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第十四話 撃退

「ふん、口ほどにも無いな」


 襲撃者は覆面の下で口元を歪ませた。

 だが、その勝利にほくそ笑む表情はすぐさまに焦りへと変わった。


「思ったよりもやるじゃない」


 そう言いながらエリーは立ち上がりつつ掃った胸元には、一つの焦げすらも見当たらなかった。

 それどころか、何やら薄い霧のような物が彼女の全身を包んでいる。


「湿気ていて過ごし難い日でも、こんな術を使うには適した日なのよ。おかげであの程度の炎なら難なく防げたわ」

「……味な真似をするではないか。なかなかに高位の術を扱えるようだな」

「そうよ、貴方如きに易々と殺されるような私では無いの。だからもう一度だけ言ってあげる。さっさとこの場から消えて、二度と私たちの前に現れないで」


 刃を前に臆する事のない彼女に対し、忌々しそうに眉間にしわを寄せる男。だがその言葉を受けて殊更に殺意をみなぎらせるかのよう、短剣を構え直した。


「ではこちらももう一度言わせてもらおう。何と言われようと、貴様らがこれから死ぬことに変わりは無いっ!」


 言葉とともに再び男は襲い掛かるが、寸での所でその攻撃をかわすエリー。

 そして体勢を崩しつつ、彼女も反撃の火球を放つが、相手とて易々とその攻撃を食らう事はなかった。火球は背後の壁に当たると、炸裂音と共にそこに小さな焦げを作るだけだった。

 そんな攻防を何度か繰り返すうち、双方ともに徐々に息が乱れ始める。


「丸腰の女相手に、少々手こずり過ぎてるんじゃなくて?」

「そう言う貴様こそ、先ほどから初歩の火術しか使っていないではないか。強力な術を繰り出せるほどに意識を集中する余裕は無い様だな」


 滝の流れるような雨音の中、互いの様子に探りを入れる。この状態が半ば膠着状態に近いことを、双方ともに良く分かっていた。


「手こずっている、か。言う通りかもしれないな……。ならば奥の手を使わせてもらおう」


 一段と鋭い眼光を向けた黒衣の男は、ゆっくりと間合いを詰める。

 何か今までとは違う一撃が来る、そう感じ取ったエリーは一層の警戒態勢を取る。


「はっ!」


 ゆっくりとした動きから一転、懐に飛び込まんとする素早い踏み込み。

 だがそれは見せかけで、刃では無く火術での一撃を繰り出した。思わず飛び退きかわすエリー、そして当たることなく拡散する炎。


「仮に当たっても、その程度の炎は効かないって言ったのがわから……」


 挑発に似た言葉を最後まで言い切ることは無かった。男はベッドに眠るミーナの傍らに立つと、手にした短剣を少女に向けた。


「言われなくともそんな事は分かっている。だが貴様を追い立てるには、十分効果があったようだな」

「人質取るなんて、頭使うじゃない」


 エリーの蔑むような言葉を意に介さないかのように、男は言葉を返す。


「あまりこういった手口は好かんのだが、目的の為には致し方ない。それにだ、人質を取るということは、貴様らを始末する事はやめた、という事ではないか? 私は本を手に入れることこそが最優先事項だからな」


 真っ向勝負では埒が明かないと踏んだ男は既に作戦を切り替えていた。とは言え、こんな交渉が反故にされる事は明白だった。


「そんな言葉、信じられるわけないじゃない。もっともこんな話、初めから受けるつもりはないけれどもね」

「随分と強気だな。だが、これでもそんな強がりが続くかな? この勝負は私の作戦勝ちと言ったところか」


 勝利を確信する襲撃者は、手にした短剣の切っ先を眠る少女の胸元になぞらせる。

 けれども、その作戦には二つ誤算があった。

 次の瞬間、ミーナは目を開けるとはっきりとした口調で言葉を発する。


「人質って、わたしの事かな?」


 まず一つ目は少女が目を覚ましていたこと。もっとも、これだけ部屋の中を暴れ回っているのだから目を覚ましていたとしても、襲撃者にとってそれ程の誤算とは思わなかったのだが。


「既に目覚めていたようだが、お前に何が出来る? 前回こそ不意を突かれ失態を晒したが、身構えていれば駆け出しの術士の術など恐るに足りん」


 二つ目は少女の事を見くびり、何も出来ないとたかを括っていた事。そして、この二つ目の誤算は大誤算だった。

 布団の中から素早く突き出される拳、そしてその指にはめられた紅い宝玉の付いた指環。それはエリーからお守り代わりにと手渡された、炎の感応石をしつらえた指環だった。


「くらえっ!」


 宝玉から紅い光が煌めくと、まるで光の柱のような炎が男を包み込んだ。


「ぎゃあああああああああ‼」


 前回とは比べ物にならない火力の炎に焼かれ、男は床をのた打ち回った。黒衣に燃え広がった炎を消そうと床を必死にのた打ち回れども炎は消えず、襲撃者は最後の手段とばかりに窓を突き破り、豪雨の中にその身を投じた。

 ガラスの割れる音とほぼ同時に、鈍い衝突音が二人の耳に届く。


「ここって二階だよね……」


 ベッドから飛び出したミーナは窓の外、階下を覗き込んだが、そこには既に誰の姿も無かった。


「ありがとう、助かったわ」


 不安げに外を見回す少女の肩に手をやったエリーは、彼女の活躍を褒めるように呟いた。





 二人が事の顛末を伝えると、宿の主人は快く部屋を替わるように勧めてくれた。


「近頃は物騒な事が多くてね。先週も知り合いが追剥ぎに遭ったんだよ」


 自分たちの身に降りかかった災難はそんな程度の事では無かった。

 だが余計な心配をさせまいと適当に話を合わせると、二人は礼を言いつつ部屋を移った。




「それにしても、また襲ってくるなんて。次も襲ってきたりするのかなぁ……」


 綺麗に整えられたベッドに腰掛けると大きくため息をつき、不安げに言葉を漏らすミーナ。


「二度も失敗して、しかも相当に傷も負っているはず。多分あの男はもう襲って来ないわ」


 同じくベッドに腰掛けたエリーが言葉を返す。


「さあ、早く寝ましょう。流石にもう疲れたわ」


 そう言って柔らかな布団に身を潜り込ませたエリーはすぐに寝息を立て始めた。

 その言葉を信じたのか、少女は小さく頷いた後に大きくあくびをすると体を横たえ、窓の外へと視線を移す。

 気づけば雨は上がり、足早に流れる雲の切れ間からは三日月が顔を覗かせていた。

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