九章 修道院 01
旅路は順調で、目的地の聖エーデル女子修道院には、当初聞いていた予定通り五日でたどり着いた。
ディートハルトから逃げ切れて、有紗はホッとする。自分が捕まるのはともかく、ビアンカやゲオルグが危険な目に合ったら申し訳ないどころではない。
「俺はここまでだ。頑張れよ」
修道院の中は男子禁制なので、ゲオルグとは門の前でお別れだ。
「ここまでありがとうございました」
お礼を言うと、わしわしと髪を掻きまわされた。
聖エーデル修道院は、人里離れた森の中にひっそりと建っていた。
しかし建物自体はお城のように立派で広かった。広大な敷地の中には畑があり、修道女たちは自給自足に近い生活を営んでいるらしい。
「ここからの『設定』は大丈夫ですか?」
ビアンカに尋ねられ、有紗は頷いた。
(ここからは、私は『アリーセ・ディア・ライアー』と名乗る)
馬車の中で説明された『設定』を心の中でおさらいした。
有紗は体があまりにも弱く、まともな結婚が望めない貴族令嬢として修道院で暮らす。
病弱という設定にしたのは、部屋に引きこもるための口実だ。他の修道女と顔を合わせるのは最低限で済むよう、院長のクラウディア王女が配慮をしてくれる。
修道院の中には、そういう訳ありの貴族令嬢が暮らせるようになっているエリアがあるらしい。
『アリーセ・ディア・ライアー』は、エルンスト王が用意してくれた貴族令嬢としての名前だ。ライアー家は王家への忠誠心が高い中位貴族の家柄で、当主が密かに平民に産ませた庶子という事にして戸籍も作ってくれた。
ファーストネームは、元の名前に近く、こちらで一般的な名前を選んでくれたようである。
ビアンカは侍女として一緒に修道院に入り、こちらの事情に疎く、魔力の使えない有紗を助けてくれる予定である。
「あの、ここまで付いてきてもらって今更なんですが、なんだか申し訳ないです。私のせいでビアンカの軍人としてのキャリアが傷付きませんか……?」
「配慮していただけるようなのでお気遣いなく。ヴェルマー中将は酒癖が悪くて酔うと面倒なんですよ。あの方の秘書官よりもアリサ……いえ、アリーセ様のお世話の方がやりがいがあります。特別手当も出ますしね」
本心か建前かはわからないが、ビアンカはにっこりと微笑んだ。
◆ ◆ ◆
中に入ると早速院長室へと案内された。
受付に出てきた人も、中ですれ違う人も、黒一色のワンピースとヴェール付きの帽子を被っていた。キリスト教のシスターによく似た格好である。
院長室で出迎えてくれたのは、華やかな印象の美女だった。
「聖エーデル女子修道院へようこそ。アリーセ・ディア・ライアー。私が修道院長のクラウディアよ。本当のお名前も存じ上げているけれど、アリーセと呼ばせて頂くわ」
「は、はじめまして……」
有紗は返事を返すのでやっとだった。
クラウディアの顔は、あまりにもディートハルトによく似ていたからだ。
渦巻く豪奢な金色の髪に赤い瞳――。
ディートハルトは、王族の中でも特に自分の瞳は赤いと言っていたが、そんなに違いがない気がする。
(並んだら色味の差が出るのかな……?)
有紗は心の中で首を傾げた。
彼にそっくりな女性の顔を見ながら暮らすのは、ちょっと辛いかもしれない。
「お初にお目にかかります。クラウディア殿下。小官は陸軍少尉ビアンカ・ドレッセルと申します」
聖職者は月の神ツァディーの使徒。月の加護の差はそのまま聖職者の階級にも反映される。
祭祀を執り行うのには魔力が必要なため、貴族出身か、高貴なる平民と言われる魔力の高い者でなければ決して上には行けない仕組みになっているらしい。
神のもとでもこちらの世界は平等ではない。その為、俗世の身分をそのまま適用して呼びかけるのが正しいそうだ。
ビアンカの挨拶を聞いて、クラウディアは困ったように眉を下げた。
「父から聞いているわ。軍人式の挨拶はこれっきりにして下さい。あなたはこの子の侍女という『設定』でしょ?」
「かしこまりました。以後気を付けます」
ビアンカの返事に頷くと、クラウディアは有紗に向き直った。
「アリーセ、あなたの事情は把握しているつもりよ。ディートが馬鹿な意地を張ったせいでこんな事になってごめんなさいね」
「クラウディア殿下に謝られる事では……」
有紗は眉を下げた。すると、クラウディアは首を横に振る。
「王族男子の義務を放棄するなんて、馬鹿以外の何者でもないわ。妃を迎えた上で寵姫を囲う。それが正しいあり方なのに」
クラウディアの発言に、有紗は落胆した。
(ううん、これがこちらの世界の偉い人達の『常識』なんだわ……)
日本だって昔はそうだった。天皇とか大名とか、身分の高い人には正妻の他に側室がいるのが当たり前の時代があった。いちいち失望していては身が持たない。
(私だけでいいと言っていた、あの人がおかしいのよね)
有紗はディートハルトの顔を思い出した。
(奴隷扱いでさえなければ理想的……)
と考えかけて慌てて自分を戒める。
(あんな奴、好きじゃない)
いい所があるのは認めるけど、嫌な発言や態度がいっぱいありすぎて、差し引きゼロどころかマイナスである。
「お父様があいつに持ちかけたゲームの話も聞いているわ。実にふざけてるわよね。あんな馬鹿が馬鹿みたいに高い魔力を持って生まれてきたせいで、こんな馬鹿な賭けを持ちかけるしかなかっただなんて……腹が立つわ! 王女としては役立たずの私が言えた事ではないけど……」
クラウディアは不機嫌そうにぼやいた。
(そっか、この人は子供を産めないから……)
偉い人に失礼があってはいけないので、事前にクラウディアの事情はビアンカから説明を受けていた。
エルンスト王には三人の子供がいる。ユリウス王太子、クラウディア、そしてディートハルトだ。
ユリウスは第一妃の子供で、第二妃の子供であるクラウディアとディートハルトとは母親が違う。
第一妃は健在だが、クラウディアとディートハルトの生母であるフレデリカ妃は既に亡くなっているらしい。
唯一の王女クラウディアは、国内の上位貴族に嫁いだが、魔障病というこちら特有の病気にかかり、後遺症で子供を産めない体になったため、夫と別れ修道院に入った。
この世界の特権階級の女性の役割は、優秀な子供を一人でも多く産む事なのは、わざわざ説明されなくてもわかる。その物差しで測れば、確かにクラウディアは『役立たず』だ。
だけど、有紗はクラウディアが自嘲気味にそんな言葉を使うのが悲しかった。
「アリーセ。テラは確かもっと自由なのよね? 純粋な技術力で発展していて、こちらのように子供の数が必要ではないから一夫一婦制だし、身分制度も存在しない」
クラウディアに尋ねられ、だいたい合っていたので有紗は「はい」と返事をした。すると、彼女は申し訳なさそうな表情をする。
「では、こちらの考えは受け入れられないでしょうね。同情するわ」
こちらの人にこんな事を言われたのは初めてだったので、有紗は顔を上げ、まじまじとクラウディアの顔を見つめた。
「でも感情と現実は切り分けて考えないとね。あなた、ここではどう過ごしたい?」
「どう……?」
有紗は詰まった。
「ディートハルト殿下から逃げるのに必死で……考えてみたこともなかったです」
「そう。なら今から考えなさい。ふざけた賭けのせいで、あなた、高確率でディートの所に連れ戻されるわよ」
「三年逃げ切ったら忘れられている可能性は……」
「想定は悪い方で考えておいた方がいいと思う。そうね。私があなたなら、しばらくは様子を見るかしら。お父様に頼めばあいつの情報は手に入るはずよ。いつまでも手元に取り戻そうとし続けるのなら、期限が来る前に自分から名乗り出てもいいかもしれない」
「えっ……」
クラウディアの発言に、有紗は目を見開いた。
「自分から名乗り出るんですか?」
「ええ。だって考えてもみなさいよ。あいつが賭けに負けたら、別の女があいつと結婚するわよ。あなた、別の女と夫を共有したい?」
「う……それは、嫌ですけど……」
貴族のお嬢様をディートハルトが迎えた後で連れ戻されたら、有紗は正真正銘の愛人だ。正妻にいびられるかもしれない。
「クラウディア殿下の想定は、ディートハルト殿下が、まだ私を寵姫として扱いたいと思っていなければ成立しませんよね。私に対する怒りが深い場合は、どうすればいいんでしょうか? その場合は、ひたすら平謝りして許してもらうつもりですけど……」
「そこなのよね……。バルツァー大佐によると、あなたが居なくなってからの顔つきが普通ではないらしいのよ。さすがに女の子相手に手を上げるような性根の腐り方はしていないと思うんだけど……」
クラウディアは自信がないのか眉を下げた。
「まずはあいつがアリーセをどうするつもりなのか、しっかりと探った方がいいわね。それはそれとして、ここでの過ごし方は考えてね。何もせずに過ごすのか、ディートの所に戻った時に備えて、礼儀作法の勉強をするのか。あなたのしたいようにすればいいわ」
「……もしかして、それがクラウディア殿下のお話の本題ですか?」
「ええ。すぐには決められないと思うから、ゆっくり考えて答えてくれたらいいわ」
「……いえ、何でもしたいようにして過ごしてもいいのなら、決まってます」
「そうなの?」
即答すると、クラウディアは目を丸くした。
「はい」
有紗は頷くと、意を決して宣言した。
「私、まだ元の世界に帰るのを諦めていないんです。だから、もし何でも好きな事をさせて貰えるのなら、その方法の探し方を教えて下さい」
有紗の発言は予想外だったのか、クラウディアは唖然とした後、困惑の表情になった。
「アリーセ、残念だけどそんな方法はないのよ……」
「そうでしょうね。前にディートハルト殿下に同じ事を言ったら、『好きなだけ調べてみるといい』と言われましたから。それも余裕ぶった態度で」
思い出したら腹が立ってきた。
「あなた、それ、ディートにも言ったの……?」
クラウディアは驚いている。
「はい。探し出せるものなら探してみろという感じだったので、察しました。それでも私は探したいです。諦める事はできません」
「…………」
沈黙したクラウディアが向けてきたのは、同情めいた視線だった。
きっとこれまでも挑戦してきた研究者は何人もいるのだろう。だけど今も見つかっていない。自分がこれまでに受けてきた扱いを思い返すと、そういう事なのだと思う。
「専門知識を身につけて、一生を研究に捧げたとしても見つからないかもしれない。それでもいいんです。諦めたらきっと私は折れてしまう」
両親はそろそろ有紗の失踪に気付いた頃だろうか。こちらに来て約二か月。こちらとあちらの時間の流れ方が一緒なら、日本は現在十二月だ。年末年始に帰省するのか、連絡が入ってもおかしくない。
意図的に考えないようにしていたが、故郷の事を考えたら目の前が潤んだ。
有紗はまばたきを繰り返して涙を散らす。人前で泣くのは嫌だった。
また、有紗に必要なのは、日本に戻るための専門知識だけではない。
「……三年以内に見つかるとは思えないので、ディート様に媚びる方法も教えて頂けませんか? こちらの貴族のお嬢様に近付けばいいでしょうか?」
「…………」
クラウディアは呆気にとられた表情をしている。打算的過ぎただろうか。有紗は不安になった。しかし――。
「あなたのそういう考え方は嫌いじゃないわ」
彼女の微笑みながらの発言に有紗は安堵する。
「そのつもりなら、明日からみっちり色々教えてあげる。それと、これを」
クラウディアは机の引き出しから綺麗な小箱を取り出し、蓋を開けてから有紗に差し出した。
箱の中には指輪が入っていた。
「瞳の色を変える効果のある魔道具よ。アリーセの設定は四位貴族だから、赤寄りの紫に見えるように調整しておいたわ」
「ありがとうございます。でもこれ、サイズが……」
親指にはめたとしてもぶかぶかではないだろうか。
「大丈夫よ。あなたの指に合わせて縮むようにできてるから」
有紗は半信半疑になりながらも指輪を左手の中指にはめてみた。すると、クラウディアの言う通り、中指にぴったりのサイズに縮んだ。
「ちょうどいい色になったわね。自分でも確認してみる?」
クラウディアは、今度はコンパクト型の手鏡を出して有紗に渡してくれた。
覗き込んでみると、確かにビアンカよりもやや赤が強い紫になっていた。
ディートハルトと変装して街に行った時と違って、地毛のままだから違和感はあまりない。
「あの、ありがとうございます」
「どういたしまして。この修道院は困った女性を助けるために作られたの。私はあなたの味方よ。今日は長旅で疲れているだろうからもう休みなさい」
クラウディアはそう告げると、机の上に置いてあったベルを鳴らした。
すると、一人の修道女が中に入って来る。
年齢は四十代くらいだろうか。ふくよかな体つきと紫色の垂れ目が特徴の女性だった。
「紹介するわ。彼女はサビーネ。元は私の侍女で、ここに入る時に一緒についてきてくれたの。設定上のビアンカと全く同じね」
クラウディアはおかしかったのか、ふふっと笑った。
「本当は私がしっかりとアリーセに付いていてあげたいんだけど、院長としてのお仕事もあるから難しいの。だから信頼できる彼女にだけあなたの素性を明かしたわ。ここでの生活で困った事があれば、私かサビーネに相談してね」
「なんでも聞いてくださいね」
クラウディアの紹介が終わると、サビーネはにっこりと微笑んだ。
「サビーネ、お部屋に案内してあげて」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
サビーネな優雅な手付きで出入り口を示した。
◆ ◆ ◆
サビーネに案内されたのは、広大な敷地内に建てられた一角にある、別荘のような建物だった。
「ここは貴族寮です。今はクラウディア殿下ともう一人、エルケという修道女が使っていますが、お年を召されていて俗世との縁が薄く、目が悪いので、あなたの顔を見られたとしても問題はないと思います」
クラウディアは二階を、エルケは足腰に不安があるので一階の一角を使っているそうだ。
「お部屋は勝手ながら二階に用意させて頂きました。エルケとはあまり接触しない方がいいと思いますので……」
有紗のために準備された部屋は、クラウディアの私室の隣で、貴族用だからなのか、内装はシンプルだが広々としていた。
「こちらは居間。こちらは主寝室で、狭い方の寝室は侍女用です」
サビーネは、三間続きになっている室内について説明すると、次に修道院での生活がどのようなものか教えてくれた。
起床・就寝・食事の時間、奉仕活動という名の労働に、朝晩の祈祷――。
「食事はエルケさんやクラウディア殿下のものと一緒にこちらに運びますし、奉仕活動への参加も病弱だという設定になっているので結構です。ですが、朝と夜の聖堂での祈祷にはご出席ください」
「では、起床と就寝の時間は皆様に合わせないといけませんね」
発言したのはビアンカだ。
「朝は鐘の音で強制的に目が覚めてしまうと思います。かなり大きな音なので、慣れるまでは心臓に悪いかも……」
サビーネは申し訳なさそうに教えてくれた。
「明日からはクローゼットの中にある修道服で過ごして下さい。私は院長室にいる事が多いと思います」
サビーネは一通りの説明を終えると、一礼して退室した。
有紗はビアンカと二人、部屋に残される。
「さて、荷物を整理しましょうか。アリーセ様」
本名とかなり似ているとはいえ、偽名で呼ばれると違和感がある。
「あの、広い方の寝室はビアンカが使ってください」
「ダメですよ。どこで誰が見ているか分かりませんから。あなたはアリーセお嬢様で私は侍女のビアンカです。常日頃からそのつもりで生活しないと、いつかボロが出ます」
注意されてしまった。




