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恋と愛と性の作品集

風俗産業に復讐しようとした俺は、援助交際の少女にすべてを捧げる

掲載日:2024/02/01

 俺には、生まれる前の記憶がある。


 SFとかファンタジーとか、そういう話じゃない。

 俺にとっては、まぎれもない真実だ。



 俺の母親は、高校生の頃援助交際をしていた。

 もちろん避妊には注意していたはずだが、その時の客が悪かった。


 その客はホテルの部屋に入ったとたん、強引に女子高生を押し倒す。

 そして暴力的に交わったあげく、一万円を投げつけて去っていった。


 行為にふける男の醜い表情、十六歳だった母親の苦悶の表情を、俺は知っている。

 俺は生まれる前から、すでに汚れた人間だった。



 妊娠に気づいた女子高生は、中絶を決意する。

 だが中絶手術の寸前になって思いとどまり、俺を出産した。


 高校生の娘から金をしぼり取っていた母親とその彼氏は、娘の出産を知ったとたん、娘を家から追い出した。

 俺の母親は風俗で働きながら、たった一人で俺を育てた。


 そんな母親も、性病がもとでこの世を去った。

 二十七歳だった。

 俺が十歳の時の話だ。


 俺は母親を恨んだ。

 勝手に産んで、勝手に死にやがって。



 親戚をたらい回しにされた俺は、結局孤児院に引き取られる。

 人と話すのが苦手だった俺は、一人で本を読んでいることが多かった。


 学校を出た俺は、工場で歯車の一つになって働いた。

 友達もできず、女性には相手にさえされなかった。



 俺は誰からも必要とされていない。

 俺なんていないほうがいいんだ。


 毎日そんなことばかり考えていた。


 そして俺は、決意する。

 世の中に復讐しようと。


 八つ当たりだってことは、わかってる。

 努力しない自分が、全部悪いんだろう。


 でも俺は、怒りを抑えられない。

 風俗産業というものに対する怒りが。


 差別だと言われても構わない。

 俺は女性が体を売る仕事は認めない。


 そういう仕事があるから、生活できる人もいるのだろう。

 だけどそういう仕事がなくなってしまえば、他の仕事に就くしかないはずだ。


 あの仕事は、確実に女性の体を傷つける。

 本人が気づいているかどうかにかかわらず、女性の心をむしばんでいく。


 あの仕事は、女性とその家族を不幸にするんだ。

 あの仕事さえなくなれば、世の中は今よりはましになるはずだ。


 いや。

 そんなのは、全部きれいごとだ。


 俺はただ、自分の気持ちをぶつけたいだけなんだろう。

 俺みたいな汚れた人間をこの世に誕生させた、あの仕事に。




 俺は夜の繁華街をさまよい歩き、計画を実行する場所を探した。

 風俗店が密集する場所で、放火するつもりだった。


 人を殺す気はない。

 だから周囲に危険を知らせてから、火をつけて回る予定だ。


 今日も夜の街では、風俗店のネオンがギラギラと光り、店員と客のいやらしい話し声が響いている。


 そういう場所にいるだけで、俺は吐き気がした。

 なにもかもが、臭くて汚れているから。


 こんなところ、全部燃えちまえばいいんだ。

 そうすれば少しは、街がきれいになるだろう。


 風俗店を焼き尽くす炎の中で、世界で一番汚れているこの俺も、消えてなくなればいい。

 それが俺にできる、唯一の社会貢献だ。



 辺りを見回していた俺に、一人の少女が近づいてきた。


 制服を着ているから、高校生?

 いや、中学生かな。


 潤んだ目で、俺の顔をじっと見つめている。


「あの、おじさん……」


 おじさんって、俺はまだ三十歳なんだけどな。

 でもこのぐらいの歳の子にとっては、俺は十分おじさんなんだろう。


「なんだ」


 こんな場所にはふさわしくない、純情そうな少女だ。

 困っているみたいだから、道に迷ったのかな。


「あの……」


 少女の顔は、恐怖でこり固まっていた。

 俺というよりはこの場所、この世界に対して。


 だが少女は、意を決したように言った。


「あたしを、買ってくれませんか」


 俺は自分の耳を疑った。

 こんなかわいらしい子供が、そんな汚らわしい仕事をしているのか。


「それって、援交ってことか?」

「あっ……はい……」


「お前、いくつだ」

「ええと、二十歳?」


「ウソつけよ。どこからどう見ても中坊だろうが」

「ごめんなさい。十五歳です」


「本当は十三歳くらいなんじゃねえのか?」

「童顔だけど、本当に十五歳ですっ」


「十五歳でいばるなよ。お前さあ、どっかの会社とか、組織とかに入ってるのか?」

「え? どこにも入ってません」


「あのなあ、素人がそんなことしてると、ひどい目にあうぞ」

「だって、お金が必要で……」


「なんで金がいるんだ」

「持ってこいって、言われたから……」


「親に、言われたのか?」

「あの、学校で……」


「お前、いじめられてんのか」

「いえ……はい……」


「そんなことで体売ってんのかよっ」

「そんなことじゃ、ないよ」


「今までも、こういうことしてたのか?」

「これが、初めてです。男の人とそういうこと、したことないし。本当です」


「初めてを、売春なんかで捨てようとすんなよぉ」

「あたしだって死ぬほどいやだけど、しかたなくて……」


「ちなみになんで、俺に声をかけたんだ? 俺がロリコンに見えたのか?」

「違います。なんか、すごくいい人そうに見えたんで。せめて初めての相手は、いい人そうな人にしたいって思って」


「俺が、いい人だぁ? お前、人を見る目ねえなあ。俺は今……」

「おじさんは、いい人だもん。あたしには、わかる」


 俺は深いため息をついた。

 そんなきれいな瞳で、ウソをつけるはずがない。


「いくらいるんだ」

「二万円」


「だったら、俺が出してやる」


 俺がそう言うと、少女はホッとしたのか、不幸のどん底なのか、とても複雑な表情になった。


「じゃあ、ホテルに……」


 少女が歩き出そうとするので、俺は慌てて呼び止める。


「待て、ホテルなんか行かねえよ」

「じゃあ、おじさんの家に行くの? それとも、その辺で? それはちょっと……あたし、初めてだし……」


「俺をどんなやつだと思ってんだよっ。金だけやるから、とっとと帰りな」

「えっ、だってそれじゃ、おじさんが……」


「お前みたいなガキと、誰がやるかよ」

「そっか。あたし、色っぽくないもんね……」


「まあ、あと十年くらい経ったら、抱きたくなるかもしれねえけどな」

「五年くらいあれば、色っぽくなるかもよ」


「生意気言うな」

「えへ」


 俺は財布に入っていた札の全部、二万三千円を少女に手渡した。


 金を渡す時、正直俺はいい気分だった。

 生まれて初めて、人の役に立てた気がしたからだ。



「えっ、こんなに?」

「いいんだ。もう使わないから」


「なんで? お金は大事だよ」

「俺はもう、いなくなるから」


「いなくなるって、引っ越すの?」

「この世から、いなくなるんだよ」


「おじさん、死ぬつもりなの?」

「あ、冗談だよ。本気にすんな」


「おじさん、本気だよね。あたしには、わかるよ」

「なんでわかるんだよ」


「あたしもね、何度も死にたいって思ったから……」


 この子は、いったいどういう人生を歩んできたんだろう。

 よっぽど辛い目にあってきたに違いない。


「そうか……。でもとりあえず今日は、これでなんとかなるか?」


「今日はね。でも近いうちに、うちは一家心中すると思う」

「なんだ、お前んち、ヤバいのか」


「工場が潰れそうで、すごい借金があるんだって」

「すごいって、いくらだよ」


「五百万、くらい?」

「たった五百万で、一家心中すんじゃねえよ」


「うちにとっては、大変な額なんだよ」

「とりあえずお前だけでも、逃げちまえばいい」


「そんなこと、できないよ。どうせ生きていたって、いいことないし」

「泣くんじゃねえよ。俺が、なんとかしてやるから」


 思わず言ってしまったことに、俺は自分で驚いた。

 それほど少女の涙が、美しかったんだ。


「なんで、あたしにそこまでしてくれるの? あたしとたくさんしたいの?」

「うっ、ふざけんな。ガキとはしないって言っただろ」


「じゃあ大人になったら、いっぱいしていいよ」

「大人になったら? ……いやいやいや、もうその話はやめろ。なんのために金をやったんだよっ」


「だったらそんなこと、頼めないよ。おじさん、お金持ちには見えないし」

「うるせえよ。男に二言はねえ」


「おじさん、そんなことしなくていいから、死のうとするのはやめて」

「もう死んでる場合じゃなくなったよ。金を集めてくるから、工場の場所を教えろ」


「でもあたしにお金を渡したら、死ぬ気なんでしょ?」

「そんなこと、お前には関係ねえだろ」


「だって、おじさんみたいないい人には、死んでほしくないもん」

「他人のことより、自分と家族のことだけ考えな」


「いや。おじさんが死ぬなら、お金は受け取らない」

「じゃあ死ぬのはやめるから、金は受け取れ」


「うん、そういうことなら、受け取ってもいいよ」

「頼むよ。……ってあれ? なんで俺がお前に金をやるのに、俺がお前に頼むみたいな話になってんだよ」


「アハハ、おもしろいね」


 ようやく笑顔になった少女は、夜空に輝く星のようにまぶしかった。

 その辺のネオンとは違って、けがれのない輝きだ。


「フッ、笑い事じゃねえよ」


 気づいてみれば、俺も笑っている。

 俺は生まれて初めて、心から笑えたような気がした。


「おじさん、本当に、死なないでくれるんだよね?」

「なんでお前、また泣いてんだよ」


「だって生まれて初めて、人の役に立てたって思えたから」


 なんだよ、俺と同じこと思ったのかよ。

 でもこいつのほうが上等だな。


「俺のことなんかで、喜んでんじゃねえよ」

「俺のことなんかとか、そういう言い方しないのっ」


「すいませんでした」

「よろしい」


「大人に偉そうなことを言うお前なら、将来人の役に立てる人間になれるんじゃねえの」

「そう、かなあ」


「だからお前も、二度と死ぬなんて考えんじゃねえぞ」

「おじさんが死なないなら、あたしも死なないよ」


「なんだ、俺たちは一蓮托生か?」

「なあに? 一円たくしょうって」

「お前、少しは勉強しろよー」


 俺たちはまた笑った。


 なんで俺は、楽しいとか思ってるんだろう。

 こんなこと、俺の人生にはなかったことだ。


 この子は、魔法でも使えるのか?

 実は魔法少女なんじゃねえの?



 俺は少女から、工場の住所を書いたメモを受け取った。

 そして臭くて汚い繁華街から、駅前まで少女を送る。


「おじさん、ID教えてよ」

「スマホ、解約しちゃったから」


「じゃあ、あたしの連絡先、書いて渡すね」

「必要ない。金を用意したら、工場に持っていくから」


「だったらその時に、おじさんの連絡先教えてね」

「そう、だな」


「一緒に写真、撮ってもいい?」

「こんなおっさんと写ったって、意味ないだろ」


「今日の記念に。お願い」

「めんどくせえなあ」


 俺と少女は一枚の写真に納まった。

 少女がピースサインをしているから、俺も思わず同じポーズをしてしまう。



「ありがとう、おじさん。次に会える時まで、この写真でがまんするね」

「なに言ってんだ。悪いけどしばらくの間……そうだな、一ヶ月か二ヶ月くらい、なんとか持ちこたえてくれないか」


「うん。親にもそう言っとく」

「そうしてくれ」


「おじさん、死なないって、約束だからね。約束は絶対守ってね」


「男に二言はないって言っただろ」

「女だって、二言はないよ」


「そうか。あのな、辛い時はひたすら好きなもののことを考えろ。食べ物でも、芸能人でも、なんでもいい」

「うん、そうする」


「それから、どんな状況でも夢は見ろ。具体的な夢を持てなくてもいい。いつかは幸せになるんだって、そう思うだけでもいいから。いくら夢を見たって、金はかからないからな」

「うん、そうだよね」


「お前は必ず幸せになれる。おじさんはエスパーだから、間違いない」

「ほんと? やったっ」


「信じてねえな、お前」

「信じてるよ。ありがとう、おじさん。実はあたしもね、未来を予知できるんだよ。おじさんはぁ……う~……幸せになる~」


 その時俺は、なぜか泣きそうになった。

 少女に涙を見せまいと、必死にがまんした。


「ハハハ、ありがとよ。じゃあ、元気でな」

「おじさんも、元気でねっ」


 俺は少女に背中を向けて、軽く手を振った。

 少女がずっと俺を見つめているのが、背中でわかった。




 その日から、金策に駆け回る日々が始まった。

 汚い金は渡したくないから、法律を犯すことはやめておく。


 貯金と借金でも足りなかったので、仕事をやめてわずかな退職金を受け取った。

 借りていた家を引き払い、売れるものは全部売った。


 それからは工事現場を渡り歩き、マンガ喫茶に寝泊まりする生活が続く。


 そうして一ヶ月半が経った頃、なんとか五百万円を用意することができた。



 俺は少女から渡されたメモを頼りに、工場を探した。

 工場は倒産していたけど、工場の隣に住んでいる少女の一家は無事だった。


 あの夜と同じ制服を着ている少女は、昼間は普通の女子中学生にしか見えない。

 けれど暗い表情は、あの時と同じだ。


 俺は少女に見つからないように注意した。

 俺のことも、不幸な過去も、全部まとめて忘れてほしいからだ。


 俺は誰もいないことを見計らって工場に忍び込み、金とメモを置いていった。

 メモにはただ、こう書いておいた。


「約束どおり金を置いていく。俺のことは忘れてくれ。生きろ」



 俺は時々ひそかに、少女の一家が立ち直るかどうか見張っていた。


 少女の両親はまじめな人たちだったらしく、仕事を見つけて生活を立て直していった。

 借金を返したうえに、社員たちには退職金を渡し、再就職先も用意してあげたようだ。


 自殺の危険性が高いのは、なんといっても責任を感じた経営者だ。

 これでもう、バカなことは考えないだろう。


 少女の顔は、日増しに明るくなっていった。

 ただ時々、辺りを見回してなにかを探しているようだった。


 少女の一家が立ち直ったことを確認した俺は、その街を去った。

 少女と、二度と会わないように。




 そして、十年の歳月が流れた。


 日雇いの仕事を転々としていた俺は、とある田舎町でようやくアパートを借りられる身分になった。


 相変わらずむなしい日々ではあったが、少女と出会う前とは違っていた。

 なぜだか、死のうとは一度も考えなかった。


 誰かの役に立てたという記憶が、俺に生きたいと思わせるのだろうか。


 しょせんは自己満足だ。

 それはわかっている。


 それでも俺には、生きている実感がある。



 少女との思い出だけで、俺は生きていけるらしい。






 肉体労働に疲れ果てた俺は、海ぞいの道を歩いていた。

 腰を痛め、ひざを痛め、足を引きずって歩いていく。


 突然遠くから、爆音が響いてきた。

 音の方向へ振り返ると、空からヘリコプターが降下してくる。


 突風が吹き荒れる中、俺は腰をかがめて様子をうかがった。


 ヘリコプターが砂浜に着陸する。

 扉が開き、タキシードを着た執事っぽい男が下りてくる。


 その後ろから現れたのは、高そうな白いドレスを身にまとった若い女性だった。


 テレビでもこんな美人見たことがない、と思うほどの絶世の美女だ。

 スタイルも抜群だし、肌もツヤツヤしている。


 俺とは真逆の世界にいる人だな、と感じる。

 それなのに、どことなく見覚えがあるような気もする。


 まさか、な。


 その美女はモデルのように優雅な歩き方で、俺のほうへ真っすぐに進んできた。

 そして俺の顔を見つめながら、太陽のように華やかにきらめく笑顔になった。


 その光り輝く笑顔……あの時の少女だ。



「おじ様、ようやくお会いできましたわ」

「どう、して……」


「あの時、一枚だけ写真を撮らせていただきましたでしょ。わたくしその画像から、おじ様のことを探しましたの」

「でも俺の顔なんか、ネットに出ていないだろ」


「これをご覧になって」


 美女が差し出したスマホには、観光客の後ろに小さく映っている、貧乏くさい俺の姿があった。


「本当だ。でもなんでそこまでするんだよ」


「だっておじ様、わたくしに会いにきてくださらないから。ずいぶん探したんですよ。見つけるまで、十年もかかってしまいました」

「なにやってんだお前。そんな金持ちっぽくなったのに」


「わたくし学校を出てから、アメリカに渡りましたの。向こうの会社で出世して、社長になりましたわ。アメリカは実力主義ですからね」

「でもそんな、夢みたいな話……」


「あの時言ってくれたじゃないですか。夢を見なさいって」

「確かに、言ったけど……」


「おじ様、わたくしの会社にいらしてくださいませんか? CEOの地位を用意してあります」

「CEO? なんかすごい偉いやつだよな。なんで俺がいきなりそんなのになるんだよ」


「わたくしにはわかっておりますの。おじ様は高い地位にふさわしい人物であると。年収は十億円を超えるはずですわ」

「じゅ、十億? 聞いただけで目が回りそうだ」


「おじ様、わたくし、色っぽくなりましたか?」

「えっ? 色っぽいかどうかはともかく、すごくきれいになったよ」


「わたくしおじ様のために、女を磨いたんですよ。外見も、中身も」

「俺のために? ウソだろ?」


「おじ様、わたくしと結婚を前提にお付き合いをしてください」

「はぁ? なに言ってんだお前。俺みたいな汚いおじさんが、お前みたいな若くてきれいな女と、付き合えるわけないだろ」


「わたくし、今まで誰ともお付き合いをしませんでした。バージンを捧げる相手はおじ様しかいないと、心に決めていましたから」

「バカなことを言うな。……いや、来るなっ。寄るなっ!」


 美女が俺に向かって迫ってくる。

 俺は戸惑って、慌てて、パニックに陥った。



 そこで、目が覚めた。


 俺は今、古くて汚い五畳一間の自宅にいる。

 薄い布団の上で、居眠りをしていたんだ。


 そんなこと、あるはずないよな。

 なんであの子が金持ちになって、俺に地位と金をくれるんだよ。


 あんな夢を見るなんて、俺は結局、あの子から見返りが欲しかったのか?

 俺は誰でもいいから、この状況から救ってもらいたいんだろうな。


 俺は昨日、職場で首を切られた。

 それが現実だ。


 だからって、昔一度会っただけの子供に助けてもらいたいと願うとは。

 俺はつくづくダメな大人だな。


 でもまあ、夢を見るくらいはいいか。


 あの少女は、どこかで幸せに暮らしている。

 そんな妄想が、俺の唯一の楽しみなんだから。






 その時、玄関の扉をたたく音がした。


 借金は返し終わったはずだ。

 それともまだ、残っていたのかな。


 俺は寝ぼけていたせいか、のぞき穴から外を確かめないまま、扉を開いてしまった。


 目の前に立っていたのは、若い女性だ。


 夢で見たような超絶美女ではない。

 豪華なドレスを着ているわけでもない。


 庶民的な服装だし、化粧も地味だ。

 顔も童顔で、きれいというよりは子供っぽくてかわいいという印象。


 けれど俺の顔を見たとたん、女性は満月のように優しく光る笑顔になった。


 そのどこまでも純粋な笑顔。

 間違いなく、あの時の少女だ。


「おじさん、やっと見つけたよぉ」

「これも夢か? 夢なのか?」


「あたしも、夢を見てるみたい。またおじさんに会えて、嬉しい」

「俺も、お前が元気そうで嬉しいよ」


「おじさん、大好きっ」

「おおっ」


 かつての少女が俺に抱きつき、泣いている。

 俺の目からも、とめどなく涙があふれていた。


 地位なんかいらねえ。

 金は最低限の暮らしができればいい。


 俺が本当に欲しかったのは、こんな風に抱きしめてくれる相手だったんだ。


 そういえば俺の母親も、こんな風に抱きしめてくれたっけな。


 母親に対する恨みも、世間に対する恨みも、自分に対する恨みでさえ、この子のぬくもりで溶けていくような気がする。


 今はただ、この子が幸せになれるように助けてやりたい。

 それが俺の、幸せなんだ。



 あぁ、この子が生きていてくれて、本当に良かった。


 俺も、生きていて良かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 幸せに大きいも小さいもないと感じました。主人公、ヒロイン、2人とも尊いですね。 素敵な作品をありがとうございます。
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