第五話 元没落令嬢は『趣味が悪い』と、心配される
「エステルさまぁ、クッキーくーださいっ!」
「僕もたべたーい!」
失神してしまってから数日がたち、私はいつもの生活を取り戻していた。
朝からクッキーを作り、バスケットいっぱいに詰めて外に持っていくと、すぐに子どもたちに囲まれた。
聖職者たちの館がある城の外庭は小さな町のようになっていて、畑があったり、パン屋や鍛冶屋の工房、さらには牧場まであったりする。
戦争時に籠城を可能にするための仕組みらしく、この外庭には王城で働く使用人たちの子どもも住んでおり、私はその子たちの世話係もしていた。
「おいしい!」
「もう一個食べていい?」
無邪気な笑顔に「どうぞ」と笑った。
心が不安定になったとき、私はよくお菓子を作る。
作っている間は余計なことを考えなくて済むし、出来上がれば子どもたちの喜ぶ姿も見ることができるから。
幸せそうな顔を間近で見ると、こんな私でも必要とされている気がして、なんだか少しホッとするのだ。
オーウェン様は、私の発作が起きて失神した日以降も普通に話しかけてくるのに、私の過去を聞こうとはしてこない。
意を決して「聞かないんですか?」と尋ねたのだけれど「いつか、話したい、聞いてほしいと思えたときに」と優しく微笑んでくれた。
その心遣いがありがたくて嬉しかったのに、結局嫌われるのが怖くて、本当のことはずっと言えないままだった。
「あーっ、クッキーじゃん! 俺にもちょーだーい」
後ろから影ができ、明るい声がして振り返る。
「ハロルド様、お久しぶりです。はい、どうぞ」
私の背後にはへらっと笑う、背の高い赤髪の男の人がいた。
バスケットを渡して微笑みかけると、その人は目を輝かせて中を覗き込んだ。
「すげー、いっぱいあるー! どれにしようかな〜っと」
無邪気にクッキーを選んでいるこの方は、もう一人の近衛騎士、ハロルド様。
勤務時以外の態度がだらっとしていて、いいかげんで適当だからか厳しい目で見られているときもあるけれど、明るくて優しくて、老若男女問わず好かれている素敵な方だ。
きっとお母様は私にこんなふうになってほしかったんじゃないかなと思う。
ハロルド様にはなぜか、ついついなにかをしてあげたくなるような、不思議なオーラがあるから。
「うまっ、エステルってば天才だねぇ。お店出せるんじゃねーかなぁ?」
大人なのに子どもたちをさしおいて、夢中で食べているのがらしくてなんだか笑ってしまう。
ハロルド様はいくつかクッキーを手のひらに載せると、子どもたちに向かってバスケットを渡し、にかっと笑った。
「わりーけど、オネーサンと話したいから、ちょっと向こうで食べててよ」
「もしかしてデートぉ?」
子どもの一人が言うとハロルド様は「まさかぁ! 妹とデートしたいって思うー?」なんて尋ねていて。
激しく首を横に振る兄妹を、からからといつまでも笑っていた。
◇
「エステル、まーた倒れたんだって?」
どこか困ったようなハロルド様の問いかけに、こくりとうなずいた。
近衛騎士のハロルド様はファオン伯爵家の三男で、私を保護してくださった伯爵様のご令息。
一緒に過ごしたのは一年くらいで、長男の婚約者候補を探すとなったとき、よその娘がいるのは印象も外聞もよくない、とのことで私は屋敷を出ることになった。
そうして、この聖職者の館にやってきたのだ。
一番歳が近いハロルド様は、屋敷を出て何年もたったいまも私を妹扱いしてくださり、家族のように接してくださっている。
私はそれが、とても嬉しかった。
「怪我がねーならいいんだけどさー、倒れたのがあっちこっちで噂になってるよ」
ハロルド様に言われて、これはまずいと焦る気持ちでいっぱいになる。
噂になれば悪目立ちしてしまうし『嬉しすぎて失神した』なんて勘違いをされてしまったら、ジェフリー様との結婚話を無理やりすすめられかねない。
なんの気なしに頬を触ると、こんなときでも感情と異なり口角が上がっていて、おかしな自分に嫌気がさした。
「広まっている噂とは、どのような……?」
おそるおそる尋ねると、ハロルド様は「気になるぅ?」なんてもったいつけたあと、楽しげにタレ目を細めて笑った。
「エステルが、童話のお姫様みたいだった、って噂〜。青髪の近衛騎士が、おろおろする男爵家の息子をさしおいて、修道女見習いをお姫様だっこで運んだんだってさ」
「なっ……!?」
「オーウェンてば、性格はともかく顔はいいから絵になるだろーし、噂が広まってくのもわかる気ぃするよねぇ。性格はあれだけど、顔はいいからさぁ」
『性格はともかく、顔はいい』を、相棒から二回も繰り返されるオーウェン様が哀れでならない。
いろいろよくない噂を聞くし、癖も強くてよくわからない方だとは思うけれど、ちゃんとゆっくり話せば本当に優しい人だと思うのに。
「オーウェン様に多大なるご迷惑をおかけしてしまったようですね……」
申し訳ない、なんて思うけれど、ハロルド様はからからと笑った。
「だいじょーぶ。オーウェン、なぁんも気にしてねーから。むしろ楽しそうだもん」
もしもそうだとしても、このまま甘えるのは私が許せない。
せっかくだし、お礼と謝罪を兼ねてお菓子を渡したいと思っているものの、未だオーウェン様へのお菓子は作れていないまま。
何を渡したっていいはずなのに、考えれば考えるほど、わけがわからなくなって、どのお菓子もしっくりこなくて……。
プレゼントを先延ばしにし続けているのだ。
ああそうだ。折角の機会だし、ハロルド様にオーウェン様が好きなお菓子は何か、聞けばいいんだ。
「あの、オーウェン様にお菓子をお渡ししたいと思っているのですが、好きなお菓子をご存知ではないですか? いまのところマドレーヌを考えてはいるのですが……」
これできっと、この問題は解決する。
そう思ったのに、ハロルド様は臭いものでも嗅いだように顔を歪ませた。
「ウゲェ〜。エステルさ、男の趣味悪すぎだよねぇ。オーウェンは相棒には最高だけど、恋人にはやばいって。マジでナイ。俺が知る中で一番やべぇもん。オーウェンてば俺よりテキトーだしさぁ。女の子にビンタされたりガチギレされてるの、今年に入ってからもう五回も見てるよ」
ハロルド様は本気で心配してくださっているようで、怒涛のように語りだす。
そして、あきれたように笑い、再び口を開いた。
「あと、オーウェンのやつにマドレーヌなんて贈ったら、気があると思われるんじゃね? エステルさぁ『どうせ意味なんてわからないだろーし、好物をあげとけばいいや』って思ってるでしょ。オーウェンを甘く見てたら、そのうち痛い目見るよ?」
「え……」
「ま、エステルがそれでも構わなくて、オーウェンも本気なら話は別だし、全力で応援するけど。そんじゃ俺行くわ。クッキーありがと、またねー!」
ハロルド様は、混乱する私を置いて、風のように去っていく。
かき回すだけかき回して去っていくハロルド様の背中をぼんやりと見つめる。
オーウェン様にお菓子のプレゼントをする日がますます遠のいていく気がした。