二章 浮遊戦艦 02
「バルツァーです。ただいま帰還しました」
「入れ」
中から許しが出たのを確認してから、バルツァーはドアを開けた。
室内は、執務用と思われるデスクと応接セットが置かれており、デスクにふんぞり返るようにして一人の青年が座っていた。
「殿下、物に当たるのはおやめ下さい。外まで大きな音が聞こえて参りました」
バルツァーがそう声をかけた所を見ると、彼がディートハルト王子らしい。
予想していたよりも端正な顔立ちの青年だった。
癖のある柔らかそうな金髪に、鮮やかな深紅の瞳を持つ華やかな美形で、軍服が憎らしいくらいに似合っている。
馴染みのない目の色が少し怖かったが、こんなに綺麗な男性を見るのは初めてだ。有紗は思わず魅入られた。
「父上がまた女の写真乾板を送り付けてきたんだ。……で、通信魔道具で結婚しろ子供を作れってうるさくて。腹が立ったからつい」
むくれる姿は子供っぽい。
「つい、で部屋を壊されては困ります」
「またそっちで勝手に結界の術式を弄ったな? 壁殴ったら反射してきたんだけど」
ディートハルトは不服そうに苦情を申し立てると、ぷらぷらと右手を振った。
「強化しておかないと壊すからですよ」
バルツァーの発言に、ディートハルトは小さく舌打ちをした。そして、有紗の存在にようやく気付いたようで、僅かに目を見開く。
「……それが例のテラ・レイスか」
「ええ。情報は本物でした。この瞳をご覧ください」
「凄いな。こんな黒い目、初めて見た」
そう言ってディートハルトはつかつかとこちらに近付くと、有紗の顎を無遠慮にも掴み、しげしげと顔を覗き込んできた。
こちらの人は皆背が高いが、この王子様も長身である。
有紗の身長は平均より少し高めの百六十センチなのだが、ディートハルトは百八十を超えていると思われた。そのため、前に立たれるとかなりの圧迫感がある。
「確かに本物っぽいな。全然魔力を感じない上にこっちの魔力も通らない」
「はい。誰かに取られる前に確保できたのは幸運でした。天の配剤という奴かもしれません」
ディートハルトは有紗の首輪に指を滑らせた。そして目を見張る。
「幼く見えるけど二十歳なんだ?」
おそらく首輪の中に組み込まれた情報を読み取ったのだろう。彼は驚いた表情で、
視線を有紗の胸元に向けた。
(小さくて悪かったわね……)
何となく彼の考えた事がわかって、有紗は眉間に皺を寄せた。
「……適齢期ならまあいいか。これは俺に献上するという事でいいのかな?」
ディートハルトはそう言うと、くいっと有紗の顎を持ち上げた。
「お譲りするつもりではありますが条件がございます」
「条件?」
「ええ、陛下が送ってこられた写真の女性、お一人でいいので選んでお会い下さい」
「嫌だ。貴族の女は面倒くさい」
ディートハルトは盛大に顔をしかめた。
「どうか陛下のお心もわかって差し上げてください。殿下の血を継ぐ御子を望んでいらっしゃるんです」
「別に結婚なんかしなくても、運が良ければ手を付けた女にできるんじゃないかな」
「またそういう事を……」
ディートハルトの軽薄な発言にバルツァーは頭を抑えた。有紗もぽかんとする。
「こちらの条件が飲めないのでしたら、所有者の変更は致しません」
渋い表情でバルツァーはきっぱりと告げた。すると、ディートハルトは深くため息をついた。
「まずは使い心地を確かめてからだ」
(使い心地……?)
有紗は不穏な言葉に身を竦ませた。
「かしこまりました。では私は退出致します。あまり無体な事はなされませんよう」
「待ってください! バルツァーさん!」
部屋を出ていこうとするバルツァーを、慌てて有紗は引き止めた。すると、バルツァーは顔だけをこちらに向ける。
「アリサ、殿下に全てをお任せし、よくお仕えするように」
そう告げると、バルツァーは無情にも部屋を出て行った。
「ほら、行こうか、アリサ。寝室はこっちだよ」
「やっ……」
ぐい、と腕を引っ張られ、有紗は反射的に抵抗した。
その瞬間、首輪がぐっと締まる。
「あ、ぐ……」
首を抑え苦しみだした有紗に、ディートハルトは冷たい眼差しを向けてきた。
「馬鹿だなぁ。その首輪をつけてる状態で、バルツァーの意向に背けばそうなるに決まってるのに……」
今の有紗の主人はバルツァーだ。そのバルツァーがディートハルトに有紗を差し出したから、抵抗は許されない、という事らしい。
『殿下に身を任せ、よくお仕えするように』
出ていく直前のバルツァーの発言を思い出した。
悔しい。ほんの少しの抵抗も許されないなんて。
屈辱に涙が滲んだ。
「っ、ぅっく……」
酸欠で目の前がくらくらする。
有紗の意識はそのまま暗闇に飲み込まれた。