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おまけ ジェフの恋

 丁寧な下処理の後、丹念に煮込まれた畜肉は、口に入れればその形をほろりと崩しつつも、噛めば心地良い歯ごたえと共に旨味を含んだエキスを口腔内に迸らせる。


「ミーナの料理は本当に美味いなぁ! うちの母ちゃんに教えてやって欲しいよ」


 時計の調子が悪いからと、修理を頼まれてミーナの家を訪ねていたジェフは、ひょんな事からレンフィールド家の昼食を共にしていた。


「別にたいしたことないよ、普段からやってるから出来るだけ。そういえばジェフのお母さん、料理ド下手だったね」


 料理が揃う前から食べ始める少年の姿に、ミーナは呆れにも似た表情を浮かべながら言葉を返す。

 そして、最後の皿を食卓へ並べ終えると、前掛けを外して席へと着いた。


「母ちゃんの料理って、どれも雑な味がするんだよな。なんでもかんでも濃い味にして誤魔化してるって言うかさ」

「言われてみると、確かに……」


 木さじを手に、自身が作った煮込み肉をすくうと、同情するかのように苦笑いを浮かべるミーナ。


「そんな事言うものでは無いと思うけど? 毎日食事を作ってもらえることに感謝すべきだわ」


 少女たちのやり取りを傍目に見ていたエリーは二人をたしなめつつも、木さじを握り、それで暗褐色のスープをすくい、口へと運ぶ。彼女はそれを飲み込むと、憮然とした表情から一転、口元を緩めて目を細めてこう続けた。


「……でも、ミーナの料理の腕前が優れているのは確かだし、それを褒めるのは間違いでは無いわね」

「まあ、エリーさんの言う通りです。母ちゃんだって料理以外の事で忙しいし、文句ばっかり言ってちゃいけませんね」

「そうよ、不満を言ってばかりでは良くないわ。それにしても今日の食事は格段に美味しいわね」


 今一度たしなめられたジェフは肩をすくめたが、気を取り直すかのように再度料理を口に運び始める。一口、二口、三口と、次第に食べる速度を上げていく。

 そして、器の中身が無くなるまで無言で食べ続け、最後の一口を頬張り、名残惜しそうに飲み込む。


「いやー、本当に美味かった! 良い嫁さんになれるよ!」


 暖かな室内のせいもあってか、顔色も良いジェフが目を細めて満足げに感想を述べると、その台詞を聞いたミーナの祖父はぽつりと呟いた。


「ミーナの貰い手が見つかったようで私は安心だよ」

「おじいちゃん⁉」


 その言葉を受けたミーナは顔を真っ赤にして抗議の声を上げる。同じくジェフも頬を紅潮させつつ眉間にしわを作った。

 けれども、エリーは布巾で口元を拭いながら、老人の言葉に賛同するかのような言葉を口にする。


「私もお似合いの二人だと思うし、おじいさま公認の仲なら何も心配無いわ」

「エリーまで変な事言わないでよ! 嫌だよ、ジェフなんて!」

「はぁ!? ミーナみたいちんちくりん、こっちから願い下げだ! だいたい、お前みたいな女を嫁にする男なんて、ちょっとアレな趣味のヤバい男くらいだぜ!」


 当人同士はそんな気は無いのだろうが、傍から見れば照れ隠しのケンカにしか見えなかった。

 挙句、事の発端を担った老人は自身の食器を片付けると、一度意味ありげな笑みを浮かべ、自室へと引っ込んでしまった。




 食器の片づけを終えたミーナとエリーは濡れた手を拭うと、未だにレンフィールド家の食卓に居座るジェフの向かいに腰掛けた。


「帰んないの?」


 湯気を上げるカップの熱で、冷えた両手を温めるミーナは素っ気なく尋ねる。

 すると、これ程にもなく神妙な面持ちで――彼がそういった表情をするときにはくだらない発言の前触れである事が多い――エリーの顔を見つめて口を開けた。


「俺、エリーさんの手料理が食べたいです。エリーさんみたいな可憐な女性が心を込めて作る料理、どれほど美味か味わってみたいんです」


 エリーは伏目がちにカップの中身を口に含み、ゆっくりとそれを飲み下すと、少年の唐突な願いに冷淡な返答をする。


「よく意味が分からないわ。どうして私がジェフくんに料理を振舞わなければならないのかしら」

「もちろん、ただでとは言いません! 何かしらのお礼をしますので、是非お願いしたいんです!」


 整った面立ちに凛とした表情。そこから発せられる素っ頓狂な言葉に、エリーはため息をつきつつミーナの方を見遣る。視線の先には呆れ顔で肩をすくめる少女の姿――があるはずだった。

 しかし、エリーの蒼い瞳に映ったのは何に感心したのか、ふんふんと頷くミーナの姿だった。


「そうだね。わたしもエリーの料理食べてみたいな」

「ミーナも食ったことないのか! それなら尚更、レンフィールド家への感謝も含めて作るべきです!」


 だんだんと滅茶苦茶な方向へと会話が進み、エリーは額を手で押さえる。

 そして、観念したかのように一度ため息をつくと、呆れ顔でこう言った。


「わかったわよ。でも、私は料理が得意じゃないから、ミーナのように美味しい物が作れなくても文句言わないで頂戴?」




 真っ青な空はどこまでも高く、昨日までの曇天模様が嘘のようであった。

 けれども、陽光の暖かさをかき消す空気は肌を刺すように冷たく、未明に降り積もった新雪を溶かすことなく風に舞い上がらせる。

 そんな真冬の景色が広がる雪原を、かんじきを履いたジェフとエリーはゆっくりと進んでいた。


「どうにもこの履物は苦手だわ。こんな事なら、野外で食事をするなんて止めておけば良かったわ」


 色鮮やかな毛織物で出来た外套に身を包んだエリーは立ち止まると、足に着けたかんじきの調子を直しながらぼやくように呟いた。

 先日、半ば無理やり料理を振舞う約束をさせられたエリー。しかも、それを遠足のように見晴らしの良い所で食べたいとミーナとジェフが言い出したため、彼女はどうにでもなれとばかりにその提案をも承諾したのだった。


「荷物持ちますから、そんな事言わないで下さいよ。良い天気だし、ちょっと寒いけどピクニック日和じゃないですか!」


 少々機嫌が悪そうに、屈んで履物の紐を結わき直す彼女の傍らで、ジェフはそれを待つ。

 そして、伸びを一度すると頭上高くに昇った太陽を仰いだ。


――ミーナの奴、たまには気が利くな。ありがとよ。


 本来ならばこの場に居るはずだった幼馴染の少女に、少年は身勝手な感謝を心の中で述べる。ミーナは本当に熱を出して床に臥せっていたのだったが、ジェフはそれを勝手に自身への気遣い、つまりは仮病と思い込んでいた。


「待たせたわね。あとどれくらいなのかしら?」


 ぼんやりとしていたジェフにエリーが声を掛ける。少年は、はっとして娘の方を向くと、キザな笑顔と共に言葉を返した。


「あと少しです。さあ、エリーさんの美味しい料理が、さらに美味しくなるような絶景を眺めに行きましょう!」


 期待に胸膨らませるジェフは早足に進み始めたが、エリーは一度肩をすくめると、慣れない足取りで彼の後を追っていった。




「確かに、これは見事ね」


 小高い丘の上、エリーは遠景を眺めつつ感嘆の声を上げた。

 眼下に広がるラドフォードの街は真っ白な雪に覆われながらも、特徴的な鋭角の屋根をその中から突き出し、それは青、緑、赤色と何とも鮮やかな風景を作り出していた。

 さらに彼方には隣国との境目にある銀嶺を望み、人間と自然が織りなす大パノラマが広がっていた。


「どうですか? 気に入ってもらえました?」


 雪を踏み固めて座る場所を作りながら、ジェフは意中の娘に自慢するかのような声を掛けた。


「ええ、素晴らしい景色だわ」


 けれども、エリーの声色はどこか寂しげで、そんな彼女の様子に気付いたジェフは、少しおどけたような口調で言葉を返した。


「じゃあ、この素晴らしい景色を眺めながら、最高の食事としましょうか!」


 そして、少年は持参した厚手の敷物を雪上へと広げ、その上に座り込む。


「そうね」


 そして、促されたエリーもジェフと同様に、真っ白な雪とは対照的な、色鮮やかな織物で出来た敷物の上に腰を降ろした。




 風と、時折溶けた雪が落下する音以外、何の物音もしない静かな所だった。

 どこかぼんやりとしているエリーとは対照的に、忙しなく籠の中の料理を並べていくジェフだったが、不意にその手を止めた少年は顔を上げて娘に声を掛けた。


「どうかしました?」

「……なんでも無いわ」


 彼女は悲しげとも思える表情を浮かべ、蒼い瞳に白銀の世界を映していた。

 けれども、気の利いた言葉を見つけられないジェフは、視線をエリーの方から外すと再び食事の支度をしていく。軽食を並べる程度の簡単な支度はすぐに整い、少年はエリーの気が済むまでその様子を見守っていた。

 やがて、寒風が新雪を巻き上げると、我に返ったのか、娘は細めていた目を少しだけ見開いて、ジェフの方を向き直す。


「ごめんなさい、少し物思いに耽り過ぎていたわ……」


 エリーは一言謝ると、置かれた籠の中から金属製の水筒を取り出す。それは底部に熱を発する感応石を設えた特殊な水筒だった。

 どこか気まずそうな彼女は、そそくさとそれの蓋を開けると感応石に術を掛ける。

 やがて数分の後に、筒の口からは真っ白な湯気が立ち昇り、茶の香ばしい香りが二人の鼻先へと広がった。


「あの……、こういう風景に、嫌な思い出でもあったりするんですか?」


 彼女に向かい、少年は恐る恐る――それは彼女を傷つけたくないという思いからか――尋ねた。

 すると、布巾に包まれたカップを取り出し、そこに筒の中身を注ぎながら、エリーは言葉を返した。


「そういうわけじゃないの、確かに私の故郷も冬はこんな銀世界にはなるけど」

「それなら……、良いんですけど」


 続く言葉を飲み込むかのように、渡されたカップに口をつけるジェフ。


――それ以上聞いてはいけない。


 少年は自身に言い聞かせるかのように、苦みを帯びた茶を飲み下す。

 けれども、エリーは小さくため息をつくと、両手でカップの温もりを感じながら、おもむろに口を開いた。


「……この白い雪は融けて、いつか春が来る。それは人の心も同じなのかしら」

「…………」


 彼女の心の奥底に眠る悲哀を感じた少年は目を伏せて、娘の言葉を聞く事しか出来なかった。


「昔、好きだった人に裏切られた事があるの。……いえ、本当に裏切られたのか分からないけど」


 想い人の語る昔話。それは少年にはあまりにも重く、苦しい過去だった。

 ジェフはいよいよエリーの方から顔を逸らし、下唇を噛んだまま遠くを見つめていた。


「どちらにせよ、私はその人の元から離れるという選択をしたわ。だけど、今でもそれが正しかったか分からないし、未だに私は前に進む事が出来ていないのかもしれない」


 紡がれる過去、その意味をジェフは痛い程感じ取っていた。エリーは自分の恋心に気付いている。だからこそ、彼をけん制するかのような話を始めたのだと。

 そして、それは少年の恋心をいたずらに燃え上がらせまいという、彼女なりの優しさだったのかもしれない。


「……春は来ますよ、必ず」


 ジェフは顔を背けたまま、僅かに震える声で一言だけ言う。その言葉にエリーは乾いた笑いを漏らし、小さく首を横に振った。

 けれども、そんな彼女の様子を少年は気付かない振りをしていたかのように、くるりと娘の方を向き直すと、いつもの少々キザな笑みを浮かべて陽気な口調でこう言った。


「さっ、もう湿っぽい話は止めにして、エリーさんの手料理を食べさせてくださいよ!」


 そんなジェフを見たエリーは小さくため息をつき、呆れ笑いにも似た微笑みを浮かべた。




「それじゃあ、いただきます!」

「味は保証出来ないけどね」


 小さな籐の籠に収められた、色鮮やかな具材を挟んだサンドイッチを前に、すっかり気持ちを切り替えた少年は、両の手を擦り合わせながら満面の笑みを浮かべる。


「そんな謙遜なんてしないでください! エリーさんの料理が不味いわけないですよ!」


 そう言ったジェフは狙いを定めると、綺麗に並んだサンドイッチの中から一つをむんずと掴んだ。

 上等な小麦で作られたと思しき、ふわりとして、しかも程よくしっとりとしたパンの感触が指先に伝わり、間に挟まれた卵のフィリングの美味しそうな黄色が食欲をそそった。


「保証出来ないというのは、謙遜ではなくて事実なのだけど?」


 エリーはどことなく心配そうな表情を浮かべたが、そんな彼女を気にすることなく少年はサンドイッチにかぶりついた。

 そして、咀嚼すると同時に手で口を隠しながら感想を述べる。


「うん、すごくおい……」


 少々わざとらしくとも、盛大に賛辞を述べようと思っていた彼は、口の動きを止める。


――な、なんだこれ⁉ 異様に甘いしジャリジャリするぞ⁉


 少年の口腔内には砂糖、しかも大量のザラメの混ぜられた卵たちが、何とも言えない不協和音を奏でていた。特にザラメが歯で砕かれるたびに、まるでそれが大量に混入した卵の殻を連想させ、ジェフは思わず口の中身を吐き出したい衝動に襲われた。

 さらには、数種類の香辛料が、一体何のために入っているか少年には理解しがたい種類と量で混ぜ込まれており、食感だけでなく喉から鼻へと抜ける異様な香り――臭いともいう――が少年を追いつめる。

 けれども、そもそも今ジェフが口にしているのは彼が切望した、想いを寄せる娘の手料理なのだから、それを作った本人の前で吐き出すなどどうして出来るだろうか。


「どうかしら? ミーナのレシピを参考にしながら、私なりに少しアレンジもしてみたんだけど」


 娘の視線の先で、少年は涙目ながら笑顔を無理やり作り、なるべく味覚から意識を遠ざけつつ最小回数の咀嚼をし、そして口の中の物を強引に胃へと落とし込む。


「お、お、お、おいしいですよ⁉」

「それは良かったわ。ミーナの分も作ってしまったから、たくさん食べて頂戴ね」


 少年は言葉を受けておもむろに視線を下げる。そこには先ほどまでは何とも可愛らしく、そして美味しそうに見えていた料理たちが、その姿形からは想像出来ない魔性を隠し、少年の味覚を破壊しようと鎮座しているように、彼には思えてならなかった。

 けれども、恐怖にも似た感情に支配されつつあるジェフを傍目に、この料理の作り手である娘は彼の内心など知らず、自身も手を伸ばすと、それを一口食べる。


「ちょっとアレンジし過ぎたわ。やはりミーナに借りたレシピ通りに作るべきだったようね」


 自身の料理を批判しつつも、二口、三口とサンドイッチを食べ進めるエリー。

 そんな彼女の姿を見たジェフは覚悟を決めた様に思いつめた表情を浮かべ、その震える手を籠へと伸ばした。




 翌朝、少年は山際から差し込む朝日に照らされながら、いつもの様に学校へと足を進めていた。


「おはよージェフ! 昨日はゴメンね」


 冷たい朝の空気の中、すっかり元気になったミーナがジェフを見つけて駆け寄り、そしていつもの様に声を掛けた。


「おはようミーナ、熱は下がったのかい?」


 少女の声に振り向いた少年は異様な口調で言葉を返した。その表情は何処か冷めたように大人びた顔つきで、彼の口調も仕草もミーナからすれば芝居じみた、それこそ恋愛小説かなにかの主人公を演じるかのようなわざとらしいものだった。


「なにその喋り方、気持ち悪いよ」


 幼馴染を見る少女は顔を引きつらせて、率直な感想をつい口にしてしまう。

 けれども、ジェフは非難の言葉を意に介さないかのように、彼方に鎮座する銀嶺を見遣る。


「俺は一歩大人になったよ。人を好きになる、愛するって事がどういう事なのかを理解する事でね」

「ふーん……、じゃあどういう事か教えてよ」


 昨日なにがあったか知るわけもないミーナは適当に調子を合わせて、少年の横顔に視線を向けた。


「人には欠点や短所もあるし、暗い過去や心に深い傷が負っている事もある。そういうものを全てひっくるめて、受けとめる事こそが愛だと思うんだ」

「へえー、ジェフもたまにはまともな事言うんだね」


 素っ頓狂な発言をするかと思いきや、まともな事を述べたジェフに対して、ミーナは訝しむような顔つきながらも、言葉では肯定的な事を口にした。

 けれど、それ以上会話は続かず、しばらく沈黙が続く中、二人は学校への道のりを歩き続けた。

 すると、急に立ち止まった少女は、何かを思い出したかのように鞄の中を探り始める。そして、鞄から小さな包みを取り出すと、それをジェフの方へと差し出す。


「はい、エリーからジェフに。そう言えばエリー、昨日帰って来てから機嫌良くてさ。手作りのお菓子だって」


 飾り気の無い包みを受け取ったジェフは、先ほどまでに冷めた表情からうって変わり、焦りの色を隠し切れないかのように目を泳がせた。


「たぶんクッキーかなにかじゃないかな? 後でわたしにもひとつ食べさせてよ」


 何も知らない少女を傍目に、少年は眉間にしわを寄せながらため息をつく。





 真っ白な雪化粧を施した山々に抱かれた街には、まだ当分の間、春は訪れそうにもなかった。

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