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プロローグ 01

 普通に暮らしていた女の子が、ある日突然異世界に転移して、聖女だの巫女だの王様だの、特別な存在としてちやほやされる、というのは、日本が誇るサブカルチャーの中によくあるシチュエーションだ。

 しかし田中有紗の場合は違った。世の中はそんなに甘くなかった。




「感謝しなよ、うちは良心的なんだからね」


 有紗を牢から風呂へと移動させた中年女が、恩着せがましく告げてきた。


(人買いが良心的?)


 有紗は心の中で悪態をついた。


「生娘は生娘のまま、できるだけいい値が付くように磨き上げてから売り出すのがうちの方針なんだ。だからあんたは奴隷の中でも運がいい方なんだよ。せいぜい優しい主人に買われるよう祈るんだね」


「なんでそんな事がわかるんですか……」


「そりゃ検査したからさ。あんたのいた世界ではどうか知らないけどね、こっちではそういうのを調べる魔術があるんだよ」


 女はこちらを小馬鹿にしたような笑みを浮かべると、下働きらしい使用人に指示を出し、有紗を石鹸と布を使ってごしごしと磨かせた。

 有紗の体を擦るための布は、日本のボディタオルとは違って、麻のような硬い繊維で出来ているため痛い。

 石鹸も、香りこそハーブ系のいい匂いがするが、泡立ちは微妙だ。


 街並みや人々の顔立ちを見た印象では、ここはヨーロッパっぽい異世界である。

 かの地域で風呂やトイレといった衛生事情が整ったのは確か十九世紀に入ってからだったと記憶しているので、お湯を張った浴槽や清潔なお手洗いがあったのは不幸中の幸いだが、迷い込んでいきなりこの仕打ちはあんまりだ。


 有紗は、ここに来るに至った経緯を思い出し、唇を噛んだ。




   ◆ ◆ ◆




 田中有紗は二十歳の大学二回生だ。

 父親が大手企業に勤めており、普通よりちょっとだけ裕福なサラリーマン家庭に生まれた一人っ子で、そこそこの進学校からそこそこの私大に進み、それなりに幸せな大学生活を送っていた。


 容姿は自分では普通だと思う。

 普通だからこそ、見た目が少しでもよく見えるよう、髪も肌もお手入れには手を抜かないよう心掛けていた。


 彼氏ができた事はないが、名誉のために弁解すると、高校まで女子校に通っていたからである。

 大学では、日本史学を専攻している。史学科を選んだのは、小学校の時、学校の図書室にあった日本史の漫画にはまったのがきっかけだった。

 また、祖父と母が揃って歴史小説が好きで、家の中にはその手の本が大量にあった。

 それらを読み耽るうちに、気が付いたら有紗も同類になっていた。史学科を目指したのは、そのまま一番好きな事を勉強したかったからである。


 進学先は、あちこちの史跡を回りたかったので京都を選んだ。大学の同級生には似たような人が多かったので、結果的にそれは正解だった。

 休みの日を中心に、少しずつ神社仏閣を回り、有紗は充実した大学生活を送っていた。それなのに――。


 友達に頼まれ、数合わせで参加した合コンからの帰り道だった。

 終電で最寄り駅に到着し、一人暮らしする学生用のワンルームマンションに向かって歩いている最中、有紗は地面にぽっかりと空いていた穴に落ちた。


(何で穴が⁉)


 この場合、責任があるのは国だろうか。市町村だろうか。


(嫌だ。私、こんな形で死ぬの……⁉)


 落下しながら有紗は覚悟した。

 有紗は墜落の間に意識を失い、気が付いた時には畑の中で、身一つで倒れていた。

 カバンはどこかで手放したらしく、日本の痕跡を残すものは身に着けていた衣服だけという状態だった。


 目覚めてまず驚いたのは気温の高さだ。大量の汗をかいていて気持ち悪い。

 有紗は羽織っていたカーディガンを脱ぎ、ワンピースの袖をまくった。


 気候がおかしい。まるで夏だ。十月にはありえない暑さである。

 太陽が天頂にあり、影が短くなっているところを見ると、今は正午前後のようだ。


 ここは一体どこなんだろう。見覚えのない景色に戸惑っていると、畑の持ち主らしきおじさんとおばさんが現れた。

 鼻の高い白人の男女だった。揃って茶色の髪に、青みの強い紫の瞳の持ち主である。

 また、二人とも地味な色合いの民族衣装を身に着けていた。


(なに……? 映画の撮影……?)


 服がくたびれているのがまた、妙なリアリティがある。

 戸惑っていると、おばさんが話しかけてきた。


「あんた、珍しい顔立ちと服装だけど一体どこから来たんだい?」


 日本語だった。

 どう見ても人種が違う人物の口から飛び出した事に違和感を覚えたものの、有紗は安堵する。


「それが、どうしてこんな所にいるのか自分でもわからなくて……。いままで藤森駅の近くにいたはずなんですが……」


 京阪電車の藤森駅は、有紗が住むマンションの最寄り駅であり住宅街だ。近くには駈馬神事で有名な藤森神社がある。


「フジノ……何だって? 聞いた事のない地名だねぇ……」

「あ、えっと、京都です。住所で言うと、私が住んでたのは京都市で……」

「キョウト?」


(京都を知らない?)


 訪日外国人にとって京都はかなり人気の都市なのに。日本が誇る古都として、世界的な知名度も高いはずだ。


「もしかしてあんた、違う世界から来たんじゃないか?」


 困惑する有紗の顔を覗き込んで、そう発言したのはおじさんだった。


「その眼の色。黒なんてありえない。獣でもあるまいし、赤い月の恩恵を受けていない人間なんて、普通じゃない」


(赤い月?)


 首を傾げた有紗は、青空に赤みを帯びた丸い天体が浮かんでいる事に気が付いた。

 昼間に見える月は白いはずだ。


「なんですか、あれ。月……?」

「何ですかって、月は月だろ?」

「赤いです」

「月は赤いもんだ。魔力の色だから当然じゃないか」

「魔力……?」

「……魔力を知らないなんて、やっぱりあんた異世界の人間だろ。可哀想に、迷い込んじまったんだなぁ……」


 途方に暮れる有紗に、おじさんとおばさんは揃って顔を曇らせた。


「異世界人は唐突にこっちに来るっていうからね、右も左もわかんない状態なんじゃないのかい? よかったらうちにおいでよ。うちにはあんたと同じ年頃の娘もいるから、きっと仲良くなれるよ」


 夫婦は親切だった。有紗は二人に感謝し、促されるままに付いて行った。




   ◆ ◆ ◆




 夫婦に連れていかれたのは、木組みの小さな家だった。


(絵本の中みたい)


 古ぼけているが風情がある。

 家には煙突がついていて、もくもくと煙が上がっていた。調理中なのか、あたりには美味しそうな食べ物のにおいが立ち込めている。


「ペトラ、帰ったよー」

「お帰りなさい、父さん、母さん」


 おばさんが家の中に声を掛けると、顔全体にそばかすが散った素朴な印象の女の子が出てきた。夫婦と同じ茶色の髪に青紫の瞳の持ち主だった。この子が二人の娘に違いない。


「……その人は?」


 ペトラは有紗に気付くと首を傾げた。


「うちの畑で座り込んでたんだよ。こんななりだ。たぶん異世界の人間だと思う」

「……確かに黒い目の人間なんて初めて見た。凄いね、吸い込まれそう」


 ペトラにまじまじと瞳を覗き込まれ、有紗は思わず身を引いた。


「そう言えばまだ名前を聞いてなかったね。私はアンナ・シュルム。こっちの厳ついのはダルトンだよ。で、娘のぺトラだ」


 おばさんは家族を紹介してくれた。


「私は有紗です。田中有紗」

「タナカアリ……?」

「あ、有紗って呼んで下さい。田中は姓なので」

「アリサ、ね。名前は普通だけど姓は変わってるね。これからはアリサ・タナカって名乗った方がいいよ。こっちでは名前が先に来て姓は後に来るんだ」


 アンナは人好きのする笑みを浮かべながら教えてくれた。


「あの……異世界人っていうのは、こちらではよく見かける存在なんですか……?」


「珍しいけど全く居ない訳じゃないね。私が前にこっちに来たって噂を聞いたのは子供の時だったかな」


「その人は今どこにいるんですか?」


「さあ……私はこの村から出たことがないからねぇ……。この世界の人間はね、赤い月の加護を産まれながらに受けてるから、瞳の色に赤が混じるんだよ」


「赤……? 青紫に見えますけど……」


「それは私らが平民だからだね。月の加護が強い貴族の方々はもっと赤みが強い色をしてるよ。青に赤が混ざると紫色になるだろ?」


「へえ……」


 瞳の色でだいたいの身分がわかるということだろうか。それならば黒い瞳の有紗はどういう位置づけになるのだろう。有紗は心の中で首を傾げた。


「今の王様の二番目の王子様は、混じり気のない赤い瞳をしてらっしゃるって噂だ。瞳の赤みは魔力に比例して強くなるからね、ディートハルト殿下は戦神マルダーの化身と呼ばれててね、軍で大活躍されてるよ」


「魔力……? 魔法があるんですか?」


「何言ってんだ。魔術がなきゃ生活すんのに不便で仕方ないだろ?」


 きょとんと首を傾げるところを見ると、こちらの世界では魔法が当たり前のように存在しているようだ。


「話は後にして、取り敢えず飯にしようや。午後からも仕事は残ってんだからな」


 ダルトンが割り込んできた。


「そうだ、あんたも食べな。これからどうするか考えるにしても、まずは腹ごしらえした方がいいよ」

「えっと、ありがとうございます」


 あまりお腹は空いていなかったが、有紗は夫婦の好意を受け取る事にした。


「待ってな、準備してくるから。ペトラ、この子の分も用意してあげるよ!」

「え……? うん、わかったよ、母さん」


 アンナはペトラを連れて、入り口から見えている台所へと向かった。


「あの、すみません……」

「構わんよ、一人増えるくらい」


 なんとなく気まずくて、ダルトンに声を掛けると、にっこりと笑いかけてくれた。

 室内は狭く、古ぼけていた。居住空間は一段高くなっており、板張りだが、土足が当たり前のようで埃っぽい。台所は土間で、古い日本の民家みたいだった。




 アンナは、かまどの前に移動すると手をかざした。すると、赤い光が発生して、丸い魔法陣のような図形が現れる。


(魔法?)


 有紗は目を丸くした。

 じっと観察していると、魔法陣は赤い炎へと姿を変える。

 アンナはその火を細い木の枝に移すと、かまどの中へと突っ込んだ。


「お水とかも魔法で出すんですか?」

「まさか! 貴族の方々ならできるかもしれないけど、私ら平民の魔力じゃ無理だ」

「そうよ、水は井戸から汲んできて、浄化の魔術で綺麗にするのよ」


 有紗の質問に、アンナとペトラは口々に教えてくれた。




 二人が出してくれたのは、キャベツや玉ねぎに似た 野菜を煮込んだスープと黒いパンである。

 味もそれっぽかったが、日本にあるものと同じ野菜かどうかはわからない。なにしろ異世界だ。

 スープは具が少なく、パンには酸味があった。正直あまり美味しくなかったが、贅沢を言える立場ではないので有紗はありがたく頂いた。

 夫婦もペトラもつぎはぎだらけの服を着ていて、あまり裕福ではなさそうだ。そんな彼らが出してくれたものだ。感謝しなければ。

 食べ終わった有紗は、目眩を覚えてこめかみを押さえた。


「どうしたんだい? 眠いのかい?」

「いえ、目の前がくらくらして――」

「それはいけないね。ここで少し休むといいよ」


 アンナのその言葉を最後に、有紗の意識は闇に沈んだ。

 そして――。


 次に目覚めた時、有紗は鉄格子がはまった、牢にしか見えない部屋の中にいたのである。

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