第二話 元没落令嬢は、嫉妬される
いつのまに来ていたのだろう。
近衛騎士のオーウェン様を無言のまま見つめた。
深い海のような青髪も、長いまつ毛も、柔和で理知的な横顔も綺麗で、思わず息を呑む。
このまま気づかれないように去りたいところだけれど、気配に敏感な騎士様が相手だ。無理な相談だろう。
思い切って、声をかけることに決めた。
「オーウェン様も、お祈りにいらしていたのですね」
お母様のしつけのせいなのか、勝手に顔に笑顔が貼り付き、声もわずかに上擦る。
『味方を増やすためには、敵意を見せないことと、無邪気でありながら品よくしていること』
お母様の教えが身体に染み付いているのを実感し、嫌気がさした。
「こんにちは、エステル。こうして隣同士でお祈りをすると、なんだか昔を思い出しますね」
「そうですね。あの頃のオーウェン様は、司祭様が見張っていないとすぐ、祈るふりをしてお昼寝していましたね」
あれは衝撃でした、と微笑むと、オーウェン様は少しだけ目を丸くしたあとに、頬を緩ませた。
「おや、気づかれていたんですか?」
「気づきますよ。いつも、船をこぐみたいに身体が揺れていましたから」
私たちは、顔を見合わせて笑う。
女性慣れして話し上手だからなのか、オーウェン様と話すのは、楽しい。
穏やかで、和やかで、気が楽で、そして……不安になる。
オーウェン様の金色の瞳は、臆病で嘘つきな私の心を見抜いているのではないかと、心配になるときがあるのだ。
未だ『大勢から愛されるように振る舞え』という教えのとおりに生きる、利己的で打算的な私を知ったらきっと、幻滅されてしまうから……。
小さく息を吐いてうつむくと、ぎぃと軋みの音が響く。
同時にオーウェン様は立ち上がり、睨むように扉を見つめた。
礼拝堂の入り口には農家の若い男性が、野菜の入った箱を抱えて立っていた。
「マテオさん! マテオさんも夕のお祈りに?」
過剰なほど明るい笑顔が顔に貼りついているのが、自分でもわかる。
不自然な笑みだと私は思っているのだけれど、お母様の教育のたまものなのだろう。誰かにそれを指摘されたことは一度もなかった。
一方、マテオさんはいつものように顔を赤らめて視線をそらし、もじもじしながら笑った。
「今日は……野菜のおすそ分けに……」
「わぁっ、嬉しいです! 大切に育ててきたお野菜なのに、いいのですか?」
他の人のように穏やかにお礼を伝えられればいいのに、毎度全力の過剰演出のようになってしまう自分に辟易する。
けれど、マテオさんは「ぜひ!」と、嬉しそうにうなずいてくれた。
「先日いただいたお野菜もとっても美味しくて、すぐに食べてしま……ッ!?」
突然、腰を掴まれ、ぐんと隣に引き寄せられて、驚きのあまり声をなくす。
顔を上げるとオーウェン様のお顔が至近距離にあって、どくんと鼓動が跳ねた。
「オーウェン様?」
何が起きているのかわからずに尋ねてみるけれど、返事はないまま。
離れようにも、細身の身体のどこにそんな力があるのか、少しも動ける気がしなくて、されるがままになってしまう。
「マテオさん、と言いましたっけ。野菜はそこに置いておいていいですよ。僕が運んでおきますので。ね?」
穏やかなオーウェン様の言葉に、マテオさんは蛇に睨まれたカエルのように固まっていて。
「それなら、お願いします……」と、なぜか落胆した様子で帰ってしまった。
「オーウェン様、どうされたのです?」
顔を上げて尋ねると、オーウェン様はどこかうさんくさい微笑みを浮かべたまま私を解放した。
「よくない虫があたりを飛んでいたもので、すみません」
よくない虫? そんなのいたかしら、なんて思いながらあたりを見回す。
けれど、確かに修道女見習いの服は黒いせいか蜂がすぐ追いかけてくるから、ありえる話だ。
「もしかして、蜂ですか? よく寄ってくるんですよ。困ったものですね」
苦手な蜂に標的にされたくなくて、身体を縮こまらせる。
すると、オーウェン様はくすりと楽しそうに微笑んだ。
「大丈夫。もういなくなりましたよ。花にまとわりつく厄介な虫に噛みつかれないように、思わせぶりな態度にはお気をつけくださいね」
どこか含みのある言い方に違和感が募る。
遠回しに何かを伝えようとしている、ともとれたけれど、深読みも深追いも禁物だ。
『適切な距離感を保ち、余計なことには首を突っ込んではならない』
これも、子爵の娘時代に学んだことだから。
「オーウェン様、ありがとうございます。蜂を怒らせると本当に危ないですものね」
にこりと微笑んで、差し障りのない返答をする。
オーウェン様は、すっと目を細めていつものうさんくささのある微笑みを浮かべた。
「ええ。くれぐれも、お気をつけくださいね」
感情も考えも読めない金の瞳に見つめられ、胸の奥がざわざわと落ち着かなかった。