第十一話 衛兵
船室の小さな窓から橙色の光が差し込んでいた。差し込む西日は思いのほかに部屋の温度を上昇させ、今が晩秋であることを忘れさせるようだった。
そんな中、少女は粗末な毛布に包まったまま、小さく寝息を立てている。
「ん……」
やがて寝苦しさを感じた少女は二度寝返りをうち、その後ゆっくりと瞼を開ける。暖かいというよりも、暑いとも思える船室のベッドの上でようやく彼女は目を覚ました。
「ええっと……」
寝ぼけ眼を擦りながら、繋がらない記憶を整理するように何度か頭を横に振る。
そしてミーナは眉間にしわを寄せ、徐々に記憶を蘇らせる。
「あら、お目覚めかしら?」
その時、不意に少女を呼ぶ澄んだ声が入り口の扉の方から聞こえた。
「あ、エリーさん」
おもむろに声の主の方に視線を向ける。そこではエリーが扉にもたれ掛かるよう立ったまま、ミーナを見つめていた。
「余程疲れていたようね。大丈夫、ジェフくんは無事よ。それと昨日の事は船長に伝えておいたわ」
考えを読まれたかのような言葉を聞き、ミーナは表情を緩める。そして、それを見たエリーも微笑みを浮かべる。
「でもあまり安心しても居られないの。まずは昨日の話をもう一度聞かせて欲しいわ」
不意に微笑みが消え、深い蒼の双眸が少女の瞳を見つめる。ミーナは何度か頭を掻くと、再度、眉間にしわを寄せながら、昨晩の出来事を順に口にしていった。
特に襲撃者の言葉――もっとも、自惚れに満ちた何とも浅はかな言葉だったが――これをミーナはしっかりと記憶に留めていた。
明確に口にされた目的、それは少女の見つけた古びた本。そして男は単なる手先に過ぎず、背後には何かしらの大いなる力が潜んでいること。
「どこかで本の事を知られたのね。そして相手は本が本物である事を、半ば確信していると見えるわね」
少女の言葉を聞き、顎に手をやるエリーの表情は険しかった。
「いったいどこで……、あっ! まさか司書さんが⁉」
「司書って、あなた達の学校の?」
「そうです! 調べるから貸してほしいって言われたんですけど、何だか嫌な予感がしたから渡さなかったんで
す」
「所謂、諜報員かもしれないわ。ラドフォードと言えばかつてはこの国一番の術者の輩出地ですもの。敵が何らかの組織で、本当にあの禁術を探し求めるなら、構成員の一人や二人を配置しても、なんら不思議ではないわ」
あまりにも非日常的な言葉の連続にミーナは目を白黒させた。
「この先どうすれば……」
「さあ、むしろ私が聞きたいくらいだわ。本を処分する、もしくは信頼のおける真っ当な組織に保管してもらう、これくらいしか思い浮かばないわ」
だが、エリーの言葉を聞いたミーナは先程までの困惑した表情を消し、思い詰めたかのようにもとれる真剣な面持ちになった。
「処分するのは……、それは駄目だと思います。だってあのブローチにはもしかしたら誰かの……、あの女の子の魂が閉じ込められているかもしれない。その魂を閉じ込める術を記したのがあの本なら、きっと助ける術も載ってる気がします。だから捨てたりしちゃ駄目だと思います!」
出会って初めて見せる少女の強い意志の感じられる言葉に、驚きを隠しきれずにエリーは一瞬だけ目を見開いた。
けれども直ぐに普段通りの冷静さと慎重さ、そして少しばかり世の中を斜に構えて見るような表情に戻ると、わざとらしく肩をすくめて見せた。
「そう言うと思ったわ。それに私もミーナちゃんの意見に賛成よ。もっとも……」
「もっとも?」
「いいえ、何でもないわ。そうと決まったらジェフくんにもこの話を伝えて警戒を強めないと。でも船長には本の話は伏せておいて、関係無い人を巻き込みたくは無いの」
「わかりました、何としてもこの本の正体を明らかしましょう!」
ミーナは事の重大さを薄々感じ取っていた。だが持ち前の明るさと意志の強さ、そして好奇心の前に、それは大した障壁とはならなかった。
そして二人は話を切り上げると、甲板に居る男たちの元へと向かった。
「ジェフ、大丈夫なの?」
船室を後にした少女は、夕日を浴びながらぼんやりと座る少年に声を掛ける。
「おう、心配掛けたな。エリーさんのお陰って言うのもあるんだけど、こいつが良い仕事したみたいだぜ」
声に振り向いた少年は、少々おどけたような口ぶりで上着をめくって見せる。その下には見覚えのある革製の鎧が仕込まれていた。
「今までで初めてだよ、道具屋の息子に生まれて良かったと思ったのは。寒いし、万が一ってこともあるから修理して着込んでおいたんだけど、これが無かったらもうちょっと深く斬りつけられて死んでたかもな!」
少女の心配などつゆ知らず、革鎧に残された斬撃の跡を擦りつつ、少年は白い歯を見せて得意げな笑みを浮かべる。
「まっ、無事で良かったよ。何て言うか抜け目が無いというか……」
そんな彼の表情を見ていると、ミーナはさっきまでの疲れが消えていくかのように感じることが出来た。
「そういや、例のパチンコ。直してやったぞ」
「ありがとう! そんな事出来るって事は、本当にもう大丈夫なんだね」
受け取ったパチンコを握りしめ、ジェフの顔を見つめる。
「なに人の顔見てんだよ。ミーナらしくなくて気持ちわりいなぁ」
「気持ち悪いって……、人が心配してるのに!」
ミーナの心配をよそに茶化すジェフ。少女の表情はすっかり明るくなり、二人はいつも通りの雰囲気に戻っていた。
そんな賑やかな二人を見て笑う船長。そしていつまでも、肝心の話が出来ずに、エリーは肩をすくめたまま大きくため息をついた。
その晩から、船は警戒を強めた。だが、不穏な事は起こらず、まさにその後の旅は平穏を体現したかのようであった。もっとも、見張りにあたる人数を増やしたせいで、全員慢性的な睡眠不足になったのだが。
そして、それから数日で、三人は無事に王都へたどり着くことが出来た。
晴天続きの船旅から一転、冷たい雨の中を三人は雑踏を縫うように歩き続ける。深々と被った外套のフードの先から滴る水滴が顔を濡らすが、それはなんとも不快で、ミーナとジェフは終始うつむき気味だった。
「ほら、あそこ。あの建物が王立図書館よ」
エリーが指さし、それに応えるように二人は顔を上げる。まだ正午過ぎだというのに、薄暗い、まるでモノトーンで染め上げられたかのような街並みの奥。そこに目的の建物は佇んでいた。
日数にして十日少々の旅ではあったが、少女には長い長い旅路のように思えた。
「やっと、やっとここまで来たんだ……」
そして、そう呟くと先程までとは打って変わって、ミーナは真っすぐに正面を見据えて足を運び始めた。石畳とは違う、滑らかで固く、そして水にぬれて黒々とした地面を一歩一歩蹴りながら、少女たちは終着点へと歩みを進めていく。
「あのー」
旅の終りはすぐそこだったが、その道のりを阻むように立ちはだかる鋼鉄の柵と守衛が二人。そのうちの一人、仏頂面で正面を見据える男にミーナは恐る恐る声を掛けた。
「見ての通り、そして書いてある通りだ。今は一般の、身元の保証の無い者は立ち入りを遠慮願っている」
兵士は少女の声掛けに、目の玉だけを向けそう答えた。
「え……」
「そこ何とか頼むよおっさん!」
雨に濡れた捨て犬のように困り果てた表情のミーナと、口を尖らせ抗議の声を上げるジェフ。
「誰がおっさんだ! 私はまだ三十歳前だぞ!」
年齢を気にしていたのか、衛兵の男は三人の方に体を向けて怒鳴りつけた。
けれども少年は怯まずに言葉を返す。
「なんだ、やっぱりおっさんじゃねーか。俺らは歴史的な発見を持ってきてやったんだ! 通さないで上司に叱られても知らねーぞ!」
「おい小僧! 出任せばかり言っていると捕らえて牢に放り込むぞ!」
「何だよ、善良な国民相手に国家権力濫用か⁉」
白熱するくだらない口喧嘩に、エリーは一度ため息をつくとその間に割って入る。
「意外に出任せでは無いの」
そう言うと彼女はじっと衛兵の目を見つめる。
「……そう言われても、規則は規則だ。身元の分からない者をむやみに通すわけには行かない。私の立場も分かってくれ」
「では逆に言えば、身元が保証出来れば通して頂けるのね?」
二人は視線を外さずに言葉を交わす。
そしてエリーが懐に手をやり何かを出そうとした時、不意にミーナが声を上げた。
「あ、あの、わたしとジェフ……、彼はラドフォードの学校の生徒です。これが校章です」
少女が先に懐から出した小さなバッジを見せる。
「これは……ひどく懐かしいものだな」
「え?」
手のひらに乗った、小さな金属のそれを見た彼の表情が緩んだことと、その言葉そのものにもミーナは驚きの声を出す。
そして、先ほどまでとは違い、柔らかな顔つきでミーナを見ると男はこう言った。
「遠路はるばるご苦労だったな。後輩たちよ、もう少し話を聞こうではないか」