第七話 元没落令嬢は、断罪される
「オーウェン様が、呪いを、解く……?」
にわかには信じがたい予告をされて、確かめるように呟く。
「うん。オーウェンがそうと決めたら絶対にそうなるよ。アイツは涼し気な見た目と違って、執着心つよつよで常識はずれな戦略家だから」
執着心が強くて常識はずれな戦略家……。わかるような、わからないような。
心の中で苦笑いをしていると、ハロルド様はにいっと目を細めて笑った。
「厄介なヤツに目ぇつけられちゃったねぇ。修道女にはさせてもらえないと思うよ。諦めたほうがいいんじゃねーかな?」
「諦めたほうがいいと言われましても……」
修道女になるしかトラウマから逃れられる方法がないし、どうしようもないのだけれど……。
結局、いつもそう。考えたところで堂々巡りの八方塞がりになって、修道女という選択をとるしかないように思えてくるのだ。
無言のまま視線を落として考え込んでいると、ハロルド様は大きく伸びをして、退屈そうにあくびをした。
「何事もなるようになるし、考え過ぎてもいいことないって。つまづかないように足元ばっかり見てたら、楽しいものも綺麗なものもぜーんぶ見えなくなるよ?」
ハロルド様はへらっと笑って立ち上がり、城のほうへ帰ってしまった。
……楽しいものも綺麗なものも見えなくなる、か。
わかってはいるの。こんなのただ、逃げているだけなんだって。
自分の過去と向き合うのが怖くて、いまさら他の生き方も見つけられなくて……。
一番平坦で、安全で、無難な道を行こうとしているだけ。
こんなの、修道女を本気で目指している方々にも失礼だ。
それなのにオーウェン様は、私よりももっとずっと私のトラウマについて真剣に考えてくださって、どうにかしようと奮闘してくださっている。
私、本当にこのままでいいの?
死ぬまでずっと、嫌なことと怖いことから逃げて生きていくの?
心のなかでモヤモヤした気持ちが渦巻くけれど、恐怖と不安が水底から泡が立ち上るかのように浮かんでくる。
手を見ると小刻みに震えていて。
また、目を背けて、思い出したくない記憶を胸の奥底にしまい込んだ。
◇
それから数日が経ち、私はお菓子の材料を買いに行くため城を出て、新市街を一人で歩いていた。
ここは高貴な身分の方が住む町。
道も石畳で舗装されて馬車が行き交い、花壇には色鮮やかな花が咲いている。
今日買うものは、ナッツとドライフルーツと……なんて指折り数えながら歩いていると、軽く肩をたたかれた。
こんなことをするのは、オーウェン様かハロルド様だろう。
そう予想していたのに、振り返った先にいたのは……先日私に告白をしてきた男爵令息ジェフリー様だった。
無言のまま固まってしまい、その場に立ち尽くす。
前回は隣にオーウェン様もいてくださったし、聖職者の館もすぐ近くにあった。
けれど、ここは城壁の外にある新市街で、私は一人。助け舟を出してくれる人なんて、いない。
バスケットを抱きしめるように握りしめ、思わず一歩後ずさりをした。
「エステル嬢。この間の返事を聞かせてくれないか?」
ジェフリー様は、断られるなんて微塵も思っていないようで、輝く瞳を向けてくる。
それと同時に「エステル」と私の名を呼ぶお母様の声がどこからか響いて、身体が細かく震えだした。
恐ろしさのあまり、すぐにでも逃げ出したくなり、いっそのこと失神してしまいたいとさえ思う。
その一方で、オーウェン様が私のトラウマと発作を治そうとしてくださっているということも思い出し、罪悪感に襲われた。
陛下の御身をお守りになるお忙しい方が、私なんかのために時間を割いてくださっている。
それなのに、当事者の私が逃げるわけにはいかない。
頭の中で響くお母様のヒステリックな声に気を失いそうになりながら、抱えたバスケットがひしゃげるほどに、自分自身を抱きしめる。
ぽっきりと折れてしまいそうな気持ちを無理やり奮い立たせ、意を決して口を開いた。
「ジェフリー様、私は修道女となる身です。お気持ちは嬉しく思いますが、お応えすることはできませ……」
「はぁ? どういうことだよ! 思わせぶりにもほどがあるだろう。もしかして、なにか理由があるのか? それともまさか、贈り物目当てではないだろうな!?」
納得できないとばかりに、ジェフリー様は刺々しくて大きな声で反論をする。
「贈り物はいただけない、といつもお話しして……」
「そうは言うものの、いつも受け取ったままじゃないか!」
「え……?」
ジェフリー様の話している意味がわからない。
プレゼントが欲しいなんて、一度も言ったことはないし「高価なものはいただけない」と、いつもお屋敷に感謝の手紙を添えて送り返しているのに。
けれど、よく思い返してみると、以前直接返しに行ったとき、家令が「どうしたものか」と眉を落としてため息をこぼしていたことがあった。
もしかすると、あの家令が預かっているのかもしれない。
けれど、そんな推測を話すわけにもいかないし、話したところできっと、信じてもらえないだろう。
ちらと視線を送ると、ジェフリー様は別人のように険しい顔で、私を睨みつけている。
普段は向けられることのない強い負の感情と鋭い視線に、ひゅっと喉の奥がなった。
ジェフリー様と私が言い争っているように見えたのか、道行く人たちが足を止めて、好奇の目で私たちを見ている。
勇気など、出さなければよかった。
トラウマも発作もどうにかなるかもしれないなんて、考えてはいけなかったんだ。
だんだんと呼吸が苦しくなってきて、立っているのも精一杯になってくる。
「お話し中に失礼」
突然、観衆の中から背の高い男性が割って入ってきて、私を見下すように見つめた。
「エステル様、貴女は皆にそういう態度をとっていたのかな? 僕もこちらの男性と同じように、貴女から愛されていると思っていたし、告白をするつもりでいたのだけれど。貴女は、男の気持ちを弄んで嗤う、とんでもない悪女だったんだね」
フレディさん、違う。そんなつもりじゃないの!
声に出したいのに、冷たい目が怖くて、息が苦しくて全然言葉になってくれない。
今度は、ドレスを身にまとう貴族のご令嬢が、せわしなく扇子を扇ぎながら現れて、高笑いをした。
「ほうら、やっぱりこの修道女、女狐だったわ! わたくしの婚約者が何度も懺悔に通うようになっていたけれど、貴女本当は彼と二人で何をしてらっしゃったの!?」
違う! 本当に私は悩みや不安を聞いていただけだ。
この方が思うようなことは、何もしていない。
「私は、誓ってそのようなことは……!」
誤解されてはならないと、弁明しようとするけれど、貴族のご令嬢の言葉を皮切りに、観衆から私を罵る声が次から次へと飛び出し始めた。
「思わせぶりな態度をとって貢がせて、恋心を弄んだ上に寝取りかよ! 俺たちも騙されないように、よぉく顔覚えておかないとな」
「見て、こんな状態なのに笑っているわ」
「ははっ、いい神経しているよ。修道女の皮をかぶった悪女だ」
こんなときまで笑顔が浮かんでいる自分が憎らしくて、悔しくて、悲しかった。
憎まれて、疎まれて、嗤われて、口々に罵られて。
私の人生って、いったいなんだったんだろう……。
そういえば、こんな絶望のシーン、どこかで見たことがある気がする。
ああ、そうか。これは小説で出てきた悪の令嬢の断罪シーンだ。
それまで一身に愛を受けていたのに、悪事が明るみに出て人々から手のひらを返される。
悪の令嬢が、制裁を受ける場面とまるっきり同じ。
私もあの令嬢のように嫌われて疎まれて、どこまでも堕ちていくんだ……。
これが、お母様の教えから抜け出せず、下手くそなやり方で八方美人を貫いてしまった結果。
滑稽で、惨めだわ。
ふと顔を上げると、馬に乗った国王陛下、王妃殿下のお姿が遠くに見える。
そして、オーウェン様の横顔も。
王族のお二人も、オーウェン様も、光の下でキラキラと輝いていて、別世界の住人のようにも見える。
オーウェン様、助けて……。
思わずぎゅっとバスケットを抱きしめて情けなく願うけれど、オーウェン様はすぐに人混みに紛れて見えなくなった。
ああ、これで本当に私は一人ぼっちだ。
次第に呼吸が荒くなり、観衆の嘲笑の声とお母様のヒステリックな声とが混ざり合いながら大きく聞こえてくる。
ごめんなさい。
私は、男に生まれることも、お母様の望むようないい子になることもできませんでした。
こんなにも周りを傷つけて、嫌な想いをさせてしまう自分なんか、もういらない。
誰にも必要とされないのなら、死んでしまったほうがよっぽどいい。
皆さん、嫌な思いをさせてごめんなさい。
でももう、悪女は舞台から消えてしまうから……。
そんなふうに思ったら、荒れた呼吸も収まって、バスケットも手放し、何も感じることができなくなって、そのまま立ち尽くした。
「ほら、水持ってきてやったぜ。欲で狂った頭を冷やしてやるよ!」
見知らぬ男の人が、水のたっぷり入った木桶を大きく振り動かし、あたりから歓声が上がる。
まぶたを閉じるのも忘れて放心したまま眺めていると、目の前にふっと影ができて、ばしゃんと大きな水音がする。
あたりは時間が止まってしまったかのように静まり返り……くすっと聞き慣れた笑い声が響いた。
「おやおや、困ったものです。勝手な決めつけも、誰かをいじめるのもいけないことですよと、教わってこなかったんでしょうか?」
その声に思わず大きく鼓動が跳ねて、目を丸く見開く。
私の前には近衛騎士の制服をまとうオーウェン様が立っていて、深い海のような青髪から水を滴らせていたのだった。