第九話 元没落令嬢は、過去を語る決意をする
「……皆さん、あっという間にいなくなってしまいましたね」
オーウェン様は、ニコニコ笑いながらあたりを見回す。
後ろの人の顔が見えないほど人だかりができていたのに、オーウェン様の『お開き』の言葉に皆慌てて撤収して、私たちだけが取り残されていた。
「オーウェン様、このようなことに巻き込んで、お召し物まで汚してしまい、貴族の方々とも険悪な状況に……」
縮こまって、頭を抱える。
貴族は、体面を傷つけられることを何より嫌う。
お母様もそうだったし、周りも皆そうだった。
それなのに、集まった貴族たちはオーウェン様との品位と格の違いを見せつけられて、大勢の前で自分の非を暴かれて……。
激昂して殴りかかられたほうがまだマシだと思った者も多かったはずだ。
それに、よく思い返してみれば、先ほど陛下と王妃殿下のお姿が見えたような気が……。
「もしかしてオーウェン様、お仕事中だったのではないですか!? ああ、なんてこと、どうしたら……」
あちらこちらに問題が生じていることに気づき、頭のてっぺんからさあっと血が引いていくのを感じた。
お召し物は弁償させていただくとして、貴族に歯向かったことでオーウェン様のお立場が悪くなってしまったら、私はどうすればいいのだろう。
それに何より、護衛対象の王族から離れるなんて、近衛騎士が最もしてはいけないことで、罰は免れない。
私が代わりに罰を受けることは可能なのだろうか……。
必死に対応策を考えていると、オーウェン様は楽しそうに噴き出した。
「大丈夫、全て問題ありません。水は自分からかかりに行きましたし、本当に力のある貴族はあのようなつまらない真似はしないものです。僕に仕返しをする胆力だってないでしょう」
それならよかった、と安堵の息を吐き出したあと、聞き捨てならない言葉に目を見開いた。
「自ら水にかかりに行った、とは……」
「だって、未然に防いでしまったらインパクトに欠けるし、つまらないでしょう? 水がかかったあとの観衆の慌てようといったら……いま思い出しても笑えます」
オーウェン様はにこやかな顔をしており、私はあっけにとられて開いた口が塞がらなかった。
やはりこの方は、なんというか……いい性格をしている。
「それでは、お仕事のほうは……」
「そちらも問題ありません。救援は陛下のご命令ですから」
「陛下の⁉」
まさかすぎる返答に声のボリュームが上がり、道行く人が不思議そうに私にちらと視線を向けてきた。
「ええ。陛下が『騎士の本分は、弱き者を守ること。すぐに解決してこい』と命じてくださったんです。きっと僕の心など、お見通しだったんでしょうね……。今日はハロルドもいましたし、馬も非番の兵を運良く見かけて押しつけてきましたので、ご心配には及びません」
「よかった……」
一気に力が抜けて、へなへなとその場に座り込む。
オーウェン様に害が及ぶことはなさそうで、本当によかった……。
安堵の息を吐き、思わず笑みがこぼれた。
くすりと笑ったオーウェン様は、向かい合わせで地面に座り込んで、私の顔を覗き込みながら柔らかく目を細めた。
「あんな目に遭ってもなお、僕の心配ですか。本当に貴女はどこまでも優しくて、面白い方ですね」
「え……?」
優しげな低い声と、私を見つめる穏やかな金色の瞳とに思わず鼓動が跳ねる。
「場所を変えましょう。少しお話ししたいこともありますので」
オーウェン様は立ち上がり、私に手を差し伸べてくる。
手を借りるのも申し訳ないと思いつつ、優しさを無下にするのも……と、おそるおそる触れた手は、想像していたよりもがっしりしていて力強く、水に濡れたせいかほんのり冷たくて、心地よかった。
◇
オーウェン様は『着替えをしに一度、城に戻りませんか?』という私の提案を無視して『着替えて欲しいのなら、そこで買ってきます』と、目の前にあった服屋で服を替えてきた。
新市街の服屋はどこも敷居の高い高級店のはずなのに、なんのためらいもなく、びしょ濡れのまま店内に入り服を買ってくるのに驚きが止まらなかった。
「はい、着きました」
「オーウェン様あの、本当にここで……」
合ってます? の、言葉を飲み込む。
オーウェン様が足を止めたのは、人通りの少なそうな路地裏だった。
明るくて清潔な場所ではあったけれど、どう考えても路地裏は会話を楽しむようなところではない。
日向ぼっこをしていたネコも私たちが来たことでいなくなってしまい、オーウェン様と私の二人だけになった。
「ええ、ここで合ってますよ。ベンチがなくて申し訳ないですけど、人のいないところのほうがお話ししやすいので」
オーウェン様は段差に先程店で買ったショールをかけていき、続いて私の腰に触れてそのままショールの上に座るように誘導してきた。
「早速本題に入りますけど、エステルは本当に修道女になりたいと思っているのですか?」
オーウェン様は私の隣に腰掛けながら尋ねてきた。
「……そうすることが一番だと思っています」
正直なところ、それしか手がない。
誰かに愛の告白をされたら発作が始まってしまうし、八方美人な態度もいまさら変えられない。
先ほどの私刑で私の考えも態度もおかしくて、好かれるどころか嫌われているとさえ感じた。
今回はオーウェン様が助けてくださったけれど、次はどうなるかわからない。
それに何より、今後オーウェン様からも嫌われてしまったら、私は……。
膝の上に重ねた自分の手を握りしめて、にこりと勝手に笑顔が浮かぶ。
「私はもう、このまま生きていていいのかさえわかりません。悪の令嬢のように周りを傷つけて振り回して嫌われて。消えてしまいたいくらいです」
泣きたい気持ちでいっぱいなのに、もう涙の流し方さえわからない。
そんなところでもおかしな自分を再確認してしまい、ますます胸が苦しくなった。
「……僕は、消去法で選んだ答えを聞きたいわけではありません。『貴女自身はどうしたいと思っているのか』を聞きたいんです」
強くまっすぐな金色の瞳に、心を覗かれているような気持ちになり、誤魔化しは通用しないと悟る。
ふと、以前『いつか、話したい、聞いてほしいと思えたときに』と私のトラウマの件について言ってくださったことを思い出す。
「オーウェン様……もしよければ昔話に付き合っていただけませんか? 楽しい話ではありませんが……」
「僕は、貴女の隣にいられるだけで十分ですので、どのようなお話しでも喜んでお聞きします」
優しくてどこか甘い微笑みに、思わずきゅっと切なく胸がしめつけられた。