八章 逃避行 03
バルツァーは、ヴェルマーに読心の魔術を使ったディートハルトの姿に覚悟を決めた。
(できるだけ死傷者を抑えなければ……)
ここにいるのは未来のある若者達だ。最悪の場合、バルツァーは全生命力を魔力に変換してでもディートハルトを止めようと決意する。
ややあって、ディートハルトは、ヴェルマーを解放した。
「お前やロイドも共犯だったのか」
バルツァーを睨み付けたディートハルトから、再び魔力が吹き上がった。
神返り――そう呼ばれる事もある鮮血のような赤い瞳に威圧され、息が止まる。
彼は何もかもを知ってしまったのだ。
ソレルとの面会が決まってからのディートハルトの態度は、あまりにも悪かった。
面会でも失礼を通り越して無礼な態度を取り続けたので、エルンスト王はアリサを引き離すと決めた。
バルツァーとロイド艦長は、ヴァルトルーデの整備に十日かかるという嘘をつき、計画に加担した。
「殿下の仰る通りですが、国王陛下からの勅命でございました。また、我々はただ提案をしただけです。首輪の魔術がアリサ様を守っている以上、彼女が自分の意志で逃げると決めなければこちらも手出しは……」
ディートハルトからの圧力がより強くなった。
背中を嫌な汗が流れる。
彼が怒りのままに魔力を暴走させたら、この辺り一帯が消滅してもおかしくない。
「脅したのか」
「恐れながら、そのような真似は……」
ヴェルマーが発言すると、ディートハルトは彼を睨み付けた。
「……ヴァルトルーデに戻る。直接父上に問いただす」
冷静になったのか、魔力の圧がすうっと消えた。
◆ ◆ ◆
ディートハルトは、ヴァルトルーデの自室に戻ると、懐中時計を兼ねた通信魔道具を起動させ、父王に繋がるのを苛立ちながら待っていた。
魔力を使った籤引きは大抵良い結果をもたらすのだが、今回は久々の大外れだった。妃候補の中でも、基地のある地域の女を選んだ事を、心の底から後悔する。
監視用の魔術に記録されていた、逃走直前のアリサの姿が脳裏をよぎった。
彼女は悲しげな表情で室内を見回してから、宿舎を出て行った。
(なんで逃げた)
アリサには、寵姫に相応しい待遇を与えたつもりだ。
だから、彼女もそれに感謝し、ディートハルトに懐いたのではなかったのだろうか。
理想的な主従関係を築けていると思っていた。
ディートハルトは、しまい込んでいた令嬢達の写真乾板を取り出すと、床に叩きつけた。
ガラスに画像を焼き付けたそれは、高い破砕音を立てて砕け散る。
物に当たるのは久し振りだ。
最近精神的に安定していた理由を考えると、一つしか思い当たらない。
大切にして可愛がっていたのに、逃げ出した理由が理解できず、アリサと出会ってからこれまでの出来事を思い返した。
彼女は、最初は反発していたが、比較的早い時期に自分の立場を理解して、ディートハルトを受け入れた。
ディートハルトも彼女を気に入った。心の病気にかかってもおかしくない状況なのに、前向きに努力する姿に好感を持った。
頭の悪い女は苦手だ。すぐに感情的になる女も。アリサはどちらでもなかった。
むしろ知能は高い方だろう。こちらの文字を三日ほどで覚えたし、食事のマナーやこちら特有の風習など、少しでもわからない事があると、なんでも聞いてきた。
奴隷の教育は主人の義務だし、何かを教えると、乾いた土に水を与えた時のように吸収していくのが面白かったから、ディートハルトは惜しみなく知識を与えた。
(全部演技だったのか……)
この世界では、魔力のないテラ・レイスは、権力者の庇護がなければまともに生きてはいけない。
少しでも良い生活のために、媚びようと彼女が考えても何もおかしくはない。
なんのことはない。これまでディートハルトの目の前に何人も現れた、王子という生まれに擦り寄ってきた俗物どもと同じだったというだけだ。
(許せない)
許せないのは裏切ったアリサか、まんまと騙された間抜けな自分か、それとも両方なのか――自分にもわからないが、どす黒い感情が膨れ上がる。
ディートハルトは床に散らばった写真乾板の成れの果てを睨みつけると、軍靴で更に踏みにじった。
その時である。ようやく通信が繋がった。
事の次第は父王にも伝わっているのか、ただの通話ではなく映像通信だった。
《何の用だ。私は忙しいんだが》
エルンストは眉間に皺を寄せていた。
「とぼけるのは止めて下さい、父上。私の寵姫をどこにやったんですか」
《何の話だ》
「潰しますよ。この街も基地も。俺が乗艦したヴァルトルーデならそれが出来る」
《そんな暴挙に出れば反逆とみなす。真正面からぶつかればお前もただでは済まない》
ヴィナラントの独立を招いた内乱の時にその数を減らしたとはいえ、国王は数多くの神代の魔道具――神器を所有している。
魔力では圧倒しているとはいえ、父や異母兄とやりあうのは確かに分が悪い。
「私は今最高にむしゃくしゃしています」
《一時の感情に流されて、国民の虐殺を画策するか》
「どうしてこんな感情に駆られるんでしょうね? 自分の中にこんな破滅願望があるなんて、私も初めて知りました」
激情が自分でも抑えられず、魔力がまた溢れた。
エルンストは深くため息をつく。
《随分と寵姫にこだわるな。そこまでテラ・レイスの身体は良かったか。私も試してみたくなってきた》
「試す?」
《冗談だ》
ディートハルトが怒りを滲ませると、エルンストは即座に発言を撤回した。
《アリサと言ったか。お前が彼女に付けた首輪の魔術式をそちらから送ってもらったが……よくもまあ、あそこまで複雑な構築にしたな。既にヴェルマー中将の心を読んだのであれば把握しているとは思うが、あの護りの魔術は異様だ。あれがある限り、誰も彼女には手が出せない》
「……治癒魔術が効かなかったんです。テラ・レイスだから当然ですが」
ディートハルトはつぶやいた。
攻撃魔術は効かない体質でも、物理的な傷は負う。しっかり護ってやらないと簡単に死んでしまうと思った
「あれは私のものです。返して下さい」
彼女に対する怒りはまだ燻っている。次に会ったらただでは置かない。
だが、仕置きをするためにも、まずは手元に取り返さすのが先決である。
《妃を娶れば返そう》
「お断りします。交渉は決裂ですね。残念です」
《お前は王族失格だ》
「ええ。自分でもわかっています。ですから、兄上が王太子で正解です」
ディートハルトは酷薄な笑みを浮かべると、通信を切るために懐中時計に手を伸ばした。すると――。
《待て、ディート》
ため息混じりに制止され、ディートハルトは静止した。
《……お前の気持ちはわからないでもないんだ。フレデリカの死が心の傷になっているのも》
エルンストはぽつりと呟いた。
――お前のせいでお母様は死んだのよ!
幼い頃、姉に詰られたのを思い出す。
《しかし、私は王として、お前のその我儘を、はいそうですかと聞くことはできない》
「……本当は私だってわかっています。でも、どうしても嫌なんです」
《…………》
「父上も王族ならおわかりでしょう? 中和薬を飲ませて、それでも嘔吐したり気絶したり……。泥酔状態の女性を抱いて、運よく子供ができたとしても、妊娠中どれだけ負荷がきるのか予測できない。私は父上や兄上以上に魔力が多いんです」
ディートハルトは手の平をきつく握りこんだ。
『母殺しの第二王子』。王宮内でひそひそと囁かれた声が記憶の中から蘇る。
ディートハルトは高すぎる魔力を恐れる者に、異母兄に近い貴族に、その類の言葉の棘を日常的に浴びせかけられてきた。
「アリサを返して下さい。あれでなければ私は満たされない」
エルンストは深いため息をついた。
《……一つ私と賭けをしないか?》
「賭け?」
エルンストの言葉に、ディートハルトはぴくりと反応した。
《お前は今二十四だな? フレデリカが亡くなったのは二十七だった。その二十七歳を迎えるまでの三年間の間に、私が隠したあの娘を探し出してみろ。それが出来ればお前の主張を認めてやる。しかし、見つからなかったら諦めて妃を娶れ。子が一人でも出来たらあの娘は返してやるから』
「そんな賭け、私が受け入れるとでも?」
《お前も王族、民を想う気持ちがあると信じている》
「…………」
《お前の魔力、第二王子としての権力、軍との繋がり、それらがあれば勝ち目のない賭けではないはずだ。お前自身の退役は許さないが軍の人材を使うのは許す。それとも自信がないか?》
こんなもの単なる挑発だ。乗る必要なんてない。
見せしめとしてこの基地を潰せば、エルンストは折れるかもしれない。
暴力的な気持ちと、王族としての倫理観がせめぎ合う。
心の底からこの国を滅茶苦茶にしたい訳ではない。
――この辺りが落とし所か。
エルンストの提案に乗るのは癪だ。勝手に人の物を奪っておいて、それを賭けの景品にするなど厚かましいにもほどがある。
しかし、ディートハルトはぐっと堪えると、父に告げた。
「わかりました、父上。賭けを受けます」




