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三章 街へ 01

 突如室内に響き渡った鐘の音に飛び上がって目覚めた有紗は、一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。


 セミダブルサイズのベッドとクローゼット、壁際に棚が置かれているだけの小さな部屋だ。家具や内装はアンティークっぽいもので統一されていて豪華だったが、最低限の広さしかなく、ビジネスホテルみたいだった。


 記憶を探ろうとしたら、唯一の出入り口が開き、金髪の青年が顔を出す。

 ディートハルトだ。軍服ではなく、シンプルなシャツとズボンを身に着けていた。


 彼の姿に思い出した。


 首輪の所有者変更を終えた後、ディートハルトはバルツァーに追い立てられて仕事へと戻り、有紗はこの部屋に一人残された。

 そして大泣きした。抱かれた事や自分の立場が受け入れられなくて、惨めで。

 それからの記憶がないから、おそらくそのまま泣き疲れて眠ったのだろう。

 目は腫れぼったく、頭も痛かった。胸元に唇の痕が赤く残っているのも最悪だ。


「ごめん。音が聞こえないようにしておけばよかった。さすがに起きるよね。起床の時間なんだ」


 ディートハルトは説明しながら有紗の顔を覗き込んだ。


「随分長く寝てたみたいだけど気分は?」

「……いいように見えますか?」


 答えた声は、自分でも驚くほど掠れていた。


「いや。酷い顔だ。でも感謝して欲しいな。寝室を明け渡したんだから。俺が寛容な主人で良かったね」


 ディートハルトは恩着せがましくそう告げると、戸棚からグラスを取り出し、その上部に手を翳した。

 何をするのかと思って見ていると、手の平から現れた魔法陣から水が出てきてグラスに注がれた。


「はい」


 グラスを差し出された。飲めという事らしい。

 有紗はありがたく受け取ると、喉の渇きを癒した。

 その間にディートハルトはクローゼットからタオルを取り出し、魔術で濡らしていた。


「少しだけ凍らせておいたよ」

「ありがとうございます」


 この男から施しを受けるのは嫌だったが、断ったら首輪が発動するかもしれない。

 貰ったタオルは確かにキンキンに冷えていて、目に当てると気持ち良かった。


「着替えてもいいかな?」

「……どうぞ」


 有紗はクローゼット前に移動したディートハルトから目を逸らした。




   ◆ ◆ ◆




「こっちは俺の寝室で、向こうは執務室になっている。この艦で一応一番いい部屋なんだけど、手狭で悪いね。艦の中のスペースは限られているんだ」


 着替えを終えたディートハルトは、室内の説明を始めた。

 王族で、この浮遊戦艦ヴァルトルーデが属する航空師団の師団長を務めるディートハルトの階級は少将で、飛行船の乗員の中では一番地位が高いらしい。

 個室を持っているのは彼の副官であるバルツァーと、この戦艦の艦長だけなのだと教えてくれた。


「艦長さんが別にいるんですか……?」

「そうだね。俺は飾り物なんだ。王族がトップにいる方が色々やりやすいからね。戦艦を実際に運用しているのは艦長だ。何か不測の事態が起こった時に、俺の首を切る訳にもいかないからね」


 その立場は不本意なのか、ディートハルトは皮肉気な笑みを浮かべた。


「この艦には女の乗組員はいないんだ。外は飢えた男の巣窟だから、この部屋からは出ないように。俺の所有物に手を出す馬鹿はいないとは思うけど、気を付けるにこした事はないからね」

「……はい」


 誰もが魔術を使える世界で有紗は無力だ。これ以上嫌な目に遭うのは嫌だったので頷いた。


 寝室にはトイレも備え付けられていて、幸い部屋を出なくても生活できそうである。

 ちなみに用を足した後は浄化の魔術で綺麗にするらしい。その度にディートハルトを呼ぶのかと青褪めたところ、『魔術符』というものがあると教えてくれた。

 特殊な紙に魔術式――魔術が発動する前に出現する魔法陣は、こちらではこう呼ばれているらしい――を書き込み、魔力を込めておくと、紙を破るだけで魔術が発動するそうだ。


「本当は魔力が尽きた時に備えて携帯しておくものなんだけどね。浄化の魔術を込めた魔術符を後であげるよ。使い捨てだから、数が少なくなったら教えて」

「それがあれば、私にも浄化の魔術が使えるんですか?」

「たぶんね。決して安いものではないんだけど、尊厳にかかわるから仕方ないね」


 無理矢理に近い形で性行為を強いられた事は許せないが、本人が時々自称する通り、奴隷の主人としては上等な方なのかもしれない。有紗は少しだけディートハルトを見直した。


 こちらの世界では、朝の洗顔や歯磨きの代わりも浄化の魔術らしい。

 彼は、自分の身支度のついでに、有紗の体も綺麗にしてくれた。

 体はすっきりとするが、水を使わないのは何か変な感じである。有紗は自分の顔に触れると顔をしかめた。

 その時である。外からノックの音が聞こえた。


「たぶん食事だと思う。こっちで待ってて」


 ディートハルトはそう告げると、有紗を寝室に残して、執務室へと向かった。


「殿下、朝食をお持ちしました」

「ありがとう」

「テラ・レイスの女性はいかがでしたか?」

「余計な詮索はしなくていい。下がれ」

「申し訳ありません! 失礼しました」


 そんなやり取りが聞こえてきた。

 ややあって、ディートハルトがこちらに顔を出す。


「こっちで一緒に食べよう」

「はい」


 水分を取って気分は少しましになったが、まだ体は重怠い。

 有紗はのろのろと起き上がると、ベッドの近くに置かれていたスリッパを引っかけて移動した。




 執務室の中は、食べ物のいい匂いで満たされていて、有紗は空腹感を覚えた。

 前日は、観察する余裕もなく気絶したが、こちら側も寝室と同じで、内装は豪華だが広くはなかった。

 壁際には本棚が並べられており、窓際には大きなデスクがある。その前には応接セット があり、テーブルの上には、二人分の食事が並べられていた。


 パン、スープ、オムレツらしきものと、水の入ったグラスが置かれている。

 飲み物以外は普通の洋食に見えたので、有紗はひとまず安心した。食器もカトラリーも馴染みのある形をしている。

 なにしろ異世界である。虫など、日本人の有紗には受け入れられないグロテスクな物を食べていてもおかしくない。


「アリサはそっちに座って。出入り口側が下座になる」


 ディートハルトは廊下に繋がる側の席を指さした。

 礼儀作法を教えてくれているつもりなのかもしれないが、『お前は下だ』と上下関係を示されて、嫌な気持ちになる。

 だが、ここでそれをあらわにしても、きっといい事は無ない。有紗は不快感を顔に出さないように気を付けながら、指示された場所へと移動した。


「まだ体調が悪そうだね。痛む?」


 どうして彼はこちらの神経を逆なでするような事を聞いてくるのだろう。

『お前のせいだ』と言ってやりたかったが、有紗はぐっとこらえて頷いた。


「痛いです。だからしばらくはそういう事は……」

「わかってる。痛みがなくなるまでは何もしないから安心するといい。女性を痛めつけるような趣味はないんだ」


 ディートハルトの回答に有紗は安堵した。


「食事はできそう?」


 尋ねられ、ハンストしてやろうかと思ったが、抗議するようにお腹が鳴った。

 恥ずかしさに有紗はうつむく。


「お腹は空いてるんだね」


 からかうように声を掛けられ、余計に恥ずかしくなった。

 有紗はおそるおそる、喉の通りが良さそうなスープに手を伸ばす。

 見た目も匂いもコーンポタージュに見えた。


「これってトウモロコシのスープ……ですか?」

「そうだよ」

「トウモロコシがこっちにもある……? 世界が違うのに……?」

「どうも動植物はよく似たものがあるみたいだね。発展の過程も似通っているみたいだから、テラと、人が転移してくる以外にも繋がりがあるのかもしれない」

「じゃあ、この黄色いのは卵料理ですか……?」

「そうだよ。鶏の卵に生クリームを混ぜて焼いたもので、オムレツという料理だ。オムレツもそのスープも、テラ・レイスが伝えた料理だと言われている。少しでも馴染みのあるものの方が食べやすいかと思って作らせた」


 有紗はぽかんとした。

 でも、そうだ。何人もの地球人がやって来る異世界で、似たような食材があれば、地球の料理をこちらの人に披露して広めていてくれてもおかしくない。

 安心して食事を口にできそう、というのは嬉しい情報である。

 有紗はスプーンで掬い取ったスープを口に運んだ。


「口に合うかな?」

「……はい」


 少しためらったのは、素直に認めるのが癪だったからだ。

 有紗の答えを聞いたディートハルトは満足げに頷くと、自身も食事に手を伸ばした。


 彼は根本的な育ちがいいのだろう。軍服の着こなし、歩き方、座り方――何気ない所作の全てが綺麗だ。

 食べ方も同様で優雅だった。

 有紗は、ナイフとフォークを器用に使い、食事を口に運ぶディートハルトの姿に、急に自分が恥ずかしくなった。

 スープを掬う時は、スプーンは手前から。口には縦に運ぶ。

 パンはちぎってスープに浸してもいい――。


 上座下座の位置は日本と同じようだが、洗顔や入浴に魔術を使っていた。それと同じで、食べ方の作法も違うはずだ。

 人を奴隷扱いする野蛮人達に、食べ方がおかしいと笑われるのは何だか嫌だ。

 有紗はこっそりとディートハルトを観察し、食べ方を真似した。




 食事が終わると、寝室で休むように命じられた。


「明日にはここを離れるから、できたら昼からアリサと街に行っておきたい。この艦は男ばっかだから、女の子が生活していくのに必要なものは何一つないんだ。難しそうならこっちで適当に揃えるけど……」

「行きたいです」


 有紗は街という言葉に食いついた。

 いつか日本に帰るという希望をまだ捨てていない。そのためにも、まず自分はこの世界を知らなければいけない。その機会をみすみす逃すつもりはなかった。

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