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手のひらにあるヒースクリフからもらったネックレスを見つめる。
自分にとって大切なものだからと侯爵邸から届けてもらっていた。
思いだすのはいつだって笑顔の彼だ。
けれどその笑顔の裏に私の知らないことがいくつあったのだろう。
私は、あなたのことを知っているつもりだった。
あなたと過ごした時間は少なかったけれど、私たちはたくさんの思い出を共有したから。
あなたに残された時間や呪いをかけられていたこと、私が知らないことはあまりに
大きな秘密でもしかしたらそれすら断片的なものなのかもしれない。
それでも私の気持ちはかわらない。
彼が私を救うために自らを投げうったこと、私を愛しているといった言葉
それはゆるぎない事実だ。
私のこの胸にある彼への思いも、彼がくれた思いも確かにここにあるから。
必ずあなたを取り戻してみせる。
たとえ1度失敗したとしても、私は何度だって諦めない。
「アリス。準備はいいか?」
「えぇ、大丈夫。」
マティアスに返事をしてネックレスを首につけた。
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聖教会への潜入を決行したのはエゼキエルとの話し合いをした翌日の夜のことだ。
夜に潜入することを決めたのは聖騎士団を警戒してのことだった。
いくら結界に守られているといっても建前として夜間にも少人数ではあるが
聖騎士により見張りが立てられているという。
いくら魔塔主と魔塔の魔法使いと言えど手加減ができるような相手ではないらしく
余計な戦闘を避けるためにも夜中に忍び込むことになった。
私は初めて訪れる聖教会に目を奪われていた。
選ばれた者しか足を踏み入れることが叶わない聖域。
白い石材によって統一された真っ白な外観は最小限の明かりしか
ともされていないことでより幻想的に見える。
幸いにも周囲に人気はないようだ。
周囲は物音ひとつしないが、逆に言えば物音がしてしまえばとても響く。
私たちは音を立てず、なおかつ見張りに遭遇しないようにと慎重に聖教会の内部に進んだ。
幸いにもエゼキエルが来たことがあったため迷うことなく目的の場所にたどり着くことができた。
そこは一際大きな扉だった。
扉に描かれているのはドラゴンと聖女の美しい装飾。
私がその扉を見つめていると隣にいたエゼキエルは何もないところに手を伸ばす。
しかし、そこにある何かに阻まれるかのように扉に手が触れることは叶わなかった。
「やはり結界は今も健在だ。その強さも損なわれていないな。」
エゼキエルはコンコンとノックした。
「関係ありません。」
そう言ったのはマティアスだった。
いつの間にかその手には杖が握られている。
飾り気のないそれはいかにも魔法使いが使うようなイメージ通りの杖だ。
マティアスは左手を結界に当てると淡い光が出始めた。
「すごいだろう?マティアスの得意分野はこういった解析やきめ細かな魔法を扱うことだ。
その分野の才能は俺を上回る。」
幻想的な光景に見とれていると、隣にいたエゼキエルはまるで内緒話をするように声を掛けられた。
そう言ったエゼキエルはまるで自分のことのように得意げな顔をしている。
2人の関係性を見るとなぜマティアスが魔塔で魔法使いを続けているのか
わかったような気がした。
私はマティアスの真似をするように結界を触ろうと手を伸ばした。
しかし、私の手はそこにあるはずのものをすり抜けた。
「えっ!」
驚いてすぐに手を引っ込める。
「どういうことだ?」
マティアスは解析の手を止めてこちらを茫然と見ていた。
「性別?それとも魔力の有無?いや、そんなはずない。
もっと別の何かだ・・・。」
エゼキエルはぶつぶつとつぶやくと私の手をつかんだ。
「今度は俺にふれたまま結界に入ってほしい。」
私は言われるままに扉へと足を進めた。
襲い来る衝撃に心構えをするが、やはり最初からそこに何もないかのように
阻まれることはない。
しかし、不意に手だけが引っ張られた。
結界は青い光を放ちエゼキエルの侵入を拒んでいる。
「やはり君しか入れないようだな。
・・・仕方ない。このまま扉を開けて進むんだ。
我々も結界の解除が済み次第後を追いかける。」
「本気ですか?!この先にどんな危険があるかもわからないのに!」
そう言ったエゼキエルにマティアスが食って掛かる。
「仕方ないだろう。ドラゴンが初めから我々人間に害を与えるつもりなら
わざわざ結界を張るなんて回りくどいことしない。
それに、結界の解析を待っていたらそれこそ聖騎士に見つかる可能性もある。
ここでチャンスを逃してしまうわけにはい行かないだろう。」
エゼキエルの言葉にまだ言いたいことがありそうではあったがそれをこらえたマティアスが
結界の内側にいる私に向き直った。
「いいか、アリス。お前は自分の身を第一に考えろ。
たとえここでお前の望みが叶わなかったとしても、俺が必ずかなえてやるから。
どれだけ時間がかかっても、どんなことをしてでも。
だから・・・絶対に俺のところに帰ってこい。いいな?」
そう言ったマティアスの真剣な表情に、自分を案じてくれる思いに心があたたかくなる。
「ありがとう、お兄様。わかりました。」
私の言葉にマティアスは泣きそうな表情をしていた。
「アリス。見送ることしかできない不甲斐ない大人ですまない。
これから先にあるのは希望か絶望かもわからない。
けれど自分の望みを忘れるな。君を待つ私たちを忘れるな。
そうすればきっと君は自分の望む未来にたどり着ける。
余計に本気になったマティアスときっとすぐに君を追いかけから。
だから、安心して先に進みなさい。」
2人の言葉は私の背中をそっと押してくれた。
だから、もう不安に思う気持ちなどなかった。
「行ってきます。」
目の前の扉に手をかけた。
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