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私の言葉にドラゴンは何かを答えるわけでもなく静かに私を見つめていた。
その漆黒の瞳は何を考えているのか読み取ることはできない。
やがてドラゴンは私から顔を離した。
ほっとしたのもつかの間だった。
ドラゴンの身体から青白い光が放たれたからだ。
眩しくて思わず目を閉じる。
次に目を開けたとき、そこに巨大なドラゴンの姿はなかった。
代わりにいたのはただただ美しい男性だ。
先ほどのドラゴンが人間の姿になったのだろうか。
肩まであるまっすぐな青い髪に漆黒の瞳。
聖職者のような白を基調とした祭服を身にまとっている。
その背は高いが身長により威圧的に感じることはない。
それよりも彼から感じるのは神々しさだ。
この世のものではないような整った顔立ちをしているからだろうか
それとも何の感情も読み取ることができないような無表情だからだろうか。
その男性は何も言わずに私の方へと近づくと手を伸ばしてきた。
何をされるのかわからず反射的に目をつむってしまうが何も起こらない。
恐る恐る目を開けるとその男性は私が首にかけているネックレスに触れて
それを目を細めて見つめていた。
この眼差しには見覚えがある。
ネックレスを通して過去を見ているような眼差し。
(この眼差しは・・・)
「いいだろう。」
記憶を辿ろうとしたとき、男性はネックレスから手を離した。
こちらを見る顔も無表情に戻っている。
「お前の覚悟や思いが本物であるならば、望む力を得られるはずだ。」
そう言って彼はひざまずくと私の右手を取り手の甲にキスをした。
その瞬間、床が青白い光に包まれる。
私たちを中心にして激しい風が吹いている。
(一体何が起きているの?)
状況に思考が追いつかない。
その場にただ立ち尽くす。
「我、王国の守護者アストラは汝、アリス・ルードベルトを聖女と認め守護者の力を与える。」
その言葉に答えるかのように右手の甲が熱をもつ。
驚いて見ると右手の甲に青白く光る紋章が刻まれている。
やがてその光が徐々に失われるとともに手の甲の熱も収まっていく。
「・・・私は、聖女に選ばれたのですか?」
今まで起きたことが信じられず半ば茫然としてしまう。
人を蘇らせる方法を尋ねるために来たのに、まさか聖女に選ばれてしまうとは。
光が収まると手の甲に見えていた紋章もまた消えた。
「そうだ。聖女にはそれぞれが強く願うものが己の力として発現する。」
そう言って彼、アストラは再び私の手を取った。
するとそれに反応するかのように再び手の甲に紋章が現れる。
「そなたの力は時間を巻き戻す力だ。・・・これも先読みの聖女の読んだ未来か。」
そう言った彼の声はどこか悲しげに聞こえた。
「時間を巻き戻す力・・・?。
これがあれば、彼を失った時間まで時を巻き戻すことができるのですか?」
「そうだ。だが大きすぎる力にはそれ相応の代償が伴う。そなたの代償は・・自らの寿命だ。
時間を巻き戻せば巻き戻すほどその命を削る。戻した時間の分だけではない。
おそらくそれ以上に自分の時間を失うことになるだろう。」
「構いません。それで彼を救うことができるなら。」
迷うことはなかった。
彼を救うために自分の命を削ることよりも
彼がいないこれからの長い人生を生きていく方がよほどつらいことだから。
「そうか。それだけの覚悟があるならば私も力を貸そう。」
そう言って彼は私の左手も取った。
「私の力を持ってしても恐らくそう長い時間を巻き戻すことはできない。
願え。自分の叶えたい未来のために巻き戻したい過去を。」
私はアストラの言葉に目を閉じた。
ヒースクリフとの出会いにさかのぼるべきか。
でも彼は呪いを受けていた。
その呪いがどれほど彼をむしばんでしまっていたかわからない。
できたら彼が呪いを受ける前に巻き戻したいけれどいつ呪いをうけたのかもわからない。
それなら私が彼と出会うより前、そして彼を救うために私が動くことができる時間だ。
そう決心がついたとき、手の甲を起点にして自分の中の熱が高まっていくのを感じた。
自分とアストラ以外の気配が遮断されていく。
不思議と怖くはなかった。
『絶対に俺のところに帰ってこい。いいな?』
マティアスとの約束を守ることができなかった。
まさかこのまま過去に行くことになるなんて。
でも今更引き返すつもりもなかった。
(ごめんなさい。お兄様。)
必ず過去に戻ったら会いに行くから。
「時戻りの聖女。私はここで力を使ったことで過去に戻っても眠りにつくだろう。
いつ目覚めることができるか私自身もわからない。
だから今のうちに忠告しておく。」
時戻りの聖女とは私のことだろうか。
アストラの声や手の感触がだんだんとぼやけていくような
自分の意識が遠のいていくような感覚がする。
「聖女であることをむやみに人間に教えるな。聖女の命を狙うものが・・・・。
先読みの聖女は・・・・・殺された。」
最後の声はところどころがぼやけてしまってうまく聞き取れない。
そのまま私の意識は落ちていった。
これにて第1章完結です。ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます。
2章からは過去編を連載していきます。
ひきつづきアリスの物語をお楽しみください。
どこかのタイミングで登場人物紹介もしていこうかと思っております。