22
舞踏会の日以降、私は侯爵家から出ることはできなくなった。
大切な王子の婚約者。
その身に何かあってはいけないからと両親の監視は比較にならないほど厳しいものになった。
ヒースクリフとは建国祭の後にも会う約束をしていた。
けれどそこに行くことも、行けないと伝えることもできずに数日がたってしまっていた。
(これでいいのよ。)
夜になりやっと1人になった自分の部屋で考える。
私は明かりをつけることも嫌で月明りに照らされてたたずんでた。
もう彼の隣にいることはできない。
彼の隣で笑っていられるのは決められた時間だけ。
最初からわかっていたはずだ。
それでも彼の与えてくれた時間があまりに楽しくて、優しくて、温かくて
甘美な夢に溺れてしまっていた。
いつか訪れる現実から目を背けてしまっていた。
(そうよ。現実に戻るだけ。
ただのアリスじゃなく、侯爵令嬢としてのアリス・ルードベルトに。)
貴族令嬢の私と平民の彼。もともと相容れることがない相手だった。
彼のためにも私がそばにいることはできない。
自分に言い聞かせる。
そうしないと彼に与えられたこの心が叫びだしてしまいそうだったから。
首にかけた彼からもらったネックレスにそっと触れたとき
ふわっと夜の匂いを含んだ風が吹いた。
(窓は閉めていたはずなのに)
そう思って顔をあげたとき、息が止まった。
「・・・・どうして?」
今1番会いたいあなたがそこにいたから。
自分に都合のいい夢を見ているのだろうか。
満月を背にしたヒースクリフがバルコニーに立っている。
いつの間に来たのか、どうして私がここにいるとわかったのか
どうやってここに来たのか様々な疑問が頭を駆け巡るのに
そんなことはどうでもいいと思う自分がいた。
「アリス。」
名前を呼ばれるだけで今まで流れることのなかった涙が頬を伝っていく。
「ヒース、クリフ・・。」
胸がいっぱいで彼の名前を呼ぶこともままならない。
涙を流したまま動くことができない私に彼はゆっくりと近づいて私の体を抱きしめた。
(温かい。夢じゃないんだ。)
彼の体を抱きしめ返す。
「アリス。会いたかった。」
涙がせきをきったようにあふれ出して、嗚咽が漏れる。
「私も、会いたかった。」
「ヒースクリフ。私・・・。」
「先に聞かせてほしい。」
私の言葉を遮りヒースクリフは私の顔を見つめた。
「アリス。君はどうしたい?君の心からの願いを教えてほしい。」
今まで見たことがない真剣な瞳だった。
「わ、たし・・・私は・・・・。」
(あなたと共に生きていきたい。あなたの隣でずっと笑っていたい。
あなたの笑顔をずっと見ていたい。)
本当の願いを言葉にすることはできなかった。
貴族の私と平民のあなた。生きている世界が違う私たち。
たとえここで本当の気持ちを言ったとしても、2人で生きていくことは難しい。
あなたが貴族になることはできないし、このままあなたと逃げたとしても
私たちは追われる身になる。
大事な大事な王子の婚約者の私を両親は決してあきらめない。
私はあなたと共にいられるならどうなっても構わない。
でも、もし見つかったらあなたはどうなるの?
あなたが強い人だってわかってる。
でも、あなたは弱い私をかばうから。
私たちはきっと逃げられない。
(それなら、私の答えは決まってる。)
「・・・・私は、自分の責任を果たさなくちゃ。そのときが来たの。
ヒースクリフ。あなたと過ごした日々はとても楽しかった。ありがとう。
だから、もうあなたに会うことはできない。」
悲しい顔なんてできない。笑わなくては彼が心配してしまうから。
でも涙だけは止めることが出来なくて、泣きながら笑う。
「アリス。俺は君が望むならなんだってできる。
君は俺にとっての光だから。君の優しさが俺を救ってくれた。
君の幸せのために俺ができることをしたいんだ。」
彼の優しさに今すぐ縋ってしまいたい。
でも、そんなことができるわけがない。
あなたが、この世の誰より大事だから。
「私は、もうあなたに会わない。私は私の人生を生きていく。
あなたにも、そうしてほしい。」
こうすることが1番正しいってわかっている。
それなのにあまりにも胸が痛くて、引き裂かれるみたいだった。
「・・・・わかった。それが君の望みなら。」
ヒースクリフはそう言うと私から身体を離すと背を向けてバルコニーから飛び降りた。
彼はなんてことないように着地するとそのまま走っていく。
ヒースクリフが見えなくなるまで背中を見送る。
その背にすがってしまいたかった。
その姿を目に焼き付けておきたかった。
1人取り残されてから両手で顔を覆い声を押し殺してただ、泣いた。
こんな思いをするくらいならあなたに出会わなければよかったなんて、私は思わない。
あなたとの出会いは私にとってかけがえのない宝物だから。
この思いだけで、これから生きていくことができる。
――――――だから、さようなら。
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王城へと向かった両親が死んだと報せを受けたのはその数日後のことだった。
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