第五話 出会い
既に空は茜色に染まり始めていたが、疲れ果てた表情の二人はいまだ森の中を彷徨っていた。
街道を逸れて近道をしようと、ジェフが提案したところまでは良かったのだが、その近道はおよそ道とは言えない、草木が僅かに踏み分けられただけの獣道で、二人はすっかり自分たちの居場所も向かうべき方角も分からなくなっていた。
「近道なんてしなきゃ良かった……」
「そんな事言ったってしょうがないでしょ!」
うんざりしたようにうな垂れ、立ち止まったジェフは弱音を漏らした。それを尻目に、数歩先を行くミーナは足を止めて振り返り、叫ぶように半ば怒鳴りつけて言う。
「だってよ……」
「だってもへったくれもないの! ここで野宿したくないなら、街まで行くしかないでしょ!」
ぶつけられた叱責に不満なのか、ふて腐れる子供の様に唇をヘの字に歪めた少年は渋々と歩みを再開する。
「ちんたら歩いてないで! 早く行くよ!」
そんな彼の姿に、少女は増々語気を強めて声を張り上げた。
刻一刻と辺りは暗闇に覆われていく。そんな漆黒にも近い闇の中から時折聞こえる獣の遠吠えが二人の恐怖を増長する。
もはや獣道ですらなくなった、茂みの中をかき分け進む二人。疲れと恐怖と、そして後悔の入り混じった苦悶の表情を浮かべながらも必死に進み続けると、突如として開ける暗黒の森。
真っ暗な木立を抜け出せばそこは小高い丘の上。そこで二人の瞳に映ったのは濃紺の夜空の下に瞬く、暖かな色の人里の灯りだった。
「助かった……」
息苦しさから解放されたのかジェフは大きくため息をつき、全てを成し遂げたのかの様に安堵の表情を浮かべてその場に力無く座り込んだ。
「もうちょっとだよ! まだ街には着いてないんだからね!」
けれどもミーナは、彼女も幾分かは安心したかのように表情を緩めはしたものの、再び気を引き締めようと少年に檄を飛ばした。それは自身に対するものでもあり、二人は疲れ果てた身体に鞭打って、最後の力を振り絞る様に街へと歩みを進めた。
街道沿いの宿場町はミーナたちの故郷であるラドフォードと比べると、随分と――相当に――もの寂しい街であった。
そんな街の半ば酒場とも思える小さな食堂の片隅で、ようやく食事にありつかんとする少女と少年が居た。
「遭難しなくて良かったよ」
「まったくだ! 近道出来ると思ったんだけどな」
自身の招いた結果に懲りない風な口調でジェフが言い、返す言葉も無いミーナは代わりにわざとらしく大きなため息をつく。
「まあこうしてたどり着いたから良しとしようぜ。そんな事より、俺は腹が減って死にそうだよ」
微塵も悪びれる様子も無い少年の姿に少女は二つ目のため息をついたが、彼の言いう通りに腹ごしらえが先決と、食べ盛りの二人はメニューをしばし眺める。
「……」
「…………」
僅かな沈黙の後、各々は革製の財布の中を覗き込み、そして同時に口を開いた。
「「一番安いのにしよう」」
見事なまでに声が重なった後、ミーナは手を上げて給仕を呼んだ。
「ええと、これを二人分……」
少女は注文をしながらその焦げ茶色の瞳をジェフの方にやる。
すると、そこには汗と砂埃に汚れた頬をうっすらと紅潮させて、給仕の娘を見つめる少年の姿が目に入った。
「はい、ご注文ありがとうございます」
そんな彼の様子など気にも留めず、注文を取り終えた給仕はテーブルを後にした。
「ねえ、またいつもの?」
少女はその眉間に深いしわを寄せて、半ば侮蔑の念の籠った眼差しを向けた。
けれども、ジェフは未だ頬を紅潮させ、自分たちの元を去る女性の後ろ姿を見つめていた。
「綺麗なお姉さんだなぁ……」
「そうだね、優しそうで美人な人だね。まあジェフには関係無いけど」
「運命の出会いかも……」
辛辣な言葉を投げかけられても、それを全く意に介さないジェフは頬杖をついたまま先程の女性の働く姿を眺めていた。
「惚れっぽいって言うより、見境が無いっていう方が正しいね、これは」
吐き捨てるようにミーナは言い、おもむろに窓の方に顔を向ける。そこには薄汚れた顔の女の子が呆れた表情を浮かべていた。
二人がそんなやりとりをしているうちに注文した料理が運ばれて来た。
もっとも、先程とは違い、年配の女性が配膳を担当したのでジェフは肩を落としたのだが。
ほぼ丸一日まともな食事を取っていなかった二人は、あっという間に料理をたいらげると、長居は無用と食堂を後にした。
「あーあ、あのお姉さんに会計して欲しかったな」
名残惜しそうにジェフは窓から食堂の中を覗いたが、意中の彼女の姿は見えない。
「はいはい、きっと運命の人じゃないからそうなったんだよ。残念でした」
「嫌な事言うやつだな~」
ミーナの適当な返答に悪態を付きながらも、今一度あの娘の姿を見ようと野犬の様に店先をうろつくジェフ。
すると、よそ見がちにうろついていたジェフは、通行人と正面からぶつかってしまう。両者とも体勢を崩し、通行人の男は尻もちをついた。そして、お世辞にも上品とは言えない、少し呂律の回らない口調で相手は怒鳴り声を上げる。
「どこ見て歩いてんだこの阿呆が!」
怒声は半ば眠りについた街の通りに響き渡った。
余程に打ち所が悪かったのか、ジェフの方はすっかりのびてしまっていたが、声の主は酒瓶を片手に尻もちをついた体勢のまま、少年の方を睨みつけていた。
「だ、大丈夫ですか?」
ジェフの事はひとまず後回しに、ミーナは男に心配そうな声を掛けつつ駆け寄った。すると酒の強烈臭いが少女の鼻につく。そして思わずミーナが鼻を手で覆うのと同時に、彼女の背後から別の男の声が聞こえた。
「大丈夫ですか、って大丈夫なわけ無いよな? お嬢ちゃん、おめえの彼氏のせいで俺のダチは大怪我したんだよ。慰謝料、払ってくれるよな?」
恫喝とも取れる台詞、その声に少女が振り向けば、そこには彼女より頭二つは背の高い中年の男が立っていた。見るからに柄の悪そうな絵に描いたようなごろつきで、その後の行動も見た目通りだった。
「取り敢えず、慰謝料って事で有り金全部出しな」
薄ら笑いを浮かべたまま、酒臭い息を鼻先に吐きかける男にミーナは顔を引きつらせた。
「あら、何か揉め事かしら?」
すると、いつか聞き覚えのある柔らかな声が二人の間に入って来る。その声のほうに顔を向けると、騒ぎを聞きつけたと思われる先程の給仕の女性が立っていた。
「姉ちゃんには関係無えだろ! それともあんたこいつらの知り合いか?」
長身の男は威嚇するかのようなガニ股で女性の直ぐそばにまで歩みを進めると、彼女のあごに手をかける。
「別に金じゃなくても、あんたの体で慰謝料をもらってやっても良いんだぜ?」
だが、下卑た笑いと視線を向けられた女性は、柔らかな物腰からは想像出来ないような、不敵な笑みを浮かべるとおもむろに口を開いた。
「一度しか言わないから。この汚い手を離して、今すぐにここから消えてもらえるかしら?」
その虚勢のようにも思える言葉を受け、男は馬鹿のように大笑いし始めると未だ地べたに座る仲間の方を向いた。
「おい、聞いたか? 見た目と違って随分と気が強い姉ちゃんじゃねえか! こんだけ活きが良いと逆に楽しめそ……」
男の下賤な言葉が終わらないうちに、辺りを眩いばかりの閃光と熱風が包み込んだ。それは一瞬の出来事であったが、熱風は男の顔半分を煤けさせ、毛髪を焦がしきるには十分だった。
「次は加減しないわよ?」
熱源となった手のひらを男の方に構えたまま、笑みをまったくもって消した厳しい表情で彼女は言った。
「うひ、ひえええ!」
「え? おい? まってくれよおおお……」
長身の男は腰を抜かし掛けながらも一目散に逃げ出し、そのあとを仲間の男が追いかけるように走り去っていった。
「もう大丈夫よ……、ってねえ貴女、ちょっと? 大丈夫?」
声を掛けられたミーナだったが、あまりの衝撃的な出来事に半ば硬直したまま、その場に立ち尽くしていた。