第一話 廃城
紅く色付いた森を一人の少女が駆け足で通り抜けると、落葉を踏み締める乾いた音と、彼女の荒い息遣いが木々の合間に響いた。
そして、走り続けること幾ばく、そこに現れたのは朽ち果てた城門。更にその先には、遥か昔に主を失ったと思しき廃城がひっそりと佇んでいた。
少女はいったん足を止めると空を見上げる。茜色に染まり始めた空では晩秋の太陽が足早に地平線の彼方へと向かう最中だった。
だが、娘は再び歩みを進め、静まり返った城内へと足を踏み入れていった。
硝子の無い大きな明かり取りの窓枠から差し込む夕焼けが、色褪せた絨毯に僅かばかり、かつての鮮やかさを蘇らせた。
その昔は華やかであったであろう大広間の中央を、少女は早歩きで抜けていく。
埃の積もった大理石の円卓や、二度と灯りの灯る事の無い燭台に、朽ちた絵画の数々。それらには目もくれずに城の奥へと向かう。
そして、大広間を抜けた娘の目の前に現れるのは、冷たい秋風の吹き込む廊下。
そこを過ぎると、城内は急速に質素な物へと内装を変えていく。壁面は石造りの質実剛健な物となり、歳月に屈する事の無かった木製の扉が彼女を待ち構える。
錆の浮いた真鍮製のノブを回すと、扉は軋み音を響かせながら開き、石造りのらせん階段が少女の前にその姿を見せる。
暗い階段、それを目にした娘は、おもむろに肩掛けの鞄の中からこぶしよりも一回り小さい、歪な形の白濁した石を取り出した。
宝玉になり損ねた、クズ石のようなそれを少女は手のひらに乗せると、瞼を閉じ、静かに念じるかのような仕草を取る。
すると、石はあたかも内部に火が灯ったかのように光を放ち始め、彼女はその石の輝きを頼りに真っ暗な階段を上って行く。
そして、上りきった先は物見塔の頂上のようで、眼下に望む城を含めた周囲を見渡せるような形状をしていた。
ずいぶんと高所にまでやって来た少女に、木枯らしは容赦なく襲い掛かり、彼女は思わず冷たくなった耳に手をやる。先ほどまで茜色だった空も既に紺色、さらに藍色に変わり始め、その空には星が瞬き始めていた。
そんな中、娘は何をするでもなく西の空を眺め、地平線の彼方に去っていく夕日を見送っていた。
「帰ろ……」
何をしたわけでも無かったが、彼女は小さく呟くとその場を後にした。
再度、暗く狭い階段を、ゆっくりと降りていくその時だった。少女は石段から足を踏み外したのか体勢を崩す。灯り取りの輝く石は娘の手から零れ落ち、あっという間に階下へと転がっていった。
乾いた音が何度か響き、やがて静寂が戻る。彼女は小さくため息をつくと暗闇の中を手探りに進んで行き、階下の扉にたどり着いた。
けれども、石は見当たらない。すでに光を失い、どこか物陰にでも隠れてしまったのか。
そこで少女はおもむろに人差し指を立てると目を閉じ、一度大きく深呼吸をした。
「んっ!」
力を込めるような声と共に少女の指先に小さな火球が灯り、辺りを微弱ながらも照らし始めた。弱々しい灯りを頼りに辺りを見回すと、娘は壁際に人の頭ほどの大きさの穴を見つけ、そこを覗き込んだ。
すると、そこには微弱ながら光を放つ石の姿が見える。
「部屋……なの?」
覗き込んだ先の空間は不自然に広がりを見せ、それは通路や部屋に準ずる場所のようにも思えた。
「なんだろ、もうちょっと良く見えれば…」
好奇心に駆られた少女は手を穴に入れると、指先に灯った明かりを頼りに階下に広がるそこを覗き込む。
僅かな光に照らされるのは石壁、そして――
「鉄の扉……?」
何かがある事だけは分かった。
だが、それ以上は分からないと悟った少女は立ち上がると指先に込めた力を抜いた。
それと同時に炎は消え、辺りが再び暗闇と静寂に支配されると、少女は一仕事終えたかのように大きくため息をつき、額に滲んだ汗を袖で拭う。
「あんな扉があったんだ……」
城の隅々まで知りつくした様な口ぶりの少女だったが、明かりも無い彼女にはこれ以上調べる術は無かった。
「……また今度かな」
再度ついた大きなため息とともに呟きを残して、少女は後ろ髪を引かれながらも帰路へとついた。
「ただいまー」
古城を覆い包むかのような暗い森を無事に通り抜け、家へと帰り着いた少女は扉を閉めながら声を上げた。
「おかえり」
その声に答えるように奥の炊事場のある部屋から、低い落ち着いた声が返って来る。
「今日は遅かったじゃないか、どこかに行っていたのかい?」
「うん……まあね。ねえ、今日の夜ご飯何?」
遠巻きに言葉を交わしつつ、外套を壁に掛けた少女は奥の部屋へと進み、かまどの前に立つ老いた男に寄り添った。
「豆とキャベツのスープだよ、もう出来ているから荷物を先に片付けなさい」
老人がスープを皿に盛り付けながらそう促すと、少女は大きくうなずいた。
「いただきます」
食卓へついた少女は湯気の立つスープと何切れかのパンを前にして一言言い、その姿を見た老人はおもむろに目を細める。
「たくさん食べなさい、まだスープもパンもお替りがあるよ」
薄い琥珀色のスープに固いパンをひたし、それを口に運びながら娘は話し始めた。
「ねえ、おじいちゃんは森の中に古いお城があるのって知ってる?」
「ああ、知っているが……、あそこは危ないぞ」
少女の言葉にほんの一瞬、食事の手を止める老人。
「何かあるの?」
「……人気の無い場所にある上に、なにせ古い。色々と危険が潜んでいるという意味だよ」
「行っちゃだめ?」
表情を窺うような上目づかいで少女に聞かれると、老人は眉間に少し皺を寄せながらも目を細めたまま答えた。
「ミーナ、おじいちゃんを心配させないでくれ。どうしても行きたいのなら、せめて一人ではなく友達と一緒に日が暮れるまでに帰ってきておくれ」
「うん、わかった」
傷だらけの大きな手で頭をなでられながら諭されたミーナは小さくうなずいた。