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「お兄様!」
もつれそうになる足を必死に動かして
私の声に振り返って笑顔を見せてくれる少年の腕に飛びついた。
反動を抑えきれず尻餅をつかせてしまったことに怒ることもなく、仕方なさそうに私の頭をなでる。
「危ないだろ。お前がけがをしたらどうするんだ。逃げないから歩いてこい。」
大切なものを見るように笑う優しい緑色の瞳が大好きだった。
私にとってかすかに覚えている大切な記憶だ。
今はない大切な時間だからこそ、これが夢であることに気づいてしまった。
瞼を開けるといつもの天井だ。
窓に目をやるとカーテンの隙間から見えるのはまだ薄暗い日の光。
いつもより早く目が覚めてしまったらしい。
優しい記憶を振り切るようにして身体をおこした。
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ルードベルト侯爵家には2人の子供がいた。
1人はアリス。そしてアリスの5歳年上の兄マティアスだ。
世間的に見ても兄妹仲はとてもよかった。眠れない夜に添い寝をしてくれたこと、メイドに内緒ではちみつ入りのホットミルクを作ってくれたこともおぼろげな記憶に残っている。
兄には幼いころから魔法の才能があった。
その魔法の才能を買われ、魔法の研究を生業とする魔塔に入ることを許された。
その頃、両親と兄が言い争う声をよく聞いていた。
兄が家を出たのはアリスが5歳の時だった。それ以降兄が侯爵家へ帰ってくることは1度もなかった。
兄がいつ帰ってくるのか、兄からの手紙はないのか。
両親に尋ねても色よい返事が返ってきたことはなかった。
帰りを待つことをやめたのはどれくらたってからだろうか。
最後に顔を合わせたのは2年前。初めての舞踏会に出席した時だ。
少し離れたところに立ち険しい顔でこちらを見つめている男性がいた。
自分と同じ薄茶のまっすぐな髪と緑色の瞳。眼鏡をかけた姿は少し神経質そうだと感じた。
その人が兄だと気づいたのは後になってからだ。
噂では優秀な魔法使いとして魔塔ではなく宮廷魔法使いとして誘いを受けているが
それを断っているらしい。
宮廷魔法使いになる栄誉を蹴るとは何事だ、と両親は憤慨していた。
広い食堂で1人朝食を食べている。
美しさを保つために用意された食事を口に運ぶ。食事をおいしいと思ったことは久しくない。
(お兄様が作ってくれたホットミルクはおいしかったな・・・。)
感傷的な気分になってしまうのは今朝見た夢のせいだろうか。
思いだしても意味のない記憶に再び蓋をして、食べるスピードを速めた。
読んでいただきありがとうございます。