《第七話:妖精エルミン》
翠峰村の村人である少年レオンは今年の春に一三歳になった。
父は猟師で、レオンもその家業を継ぐべく弓の練習に励んでいた。その日、猪を狩ろうと森の中を相棒のケットシーと共に駆けていた。
「はぁはぁ……逃げられちゃったずら……」
だがまだまだ半人前で、見失ってしまった。レオンは息を切らしながら、木々の間から見える空を見上げる。青く澄んだ空に、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。
視線を森に戻すと、ケットシーがレオンの元までやってきて、物欲しげに見つめていた。
「ありがとう。助かったずらよ、ミケ」
レオンはケットシーのミケにおやつの干し肉を渡す。ミケはそれをモグモグと美味しそうに食べ始めた。
捕獲には失敗したが『貰うものは貰う』ということのようだ。
実際、ミケはしっかりと猪を追いかけていて、レオンは何度か矢を射かけたが、命中しなかった。ミケがキチンと役目を果たしていたのは、事実ではあった。
ちなみに、ミケは名の通り三毛猫で、体毛は白黒茶色の三色まだら模様。
「村に戻るずら」
ミケが食べ終わると、レオンは言う。頷くミケ。
ケットシーは人語を解する魔物化した猫で、体力も強靭でまるで猟犬のよう。
グリーンヒルズでは食糧をネズミやその系統の魔物から守る役割の他に、狩りのお供としても活躍している。
「もし、そこの少年!」
森林地帯から、村へと至る山道に出るレオン。
すると、後方から声が飛んできた。
「お、オーク?!」
振り返ると彼の視線に入ったのは、豚の顔をした人型の生物。ただ宙に浮いていた。
驚きのあまり、思わず尻餅をついてしまった。
「すみません、驚かせるつもりはなかったのです。大丈夫ですか?」
オークらしき生物はスーッと軽やかに宙を舞うと、レオンの元まで辿り着き手を差し伸べた。
「あ、ありがとうずら」
レオンはおずおずと手を掴み、立ち上がった。
よく見ると、その生物の体は人間の子供サイズであった。レオンよりも小柄だ。
そして人語を解し、レオンなどより余程流暢に、この地域の《標準語たるルーサ語》を話していた。
「むにゃ~」
ミケが二足歩行になると、オークの子供らしき生物にお辞儀をする。
外敵にはたちまち警戒態勢を取るケットシーがこの態度。
「あんた……いや、あんた様は何者ずら?」
明らかに只者ではない雰囲気を漂わせる生物に、かしこまるレオン。
すると生物は「おっと、名乗りが遅くなり、失礼いたしました」と落ち着いた声色で話すと、被っていた帽子を右手で外し、胸に左手をを当てて、
「私は《妖精のゴブリン》。名をエルミンと申します。ある《オークの群れのリーダー》をしております。本日は、グリーンヒルズ村の《豚を買い取りたい》と思い、訪ねて参りました」
「へ、へぇ! 商人様、ずらか? そ、それは失礼しましたずら! 村まで、ご案内しますずら!」
最初ボロ布をまとっていたエルミン。だが気づけば、三角帽子に、清潔そうな純白のシャツ、それに装飾のついた華麗な上着:ジュストコールまでまとっていた。本当にいつの間にか。瞬きするうちに。
そして貴公子顔負けの礼節を弁えた挨拶。
すっかり恐縮したレオンは、初対面の時とは別の意味で縮こまってしまうのであった。
「なるほど……つまり、エルミン様はオークの群れを人間と共存できるように導かれている、ということずらか?」
「はい、そうです。それが私たち妖精の役目なのです。そして、群れの一人が、この村の出身なのです」
「へぇ」
「彼は家畜として食べられてしまうという恐怖からオークとなり、そのまま一人村の牧場から逃げ出したのですが、仲間を残して自分だけ逃げ出してしまったことが、ずっと心残りだったそうなのです」
「確かにうちの村では豚を沢山育てているずら。美味しいと評判ず……あ、これはその――」
「えぇ、もちろん。あなた方人間が豚を食べることを非難するつもりはありません。それは生物として当然のことです。魔物も肉を食べますから」
「(ふぅ~、失言したかと思ったずら)」
胸を撫でおろすレオン。
「この村出身のオーク、オルディンという名なのですが、彼はいつもそのことを気にかけていて、罪悪感に苦しめられているようでした。私は彼の気が少しでも済むならと、グリーンヒルズを訪れた次第なのです。数匹の豚を買い取らせて頂きたいのです。お代は、もちろんお支払いいたします」
そう言うと、エルミンは右手の指をパチンッとならした。
「た、大金ずら~~~!!」
するとエルミンの左手に革袋が現れる。解いて、中をレオンに見せる。
デナリウス金貨が大量に詰まっていた。金貨一枚の価値は一万デナリウス。レオンが目を見開いて驚くのも当然であった。
ちなみに銀貨一枚は一〇〇デナリウス。銅貨一枚が一デナリウスで最小単位の貨幣だ。
「それで、レオンあなたに頼みがあるのです」
「頼みずらか?」
「はい。私たちのことを村の方々に事前に伝えてきて欲しいのです。あなたも知っての通り、普通の人間の皆さんはオークを恐れていますよね?」
「確かに、そうずら」
レオンはエルミンと話すうちに、オークも人間と同じように感情や理性を持っていることを知った。信念を持ち、仲間や家族を大切にしていることも知った。
「最近村の豚がオークになってしまったずら……彼は、エルミン様達とは違ったずら。牧場で暴れまわって、村で色んなものを破壊して、豚も多く逃げ出してしまったずら……幸い、死者はでなかったずら。オークは死んでしまったけど……」
「……申し訳ありません、レオン。彼に代わり同族を導く妖精として謝罪いたします」
「エルミン様が謝ることじゃあないずら……それに、何だかその暴れたオークの気持ちも、今なら少しわかる気がするずら。ただ、怖かっただけなのかも知れないずら」
「そうかもしれません……レオン、実はストレスの多い豚というのは美味しくないのです。美味しい豚というのは、ストレスの少ない環境で大切に育てられた豚なのです」
「エルミン様は物知りずら~」
「ありがとう。つまりレオン、あなたの村では豚を愛情を持って育てていたのだと思います。貴方が言う通り、そのオークは復讐心などではなく、ただ恐怖から暴れてしまったのかもしれません……もちろん、許されることではないかもしれませんが……」
エルミンは申し訳なさそうに、再度頭を下げる。
そこでレオンは手を差し出した。
「仲直りずら。エルミン様のお話を聞けば、きっと村のみんなも分かってくれるずら。豚もまだ少し残っているずら。その子たちを買って欲しいずら……今は復興で入用だと思うから、少し値が張るかもしれないずらが……」
「ありがとう、レオン。もちろん、代金は《色を付けて》お支払いします。復興の手助けが出来れば、私達ゴブリンが求める《人間とオークのわだかまり》を解くキッカケになるかもしれませんから」
二人は互いに握手した。それは和解の象徴だった。
憎しみを抱き続けてはいけない。だが、悲劇を忘れてもいけない。
大切なのは乗り越えること。悲劇と憎しみの連鎖を繰り返さないことなのだ。
その後、エルミンと一度別れたレオンは一人村に戻り、村長に事情を説明していた。
村はグリーンヒルズという名前の通り、緑豊かな丘陵地帯に位置していた。牧場や畑が広がり、空気は清々しく、心地よい自然の匂いが香っている。
「ほう、そのオークの子供の姿をした、ゴブリン、とやらは大金を持っていて、村の豚を買いたいと言っていると……そうかそうか。ありがとう、レオン……」
村長は髭をさすりながら、何か思慮に耽った後、レオンに次のように言った。
「……なれば歓迎の準備をせねばな、戻ってそれを彼らに伝えてきておくれ。そうさな、一刻と半刻ほどお待ちいただきたいと伝えてきておくれ」
「分かったずら」
エルミンの元へと足早に戻るレオン。
彼は山道の入り口にいて、そこには彼の仲間たちがいた。
「村長の許可が出たずら! 歓迎の宴会を開くから、申し訳ないずらが、ここで少しお待ち頂きたいずら!」
「ありがとうレオン。良ければ、こちらに来てください。今、お茶を入れたところです、皆で飲みましょう」
エルミンの仲間のオーク達は皆身綺麗で、都市に住む中流階級の人間たちのような洗練された装いだった。
彼らはテントを立てて、焚火を燃やし、テーブルを囲んでお茶をしていた。
「お、お茶?! そんな高級なもの、飲んだことないずら!」
「君がエルミンが言っていた男の子だね。こっちへおいで、砂糖菓子もあるよ。猫ちゃんにはミルクだね。うちの山羊のミルクは癖が無くて、美味しいよ」
人の好さそうな、眼鏡をかけたオークの青年がほほ笑みながら、レオンとミケを手招きする
「さ、砂糖!? そんなの貴族様しか口にできない高級品ずら、恐れ多いずら……」
「何遠慮してるんだい。ささ、おいで」
少し小太りのおばさんオークに背中を押され、導かれ、レオンとミケはオークの一団と共に、おやつと歓談を楽しんだのであった。
そして約束の時間が経って、村から使いの人間が来た。レオンにエルミン達を連れてくるよう言った。
「分かったずら……エルミン様、皆さん、準備が整ったずら~!」
かくしてレオンは村にエルミン一行を迎えた。
村人は総出で彼らを持て成し、宴会を開いた。食事や酒を振る舞った。
そして――
「ここは……狩猟小屋?」
朝、目覚めるとレオンは村のある山の狩猟小屋にいた。
「昨日は宴会があって……そのあと……どうなったずら?」
レオンは宴会の途中で寝てしまったので、記憶がなかった。久しぶりにお腹いっぱいになって、エルミン達のおかげで税や復興のための資金も目途がついて、これで村も安泰だと、そう思った安心感で事切れて、寝てしまったのだ。
色々なことがあって、気づきも多かったと同時に、疲れてもいたし。
「とりあえず、村に戻るずら。ミケ、行くよ」
隣で丸まっていて寝ていたミケを揺すり、しかし起きないのでミケを抱えて、レオンは村に戻る。
「こ、これは……どういうことずら……」
しかしそこにあったのは、人気なく、廃墟となった、変わり果てたグリーンヒルズ村であった。
・あとがき
という訳で今回は回想回でした。
次話は駆達とレオンが邂逅した後のお話となります。
第八話でも再び読者の皆様とお会いできると信じて!
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