三章 街へ 03
靴、髪飾り、化粧品に、暇つぶしと文字の学習を兼ねた子供向けの絵本、一人で遊べるパズル――。
服屋を出て、荷物を魔道四輪に積み込むと、ディートハルトは次々に店を回り、有紗の生活に必要になりそうなものを買いそろえてくれた。
こちらの服に着替え、帽子を目深に被ったら、有紗に向けられる視線は段違いに減った。
やっぱり帽子は必要だった。だからこそ、購入する前の彼の不服そうな態度が引っかかる。
有紗はこっそりとため息をついた。
買い物を終え、帰路についた時には、あたりは真っ暗になっていた。
空には赤い月が浮かんでいて、日本では田舎に行かないとまず拝めないような、満天の星空が広がっている。
「こちらの街は街灯が無くて暗いんですね」
有紗は道の暗さが気になって、運転席のディートハルトに尋ねた。
「ここらは田舎だからね。王都や県都くらいの規模になると、魔道灯が整備されてるよ」
「魔道灯……? こちらでは魔力が全ての動力なんですか?」
「そうだね。だから月の加護を強く受け、豊富な魔力を持つ王族や貴族が絶対的な権力を持っている」
こちらの空気は綺麗だ。化石燃料を使っていないからだろう。緑も豊富で有紗の知らない未知で溢れている。
身分制度さえなければもっと良かったのに。
「元の世界に帰った人っているんですか?」
「帰りたい?」
「当たり前じゃないですか! 突然売られて、こんな首輪も付けられて、奴隷ってふざけてる」
「……そうだね、この世界はアリサには理不尽に感じられるかもしれないね」
残酷な宣告をするディートハルトの表情は静かだった。
「……残念ながらテラに帰れた者はいない。俺がアリサを手放したくないから言ってるんじゃなくて、本当にいないんだ」
「……信じません」
「気持ちはわかる。可哀想だとも思うよ」
「そう思うなら何であんな酷いことしたんですか。私、初めてだったのに……!」
「随分と感覚の違う世界からやってきたらしい。王族に抱かれるのは名誉だ。本心は嫌でも、普通なら不敬だから顔や態度に出したりはしない」
突き放すような発言に、有紗は青ざめた。
どうして忘れていたのだろう。こちらには身分制度があるのだった。
「いいよ。許してあげる。アリサは希少価値の高いテラ・レイスだからね。こちらの人間にはまず見られない行動も新鮮だ」
ディートハルトはにっこりと微笑んだ。
「でも、いつまで反抗的な態度を許せるかは正直わからない。口の利き方には気を付けてほしいな」
彼は支配する側の人間だ。
目の前から伝わる圧力に背筋が寒くなった。
「……現代の魔工学でも、残念ながらテラ・レイスが何故こちらにやって来るのかは、まだ解明されていないんだ」
こちらの気持ちをよそに、ディートハルトは語り始めた。
「君たちは二、三十年に一度くらいの周期で、唐突にこちらにやってくる。それも、どうやら同一の世界から。そちらの世界には、随分と色々な種のヒトがいるようだね。我々に似た肌の白い者もいれば、君のように淡い黄色の者も、黒い肌の者もいる。髪の色のバリエーションはあまり変わらないけれど、瞳の色も様々だ」
(犬や猫の品種の差みたいに話すのね……)
有紗は思わず顔をしかめた。
だけど、こちらの人からしたら、人種が違うと、体格も顔立ちも全然違う地球の人間はそう見えても仕方ないのかもしれない。
「見た目にはかなりの差異があるのに、魔力を受け付けない体質は共通しているんだから興味深いよ。もし、そちらと自由に行き来ができたらとっくの昔にやってる。こちらの上流階級にとって、そっちの人間は愛玩用として極上だからね」
「侵略するつもりですか? そう簡単にはいかないと思いますけど」
「そうかな? そちらには魔術がないよね」
「魔力の源とかいう赤い月もないです。向こうに行けたとして、魔術が使えるんですか?」
「そっか……。そういう可能性もあるか。そもそも、行き方がわからないからこの議論は無意味だけどね」
ディートハルトは軽く肩をすくめた。
たとえ魔術が使えたって、地球の科学力がこいつらに負ける訳がない。音速を超える戦闘機に勝てるものか。有紗は心の中でつぶやいた。
「俺の言葉が信じられないなら、思う存分調べるといいよ。必要なものは用意してあげる。奴隷に教育を施すのは主人の義務だからね」
(まるでペットのしつけみたい)
いや、こちらの人間にとって、地球人はまさにペットだ。これまでの彼の態度を思い返したら、すとんと腑に落ちた。
そして有紗は、中学生の時に寿命で亡くなった飼い猫の顔を思い出す。
ミイというメスの白猫で、人との触れ合いが苦手な子だった。
だけどあまりにも可愛いから、家族全員から毎日もみくちゃにされていた。
抱き上げると四肢を突っ張って、抗議するように「ニャア!」と鳴くのだが、そんな姿も可愛くて、限界が来て暴れるまで離さなかった。
ディートハルトの有紗への態度はそれと同じだ。
(ミイ、ごめんね……)
有紗は心の中で天国のミイに謝った。
きっと嫌がるミイに何度も無理強いしたから、バチが当たったのだ。
だけど、ミイは触れ合いが嫌いなだけで、有紗に懐いていない訳ではなかった。
勉強をしていたら、よくノートの上に乗ってきた。
あまりの可愛らしさにちょっかいを出すと去っていくのだが、気が付いたら有紗を監視しているという、ツンデレな猫だった。
自分はミイとは違う。この男に懐いたりなんかしない。
(嫌い)
有紗はディートハルトに向かって心の中でつぶやいた。
◆ ◆ ◆
ヴァルトルーデに着くと、また上着を犯罪者みたいに被るように指示された。
(帽子があるのに)
よほど乗組員には有紗の姿を見せたくないらしい。
部屋に戻ると、購入した荷物をディートハルト主導であちこちに片付ける。
やけに手際がいいので、有紗は驚いた。
そもそも寝室も執務室も、すっきりと整理整頓され、無駄なものは一つたりとも置かれていない。
たとえば、クローゼットの中には軍服と寝間着、私服が数着入っているだけで、今日買ってもらった有紗の服を入れたらぎゅうぎゅう詰めになった。
「全然物がないんですね」
「狭いからね。それに、何かあった時に、必要なものがすぐに取り出せないと困る」
ディートハルトは答えながら、有紗の荷物が増えたせいで戸棚に入りきらなくなった自分の荷物を放り出して箱にまとめていく。
「それはどうするんですか?」
「向こうに持っていく」
ディートハルトは執務室を指さした。
「……さてと、こんなものかな。前も言ったけど、この部屋からは基本出ないようにね。執務室も俺以外の誰かがいる時は基本的に入ってきて欲しくない」
「はい」
特に拒否する理由もなかったので有紗は頷いた。
「閉じこもりっ放しは身体に悪いから、時々散歩くらいはさせてあげる。退屈かもしれないけど、この航空任務が終わるまでは我慢して欲しい」
「任務が終わったら私はどうなるんですか?」
「王都にある俺の屋敷に移動してもらう。寵姫として大切に囲ってあげる」
(寵姫……。愛人ってこと……)
なんとなくわかってはいたが、改めて突き付けられると気持ちが沈む。
「食事を持ってきてもらうから、アリサは少し休んでいるといい」
ディートハルトは有紗の額に口付けると部屋を出て行った。その背中を見送り、有紗はこっそりとため息をついた。
◆ ◆ ◆
夕食後、寝室に移動し、街で買ってもらった絵本をぼんやりと眺めていた有紗は、ディートハルトがやってきたので顔を上げた。
「今日はこっちで寝る」
宣言され、有紗は青ざめる。
「二日連続でソファは嫌だ。もうすぐ就寝時間だからアリサも着替えて。ついでに体と服を綺麗にしてあげる」
「……はい」
有紗はしぶしぶと椅子替わりにしていたベッドから立ち上がった。
着替えと浄化が終わると、先にベッドに入るようにと指示された。
「もう少し詰めて」
ディートハルトは有紗が横になるのを見届けると、隣に滑り込んでくる。
すると、ミントに似た清涼感のある香りがした。上着から漂ってきたのと同じ香りだ。
彼自身の匂いなのか、香水なのか――どちらかまではわからないけれど、顔が良くていい匂いまでするなんて卑怯だ。内心で眉をひそめていると、ディートハルトは、天井に向かって何かの魔術を放った。
すると、天井に取り付けられていた丸い照明が消える。
(魔術だったんだ……)
魔力を動力として動く戦艦なのだからある意味当然だ。
どこか近代っぽい雰囲気が漂う世界なのに、日本のものと遜色ない照明器具がある時点で疑問に思うべきだった。
(実際の近代はガス灯……? 少し経ったとしても白熱電球よね)
どちらの明かりも蛍光灯やLEDほど鮮やかではなかったはずだ。
照明について考察していると、ディートハルトの腕が伸びてきて、抱き寄せられた。
有紗は身を固くする。
「あの、今日はちょっと……」
「わかってる。今日一日歩き方が少しおかしかった。さすがにそんな状態の女の子に手を出すほど飢えてない」
ディートハルトの返事に、有紗はほっと安堵し体の力を抜いた。
「露骨だな」
「治ったらちゃんとします……」
と、答えながらも、何日くらい引っ張れるか考えてしまう。
「いい心がけだ。アリサは賢いね」
ディートハルトは低い声で囁くと、有紗の額に口付けを落とした。