第四話 元没落令嬢は、自責の念にさいなまれる
聖職者たちの館が見えてきて、道の先に茶髪の男性が立っているのを視界にとらえる
あれは……男爵家の次男の、ジェフリー様?
「高価なものは、いただけません」と、それとなくお断りしているにもかかわらず、会うたびにプレゼントをくださる方だ。
「やっと君に会えた! 大切な話があるんだ」
ジェフリー様は私を見るなり駆け出して、私の目の前で足を止めた。
キラキラと輝く不気味な瞳と、どこか甘ったるい声とに息が止まる。
いけない、この流れは……。
少しずつ呼吸が荒くなっていくのを感じる。
「エステル嬢。修道女見習いなどやめて、私と……」
お願いだから、その先はやめて……!
ぎゅっと強く目をつむると、間延びした声が隣から聞こえてきた。
「あのー、そこのお兄さん。道、あけてくださいますか? 僕、もう腕が限界を超えてしまいそうです」
「え?」
ジェフリー様と私の心の声とがシンクロする。
「僕ってほら、騎士のわりに細身でしょう? この荷物、すんごく重くて持つのが大変なんですよ。試しに持ってみます?」
ずいずいと箱を押し付けようとしているオーウェン様にひいたのか、ジェフリー様は苦々しく笑いながら後ずさりをしている。
重くて大変?
嘘っぱちにもほどがある。
あんなに軽々と持ち上げていたくせに。
息をするように嘘を吐く様子に、あきれを通り越して感心してしまう。
「ではエステル、行きましょうか。優しいお兄さんが、道を開けてくださったことですし」
いつの間にかオーウェン様はジェフリー様を道の端に寄せていて、にこにこと微笑みながら歩きだした。
……よかった、助かった。
小さく息をつき「今日のところは、失礼いたします」と、ジェフリー様に深々と頭を下げた。
足早に去ろうとしたのけれど、突然手首を掴まれてしまい、慌てて振り返る。
眼の前にあったジェフリー様の表情は真剣そのもので……。
よくない未来の予感に、私の身体はカタカタと細かく震え出した。
「エステル嬢、いつなら話せる? 俺たちの想いは同じ。そうだろう? 俺は君を愛しているんだよ」
『愛している』
その言葉を皮切りに、幼い日の記憶が次から次へと押し寄せてきて、お母様の声が頭の中で響く。
さぁ、エステル。今日の成果を聞かせてちょうだい?
男爵の息子に告白をされた、ですって……。
なぁに、それ。冗談よね……?
娘であるあなたまで、わたくしを苦しめるつもり!?
教えたとおりにしないから、下級貴族ばかり引き寄せてくるのよ。
わたくしがこんなに手をかけてあげているのに、なんの役にもたちやしない。本当にグズな子!
さぁっと頭から血が引いていくのが自分でもわかる。
ふと手元を見ると、ガタガタとおかしいくらいに震えていて、驚いたジェフリー様は私から手を離した。
ごめんなさい、お母様。
エステルはまた、失敗してしまいました。
上手に振る舞えなくて、ごめんなさい。
お母様の味方をたくさん作ってあげたいのに、失敗ばかりのダメな悪い子でごめんなさい。
ごめんなさい……お母様、お願い、許して……。
「エステル!」
姿勢が崩れ、視界が暗転する前に見えたのは青髪の近衛騎士が、切羽詰まった表情で駆けてくる姿。
……いつも余裕しゃくしゃくなこの方も、こんな顔をすることがあるのね。
オーウェン様の新しい姿を知ったことをなぜか嬉しく思いながら、私は静かにまぶたを閉じた。
◇
「オーウェン、貴方はエステルに何を言ったのです?」
遠くから声が聞こえる。きっと、司祭様だ。
「僕は、何も。司祭様、さっきのエステルは異常でした。まるでなにかに怯えているかのような……」
今度はオーウェン様の声。口調は穏やかなのに少し怒っているような、どこかぴりぴりとした声をしている。
ゆっくりまぶたを開けると、そこは聖職者の館にある私の自室だった。
部屋には私しかいないため、声は廊下から聞こえてきたみたい。
「あの子の過去を、私が勝手に話すわけにはいきません。ただ、お前があの子の力になりたいと望むのなら……一つだけできることがあります」
司祭様の真剣な声がする。
私の過去を勝手に伝えていなかったことに、ホッと胸を撫で下ろした。
実の母親が狂ったことで家を明け渡すことになり没落しただなんてとても言えないし、子どもの頃からの教えに未だとらわれたまま抜け出せないなんて、いい歳をしてみっともないにもほどがあるもの。
さらには、八方美人を狙ってしているなど、オーウェン様に知られてしまったら、幻滅されるに違いないから。
「エステルのために、僕にできること、とは?」
言葉を止めてしまった司祭様をせかすように、オーウェン様が言う。
「……貴方ができることは、エステルが修道女になるまで見守り、波乱なく穏やかに過ごせるよう支えること」
優しいけれど、寂しそうな司祭様の声に胸が痛くなった。
かつて、司祭様は私が修道女を目指すことを一番反対して、何度も説得をしてくださっていたから。
だけど、さっきのような私の発作を何度も見たことで「貴女には心の安寧が必要なのかもしれませんね」と、私の考えを受け入れてくださったのだ。
「は? つまりは放置しておけと? 意味がわかりませんね。前々から思っていましたが、あんな若い娘をナナリス教の修道女にしようなんて、いかれているにもほどがありますよ!」
オーウェン様はめずらしく怒っているようで、語気を強めている。
私のことなんて、放っておいてくださっていいのに……。
私なんかのために、お忙しい方の手をわずらわせたくない。
それに、オーウェン様の考えが全く読めないからか、いつも振り回されてしまうし、何かを変えられてしまいそうで怖いから。
「オーウェン、貴方もいずれわかる。修道女として生きることが、あの子の幸せに繋がるのです。あの子のトラウマは根が深く、治すのは難しい。恋や結婚だけが幸せではありませんから」
オーウェン様の返答はなく、司祭様は深く息を吐き出して、言葉を続けた。
「もうお帰りなさい。貴方の仕事は陛下をお守りすることでしょう。ここでできることはもう、ありません」
司祭様のお声と靴の音が遠のいていき、やがて「ヘンリー司祭」と呼び止める声が聞こえた。
「僕は先の戦争にも出ていたからわかりますが、苦しみから目を背け続けたところで幸せになんかなれません。臭いものに蓋をしているだけですよ。なんの解決にもならないと思いますけどね」
けしかけるようなオーウェン様の声に、胸が鋭く痛む。
……わかっている。ただ嫌なことや辛いことから逃げているだけだということは。
でも、どうしようもないの。
いつだって、亡くなったはずのお母様が、ダメな私を責めてくるの。
『味方を増やせるように振る舞わなければ』『告白をされないようにしなければ』という考えにずっと囚われてしまう。
こんな自分がみっともなくて、情けなくて、大嫌いで。どうにかしたいと思うのに……
どうしたらいいのか、わからない。
いくら考えてみても、わからないの……。