《第二話:異世界転移》
お風呂から上がった駆は、ふんわりとしたバスタオルで身体を拭き終わると、リビングへと戻った。
テレビでは三連休初日の祝日ということもあって特番が放送されていた。出演する芸能人たちが美味しい料理を堪能して、どちらがより高価な食材で作られているのか当てたり、あるいはクラシックの名曲が二度流麗に演奏されて、どちらがプロで、どちらがアマチュアが演奏していたのか、そんなことを当てていく定番のクイズ番組であった。
信彦はすでにソファに座って見入っていたので、駆も流れで一緒に見始めた。
気づけば、駆の前には美香子が作った晩御飯のカレーが置かれていた。スパイスの香りが鼻をくすぐり、いつの間にか、カレーを食べ終わっていた。
気づけば、信彦の姿はリビングになかった。美香子が「お風呂冷めちゃうから、そろそろ入ったら」と言っていたような記憶が、駆にはかすかにあった。
気づけば、美香子が「今日は早めに寝るね」と言って寝室へと向かうところであった。「おやすみなさい」と駆が返事をする。テレビの音だけがリビングに残った。
「もうこんな時間か」
気がつくと、時計の針は一一の数字を指していた。もう深夜の二三時であった。美香子はもちろんだが、家の静けさからして、おそらく信彦も既に寝入っているのだろう。
駆は歯磨きをしようとリビングを出て、洗面所へと向かった。歯磨きをしながら録画していたアニメを一話見て、それから寝ようと思っていたのだが、
「あぁ、忘れてた」
浴室のある洗面所へと続く廊下を歩いていて、棚に置かれたファミコンとドラゴンアドベンチャーが目に入った。
「今からやるには……どうしよう?」
とりあえず予定通り、歯磨きをしながらアニメを見ながら、考える。
歯磨きを終え、アニメを見終わる頃には二三時半を回っているかもしれない。もしそこからゲームに夢中になって時間を忘れてしまうなんてことになったら、マズイだろうか?
「起動確認だけはしておこうかな?」
とはいえ春学期末試験が終わり、夏休み初日でもある。父と同じようにゲームにはまってしまって、それで夜更かしするのも悪くない。そう考え直した。もはや起動確認だけで終わるつもりはない。
歯磨きを終えアニメを半分見終えたところで、彼はゲーム機とソフトを抱えて嬉しそうに二階にある自室へと向かった。
「そういえば……ファミコンのケーブルって、今のテレビに繋げられるんだっけ?」
部屋に着いて、ファミコンのパッケージを開けながら、駆はふと思った。『今のテレビでは無理』とどこかで聞いた気がする。
「……あっ、三色ケーブル。これなら大丈夫そう」
ケーブルはWiiなどでも用いられていたコンポジットケーブルだった。
最近はHDMI端子以外非対応のテレビも多いというが、駆の部屋のテレビにはコンポジットケーブルの入力端子があった。『今のテレビでは無理』というのはそういうことだったのだろう。
「じゃ、起動と」
最後に本体にソフトを差し込んで、電源を入れた。
だが、
「あれっ! 何?」
突然部屋が真っ暗になった。テレビも消えた。
「ブレーカーが落ちた、とか? まさか……」
ブレーカーの入れ直しとは、気が滅入る。
面倒な気持ちになりつつもスマホのライトをつけて、一階に降りて行こうと部屋のドアに手をかけて、
「やっぱり停電だよね。ファミコンでブレーカーが落ちるわけないもん」
考え直した。
「神様からのお告げかな。昨日夜遅くまで勉強してたし、寝なさいってことだよね」
駆は暗闇の中ベッドまでたどり着くと、布団をかぶって目を閉じた。
「……明日は早起きして、ドラゴンアドベンチャーしよう」
その呟きが《異世界へと転移する》前の、駆の《現実世界での最後の言葉》だった。
駆は自分がファンタジー世界にいることに気づいた。駆の周りには戦士や僧侶、武術家、踊り子などといった仲間達がいて、襲い掛かってくるモンスターを蹴散らしつつ、どこかへと向かっていた。
駆は何が起こっているのか分からなかったが、とりあえず彼らについて行った。
「よくぞ来た、勇者よ」
やがて、駆たちは大きな城に着いた。そこには大魔王が待ち構えていた。大魔王は人の形をしていたが、その体は人間よりも何倍も大きく、目は血に染まったように赤く輝き、角や翼が生えた異形であった。
魔王は嘲笑う。
「余はこの世をあまねく統べるもの:大魔王。お前たち人間は、強大なる我が力の前にあってはあまりに無力だ」
「そんなことはない!」
戦士が叫んだ。
「俺たちは正義の味方だ! 愛と勇気が力の源! それらが俺たちに無限の強さを与えてくれる! 大魔王、お前を倒して世界に光を、平和を取り戻す!!」
「くだらない」
大魔王は吐き捨てた。
「さあ、我が手に抱かれ永久の眠りにつくがよい」
大魔王は手を大振りする。強大な魔法が放たれた。
天地を焼き尽くすかのような猛威。空気が引き裂かれ、大地が大きく揺れ動く。
駆たちは大魔王の攻撃を何とか凌ぎつつ、隙を見つけて必死の反撃を試みていたが、なかなか有効打を与えることが出来ない。
「くそっ、強すぎる……」
武術家が悪態をついた。
「みんな、諦めるんじゃないぞ!」
戦士がパーティを勇気づける。
「分かってる。あたし達に世界の命運がかかってる。負けるわけにはいかないわ!」
大魔王の猛攻を前に、膝をついていた踊り子が立ち上がる。
「回復、頼むぞ」
「任せて。何があっても、わたしがみんなを支えきってみせる!!」
中でも戦士と僧侶の息はぴったりであった。
「こうなったら一か八かだ……《駆》、俺が血路を開く。頼んだぞ!!」
「?!(え?! 僕?)」
突然呼びかけられて、動揺する駆。戦士は大魔王目掛けて突進していった。
僧侶が回復魔法の詠唱を始め、踊り子が魔術的な踊りで味方の身体能力を向上させる、武術家が大魔王への道中を阻む魔物達を次々となぎ倒していく。
そして駆は……目を覚ました。
駆は目を覚ました。目の前には、見たこともない美しい景色が広がっていた。緑の草原に、その先に広がる深い森。彼方には高い山々が連なっている。空は青く澄み渡り、鼻を抜ける空気は心地よい。
草原に寝転がっていた駆は起き上がると、自分が身に着けている服を見た。パジャマではなく、水色を基調にしたローブを身に着けていた。起き上がった拍子に分厚い本が――繊細な装飾の施されている――胸から地面に転がり落ちた。駆は状況を飲み込めず頭を抱えた。すると柔らかな感触。掴んで目の前にもってくると、それは鍔の広いとんがり帽子。
その恰好はいかにも、ファンタジー世界の魔法使いそのもの。
一体、どういうことなのだろうか。駆は混乱した。
「(これは夢? それにしてはやけに意識がハッキリと――)」
そして、声を聞いた。
「「おはよう」」
振り返ると、そこには美香子と信彦が立っていた。
でも、違っていた。駆が知っている《いつもの両親》ではなかった。
美香子は胸元の開いた白いドレスと青いマントを着て、杖を持っていた。その姿は優雅でかつ清廉、まるで聖女のよう。
信彦は鎧と兜を身につけ、腰には剣を差し、背中には盾を背負う。その姿は勇敢で堂々として、まるで戦士のよう。
ファンタジー世界の……いや、さながらドラゴンアドベンチャーの登場人物たちのようであった。
・あとがき
という訳で、異世界に転移しました。
『ここから物語が始まっていく』
そういう気持ちも込めて、最後に表紙イラスト。
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それでは、次話でまたお会いできると信じて!