二章 浮遊戦艦 03
更新が滞りまして申し訳ありませんでした。
体調不良でモニターの前に座れる状況ではありませんでした。
本日より再開いたします。
……誰かに体を揺すられている。
「そろそろ起きて欲しいな」
続いて、聞き心地の良い低い声が耳元で聞こえてきて、有紗は目蓋を持ち上げた。
すると、こちらを覗き込む端正な容貌が至近距離にあったので、ぎょっと目を見開く。
有紗の目の前にいたのは金の髪と深紅の瞳を持つ青年――ディートハルトだった。
「やっと起きた」
彼は、目覚めた有紗に向かって蕩けるような笑みを浮かべた。軍服ではなく、シンプルなシャツにズボンという楽そうな格好になっている。
「色々試してみたけど、本当に魔術が効かないんだね」
「何をしたんですか……」
有紗は後ずさりしてディートハルトから距離を取ると、警戒心をあらわに尋ねた。
「何って、魔術をいくつか。治癒、浄化、あとは低威力に抑えた攻撃魔術も試したかな。体表に作用する浄化は効いたけど、体に直接影響を及ぼす魔術は効かないみたいだ。テラ・レイスの体は面白いね」
「面白いって……。実験をしたって事ですよね?」
薄気味悪くて有紗は身を起こすと自分の体を点検した。
首輪が絞まって気絶したのは覚えている。その間に、どうやら寝室に連れ込まれたようで、有紗はベッドの上に寝かされていた。
「実験したといっても、体に害になるようなことはしていない」
ディートハルトはしれっとした表情で有紗の疑問に答えた。
「でもさっき、攻撃魔術って……」
「低威力に抑えたって言っただろ。これくらいだよ」
ディートハルトはそう告げると右手の人差し指を立てる。
すると赤い光で描かれた魔法陣が現れ、小さな炎へと変化した。
アンナがかまどに火を点けた時と似ている。
次の瞬間有紗は目を大きく見開いた。ディートハルトが、指先の炎をもう片方の手の甲に押し当てたからだ。
じゅっという音がして、焦げ臭い匂いが辺りに立ち込める。
有紗は息を飲んだ。彼の手の甲には、根性焼きを思わせる火傷が出来ていた。
「大丈夫。すぐ治せる」
痛みに強いのか、ディートハルトは平然としている。
すうっと指先の炎が消え、今度は手の平全体に赤い光の魔法陣が現れた。
ディートハルトは、その魔法陣を左手の火傷の上かざす。
すると、まるで手品のように、すうっと赤い痕跡が消えた。
「ほら。綺麗に治った」
彼は得意気な表情で、左手の甲をこちらに見せつけてきた。
「アリサの体は魔力を消滅させてしまうみたいだね。昔読んだ研究書通りの結果になってちょっと感動したけど、その痣が治せなかったのは残念だな」
ディートハルトは有紗の手首に視線を向けた。
ワンピースの袖口からは、奴隷商人の所で強く掴まれたせいで出来た手形が見えている。そこは、今は赤黒く変色していた。
治そうとしてくれたのが本当ならありがたいが、気を失っている間に実験動物のような扱いを受けていたのだと思うと気持ち悪い。有紗はディートハルトを睨みつけ……る直前に自重した。
何がトリガーになって首輪が発動するのかわからない以上、反抗的な態度を取るのはまずいと思ったのだ。
「へえ、物分りは悪くないみたいだ」
有紗の表情の変化を見ていたディートハルトは、くくっと楽しげに笑った。
「じゃあ、自分の役目もわかるよね」
わかりたくなんてない。でも、首が締まる苦痛をもう一度味わうのは嫌だったので、有紗は渋々と頷いた。
すると、ディートハルトはこちらとの距離を詰め、顔を近付けてくる。
キスされる――!!
「待って!」
有紗は顔を背けると、手でディートハルトを制止した。
「あ……。嫌じゃないんです! そうじゃなくて! わ、私がそういう事のために買われたのは分かってます! でもあなたはいいんですか? 見た目だって身分だってあるのに、相手が私で!」
また首輪が発動しては困るので、慌てて弁解する。すると、ディートハルトは呆気に取られた表情をした後で、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「いいと思ってるし、興味があるからヤろうとしてるんだけど?」
「興味……?」
「うん。テラ・レイスの具合に」
きっぱりと言い放たれて、有紗は唖然とした。
「生理的に無理な見た目や体臭があったらまた話は変わってくるけど、そうじゃないからね。なら、試してみたいかな」
淡々と告げられて有紗は理解した。
彼にとっての自分は、『人間』ではなく『物』なのだ。
「貴重なテラ・レイスが割と可愛い子で嬉しいよ。でも、それは君もだよね? 奴隷にとって、俺は大当たりの主人だと思うんだ。それとも、脂ぎった変態ジジイに買われる方がよかった?」
確かにその通りだ。だが、理性では理解できても、感情がついていかない。
「私、初めてなんです……」
「へえ、そうなんだ。ますますいいね」
初めては好きな人と相思相愛になってから、と漠然と思っていたのに。
いくら美形が相手でも、気持ちがない状態で奪われるのだと考えると、嫌で嫌でたまらなかった。
でも、拒否は許されない。
悔しさに視界が歪んだ。
「困ったな。泣くほど嫌?」
ディートハルトから尋ねられて、有紗はふるふると首を横に振った。
「違います。いや、じゃ、ないです……」
心にもないことを言う自分に吐き気がしたが、首が締まる恐怖には勝てなかった。
「じゃあ証明してよ。アリサから俺にキスして」
「えっ……」
「俺の体液を受け入れても大丈夫なのか試したい。俺は王族の中でも特に魔力が高くてね。対策なしでそういう事をすると、相手の女の子が酔っちゃうんだ」
「えっと……、でも、私、キスもしたこと、なくて……。どうすればいいのかわからないです……」
「そっか。なら教えてあげるから、口と口をくっつける所までは頑張ってみようか」
ディートハルトは楽しげに提案してきた。
その表情から、無邪気な残酷さを感じて有紗は震えた。まるで蟻を踏みつぶして遊ぶ子供のようだ。
「ほら、早く。俺はあまり気が長い方じゃないんだ」
どうしてもこちらからキスさせたいらしい。
促され、有紗はのろのろとディートハルトに近付いた。
海外モデルのように整った顔立ちの美形に平凡な自分が、と思うと、状況はともかく、いけない事をするような気持ちになる。
嫌で、屈辱的だったはずなのに、本質的にはそうではないような気もして、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
嘘でも甘い言葉を囁いてくれたら、こんな気持ちにはならなかったかもしれない。
有紗は混乱しながらも、形のいい彼の唇に、自分のそれを重ねた。
初めて触れた異性の唇は、思ったよりも柔らかかった。
有紗にとって、初体験以上にファーストキスは特別かもしれない。
もっと甘酸っぱくて神聖なものだと思っていたから、喪失感を覚える。
だけど、それをゆっくりと実感する暇はなかった。
ぬるりとした濡れたものが唇に触れたせいだ。
ディートハルトの舌だった。
それは、深いキスをさせろと言わんばかりに唇をこじ開けようとしてくる。
本当は嫌だったが我慢して、有紗はディートハルトの舌を受け入れた。
(やだ、むり……)
濡れた肉塊が口の中に入って来る感触は気持ち悪かった。
有紗は必死に耐える。
ディートハルトの舌は、歯をなぞるようにくすぐり、逃げるこちらの舌を追い掛け、捕え、絡み付いてきた。
この口付けはいつまで続くのだろう。
うまく息が出来なくて、酸欠で頭がくらくらしてきた。
(もう、だめ……)
そう思った時、ようやく唇が解放された。
ディートハルトは有紗を見つめると、ルビーのような赤い瞳をすうっと細めた。
「やっぱり酔わない。お前、いいね」
「酔うって何ですか? お酒みたいに……?」
はあはあと息をつきながら尋ねると、ディートハルトの指先が有紗の頭に伸びてきた。
「そっか。魔力のない世界から来たアリサは知らないのか」
彼は、こちらの髪の乱れを梳くように整えながらつぶやいた。
「そうだよ。酒に酔ったみたいになる。こちらでは、ある程度の魔力があると、魔力の量や質が釣り合う相手とじゃないと、そういう事ができないんだよね。女の魔力が高い場合は体液を相手の体に入れないよう気を付ければいいだけなんだけど、魔力の高い男の場合は相手を見つけるのが結構大変でさ。かなり注意しないと女を抱けないんだよね。体液の中に含まれる魔力で相手が倒れちゃうから」
(魔力が高ければ高いほど目の色が赤くなるんだっけ)
有紗は目の前にあるディートハルトの目を覗き込んだ。
そういえば、アンナが第二王子は凄く魔力が強くて、この国の守り神だって言ってたような気がする。
「要はテラ・レイスのアリサ相手なら手加減も何もいらないって事だよ。いっぱい可愛がってあげる」
いい笑顔を向けられ、有紗は顔を引き攣らせた。