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扉の前に立っていたのはルーカスだった。
王妃ではないことにほっとしたが
王族の住居侵入の犯行現場だ。
どんな言い訳をしても処罰は免れない。
ルーカス何も言えないまま立ち尽くす私を見てから手に持っている日記に視線を向けた。
人を呼ばれてしまうのではないかと身構えたが彼は何も言わないまま
私の手から日記を取ると元の場所へとしまった。
今度は変わりに私の手を取る。
「え?」
「こっちだ。」
ルーカスが私の手を引いて取っ手に手をかけたとき
扉の向こうからコツコツと廊下を歩く音が近づいてきた。
「静かに。」
ルーカスは小さく言うと私の身体を隠すようにして
扉を開けてもすぐに見えないように壁際に身をよせた。
(どうして?)
私を守ろうとするルーカスの行動に戸惑って彼の顔を見上げる。
彼が私を守ろうとしたことは今回が初めてじゃない。
けれどそれは王妃の正体を知る前のことだ。
(ルーカスは王妃の味方じゃないの?)
考えているうちに足音が扉の前で止まった。
ぎゅっと目をつむったとき、女性の声が聞こえた。
「ちょっとそこのあなた。」
(この声は・・・ヘレン?)
扉の向こうから聞こえた女性の声は紛れもなくヘレンのものだ。
「いかがいたしましたか。」
ヘレンに答えた声もまた女性のものだった。
部屋付きの侍女だろうか。騎士を誘導していったユーインのものでもない。
「王妃殿下の茶会に出席しているのだけれど。迷ってしまって。
会場まで案内していただける?」
「・・・・。かしこまりました。」
その声を最後に2人分の足音は扉から遠ざかっていった。
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王妃の自室から出たあと、私はルーカスに連れられて人のいない庭園にいた。
「君って人は一体何をしているんだ。」
私の手を離して振り返ったルーカスは
呆れたような少し怒っているような様子ではぁっとため息をついた。
「君は自分がどれだけ危険なことをしているか理解していないだろう。
王族の自室に忍び込むなんて見つかったらいくら君でも処罰は免れない。
君が何をするつもりだったのかは知らないが
たとえ見つからずに茶会に戻ったからといって無事では済まない。」
「どういうこと?」
「香りだ。君も感じただろう。
あの部屋に入ったときの濃厚な薔薇の香り。
あれはこの王宮にしかない薔薇から抽出された製油によるものだ。
たとえ短時間の滞在だったとしても匂いが移る。」
ルーカスは自分の胸ポケットに飾られている薔薇の花をトントンと指さした。
「以前同じように無断で忍び込んだ者がいた。
その犯人はその身に沁みついた匂いで特定されたんだ。
匂いがついたままあの人の前に立てば忍び込みましたと公言しているようなものだ。」
もし自分があのまま茶会に戻っていたら、それを想像してぞっとした。
「あの人には近づかないでと伝えただろう?
表面で見えているものがあの人の本質じゃない。
君が考えているよりもずっと恐ろしい人だ。」
ルーカスは真剣に私を心配して忠告してくれている。
それがわかって王妃の味方ではないかと
考えていたことが申し訳なくなる。
「助けてくれてありがとう。」
「礼ならヘレンに言ってやってくれ。
茶会で君を見かけて追いかけたのは彼女なんだ。
私は途中で彼女に引きずられてきただけだ。」
ルーカスはやれやれと呆れながらも仕方ないと笑う。
「おや、噂をすればというやつだ。」
ルーカスの視線の先を見ると令嬢らしからぬ早歩きで向かってくるヘレンの姿が見えた。
その表情には隠し切れない怒りが滲み出ている。
「アリスッ!あなたって人は本当に、本当にもう!!仕方のない人なんだから!
自分が何をしていたのかわかっているの!?」
「まぁまぁ、落ち着いて。」
うわーんと感情のまままくし立てるヘレンをルーカスがなだめる。
「2人ともごめんなさい。助けてくれてありがとう。」
「あなたって人は本当に少し目を離すと危ないことに突っ込んでいくんですもの。
どうして自分だけで何とかしようとするのよ。
どうして私を頼ろうとしないのよ。
私はいつだってあなたを助ける覚悟があるって言ったじゃない。」
ヘレンの言葉に顔を上げた。
美しい紫色のヘレンの瞳が滲んだ涙で一層光って見えた。
「あなたが何をしているのか、私に説明できなくてもいいの。
あなたがしようとしていることを私にも手伝わせて頂戴。
あなたを1人にしないし、もし本当にあなたが危険なことをしているなら
私が必ず力になるから。」
自分が聖女だから、相手が呪いを扱うことのできる危険な魔法使いだから
自分の事情に巻き込むわけにはいかないから。
言えない言い訳はいくらでもあった。
言えなかった何よりの理由は私の勇気が足りなかったせいだ。
自分の心を相手に預けて、自分の事情に巻き込んで、助けてほしいと言う勇気がなかった。
ヘレンという人を信じきれなかった。
それでもヘレンは自分を信じてくれているのだ。
王宮の禁書庫に入りたがり、王妃の私室に忍び込むという危険な行動をしながらも
詳しい理由を語ろうとしない自分のことを。
「ヘレンの言うとおり。私たちは君の友人だ。
君が1人で危険なことをしようとしているのを黙って見ているわけがないだろう?」
ルーカスが慰めるようにヘレンの頭に手を置くと
ヘレンは鬱陶しそうに手を払いのける。
「あなたは王族としてそれでいいのかしら。」
「友人としては満点だろう?」
ヘレンの言葉にルーカスは茶化すようにウインクをして自慢げに笑った。
「私・・・2人に話したいことがあるの。
けれど私だけの問題ではなくて・・。」
「アリス。言ったでしょう。理由を詳しく聞くつもりはないと。
けれどあなた1人で何かしようとしているなら、私とルーカスを巻き込みなさい。
必ずあなたの力になるから。」
「ありがとう。」
この期に及んで煮え切らない答えになってしまう
自分が不甲斐ない。
それでも今の自分に答えられる最低限の返答に
ヘレンは頼もしい笑顔を見せてくれた。
「そうだ。アリス、君にこれを。」
そう言ってルーカスが私の髪に刺したのは彼の胸ポケットに飾ってあった薔薇の花だった。
「棘は抜いてあるから安心してくれ。
まだ精油の香りが残っているからね。
この薔薇をつけていれば誤魔化せるはずだ。」
「ありがとう。」
「・・・ルーカス、でもあなたのそれ・・・。」
ヘレンが言いづらそうに言いよどむ。
ヘレンの言わんとしていることはわかった。
ルーカスが身につけていた花を私が身に着けることは
私がルーカスのもの、もしくは意中の相手であることを意味している。
けれど、この花を身に着けていなければ精油の香りを誤魔化すこともできない。
ヘレンが表立って反論しないのは、それ以外に方法がないとわかっているからだ。
「これが深い意味を持たないことは君にもわかっているだろう。
まぁ、私と関係のある女性のうちの1人という認識を持たれてしまうが・・
そこは許してほしい。」
そう言って苦笑いをするルーカスの顔を見た。
愛のない結婚で王宮に嫁いだという日記の女性。
私はその人物に心当たりがあった。
月のような美しさを持ち、聖女の力で国に貢献し
王族に迎え入れられたという先代の先読みの聖女。
彼女の日記に書いてあることが事実ならば
息子だという第一王子はルーカスのことなのだろうか。
けれど、彼女に子供がいたという話は聞いたことがない。
自分の目にした事実のうちの1つが
何か恐ろしい真実につながっているような気がしてならず
結局お茶会に戻った後もそのことを尋ねることはできなかった。
読んでいただきありがとうございます。
王妃の私室を訪れた侍女は変装したユーインでした。
彼はアリスがルーカスに連れていかれた後も無事かどうか遠くから見守っています。




