69 side:トリスタン
狭く薄暗い路地を走り抜ける。
背後からついて来ていた気配も自分と同じように近づいてくるが段々とそれも遠ざかっていく。
普段から彼と合流するための場所は決まっている。
人目につきにくく、なお且つそこに向かう道すがら追っ手を撒きやすい場所。
闇市場の外れのその場所は治安が悪い。
けれどこちらにとってそれは都合がいいものだった。
この場所では何が起きても法の監視下から逃れることができる。
けれど無駄な命を奪う行為は自分の信条に反する。
そのため慣れていない者には迷いやすいこの地形を使って振り切るのだ。
完全に気配が消えてある程度離れてから足を止めて振り返った。
案の定追っ手を撒くことができたようだ。
がらんとした薄暗い路地に人の気配がないことを確認してから目的の場所へと歩みを進めた。
闇市場の中でも外れに位置するその小屋は建っているのも不思議なくらいに傾いている。
慣れた様子で軋んだ音を立てる扉をくぐった先にいたのは約束した相手だった。
「遅かったな。」
こちらを一瞥すると淡々と言った。
その声や表情に心配する様子が見られないのは一重に自分に万が一のこともあるとは
思われていないからだろう。
「申し訳ありません。何者かに尾行されていたようです。」
そう言う自分自身も己の実力にはある程度の自身がある。
熟練の魔法使いでもなければただの人間が自分を害することはできない。
「あぁ。俺の方でも同じだ。どうやら魔塔の魔法使いが嗅ぎまわっているらしい。」
先ほどの尾行も気づくのが遅れたわりにはあっさりと撒くことができたので
不思議に思っていたのだ。
魔法使いであれば何かしら姿を隠すための手を打っていたのだろう。
自分や彼のような鍛錬を積んだ者にとっては魔法で消せない気配を察知することは容易だ。
しかし問題は相手がただの魔法使いではなく魔塔の魔法使いであることだ。
「魔塔の魔法使い、ですか?あの人の手先なのでしょうか。」
「今さらそんなことをする意味があるとは思えない。
俺がどう足掻こうがあいつは痛くも痒くもないと思っているから
俺がまだ生きていると知っていても放っておけるんだろう。」
忌々しそうに顔をしかめる彼に自分も苦い気持ちになる。
彼が生きていることはあの人にも伝わっている。
そして彼と自分が繋がっていることは相手も把握しているだろう。
それでも何の障害もなくここまで命をつないでいることは自分たちにとっては侮辱でしかない。
考えたくないが魔塔が絡んでくるとなると自分たちの計画も考え直さなければならないだろう。
「闇市場に魔法使いが俺のことを探りに来ていたらしい。
それに魔法使いではない若い女も一緒だったとか。・・・一体何のつもりなんだろうな。」
「体調の方は変わりありませんか。」
もしあの人が仕掛けてきているのだとしたらそれが懸念だった。
彼の身に何か変化が起きているのではないか。
しかしそんな自分の懸念を振り払うように彼は首を振った。
「当たり前だ。俺があいつの言う通りになるとでも?」
「・・・しかし、万が一ということがあります。」
「くどい。万が一にもそうなることはあり得ない。
俺が生きているのは何のためだと思っている。」
イラついたように彼はそう言い切る。
その言葉は決意というよりも自分を戒めているような言葉に聞こえるのは気のせいだろうか。
「だからこそ確かめる必要がある。何のために俺の情報を探っているのか。
・・・なぁ、俺はいつまでこんな風に屈辱に耐えて生きていけばいい?
この命が繋がっていることすら全てあいつの掌の上だ。」
嘆くような彼の言葉に何も言えなくなってしまう。
「俺はこの計画を変更するつもりはない。
お前だってそうだろう?そのためにその地位まで上り詰めたんだろう。」
志を同じくする同士を見るにしてはあまりにも悲しみに暮れた青い瞳が自分を見た。
自分はいつだってそうだ。
いつだって見ていることしかできなかった。
大事な人を守ることもできずにただ見ているだけだった。
この身、この命を賭してお守りすると誓ったはずなのに。
彼を育てたのはせめてもの償いだからだ。
今度こそ自分のできることをしなくてはという思いで尽くしてきたのに今では迷っている。
本当にこのままでいいのかと。
これがこの人と自分の恩人への償いになるのだろうか。
「俺の命なんてくれてやるさ。
けど俺からすべてを奪った報いは必ず受けさせる。」
憎しみのこもった青い瞳が割れた窓の向こうを見つめている。
その視線の先には復讐すべき相手の姿が映っているのだろう。
美しい銀髪が月明りに冷たく照らされていた。
「もちろんです。」
残された彼がそう望むのであれば地獄の果てでも共に歩もう。
自分の迷いに蓋をしてその言葉に頷いた。
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