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私はマティアスと城下町を訪れていた。
平民街の町並みはいつも活気に溢れていて見たことのないものが並んでいる。
買い物をしなくても見て回るだけでも楽しかった。
「本当に貴族街でなくて良かったのか?
お前が望むなら宝石でもドレスでも好きなだけ買ってやるのに。」
そう言って隣を歩くマティアスはどこか不満気だった。
「もしかして金額のことを気にしているのか?
それなら心配いらない。俺は魔塔の魔法使いとしての稼ぎがあるからな。」
私が何も言わないでいるとお金を心配していると勘違いしたらしいマティアスが
安心させるように笑いかける。
けれど私には欲しい物が浮かばなかったのだ。
それこそ侯爵令嬢としての格が落ちることがないようにと
身に着ける物は常に一級の物を両親には与えられてきた。
もちろん兄からプレゼントしてもらえることは純粋に嬉しかった。
けれど高価な物をもらったとしても自分が欲しいものとは違う気がしていた。
だからこそ自分の心が躍るような城下町に来ていたのだ。
「今日はせっかくお兄様と出かけられる日だもの。
普段は遊べないことをしましょう。」
そう言って私は渋るマティアスの手を引っ張って走り出した。
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それから私たちは気の向くままに平民街の店を見て回った。
エゼキエルとユーインへのお土産を選んだり
食べ歩きをしたことがないというマティアスとともに公園で食事をしたりした。
どう食べたらいいのかわからず困惑している姿は自分を見ているようでおかしかった。
「今日はとっても楽しかったわ。お土産も買えたし。
何よりお兄様に誕生日プレゼントを買ってもらえたんだもの。」
誕生日プレゼントに買ってもらったのはラベンダーの香りのサシェだった。
マティアスの部屋にいたとき、彼はラベンダーの香を焚いてくれていた。
その香りがとても気持ちが落ち着いて好きだったのだ。
不安なときにも傍に寄り添ってくれるような心地のいい香り。
こんなものでいいのかというマティアスに私は頷いた。
「これがいいのよ。ありがとう。
お兄様と出かけられることも私にとっては嬉しいの。」
お礼を言って振り返るとマティアスは立ち止まっていた。
どうしたのだろうかと思わず自分も立ち止まる。
「・・・俺はお前にそんなことを言ってもらえるような資格はないよ。」
眉をひそめてつぶやいたその言葉は自分自身に向けて言っているようにも聞こえた。
どうしてそんなことを言うのだろうか。
『たとえここでお前の望みが叶わなかったとしても、俺が必ずかなえてやるから。』
そう言ってくれたマティアスの言葉を今でも覚えている。
未来でも過去に戻ってきてからも無条件に自分の味方でいてくれた大事な家族。
けれど心のどこかでずっと引っかかっていた。
それはまるで自分を犠牲にするような言葉にも聞こえたから。
自分の知らないところで、けれど自分に関わるところで何かを抱えているのだろう。
どうすればその心を救うことができるのだろうか。
今の私の言葉は簡単に彼を傷つけてしまうことができるのだろう。
マティアスは人嫌いだとエゼキエルは言っていた。
初めは自分が家族だからそういった面が見えないのだと思った。
けれど今はそれだけではないことがわかる。
まるで心の中の柔らかい部分を私に傷つけられてもかまわないと受け入れているようだ。
傷つけられることも仕方ないと甘んじているように見える。
けれど、だからこそ黙っていることはしたくなかった。
私にとってはあの冷たい家の中で唯一の愛情をくれた兄だから。
マティアスのために今の私ができることはなんだろうか。
そう考えながら私は慎重に自分の心にある言葉を紡いだ。
「お兄様。私ね、未来でも時間を巻き戻してからも自分ではどうすることもできないとき
お兄様が手を差し伸べて支えてくれたの。
自分が何とかするからって自分のことよりも私のことを案じてくれた。
お兄様がいたから私は彼を救うためにここまでくることができたの。
だから、お兄様が私のお兄様でいてくれて良かった。」
私の言葉でマティアスは俯いてしまった。
私の心ががどこまで伝わったのかはわからない。
けれど再び顔を上げたマティアスは少年のような屈託のない顔で笑っていた。
その表情が幼い時に共に過ごした頃の笑顔と重なって見えた。
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