10
「げっ!」
まずいと思ったのだろう、店に入ってきた私たちを見た少年の動きは速かった。
テーブルの上に置かれていたものをつかむと扉に向かって走りだす。
しかし、私が気が付いた時にはすでにヒースクリフによって首根っこをつかまれていた。
「離せ、離せってば!」
少年は彼の手から逃れようとじたばたしているが、大人の力にかなうわけもなく
無駄な抵抗になってしまっている。
「どうやら間に合ったみたいですね。」
ヒースクリフは少年が抱えていた箱を取り上げると私に渡す。
慌てて中身を確認すると、たしかに母の注文した宝飾品であった。
「よかったぁ・・。」
安心して力が抜けそうだ。
取り返せたものをぎゅっと胸にだく。
「全然よくねぇよ!まさか貴族がこんなとこまで追いかけてくるなんて。
この兄ちゃん使うなんて卑怯じゃんか!」
かわいい抵抗をあきらめたのか、少年を腕を組みムッとした表情で私をにらみつける。
少年はヒースクリフを知っているのだろうか。
「どうします?このまま警備兵に突き出しましょうか?」
首根っこをつかんだまま少年を自分の目線の高さまで持ち上げて
あまり興味がなさそうにヒースクリフは言う。
過ごした時間は少ないけれどこれまで終始笑っている彼の姿しか見なかったので
こういう反応をすることは意外に思った。
こう言えるということは少なくとも親しい間柄ではなさそうだ。
「ふんっ!情けなんかいらねぇよ!突き出したければ突き出せよ!」
顔をそむける少年を見て考える。
その身体は細く、着ているものもところどころ擦り切れて穴が開いている。
食べるのもままならずに盗みを働いたのは一目瞭然だ。
しかし、かわいそうに思う反面ここで彼に無償で
施しを与えることも違う気がした。
(ここで私ができることは・・・。)
私はふと思いついた。
私にとっても都合がよく少年にとって利益になることを。
「あなたとぶつかった私の侍女が、あなたを追いかけていったはずなのだけど
どうしたか知ってる?」
「あぁ、なんか必死に追いかけて来たからここに来るまでの路地で撒いてやったぜ。
今頃はあの入り組んだ道で迷子になってんだろ。」
床に降ろされた少年の顔をのぞき込むとどこか得意げにそう言った。
「その人を探して表通りまで案内してほしいの。
それから、手紙を渡してほしいの。・・・悪いのだけれど紙と書くものはあるかしら。」
「ああ、もちろん。ほら、使いな。」
店員に声をかけるとすぐにとってきてくれる。
「ありがとう。」
紙に侍女への伝言を記載して最後に自分のサインを書く。
書き終わった紙を少年に差し出した。
「けっ誰が物盗んだ相手にそんなことするかよ。
そんなことして何をされるかわからねぇし。」
少年は顔を背けて私の提案を拒否するがこちらにも考えがある。
「もちろんあなたの安全は保障するように書いてあるわ。
その働きに見合った対価は払う。」
私は持っていた財布から硬貨を取り出すと少年に見せつける。
案の定、少年の目は高価にくぎ付けになる。
「これは前金よ。あなたが仕事をしてくれるならこの倍の料金を支払うわ。
この手紙に書いてあるから侍女からお金をもらってちょうだい。」
私がそう言うと手紙とお金をひったくるようにして少年が奪い取っていく。
「わかった。いいぜ。盗まれた奴に仕事を頼むなんて変な姉ちゃんだな。
あと・・・大事なもの盗って悪かった。」
照れくさいのかボソッとつぶやくように誤る少年はかわいらしかった。
「大事なものを盗られた私も悪かったの。次からは盗られないようにするわ。」
私がそう言って少年の頭をなでる。
「せいぜい気をつけな!じゃあなお人よしな姉ちゃんとおっかない兄ちゃん!」
軽い足取りで少年は店を後にした。
うまくいったことにほっと息をつくとそれまでの出来事を傍観していた店員が
声を上げてわらった。
「貴族の嬢ちゃんにしてはなかなか面白いことするもんだ。
貴重な品を買い取る機会を逃したのは残念だがいいものを見させてもらった。
俺はこの店の店主、ガリオスってもんだ。」
店主、ガリオスはガハハと歯を見せて豪快に笑った。
「しかも、あのヒースクリフと一緒にいるときた。
お前が誰かと一緒にいるなんてほんとに珍しいな。
ましてや女と一緒にいるところなんか初めて見た。」
ガリオスはヒースクリフをみてからかうように言う。
「このご令嬢の依頼で盗まれたものを探しにきただけだ。」
ガリオスとは対照的にヒースクリフの態度はそっけない。
「あの、紙と書くものありがとうございました。使った分のお金は支払います。」
「いや、そんなことはいいさ。それより、これからもこいつと仲良くしてやってくれよ。
こいつ顔はとびっきりいいのにてんで愛想がない。
俺の見た限りじゃ・・」
「余計なことは言わなくていい。」
ガリオスの言葉をさえぎってヒースクリフは私を背中に隠す。
「ここにもう用はないので行きましょう。」
そう言ってヒースクリフは私の手を取り出入口に向かって歩き出す。
振り返るとガリオスは楽しそうな顔でこちらに手を振っていた。
『こいつ顔はとびっきりいいのにてんで愛想がない。』
歩きながらガリオスの言葉を思い出す。
私とヒースクリフは会って言葉を交わすのは2回目だが
少なくとも、彼が不愛想だと思ったことは1度もない。
むしろ愛想がいいと思っていた。
不愛想な彼の姿もまた、彼の一部なのだろうかと手を引いて前を歩く大きな背中を見た。
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