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「・・・お、おにいさま・・・?」
少し掠れた声でそう言うとマティアスは嬉しそうに微笑んだ。
自分と同じ薄茶のまっすぐな髪と緑色の瞳。少し神経質そうな眼鏡をかけた姿は
穏やかに微笑んでいることで印象が柔らかくなっている。
最後に顔を合わせたのは2年前だが大きな外見の変化がなかったおかげですぐに
兄だと気づくことができた。
「あぁ。そうだよ。3日も目を覚まさなかったから心配した。
どこか痛いところや辛いところはないか?」
マティアスは持っていた水差しをサイドテーブルに置くとコップに水を注いで私に手渡す。
私は黙って首を横にふり渡された水を1口飲んだ。
「そうか。よかった。」
その様子でさえ安心したようにほっとした顔で笑う。
「ここは・・・?」
コップをサイドテーブルに置いて周囲を見ながら尋ねる。
「ここは魔塔の中にある俺の部屋だ。・・・すまない。本当は侯爵家に連れて行くべきだと
思ったけど今の混乱した侯爵家では何があるかわからないからな。」
マティアスの言葉に納得する。
主のいなくなった侯爵邸。
忠義のために仕える者たちのいない邸は今の私にとっても苦痛だった。
「アリス。・・・お前に、両親に一体何があった?何が起きたんだ?」
マティアスは辛そうに顔を歪めて私に問う。
(・・・そうだ、私。私のせいで。)
愛していると笑ったヒースクリフの最期の姿。
鮮血が空に舞って地面に落ちた彼の首。
絶望した記憶が一気に思い出して身体が知らぬ間に震えだす。
「・・・わたし・・。私、どうしよう。私のせいで。
私のせいなの。そうだ・・・彼は?ヒースクリフは、どうなったの?」
マティアスの腕にしがみついて問う。
「ヒースクリフとはまさか処刑された男のことなのか?」
私がうなずくとマティアスはそうか、と少しうつむいた。
「俺がお前を見つけて連れて帰ろうとしたとき、あの男の遺体は騎士団が回収していったよ。
それから、あの処刑の日これが俺宛に届いたんだ。」
マティアスはそう言うと懐から1通の手紙を差し出した。
あて先はマティアス、差出人の名前にはヒースクリフと書かれている。
私は震える手で手紙を受け取ると手紙を開いた。
手紙に書かれていたのは突然の手紙に対する謝罪。
そして、侯爵家当主夫妻を自分が殺したこと。
遺されたアリスが1人になってしまわないようにあなたがそばで支えてほしい。
実の親を殺した人間が言うにはあまりに勝手な願いであることは重々承知している。
それでもアリスは今でもあなたの幸せを願っていると締めくくられている。
「これが送られてきたとき、質の悪い冗談かと思った。
でも、嫌な予感がして侯爵邸に行ったんだ。
お前は王城に行ったと聞いたから急いで追いかけた。
まさか、あんなことになっているとは思わなかったが・・・・。
彼は、お前にとって大切な人だったんだな。」
兄の言葉にと共に手紙に涙が零れ落ちて文字がじわりとにじんだ。
「・・・私、彼とずっと一緒にいたかったの。彼とずっと生きていきたかった。
貴族の自分には無理なことだってわかってたの。
だから、もう会わないって決めたのに・・。
どうしてこんな風になったのかな。何がいけなかったのかな。」
マティアスは泣きそうに顔を歪めて私をみた。
「彼が大切だった。彼を愛してたの。でも気づくのが遅すぎた。彼に伝えられなかったの。
・・・彼に、もう1度会いたい。できないことだってわかってる。
でも、できることならもう1度会って伝えたいの。私も愛してるって。」
泣きじゃくる私をマティアスは何も言わずに抱きしめた。
1人ぼっちになってしまったと思った。
自分の与えられた台本どころか、役さえなくなってどうしたらいいのかわからなかった。
自分のせいで1番大切な人をなくしてしまった。
それなのに彼の思いはまだこの世にあって
私が気づかなかった愛を教えてくれた。
1人取り残された寂しさに凍えてしまうことがないように
そばにある優しさを示してくれた。
そのことがうれしくて、愛しくて、悲しくて、つらくて
私は余計に涙が止まらなかった。
読んでいただきありがとうございます。