八章 逃避行 02
剣術大会を見るために士官学校へ移動したディートハルトは、特等席で必死に眠気を堪えていた。
剣術自体は好きだが、見る方はあまり好きになれない。
だが、さすがにその感情を顔に出しては士官候補生達に失礼だ。だからディートハルトは、神妙な顔で真剣に見ているフリをしながら別の事を考えていた。
(また連絡があるかもな……)
頭の中に浮かぶのは、太守の官邸から出た後に受けた、父王からの通信魔道具ごしの叱責である。
《周りの制止を振り切って、テラ・レイスの寵姫を連れて行ったそうだな……》
父、エルンストの声は怒りで震えていた。
彼もまた、ディートハルトが異世界の女性を手に入れたことを現段階で知っている数少ない一人だ。
「妃はいらないと何度も言っているのに、聞いてくださらないからです」
《子を残すのは王族の義務だ》
「わかっていますが、それでも嫌だと申し上げています」
《とりあえず手を出す出さないは置いておいて、一人は妃を迎えなさい》
「相手の女性に失礼ですよ、父上」
《面会の席に正装せず、女奴隷を同伴したお前が言うか……》
「父上の発言の方がよほど不誠実です」
とりあえずディートハルトと適当な貴族女性を結婚させておけば、情に絆されてそのうち手を付けるだろう――そんな魂胆が見え見えである。
《候補としてお前に紹介した女性達は、お前との魔力差を承知の上で手を挙げてくれたんだぞ》
「女の子達が構わなくても俺が構うんです。母上のように亡くなる可能性もあるんですよ」
《フレデリカの死因に魔力中和薬の影響があったのは否定できない。だが、この二十数年で大きな改良が加えられているんだ》
「存じ上げていますよ。ですが、可能性がゼロではない以上、嫌なものは嫌なんです」
《嫌だろうが何だろうが、子を残すのは王族男子の義務だ。何回も同じことを言わせるな》
結婚適齢期に入ってから、似たようなやり取りを一体何度繰り返したのだろう。ディートハルトはうんざりだった。
縁談の話が始まると、堂々巡りの言い合いが続く。
この日も、エルンストが諦めて折れるまで、無意味な応酬が繰り広げられた。
周囲はなかなか理解してくれないが、貴族出身の妃はいらない。アリサを得た今は、より強くそう思う。
貴族の女は面倒だ。娼婦と違って、魔力酔いに細心の注意を払って抱かねばならないだろうし、口うるさい外戚も付いてくる。
ソレルが面会の時に口走った『イルクナー家』は、母フレデリカの実家である。
現当主である外祖父は、ディートハルトを王に擁立しようと画策している。
(あのジジイ……)
ディートハルトは顔をしかめた。
自分は王の器ではないし、そもそもなりたいとも思っていない。
ディートハルトには、十二歳上の異母兄、ユリウスがいる。
自分が物心ついた時には彼――ユリウスは、既に周りから王太子として認められていたし、エルンストも継承順位を変えるつもりはないらしく、ディートハルトは異母兄とは差を付けられて育った。
帝王教育の厳しさ、品位保持費の金額、使用人の数――明確な格差があったのは、父なりに序列を示すためだったのだろう。
外戚の力はユリウスの方が上だったし、十二歳の年齢差も大きく、それなりに優秀で品行方正な王太子を廃するよりも安定を取ったに違いない。
物心ついた時から異母兄が王位を継ぐものと思っていたから、ディートハルト自身も扱いの差に不満を覚えた事はなかった。
また、父の決定は正しかった。ディートハルトは魔力だけが取り柄のひねくれた人間に育ったのだから。
考えに耽っている間にも、試合は続いている。
懸命な士官候補生には悪いが、あまりにもつまらない試合が続くので、ディートハルトは寵姫の様子でも覗き見しようと思い、宿舎に掛けておいた監視魔術にこっそりと干渉した。
ディートハルトの体から、陽炎のように魔力が立ち昇ったので、周囲は凍り付いた。
「あの、殿下、何かございましたか……?」
おずおずと声を掛けてきたのは、隣に座っていた基地司令のヴェルマー中将だ。
「アリサがいない」
ディートハルトは呆然とつぶやいた。
宿舎からはアリサだけでなく、世話係のビアンカ・ディア・ドレッセルの姿も消えていた。
慌てて『首輪』と繋がっているカフスに魔力を流し、位置を探ろうとしたが反応しない。
何かに探知が阻害されている。
彼女に与えたチョーカーは、ディートハルトが作った特別製だ。
アリサに何かしようと思ったら、まず中に仕込まれた防御魔術をどうにかしなければいけない。
あれは彼女に対する敵意に反応するから――。
(自主的に逃げたのか……)
だが、アリサは無力なテラ・レイスだ。一人でそんな行動を取るとはとてもではないが思えなかった。
(ドレッセル少尉か……!)
世話係としてやってきたあの女が、アリサに何か言ったのではないだろうか。いや、きっとそうだ。
心の底から怒りが湧き上がり、抑えきれない魔力が膨れ上がった。
あたりのものがなぎ倒される。
士官学校の生徒も教官も全員が貴族なので、自らの魔力で防御をするが、椅子や天幕は吹き飛ばされた。
「殿下! 魔力を抑えて下さい!」
ヴェルマーが叫んだ。
「アリサの反応が消えた。ドレッセルを俺のところに差し向けてきたのはお前だったな」
ディートハルトは立ち上がるとヴェルマーを睨み付けた。
「寵姫殿がいなくなったのですか? ……まずは基地に戻って調査を」
白々しい嘘に腹が立ったので、ディートハルトはヴェルマーの襟首を鷲掴みにする。
「ぐっ……」
ヴェルマーは顔を真っ青にしてうめいた。
「殿下、そのように締め上げては何も喋れません。どうか魔力を抑えてください」
声を掛けてきたのは、お目付け役として同行していたバルツァーだ。
舌打ちするとディートハルトは手を放した。
すると、ヴェルマーはその場でへたりこみ、ゲホゲホと咳き込んだ。
その姿に少しだけ頭が冷えた。
(よく考えたら尋問する必要なんてなかった)
ディートハルトはヴェルマーの髪を掴んで強制的に顔を上げさせると、読心の魔術式を構築した。
「今の俺は気がたっている。心を壊されたくなければ抵抗するな」
宣言してから魔術を発動させる。
ヴェルマーは青ざめながらもディートハルトの魔術を受け入れた。




