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【全年齢版】軍人殿下と異世界奴隷【コミカライズ原作】  作者: 森川茉里


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十章 それぞれの生活

(アリサ……)


 起床時間を知らせる鐘の音に目覚めたディートハルトは、無意識にぬくもりを求めた自分に気付き、衝動的に枕を掴むと壁に叩きつけた。


(クソっ……)


 アリサが逃げ出して一週間が経過したというのに、まだふとした時、無意識に彼女の姿を探してしまう。

 そんな自分が自分でも理解できなかった。

 彼女と過ごしたのは二か月にも満たない期間だ。

 出会う前に戻っただけだというのに、頭の中から離れてくれない。

 あんな恩知らず、忘れてしまうのが一番の正解なのだろう。

 だが、怒りが強すぎて不可能だ。もう一度捕獲して手元に取り戻して、逃げた理由を問い質さねば気が済まない。


 ――本当はわかっている。


 初対面の時に、性奴隷として買われたのだと突き付け、ディートハルトは有紗を抱いた。

 彼女がこちらに身を任せたのは、こちらがそうあるべきという価値観を押し付けたからだ。手元に迎えてからしばらくは、嫌悪や怒りを堪えている素振りがあったのを、なぜ忘れていたのだろう。




『お疲れ様です、ディート様』

『お茶を淹れてみたいんですが、私ではお湯が……。お疲れのところ申し訳ないんですが、魔術を使って頂けますか?』

『ディート様、気持ちい……です…』




 控えめな笑顔、恥じらう顔、触れ合った時の蕩ける顔――懐いたと思っていた態度は感情を隠すのが上手になっただけだったに違いない。


 ――いや、全てが演技だったのだろうか?


 そんな考えがちらつき、ディートハルトは口元を押さえた。


(俺は今、何を考えた……)


 アリサのあの態度が演技かどうかなんて関係ない。あの女は逃げ出すという罪を犯したのだから。

 再び捕まえて、罪を自覚させて償わせるのも主人の義務である。

 そう結論付けると、ディートハルトは、枕元に置いた彼女の『首輪』に繋がるカフスボタンに視線を向けた。




   ◆ ◆ ◆




 修道院での有紗は、勉強漬けの毎日を送っていた。先生役は、クラウディア、サビーネ、ビアンカの三人が交互に務めてくれる。

 言葉の勉強に加えて寵姫教育 を受けたいと伝えたので、座学ばかりではなくて、礼儀作法、刺繍、食事のマナー、ダンス、楽器の演奏など、内容は多彩だった。

 予想外だったのは、クラウディアから保健体育的な授業もあった事だ。


『……たとえ夜、寝台の上で変態的な事を求められても逆らってはダメよ。例を挙げるとその、お尻を弄られたり、鞭で叩かれたり……痛い事や怖い事をされても、従順に受け止めるの。殿方の中には大変おかしな趣味を持つ方もいらっしゃるというから……。ディートがそんな事をするとは思いたくないけど……』


 ディートハルトにそっくりな金髪美女が頬を染めながら講義する姿は、なかなかに衝撃的な光景だった。

 学ぶべき事が沢山あったおかげで、学校で授業を受けながら習い事をしているような感覚である。だからあまり苦痛ではなく、気が付いたら修道院に移動して一か月が経過していた。




 今日の授業は、ラティナというギターに似た楽器の演奏からだ。楽器を習うのは初めてだが、結構楽しい。

 こちらには、昔のテラ・レイスが伝えた曲が残っていて、その中には聞き覚えのあるクラシックの名曲がいくつかあった。

 有紗も聞かれるがままに、日本で流行っていた曲を何曲か伝えたが、どうもこちらの人はポップスやロックは好まないようで微妙な顔をされてしまった。クラシックっぽい響きの曲は受け入れられたので、そういう嗜好の傾向があるようである。


 ここでの生活は静かで平穏だ。ご無沙汰していた月経が再開した時、有紗はそれを実感した。

 元々不順気味なのもあってすっかり存在を忘れていたが、こちらの世界に来てから止まっていたのは、ディートハルトとの生活が負担になっていたからだろう。

 男所帯のヴァルトルーデの中で始まらなかったのは不幸中の幸いである。

 処置方法を異性に聞くなんて、想像するだけでも恥ずかしさに気が遠くなる。

 それはよかったが、今でも有紗は時々ディートハルトとの生活を思い出してしまう。

 きっと外れない『首輪』のせいだ。

 忙しい日中は修道服で隠れている事もあってあまり気にならないのだが、着替えの度に視界に入ってくるのが忌々しかった。


「あっ……」


 ディートハルトの事を考えたのがいけなかったのか、ラティナの弦が切れてしまった。


「交換しましょうか」


 教師役のビアンカが立ち上がり、替えの弦を取りに戸棚へと向かう。

 弦の交換は見様見真似で有紗にもできるが、その後の調律が無理だ。

 有紗はラティナをビアンカに預けると、息抜きのために窓際へと移動した。そして目を見張る。

 中庭でエルケらしき人物が地面に這いつくばっていた。


「ビアンカ、大変、エルケさんが!」

「ええっ」


 ビアンカは目を見張ると、窓際にやって来て目を見張った。


「エルケ様の所には私が行きますから、アリーセ様はクラウディア殿下かサビーネを呼んで来てください!」


 有紗は頷くと、ビアンカと一緒にバタバタと自室を後にした。




 エルケが倒れていたのは、庭のでこぼこに躓いて転んだのが原因だった。

 クラウディアの治癒魔術のおかげですぐに回復したが、腰をしたたかに打ち付けて動けなくなっていたらしい。

 有紗は、エルケがお礼を言いたがっていると聞いて、一階にある彼女の部屋を訪れた。


「お礼を言うのはこちらなのにご足労頂いて申し訳ないわ」

「お気になさらないで下さい。二階に上がって、また何かあったら大変ですから……」


 声をかけてきたエルケに、有紗は首を横に振る。


「ありがとうございました、アリーセ様。最近朝晩は冷え込むでしょう? あのままずっと誰にも見つけてもらえなかったら、風邪を引いていたかも……」


 エルケはこちらに向かって頭を下げた。

 優しそうな老婦人だなと思ってはいたのだが、見た目通りの雰囲気の持ち主だ。

 口調も仕草もおっとりとしていて、上品である。


「私とあまり関わらないようにしていたのは、事情があるからなのよね。何も言わなくてもなんとなくわかるわ。……安心してね。私は俗世とは縁を切っているから、口外のしようがないの。だから、時々遊びに来てくれると嬉しいわ。退屈なのよ」

「えっと、はい……」


 何やらこちらに都合のいい方向に誤解をしているような感じがする。戸惑いながらも有紗は頷いた。




   ◆ ◆ ◆




 有紗は、マナーを身に着けるため、クラウディアとなるべく食事を一緒に摂っている。

 エルケの態度の謎が解けたのは、その日の夕食時だった。


「ああ、エルケはあなたの事、育児放棄されていた貴族の隠し子だと思っているのよ。そうでも言わないと説明できなくて……」

「私があまりにも物を知らないからですか?」


 有紗の質問に、クラウディアは頷いた。


「ごめんなさい。いい言い訳が他に思いつかなくて……」

「いえ。そういう説明になっているのなら、もう少し安心してここで暮らせそうです」


 あまりにも申し訳なさそうに言われて、有紗は慌てて首を振った。




「いけない。エルケの事に気を取られ過ぎていて、伝える事があったのを忘れていたわ」


 食後、有紗はクラウディアに呼び止められた。


「父から出入りの商会を通じて連絡が来たの。ディートハルトの事なんだけど……。相変わらずあなたを探してはいるけど、最近は落ち着いてきたみたいよ」

「表面上そう見えているだけかもしれないですよね」

「そうね。魔力が高すぎるディートハルトの心は誰にも覗けない」


 クラウディアは小さく息をついた。

 有紗も嵐の前の静けさのような気がして、強い不安に駆られた。

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