九章 修道院 03
「アリーセ、いいかしら?」
祈祷が終わると、クラウディアが声をかけてきた。有紗は彼女と一緒に院長室に移動する。
「どう? よく眠れた?」
ソファを勧められて腰を下ろすと、そう尋ねられた。
「はい。久し振りにまともなベッドで眠りました」
馬車の寝床とは格が違った。目覚めてからも体が痛くないのは久々である。
有紗の返事を聞いたクラウディアは優雅に微笑んだ。
「それは良かった。実は今日ここに来てもらったのは、父があなたと話したいと言い出したからなの」
「王様が?」
有紗は目を丸くした。
「通信を繋いでも構わない?」
クラウディアはそう告げると、ソファの前のテーブルに置かれていた、通信魔道具と思われる懐中時計を手に取った。
「えっと、構うか構わないかで聞かれても困るんですが……」
「そうよね」
クラウディアは眉を下げた。
「…………繋いでください」
普通に考えて、この国の最高権力者の申し出を断るなんてできない。有紗はすこし考えてから承諾した。
「映像も映るようにして欲しいと頼まれているの」
クラウディアは申し訳なさそうな顔をしつつも、懐中時計の蓋を開けて操作する。
すると、まるでSFものの映画のように、透明のモニターのようなのがかび上がり、五十代くらいの男性の姿が映し出された。
赤い瞳をしているということは、彼がエルンスト王なのだろう。
渋くて格好いいおじさまだが、クラウディアやディートハルトとはあまり似ていない。
《おはよう、クラウディア》
「おはようございます、お父様」
挨拶を交わすと、クラウディアは有紗の傍に移動して、懐中時計の向きを変えた。
《……君がアリサ……いや、アリーセという名を私が与えたんだったな》
モニターの中のエルンストが話しかけてきた。
「初めまして、国王陛下」
《こちらこそ初めまして。本当はもう少し早く通信の機会を持ちたかったんだが、移動中はディートハルトに魔力を補足される可能性があってね……。すまなかった》
「いえ……」
どう答えていいかわからなくて、有紗は口ごもった。
《まずはディートの様子から伝えようか。バルツァーからの報告によると、随分と荒れているようだ》
エルンストからの報告に、有紗は震えた。
「それは、私に対して怒っているという事ですか……?」
《そうだな。君を見つけたらどうするつもりなのか確認したら、『誰のものなのか思い知らせる』と言っていたそうだ》
その発言にゾッとした。
《屋敷の改装の指示を出していたようだから、あいつの所に戻ったら大変かもしれないな……》
「……お父様、そんな無責任な。この子がディートのところから逃げたのは、お父様がそそのかしたからですよね?」
クラウディアが口を挟んだ。
《わかっている。アリーセ、君がディートの所に戻る時には、私のせいにしていい。私からもあまり無体な真似はしないように伝えるつもりだ》
「それだけでは不十分ですよ。もっと身の安全を確保できるように動いてあげないと」
《わかっている》
エルンストは渋い表情で頷いた。
《アリーセ、三年あいつから逃げきってくれないか? もし逃げ切ってくれたら褒賞として、正式な貴族令嬢としての身分と私の後見を授ける。ディートが三年後も君を望むなら、第一妃は無理だが、第二妃として嫁げるように手配する》
(あの人が私にこだわっていたら、私に拒否権はないのね……)
有紗は唇を噛んだ。だが、かなりいい条件を提示されたような気もした。
「それは、ディートハルト殿下に飽きられても捨てられない立場という事ですか?」
《勿論だ。そのままアリーセ・ディア・ライアーとして嫁げばいい。ライアー家とは既に話が付いている。仮の父母、持参金、私の後見。それらがあればそなたの地位は揺るがない》
有紗はクラウディアに視線を向けた。すると、彼女は頷いた。
クラウディアが肯定したという事は、本当にいい条件のようだ。
「もし三年の間に私を諦めていたら……?」
《そこに残るか、別の嫁ぎ先を手配するか……悪いようにはならないようにしよう。フレンスベルク国王の名にかけて約束する》
「…………」
「お父様、私から追加の褒賞の提案です。アリーセが逃げ切ったら、テラ研究の第一人者を紹介してあげて下さい。彼女の本来の一番の希望は、元の世界に戻る事です」
即答できないでいると、クラウディアが進言した。すると、エルンストは同情めいた視線をこちらに向けてくる。
《帰りたいのか……。いや、君の立場なら当然だな。いいだろう。厳しい現実を知るだけだと思うが、それも褒賞に加える》
「わかりました。私からはあの人の所に戻りません」
有紗は心を決めた。
《私が送った腕輪を外さないようにだけ注意してくれれば、そう簡単には見つからないはずだ。動向も見張らせているから、そちらに向かう素振りがあればすぐに知らせる》
「お父様の連絡が間に合わなかったとしても、男子禁制の規則があるから突っぱねてやるわ」
クラウディアが補足する。
まだ一抹の不安は残るものの、有紗は自分に示された新しい道に期待感を募らせた。
◆ ◆ ◆
話が一段落つくと、父娘二人だけで話したいとエルンストが言い出したため、クラウディアはアリサを貴族寮へと帰らせた。
《体の具合はどうだ》
「特に変わりありません。日常生活を送る分には問題ないです」
二人きりになってから切り出された質問に、クラウディアは苦笑いを浮かべた。
魔力器官の癌とも呼ばれる魔障病に罹ると、後遺症で魔力量が著しく下がる。今のクラウディアの魔力は、全盛期の三分の二程度に落ち込んでいる。
また、魔障病は高確率で遺伝するため、子供も望めなくなった。
生活に支障はない。まだ三位貴族に匹敵する程度の魔力は保有しているが、クラウディアは王族の女としては役立たずになってしまった。嘆いても仕方がないが、どうして自分が、という気持ちはふとした時によぎる。
神に仕える道に進んだのは、別の女に産ませた子供を抱く夫を見たくなかったからだ。
《変わりない毎日を送っているのなら良かった》
エルンストは目を細めて微笑んだ。
《……二人きりにしてもらったのは、あの娘の印象を聞いておきたかったからなんだ》
「まだ昨日の今日ですよ?」
《現時点での印象で構わない。そう頻繁にこちらには連絡できないからな……。頻度を上げるとディートに怪しまれる》
「そうでしょうね」
クラウディアは小さく息をついた。
「……事前に頂いていた情報通り、頭の回転が早いですね。そして、不思議な愛嬌がある。生意気な事を言われても、何となく許せてしまうのは、あの幼い外見のせいでしょうか」
可愛らしい容姿は、間違いなく彼女の武器だ。
美しいともてはやされるが、萎縮される事も多い自分には、決して持ち得ない魅力である。
「彼女の方から捕まった時に備えて、ディートの機嫌の取り方を私に聞いてきました。そして、寵姫に必要な技能を身につけたいと」
《そうか、自分から……》
エルンストはつぶやくと、眉間に手を当てて深く息をついた。
《当初の予定通り三年、そちらで預かってくれ。ディートのところに期限前に戻る事のないように、さりげなく誘導して欲しい》
「私が小細工をしなくても、あれだけの条件を出したのなら大丈夫と思いますよ。ディートへの恋愛感情があるようには見えませんでしたから」
クラウディアは、父に甘やかされているディートハルトが嫌いだ。だからいい気味だと思ってしまう。
『お母様を返して!』
子供の頃、母親の事でディートハルトを詰った事を思い出して顔をしかめた。
本当は彼が悪いのではないとわかっている。可愛いと思う時もある。
でも、周囲からの期待や父からの愛情の差など、弟を見ると、黒い感情が湧き上がる。
自分の醜さを思い知らされて苦しくなるから、クラウディアはディートハルトとはできるだけ接触しないように心掛けていた。




