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ヘレン嬢に別れを告げて公爵邸を後にしてからも
ざわついた気持ちは収まることがなかった。
『私とお友達になってくださいな。』
馬車に揺られ窓の外を眺めながらヘレン嬢の言葉を思い出す。
(普段ならためらわずに承諾できたはずなのに・・・。)
どうしてか、それができなかった。
そうした方がよかったはずだ。
婚約者の座を狙う私と興味のない彼女。
その手を取ってしまえば、より確実に王子妃への道は近づいたはずだ。
(・・・どうして。)
行く先のない思案をしていると急に馬車が大きく揺れた。
「わっ!!」
勢いあまって前の座席に倒れそうになるが、何とか手をついて体勢を直す。
「お怪我はありませんかお嬢様!」
御者とともに馬車の前に座っていた侍女から声をかけられる。
「えぇ、大事ないわ。2人も怪我はないかしら。」
馬車の扉越しに尋ねると侍女は困ったように馬車を見渡した。
「お気遣いいただきありがとうございます。怪我は問題ないのですが
どうも車輪が破損したようなのです。
今御者が確認していますのでしばしお待ちください。」
そう言うと侍女もまた馬車の後方へと移動していった。
危険はなさそうなので私も馬車を降りる。
公爵邸から我が家までは馬車を使えばそう時間がかかる距離ではない。
今は我が家まであと半分の距離といったところだろうか。
窓の外を見ると日は傾き始めており、辺りが暗くなるまでそう時間はかからなそうだ。
「お嬢様。」
侍女から声をかけられる。御者は申し訳なさそうに縮こまっている。
「確認しましたところどうやら馬車を動かすことは難しいようです。
御者を邸に向かわせて、迎えの馬車をこちらでお待ちいただくことに
なりますがよろしいでしょうか。」
馬車は動かない。そして私が馬に乗れるわけでもない。
立往生してしまった場所は町並みから外れた道であるため他の馬車が通る様子はないため
他に方法はなさそうだ。
「えぇ、お願いね。事故なのだから仕方ないわ。
私から罰を与えることはありません。」
「お嬢様のお心に感謝いたします。すぐに馬車を用意してきます。」
御者は深く頭を下げるとすぐに馬に乗り邸へ向かった。
「お嬢様は馬車の中でお待ちください。じきに日も暮れます。」
侍女は馬車の扉をあけて中に入るようにと誘導する。
いつもならその言葉に従っただろう。
しかし、今は馬車の中の閉塞的な空間ではさらに落ち着かない気持ちになる気がした。
「ねぇ、少し1人になりたいの。気分転換に歩いてきてもいいかしら。」
私の思いがけない言葉に侍女は目を丸くしている。
それはそうだろう。今までこんな風に自分から出歩きたいと言ったことはなかった。
「しかし・・・すぐに日が暮れて暗くなります。
いくら公爵邸からも近く治安の悪くない土地だといっても
お嬢様になにかあってはいけません。」
「どうしても、ダメかしら。」
「お嬢様、私はお嬢様をお守りすることが仕事ですから。」
食い下がっても侍女が私の希望を聞き入れることはない。
「あなたに迷惑がかからないようにするわ。暗くなる前に戻ります。」
そう言いながら自分の胸につけていた小さなブローチを外して侍女の手に握らせた。
「・・・・わかりました。私がお待ちできるのは暗くなるまでです。
それ以上はお1人にすることはできませんので。」
侍女はブローチを見て自分の手で握りこむとしぶしぶといった様子で折れてくれた。
今までこんな手段を使ったことはなかったがどうしても自分の日常から
離れて考える時間が欲しかった。
「ありがとう。それじゃあ行ってくるわ。」
そう言って侍女に背を向けて歩き出した。
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侍女を伴わない1人の散歩。
ただほんの少し歩くだけなのに別世界に来たみたいだ。
「うわぁ・・・。」
馬車を背にして少し歩いた先は開けた小高い丘だった。
丘を登りきると少し遠くの景色がみえる。
オレンジ色の夕日に照らされる景色は今まで見たことがないような
美しい景色に思えた。
近くにあった大きな木を背もたれにしてやわらかい草の上に腰を下ろす。令嬢らしからぬ
自分ではないような行動は悪いことをしているみたいで少し気が引けた。
(この時間が終わったら、いつもの私に戻るから。今だけはいいよね。)
膝を抱えてぼんやりと太陽が沈んでいく様子を眺めていると
不思議と心が落ち着いた。
『私とお友達になってくださいな。』
私のやるべきことはわかっている。
ヘレン嬢と友達になり、少しでも自分が王子妃になる可能性を上げることだ。
(・・・どうして、あの手を取る気になれないのかな。)
彼女のまっすぐな紫の瞳に心の中まで見透かされたような気持ちだった。
自分の考えを振り切るように抱えた膝に顔をうずめた。
お父様の、お母様の言う通りにすることが正しいはずなのに。
言う通りにしていれば幸せになれるはずなのに。
自分の味方はお父様とお母様だけだとわかっているはずなのに。
―――――――どうして、わたしはこんなにも寂しいのだろう。
「泣いているんですか?」
――――――低い、けれどよく通る声が聞こえた。
そうやって私に声をかけてくれた
あなたとの出会いを今でも鮮明に思い出せる。
日の光を反射する銀髪と澄み切った空のような青い瞳を持つあなたは
人ではなく物語にでてくるような精霊のようだった。
動くことをやめてしまった私の感情は、私の人生はここから動きはじめたんだ。
読んでいただきありがとうございます。