八章 逃避行 04
聖エーデル女子修道院への旅路は、ビアンカとゲオルグという二人の軍人が護衛に付いてくれたお陰で順調だった。
しいて言えば、一度イノシシのような獣に襲われたくらいである。ちなみにその獣は二人によってあっという間に撃退され、夕食のおかずになった。
二人ともサバイバルはお手の物だ。野宿する事になっても二人の手にかかれば、幌馬車はあっという間に快適な寝床に変わる。
有紗は申し訳ない気分になった。荷台の床に毛布をひく程度しか出来ない。
「ごめんなさい、何も手伝えなくて」
「アリサは一応護衛対象だからなぁ。ふらふら出歩くより馬車の中で大人しくしてくれた方が良い」
「そうです。私達に任せて下さい。修道院では貴族のお嬢様として暮らしていただきますからね。手が荒れては困ります」
「……ありがとうございます」
有紗は居心地が悪かったがお礼を言った。
身体はかなり辛い。幌馬車にはサスペンションなんて気の利いたものはなく、街中と違って道も舗装されていないので、酷く揺れるのだ。
だが、気分はこちらに来て初めてと言っていいくらい凪いでいた。
これまでディートハルトの傍で、酷い緊張を強いられていたのだろう。こちらに来て初めて解放された気分である。
「ビアンカ、暗号通信が来てる。解読してくれ」
馬車の中の荷物を確認していたゲオルグが、一枚の紙片をビアンカに渡した。
「自分でも解読できるくせに……」
ビアンカは、面倒そうにしながらも紙片を受け取ると真剣な表情で読み始めた。
最初は階級も貴族としての位階も上のゲオルグに遠慮がちだった彼女だが、すぐに丁寧ではあるが砕けた言葉遣いに変わった。
親しみやすいゲオルグの人柄のせいだろうか。陽気で、いい意味で大雑把な彼とは、有紗も一緒にいて楽しかった。
「ヴェルマー中将からですね。昼過ぎにはアリサの不在が発覚して、読心の魔術で何もかもが筒抜けになったみたいです」
「うげっ、殿下相手じゃ何もかも丸見えになるんだろうな。やられたくねぇ……」
ゲオルグは渋い顔をした。
「その後殿下は国王陛下に連絡を取って問い詰めたみたいです。殿下は随分とアリサに執着していたそうですよ」
寒気が走り、有紗は身を震わせた。
「その通信の中で、陛下は殿下と賭けをされたそうです。アリサにとって残念なお知らせになりますけど、聞きますか?」
「……教えてください」
有紗は嫌な予感に顔をしかめながら尋ねた。
「要約すると、三年以内にアリサを探すゲームです。賭けるものは殿下の結婚。三年以内にあなたが見つからなかったら、殿下は上位貴族のご令嬢を娶ると約束されたそうです」
「それってつまり三年逃げ切ればいいって事ですか?」
「いいえ、妃との間に子が出来たら陛下はアリサを殿下に返すと……」
「それってゲームの結果がどっちに転んでも、最終的に私はあの人のところに戻されるって事じゃないですか!」
「そういう事になりますね。だからアリサにとって、残念なお知らせだと言いました」
ビアンカの言葉に、有紗は怒りに震えた。
「ゲームの景品にされるのも不愉快なら、あの人を穏便に結婚させるための餌にされるのも不愉快です……」
この国の王族どもは、一体人をなんだと思っているのだろう。
やっぱり嫌いだ。こんな世界。
空には赤い月が浮かんでいる。
有紗にとっては異世界の象徴の最たるものが視界の端に見えて、余計に腹が立った。
「逃げ回るうちに殿下のお気持ちは薄れるかもしれません」
「いや、逃げるものは追いたくなるのが男の習性だからな……」
ビアンカと違ってゲオルグは無神経だ。
「どうしてあの人は私に執着するの……」
「想像はつくけど、若い女子二人の前では言いにくいな……」
ゲオルグの発言に、なんとなく彼の考えている事がわかって、有紗は顔をしかめた。
「当初の予定通り、追いつかれる可能性を想定して動いた方がいいだろうな」
「追いつかれたらどうするんですか?」
「アリサを殿下から引き離すのが俺達の任務だからな。全力で応戦する。抵抗しないとアリサはともかく、俺達は命が危ない」
(命懸けなの……?)
成功率の高い賭けだと思ったからビアンカの提案に乗ったが、よく考えたら彼の言う通りだ。ディートハルトの怒りの矛先が、有紗の逃亡を手助けした二人に向いてもおかしくない。
「大丈夫なんですか……?」
「大丈夫……とは言いきれないが勝算はある。初手の対応さえ間違えなきゃな」
「どうするんですか?」
「陛下から、一時的に魔力を使えなくする結界を作る神器をお借りしてる。殿下に魔術を使われる前にそいつを起動できればこっちの勝ちだ。物理的に制圧する」
「物理的にって……」
「魔術なしの条件なら殿下より俺の方が強い」
ゲオルグは自信満々に言い切った。
「その目は疑ってるな?」
「ゲオルグは強いですよ。一対一の近接戦闘でこの人をどうにかできる人間は、陸軍全体でも数人しかいないのではないでしょうか?」
ビアンカの説明に、有紗は思わずゲオルグの体に視線を向けた。体格は彼の方が圧倒的にいい。
確かに筋肉の量は彼の方が圧倒的だ。
「私に何かできる事はありませんか?」
「失敗した時の命乞い?」
「……わかりました。頑張ります」
万一の場合を考えて、どう話せばディートハルトをなだめられるのか考えなければ。
「可愛さ余って憎さ百倍の状態になってなきゃいいけどな」
ゲオルグが嫌な事を言った。
ディートハルトの立場からすれば、飼い犬に手を噛まれて逃げられたのと同じような状態である。さぞかし有紗に対しても怒っているはずだ。
「王様のせいにして必死に謝ってみようと思います。許してもらえるかどうかはわかりませんけど……」
「……そうだな」
「きっと大丈夫ですよ、アリサ。あなたは唯一の体質の持ち主ですから」
フォローするように発言したビアンカの声は引き攣っていた。




