交わすような間柄でもないので黙っておくことにする。

 などと、考え事をしていればフライパンもしっかり温まったようで。温め直しのために、一晩経って油が固まった炒飯に軽く火を通してから大きな皿にあけ、ついで先ほどかき混ぜた卵をフライパンの中に流しいれた。じゅう、と子気味よい音がして、だんだんと熱が入っていく。固まってしまわないように菜箸でやさしくかきまぜてやりながら、絶妙なタイミングで火を止め――そして。温めたあとの炒飯に布団のごとくかけてやれば、完成だ。僕と父の合作炒飯である。――まあ、当の本人はまだ寝ているようで、相変わらず部屋から出てこないのだが。

「父さんー、炒飯あっため直したからね」

 反応があることを期待しているわけではないが、便宜上、声をかけておく。

 思った通り返事はない。沈黙を貫く父の部屋の入り口を睨みつけながら、僕はひとりの食卓にひとり分の炒飯をよそった。

 「いただきます」

 ――そうして今日も、孤独な一日がはじまる。

 何とはなしに点けたテレビ番組では、例の奇病とやらの続報が流れていた。

 

 「――朝のニュースです。昨日夕方午後五時ごろ、国内での『創作者症候群』による初の死亡者が確認されました。亡くなったのは都内に住む漫画家・あけのうたげさん。自宅のマンションで倒れているところを、担当編集者の松本さんが発見したそうです。

 発見当時、彼女の胸には大型の剣が突き刺さっていたとのことですが、時間経過につれ消えた――とか。これは彼女の描く漫画の主人公・ライトが所持する武器の形状によく似ていたというのが松本さんの証言なのですが、実際に死亡例が出てしまったとなると、例の会見を嘘だと考えるのは難しくなってしまいますね……。コメンテーターの横山さん。今話題の『創作者症候群』について、どうお考えになりますでしょうか――」


 馬鹿らしい、とつくづく思う。

 だいいち、万が一本当に「創作」が人を殺すなら、――僕はとっくのとうに死んでいるはずじゃないか。



 ――思えば、「物語」は僕の逃げ場だった。

 目の前で両親の喧嘩を見せつけられることが、心理的虐待にあたることを知っている親はどのくらいいるのだろう。

 母親の顔なんてもう覚えてはいないけれど、彼女が早口でまくし立てる際の耳がキンとするような金切り声と、父親の怒声は、まだ僕の耳に残っている。

 幼い僕は、その光景から目を逸らそうとして――現実に目を瞑りたくて、物語の世界に逃げた。

 本を開けばいつでも温かく迎えてくれる空想の世界は、僕にとっての居場所だったから。学校の図書室で一冊本を借りてきさえすれば、地獄のようなワンルームからいつだって旅に出られた。

 ある時は海の底を泳ぎ、またある時は広大な空を飛んだ。ある時は大国の王様になって贅沢三昧をし、またある時は、最下層の身分からのし上がった。あらゆる世界の主人公たちが、僕の世界を広げてくれた。――「読書の楽しさ」、ひいては物語を創ることの楽しさを早めに知ることができたのは、僕の退屈な人生の中で、数少ない幸運と言えるかもしれない。

 とまあそんなわけで、幼いころから本の虫、創作の虜だったこの僕に言わせてみれば、「創作に中毒性があるなんて今に始まった話じゃない」。だからこそ物語というものに人は魅了されるのだし、それを突然「やめろ」と言われたところで「はいそうですかもうしません」と言えるような人間はそもそも創作に向いていないように思う。

 何故なら、媒体問わず作家というのは「社会の代弁者」的な存在で、その多くは社会に対して不満があるが、なかなか主張できないタイプの人たちだと思うからだ。「創作」はそうした人たちが心に秘めている声を訴えるための手段なのである。

 とどのつまり、国に「やるな」と言われたところで――僕を含む彼らが、そう簡単に口を閉ざすとは思えない。


 「僕が書くのを、止められるもんなら止めてみろ」

 

宣戦布告のように呟いて、パソコンに指を置いた。ブラインドタッチ。画面だけをただひたすらに見つめながら、僕は今日も、軽快

に言の葉を紡いでいく。物語の世界に、のめり込んでいく。


 「久しぶり」

 とある日の朝。夏香と蒼は、公園の前で再会する。久々に会った蒼はどこか表情がうかなくて、夏香は心配そうに様子を窺うものの、蒼には上手く躱されてしまう。

 「どうしたの?なんかあった?」

 「何でもないよ」

 「嘘吐くの下手すぎだよ。何でもないって顔じゃないじゃん」

 蒼は知っている。夏香が死ぬのは、この日の夕方だ。どうにかしてそれを阻止したい気持ちと、歴史を書き換えることへの恐怖心との間で揺れ動く。頭の中に、あの日の赤と線香のにおいがフラッシュバックする。

 「何でもないってば、今日の夏香しつこいよ」

 「ねえ、なんでそんなに隠すの?私ってそんなに信用ならないかな」

 涙交りの夏香の声に、蒼はいら立ちを隠せない。

 「だからしつこいって言ってんだろ!」

 思わず大きな声を出す。びくり、と肩が揺れる。

 驚かせてしまった――と、慌てて見やった彼女の表情は。そこから放たれた声は、ひどく冷たい。


「「じゃあ、答えてよ」」

 「――っ、」

 ――まただ。また、声が重なる。この前と同じ現象だ。セリフを書く前に、脳内に意志をもった少女の声が響く。

 「なんで私を殺すの?ハッピーエンドにしてほしいって、言ったのに」

 「それは」

 「それは何?あの時君、承諾したよね。『約束する』って。あの言葉嘘だったって言うの?」

 その言葉に一瞬、うろたえる。夏香の声は淡々としているが、たしかに怒りを孕んでいることが伝わってきてしまう。

「……作者が作品をどう書こうと作者の勝手だろ」

 ようやくひねり出した言葉に、夏香は呆れたように嗤った。

「私たちの人生がかかってるのに?……ホント、神様ってどこまでも理不尽だね」

 彼女は吐き捨てる。実体があるわけでもないのに、鋭い視線を感じさせるような声色で。

「私は、あなたの言いなりになんてならない。なりたくない。あなたが運命を変えないなら、私は物語として描かれてやらない」

 ――強く、強く。

そのあとは、僕がどれだけ訴えたところで無駄だった。何を言っても答えてくれない。本当に幻聴であったかのように、沈黙を貫かれてしまう。全く、我儘な子に設定したのは僕だが、こんなことになるとは思わなかった。今更後悔したってもう遅いのだけれど。

 思わずため息をついてしまいながら、とにかく筆を進めようと再度指を置く。空間と音、彼女の発言や行動を想像して――そして。

「縲?.....縺斐a繧薙?らァ√′謔ェ縺九▲縺溘?√s縺?繧医?縲」

──あれ。

書こうとした、はずだった。いつものように、文字を。

「縲後↑繧薙°縲√Β繧ュ縺ォ縺ェ縺」縺。繧?▲縺溘d縲りェー縺ォ縺?縺」縺ヲ險?縺?◆縺上↑縺?%縺ィ繧ゅ≠繧九h縺ュ縲√≧繧薙?」

 ――それなのに、僕の紡いだ言葉はノイズのように荒れて、形として残らない。

「縲後?縺??∽サイ逶エ繧奇シ∽ク?邱偵↓縺九∴繧阪?√い繧ェ?√?」

 ――なんで。どう、して?


 「文字が、書けない……?」

 

 二〇二四年八月十八日。

 僕の「創作者症候群」の症状は、ここから始まった。



 

 



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