《第三話:冒険者たち》
駆が振り返ると、そこには母親の美香子がいた。
しかし服装は普段とは違っていて、古代ギリシアのキトンを思わせる白いドレス――おまけに胸元が開いている――に空色のマントを羽織っている。手には、ファンタジー世界の魔法使いが持つような長い木製の両手杖を携え。
「ママ……?」
駆は驚く。
「どうしたの? 顔色が悪いよ」
美香子が心配そうに。
「具合でも悪いの?」
「いや、それより……その格好は?」
駆が尋ねる。
「これ? これは神官の服だよ」
美香子は言う。
「わたしは神に仕え、人を癒す聖職者なんだから」
「神に仕える神官……?」
駆は呆れる。
「ママ、何言ってるの?」
「え? 何って――」
不思議そうな様子の美香子。駆は畳みかける。
「ママは主婦だよ! 僧侶なんかじゃない!」
「主婦?」
美香子は首を傾げた。
「わたしは冒険者よ? 確かに冒険の途中でお料理やお洗濯はしているけど……強いて言うなら、剣業主婦?」
「ぼ、冒険者?」
駆は更に呆れた調子で、
「ママ、頭おかしくなっちゃったの?」
と言った。
しかし、この言葉には今まで当惑していたものの穏やかだった美香子も様相を変える。声に怒気がはらむ。
「駆の方がおかしいよ! 何でそんなこと言うの?」
「だって、こんなのおかしいじゃん!」
駆が興奮した調子でまくしたてる。
「まるでゲームの世界じゃないか! それこそ、パパの好きなドラゴンアドベンチャーの世界だよ!」
「げえむ? どらごん、あどべんちゃー?」
当惑した様子の美香子。
息子の言葉が理解できていないようで、怒りもどこかに吹き飛んでしまったよう。
「どういうことなの……? 訳分かんない……」
駆は頭を抱える。
その時、別の声がした。
「まったく、朝から一体なにを揉めているんだ」
駆は顔を上げた。
「パパ……?」
声は信彦そのものであった。
だが、その父親の姿を見て驚いた。そこにいたのは、普段の穏やかで温厚そうな信彦ではなかった。
重厚な鎧に身を包み、装飾の施された兜を脇に抱えていた。
「どうした、駆?」
信彦が笑って言った。
白髪交じりの黒髪に、しわの刻まれた顔。その点はいつもの信彦と同じであった。
だが肌は日焼けしていた。そして鎧を着ていることも相まってか、かなり筋肉質な体つきをしているように見えた。
明らかにワイルド系。どちらかというと、ダンディー路線であった駆の知る信彦とは大分印象が異なる。
「人生笑顔が一番! 今日も家族仲良く、張り切って冒険しようじゃないか!!」
腰に剣を携え、背中には盾を背負っている。
駆の目の前にいる父は、誰がどう見てもファンタジー世界の《戦士》、そのものであった。
美香子と信彦は、自分が知っている母親と父親ではなかった。ドレスや鎧に身を包み、ファンタジー世界の住人のように振る舞っていた。まるで現実世界のことをすっかり忘れてしまっているかのよう。
駆は何か現実世界の証拠となるものがないかとローブのポケットを探った。硬いものが手に当たった。取り出す。
「これって、スマホじゃん!」
そこには、スマートフォンが入っていた。早速起動する。
駆は目を疑った。
「どうなってるの? 何これ?」
駆はパニックに陥った。
美香子と信彦は首を傾げた。
「どうしたの、駆?」
「それは《魔動機》じゃないか」
「ま、魔動機?」
「そうよ。あなたが教えてくれたんじゃない。《エルダリオン魔法学院》で卒業の証として貰ったって」
「え、えるだ? 魔法学院?」
「異空間に持ち物をしまったり取り出したり、周辺の地図を見たり、自分が今どこにいるか知ることが出来る。そんな凄い道具なんでしょ? 駆自慢してたじゃない」
「流石はエルフの魔法技術。使いこなせば、大魔王が打ち倒される日がぐっと近くなるな」
「だ、大魔王?」
「そうさ。俺達は大魔王を倒す勇者」
「勇者?」
「えぇ、わたし達にはこの世界を救う使命がある」
「俺達冒険者は、大魔王に立ち向かわなければならないんだ」
美香子と信彦は真剣な表情で言った。駆は呆然とした。
彼らはさながら、自分達がゲームの主人公だとでも思っているかのようだった。
駆は美香子と信彦に現実世界のことを説明し始めた。
「駆、冗談はやめて」
「そんなことはありえないぞ」
が、彼らは聞く耳を持たなかった。美香子と信彦は、駆の話を信じなかった。
彼らは自分たちがこの世界で生まれ育ったことを確信していた。
彼らは自分たちが冒険者であることに誇りを持っていた。
彼らは自分たちが大魔王を倒す、勇者としての使命を背負っていることに疑いを持っていなかった。
駆はどうすればいいのか分からなくなり、視線を落として、魔動機だというスマートフォンもどきを見た。
そこには、メニューが表示され、マップやアイテムやメモなどといった項目が並んでいた。
駆はメモを指でタッチし、開いた。
映し出されたそれは完全にスマホのメモ帳アプリのそれで列状のメモが並んでいた。試しに一番上のメモを開いてみた。
『魔物の襲撃を受けるかもしれない村の防衛
報酬:金10,000デナリウス
依頼人:冒険者ギルド エメラルド・ウイング』
駆は目を丸くした。
これは、テレビゲームによくある《クエスト》そのものだった。
駆は画面を美香子と信彦に見せた。
「これ何?」
「これは、冒険者ギルドから受けた依頼よ。駆メモしてくれてたものね」
「俺達冒険者はギルドに登録しているんだ」
「ギルド?」
「ギルドというのは、この世界で活躍する冒険者達の互助組織」
「冒険者ギルドでは、様々な依頼が出されているぞ。人々からの悩みや困り事などがな」
「わたし達はその依頼を受けて解決することで、報酬と名声を得ることができるの」
美香子と信彦は熱く語った。
駆は呆れ果てた。
美香子と信彦は、やはり《ゲームをしている》かのようだった。
「ねえ、待ってよ。これは僕たちが本当にすべきことなの?」
駆は必死に訴えた。
「僕達はこの世界の住人じゃないんだよ! 現実世界に戻ろうよ!!」
美香子と信彦は苦笑した。
「駆、冗談はやめて」
「何言ってるんだ。そんなことはありえないぞ」
美香子と信彦は駆の話を信じなかった。馬耳東風。
駆は呆然と、魔動機の画面を見つめる。
「あれ?」
そして気づいた。
「どうして僕、《これ》が読めるんだ」
画面に表示されていたのは、駆がこれまで《見たことのない文字》で書かれた文章であった。
「一体、どうなってるの?」
だが母国語である日本語と同じようにスラスラと、英文読解のように頭で考えて翻訳するまでもなく、当然のごとく駆には文章の意味が分かってしまっていた。
そのことについて疑問を抱くよりも前に。当然のように。
今まで、この世界に生きてきた住人のように。
「いや、それ以前に」
『僕はさっきまで何語を喋っていたんだ?』
・あとがき
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それでは、次話でまたお会いできると信じて!