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四章 艦上生活 01

 いくら空調が効いているとはいえ、人に巻き付かれると暑い。

 だが、ディートハルトの触れ方に性的な意図は一切なかったので、有紗はいつの間にか眠りについていた。




 目覚めた時には、寝室にディートハルトはいなかった。

 おそらく先に起きたのだろう。その方が気楽だ。

 有紗はのろのろと体を起こし――窓の外の景色に目を見開いた。


(飛んでる……?)


 窓からは、機体の下一面に広がる雲海と、真っ青な空が見えた。

 飛行機から見えるのとそっくりな光景だが、機内音はなくとても静かだった。

 揺れも振動もない。魔道四輪車と同じで、これも魔力で動いているからだろうか。


「そんなに外の景色は面白い?」


 窓にかじりついて外を眺めていたら、背後から声を掛けられた。

 振り向くと軍服姿のディートハルトが、執務室に繋がる出入り口から顔を出していた。


「おはよう。よく寝てたね」

「おはようございます」


 挨拶を返すと、彼は有紗に近付いてきて、洗顔代わりの浄化の魔術をかけてくれた。


「ありがとうございます」


 礼を言うと、犬にするようにくしゃりと頭を撫でられた。


「ずっと外を見てたね。空を飛んでいるのが珍しい? テラにも飛行機はあるはずだよね?」

「音がしないのに飛んでいるのが不思議で……。元いた世界の飛行機は結構音がうるさかったので……」

「こちらの飛行機は魔力で飛ばすからね。俺からしたら、純粋な技術力のみでどうやって鋼鉄の塊を飛ばすのかが不思議だけど」

「……こちらでは地球の事は結構知られているんですか?」

「五十年ほど前の情報ならある程度は」

「五十年前って……。どういう事ですか……? その頃にこちらに来た人がいる……?」

「そうだね。この国には、直近で五十年前と二十年前にテラ・レイスが現れたという記録が残っている。二十年前にやってきた黒い肌の少年はすぐに亡くなったけど、五十年前にやってきた女性 は俺の祖父に保護され寵姫になった。この国で把握しているテラの情報は、彼女から聞き取った内容が最新だ」

「……その人は今どうしているんですか?」

「残念ながら十年前に亡くなった」


 ディートハルトの言葉に有紗はがっかりした。

 五十年前なら祖母が若い頃だ。自分と同じ二十代でこちらにやってきたとしたら、話ができる可能性があると思ったのに。


「アリサの手は綺麗だよね。労働を知らない手だ。どういう家柄の出身なの?」


 ディートハルトは、有紗の手に視線を向けてきた。


「どうって……。普通より少し裕福かもしれないですけど……。中流です」

「下級貴族や中上流階級の市民に相当するのかな……」


 彼は首をかしげてつぶやいた。


「こっちの人がどんな生活をしているのかわからないから、答えようがありません」

「それもそうか。中上流階級は、商家とか頭脳労働者とか……家事使用人を雇い入れられるだけの経済力がある家柄を指す言葉だね」

「父は頭脳労働をしていましたけど使用人までは……。私の手が荒れていないのは、色々な発明品があって家事がとても楽だからです」

「へえ……。詳しく聞きたいな」

「五十年の間にすごく進化したので、比べ物にならないくらい便利になっていると思います。ボタンを押すだけで服をきれいに洗ってくれる機械や、食材を凍らせて保存する機械があるので……」


 テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器が普及したのはいつだっただろうか。受験の時に必死に覚えたはずなのにうろ覚えだ。

 祖母からは、 子供の時の冷蔵庫は氷を入れて冷やしていたと聞いた事がある。電気冷蔵庫の登場はかなり画期的だったようだ。


(洗濯も手洗いだったのかな……?)


 有紗には、便利な家電がなかった昔の不便な暮らしは想像が付かない。


「魔術はそっちにはないよね。どういう仕組みなの?」

「わかりません。大抵の人が使い方は知っていても仕組みまでは知らないと思います。そういうのを作る技術者なら知ってるのかも……」

「……やっぱりそうか。ロゼッタ妃の証言通りだ」

「ロゼッタ妃……?」

「祖父の寵姫だったテラ・レイスだよ。長年の献身から正式に『妃』の称号を与えられたんだ」

「……そうなんですか」


『献身』とやらの内容はあまり考えたくなくて、有紗は顔をしかめた。


「専門家じゃないと何もわからないのは残念だ」

「私じゃなくてそういう人がこっちに来れば良かったですね」

「そうでもないよ。アリサにはアリサの価値がある。技師もこちらに来てくれるのが理想だね。招くことができればいいのに」


 ディートハルトの傍迷惑なつぶやきに、有紗は眉をひそめた。


「ねえ、そっちでは飛行船より飛行機が主流だって本当?」

「はい。飛行船は珍しいです」


 記憶を探るが、何かのイベントの時に飛んでいるのを一度見たことがあるくらいかもしれない。


「どうしてなんだろう? 飛行船の方が大量の物資を積めて飛行時の魔力効率がいいのに」

「危ないから……? 爆発して墜落した事故があったような……」


 第二次世界大戦の前あたりだったような気がするが、記憶があやふやで思い出せなかった。

 スマートフォンとインターネット回線があればすぐに調べられるのに。気になってもどかしい。


「引火しやすいガスより石油を使う飛行機の方が安全だし、速度も違いますよね。飛行機の方が圧倒的に速いです」

「なるほど。速度と安全性の違いか。こっちではどちらも魔術で解決できるね」

「そうなんですか?」

「飛行船の気球にガスを入れるのはこちらでも同じだけど、結界で引火は防げる。気球の揚力のおかげで魔力効率がいいし、速度も供給魔力を上げれば出せる。それに、石油よりもガスの方が圧倒的に安くて手に入りやすい」

「……飛行船はかなり大きいですけど、的になったりはしないんですか?」

「そう簡単に撃墜されたりしないよ。この戦艦を守ってるのは俺の魔力だからね」


 ディートハルトは得意げだった。


「有紗は割と博識だね。しっかりとした教育を受けてきたように見える」

「一応大学まで行かせてもらいました」


 と、口に出した直後、有紗は大学という言葉が伝わるのか疑問を覚えたが、ディートハルトは目を丸くしていた。


「そちらの大学は最高学府という認識で合っているかな?」

「はい」

「こちらと一緒だ。女の子で大学に行けるなんて、アリサは優秀なんだろうね。主人として嬉しいよ」

「そんな事は……! 私は普通です……」

「謙遜は過ぎると嫌味だよ。女性で、しかも大学だなんて、家庭の理解と本人の努力の両方が必要なはずだ」


 何かがかみ合っていない。眉をひそめた有紗は、この世界が前時代的な事に思い至った。


「もしかして、女の子は上の学校に行けなかったりしますか……?」

「そうだね。大学まで行く女性はとても珍しい。もしかしてテラは女子教育がこちらより充実しているのかな?」

「……そうですね。私の行っていた大学は男女の比率は六対四くらいだったと思います。

「そんなに女子学生が?」


 ディートハルトは驚いた表情をした。


(やっぱりこっちは全然進んでないんだ……)


 日本の大学の女子進学率が男子とそう変わらなくなったのは、ここ最近だと聞いた事がある。

 祖母は、大学への進学を希望していたが、『女に学は必要ない』と言われ、高卒で就職しなければいけなかったと愚痴っていた。

 曾祖母の時代はもっと酷くて、現代の中・高にあたる旧制女学校に進学する人は一握りだったようだ。


「アリサは大学で何を勉強していたの?」

「歴史です」

「へえ、いいね。有意義な話が聞けそうだ」


 ディートハルトが感心したように言うので、有紗は少し驚いた。


「がっかりしないんですか?」

「どうして?」

「機械とか化学系の方が役に立ちますよね?」


 就職にしても理系の方が圧倒的に有利だ。史学科の知識を活かせる職は、残念ながら少ない。ぱっと思いつくのは社会の先生や博物館学芸員くらいである。


「テラの発展の経緯を知っているという事だよね? 十分興味深いよ」

「期待に応えられるほどちゃんとわかっているかというと、自信がないんですが……」


 特に現代史は、授業であまり詳しく取り扱われない。

 顔を曇らせると、お腹がぐうと鳴った。有紗は恥ずかしさに顔を赤らめる。


「ごめん、つい長話してしまったけどお腹が空いてるよね。軽食を用意してあるからおいで」


 ディートハルトは、クスリと笑うと有紗に執務室の方に移動するよう促した。

 彼について行くと、応接セットのテーブルの上にドーム状のカバーが被せられたトレイが置かれていた。


「出来たてじゃなくてごめんね。艦内では食事の時間は決まってるんだ」

「いいえ、わざわざ用意して頂いてありがとうございます」


 有紗はお礼を言ってからカバーを外した。

 中には、彩りの綺麗なオープンサンドが入っていた。


「冷たい……」

「食事が傷まないようそのディュシュカバーには保冷の魔術が込められてるんだ。料理を担当する者が気を利かせたみたいだね」

「へえ……」


 ここの食事はやっぱり美味しい。オープンサンドにはパストラミっぽいハムが挟まっていて、お洒落なカフェの味がした。

 執務用の机に書類を広げながら、ディートハルトは何が楽しいのか食事を摂る有紗を観察している。


「見られると食べにくいです」

「ああ、ごめんね、小動物みたいだったからつい」


 安定のペット扱いに、有紗は内心で眉をひそめた。

 少し見直す気持ちになったけれど、ディートハルトはやっぱり最低の下衆野郎である。




 食事が終わると、ディートハルトは紙とペンを手にして、執務机からこちらにやってきた。


「アリサ、朝は時間があるから文字を教えてあげる」

「いいんですか?」

「奴隷に教育を与えるのは主人の義務だからね。戻り方を調べるためにも、こちらの文献を読み解く力は必要なはずだ。まっさらな状態から専門書を読むための読解力を習得するのは相当大変だと思うけどね」


 確かに彼の言う通り、戻り方を調べるとなると、ネイティブ以上の語学力や専門的な知識が必要になるだろう。


(何年かかるの……)


 ぞっとして肌が粟だった。


(ううん、でも何もやらないよりはいい)


 どこまで本気かはわからないが、少なくともディートハルトは協力してくれそうだ。

 日本にも、小泉八雲みたいに海外出身で日本文学や日本史の学者になった人がいる。

 有紗は腹をくくると、姿勢を正した。

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